1-16 灯台下暗し(2)
西の空は雲が切れて、夕焼けになっている。
明日は久しぶりに少しは晴れそうだ。
ふたり並んで、どこに向かうわけでもなく、ぶらぶらと歩いた。
住宅地から緑道公園に入って歩いていたら、アスファルトのちょっとした広場があった。
もう濡れていなかったし、ほかに人もいなかったので、覚えた技を織り込みながらドリブルとパスをして遊んだ。
「あ、リユ、人が来た」
美那がボールを止めたので、俺は振り返った。
「あ!」
歩いてきた老夫婦は、俺が10歳くらいのころによく遊びに行っていた杉浦さん夫妻だった。
「あら」
「杉浦さん、こんにちわ」
「里優ちゃん、こんなところで会うなんて珍しいわね」
「お、バスケットボールかね。里優くんはテニスじゃなかったか?」
「最近、始めたんですよ」
美那が俺に近づいてきて、二人にお辞儀をした。
「だれ?」と、耳元で囁く。
「ほら、最初に練習した日だっけ? 大きな家の犬の話、覚えてない?」
「サスケ、だっけ?」
「あら、お嬢さんもサスケをご存知なの?」
「彼から聞いたことがあって」
「まあ、そうなの! 里優ちゃん、高校の入学式以来だったかしら」
「ええ。すみません、ご無沙汰しちゃって」
「あら、いいのよ。高校に入ったって報告に来てくれただけでうれしいんだから」
「そうだ、おまえ、せっかくだから、ちょっと寄ってもらって、お茶でも出したらどうだ。ほら菓子もあっただろ」
「そうね。お時間はある? よかったらどうかしら。ちょうどお菓子をたくさんもらっちゃってどうしようかと主人と話してたのよ。遠慮しないで、寄って行って」
俺と美那が顔を見合わせる。アイコンタクトでOKと美那が言う。
「じゃあ、すみません。ちょっとだけ」
「うれしいわー。ひとり息子が1年くらい前に海外赴任になって、孫も連れて行っちゃたから、寂しくてね」
「そうなんですか……」
奥さんもご主人もかなり寂しそうな感じだ。孫っていうのは本当に可愛いと感じるらしいもんな。
杉浦家はそこから歩いて5分ほどのところにある。
和風の門の前で、美那が目を見開いている。
「さ、どうぞ、はいって」
大きな門の横の、人だけ通れる大きさの扉をくぐる。
「すっ、ごい」と、美那がつぶやく。
たぶん最初に来た人は驚くと思う。門を入っても、すぐには家が見えないから。
木立に挟まれたコンクリートのゆるやかに曲がった道は車が余裕で通れる広さで、2分ほど歩くと、庭が開ける。
右手には車が3台以上並べられそうなシャッター付きの大きな車庫があって、その前は水はけが良さそうな広い舗装になっている。左手に住居である日本家屋がある。
我が家の3倍はありそうな玄関を上がって、廊下を左に曲がって進む。
持っていたボールは、玄関の三和土に、俺と美那の靴に挟んで置いておいた。
ゆったりとしたリビングルームに案内された。ここは床張りでちょっと洋風な作り。大きな布張りのソファセットが置いてある。勧められて座ると、めちゃくちゃ座り心地がいい。沈み過ぎず、ふんわりと包まれる感じだ。
「もらったお菓子はこれなのよ」
奥さんが小包装になったフルーツケーキらしきものを大量に持ってきた。ただ、真空パックではなく、アルミをコーティングしたような紙で包んである。おしぼりも置いてくれた。
「あの業者、ほんとうに気の利かんよな。年取った夫婦でこんな油っ気の多い菓子をこんなに食えるわけないのに」
ご主人がやって来て、不満をこぼす。
「まあまあ、わざわざ持ってきてくださったんですから。息子たちが海外に行ったのもご存知なかったんだし。どうぞ、お好きなのを召し上がって。紅茶がいいかしらね」
「はい」と二人で答える。
ご主人が向かいの一人がけに座る。
「息子たちは横浜の中心のほうに住んでいたが、しょっちゅう遊びにきてくれていたから、前なら持って帰ってもらえたんだが」
