婚約破棄?まだ早い!
隣国のカイル・サイーダ王子が王城に現れた。
「ミシェル・マーガレット様。私は貴方のことを救いたい」
「え?」
ミシェルは銀の長い髪を編み上げのハーフアップにしており、季節の花を結び目に結わえていた。その蒼の瞳は見開かれる。
「ええと、どういうことでしょうか?」
ミシェルは柔らかくほほえんだ。
「あなたはこれから王太子に婚約破棄されるでしょうから私がしあわせにしたい」
「え?……そのような話はうかがっておりませんわ」
「ええ、これからの未来の話です。ミシェル、私は貴方を愛しています」
ミシェルは顔をこてんと傾けた。さらりと銀糸のような髪が揺れる。
「まあ、ありがとうございます……?」
「貴方の好きな花を庭園に植えましょう。何がいいですか?」
カイルは白いガーデンテーブルの上のティーカップを品よく持ち上げて琥珀色に淹れられたダージリンを口に運ぶ。
「ミシェル! こんなところにいたのか」
薔薇の庭園を大股でつっきりこの国の王太子ファラザード・タイタスが現れた。
輝く金のくせ毛に、蒼の瞳だ。
「探したぞ! 誰だ、こいつは」
ぎっと強い視線をカイル・サイーダ王子に向ける。
「この方はつい先ほど隣国からお越しになったカイル・サイーダ王子ですわ。庭園の案内をお引き受けいたしましたの」
ミシェルは席を立ち、美麗なカーテシーをきめた。
指先、足先まで神経の行き届いた美しい所作だ。
「そうか、ご苦労。あとは私が引き受けよう」
ファラザードはどっかりとミシェルの座っていた席に腰かけた。
「ミシェル、休憩でもしてくるがいい」
ファラザードはその蒼の瞳をミシェルに向ける。
「いいえ、ミシェルさんには私がお願いしたのです」
穏やかな口調でカイルは口をさしはさんだ。
「なんだと?」
ファラザードの瞳がカイルを牽制する。
「ええ、あなたが男爵令嬢リリアと仲良くしているという噂をきいたものですから」
「仲良くだと? そんなことはしていないが」
「おや? 抱き合っている姿を見た方が何人もいらっしゃるようですよ」
「あれは目の前で倒れてきたから支えただけだ」
「その時に運命でも感じたのでは?」
「運命だと? ばかばかしい」
目の前でのやりとりにミシェルは目をぱちぱちさせた。
すっと執事がもう一脚白いガーデンチェアを音もなく運んできたので、そこに腰かける。
「魅了にかかったのでは?」
「魅了だと? 私に効くわけがないだろうが。見くびるなよ」
「おや、耐性がずいぶんと高かったようで」
「お前はいったい何しにきたんだ。うっとおしい」
ファラザードはがんとガーデンテーブルに左肘をおいて右手で紅茶を口に運んだ。
「付き合いきれないな。切り上げさせてもらおう」
「そのカップ、ミシェルさんが口をつけたものですね」
カイルの言葉にファラザードはむせた。
ぶふぉう!
ごふっごふごふっ
「はあ? ああ、そうか。まあ、そういうこともあるだろう」
テーブルに飛び散った飛沫は執事が音もなく拭き去った。
「おや、てっきりわざとかと」
カイルは蒼の髪を揺らした。
「そんなわけないだろう。お前が変なことばかり言うものだから気が逸れただけだ」
ファラザードはその蒼の瞳をすがめた。
「あー! こんなところにいたのですかファラザードさま!」
とことこと庭園をつっきって男爵令嬢リリアが駆け込んできた。
その桃色の髪は風に揺れ、赤い瞳はらんらんと輝いている。
「さがしましたよう~」
「誰だ、お前。どうやって入ってきた」
ファラザードは金の髪を太陽光に反射し、その蒼の瞳を冷え冷えとさせた。
「もー、ファラザードさまのいじわる! 今日はファラザードさまのためにクッキー、焼いてきたんです!」
リリアは持ってきたバスケットを中が見えるように傾けた。
カラフルな可愛らしいハート型のクッキーが入っている。
「いらん」
「そんなつれないこと言わないでください! はい、あーん!」
リリアは無理やりファラザードの口元にクッキーを押し付けた。
カイルはほほえましいといった顔で二人を見つめている。
ファラザードは口を閉じたまま押し付けられたクッキーを掴んだ。
そのまま立