「そうなんですか。それはお寂しいでしょうね」
美那が大人びた口調で言う。
「そうなんですよ。お、バスケットボールといえば息子も学生時代にやってましてね。里優くんは知らないかな? 以前は庭にバスケットのゴールを付けていたんですよ。車庫の前の駐車スペースの外灯のところに。本当はゴールを付けられるポールを立てたついでに外灯も付けたんですが」
「そういえばなんとなく記憶が。テニスボールを投げて、入れていたような気が……」
「いまはもうないんですね……」
美那が残念そうに言う。
「それが、息子が孫にも教えたいといって、ちょっと前に子供用の高さに取り付けてやったんだが、少なくとも数年は戻れんとかで、はずして倉庫にしまいました。劣化してしまうとかで」
奥さんが紅茶を並べて、ご主人の隣のソファに腰を下ろした。
「そうだわ、あなた。里優ちゃんがバスケットボールを始めたなら、練習場所に使ってもらったら」
「おお、そうそう。それはいい考えだ。あ、でも部活動なら学校に練習場所があるか」
「僕は部活じゃなくて学校の外のチームなんです。実はこれといった練習場所がなくて、ちょうど探していたんです。だからもし使わせていただけるならほんとうに助かります」
「でも、もしリユ、あ、森本くんがひとりで使うとしても、それなりに本格的にプレーするので結構、音がしますよ」
美那にしてはずいぶん慎重な発言だ。
「どうせわたしらは早起きだし、夜はさすがにあれだが、朝とか夕方なら大丈夫ですよ。幸い周りの家の心配もいらないですし。息子が使っていたから、どんな感じかはだいたいわかっています。わたしらはよくわからんから、自分で取り付けてくれれば、使ってもらってかまわんよ」
俺と美那はまたまた顔を見合わせる。
なぜか美那は、まだちょっと躊躇があるようだ。
それと美那も一緒に使うことが、杉浦さんに伝わっていない気がする。
「ほんとにいいんですか? それと、ひとりで使わせてもらえるだけでも助かるんですけど、彼女も一緒に使えるとうれしいんです。彼女は僕のコーチなので」
「あら、そうなの! なんかスポーツウーマンって感じだものね。大歓迎よ。そうしてちょうだい」
奥さんの言葉にご主人も強くうなずいてくれる。
よっしゃ!
「ただあれだな。老人ふたりだけの家だから、やたらと人が出入りされても不用心だ。だから使うのは、君たちふたりだけ、ということでいいかな?」
「はい。もちろんです」
「うん。じゃ、今日はもう暗くなったし、よければ明日の夕方にでも取り付けに来たらいい。脚立とか工具とかはあるから使って構わないよ」
美那のやつ、なんか嬉しくて泣きそうな顔をしてやがる。
明日の夕方にふたりでゴールを取り付けに来ることになった。メモ用紙を借りて、ふたりの携帯と自宅の電話番号を書いて渡した。
それから美那が3x3のことやチームのことを楽しそうに説明した。おまけに俺にどれだけ才能があるかということまで。ちょっと話を盛っている気もしたが。
残ったお菓子をたくさん持たされて、杉浦さんの家を後にした。
並んで歩いていると、何も話さない美那がどのくらいうれしい気持ちでいるのかが伝わってきた。
「袋、かして」
俺が「サンキュ」と言いながら、美那の側の左手に下げたお菓子の入った紙の手提げ袋を渡すと、美那はそれを左手に持ち替える。
すっと手が伸びてきて、俺の手を握った。
俺はびっくりして、美那を見た。
「昔はこんなふうにしてよく歩いてたよね」
「そうだったけ?」
「うん」
「でも、誰かに見られたら困るじゃん」
「今日だけ。ね、いいでしょ?」
「まあいいけど。でも家の近くになったら離せよ。かーちゃんが見たら、ぜったい誤解するからな」
「うん、わかった」
俺の手を握る美那の力が強くなる。
俺もまた美那の手を握り返した。




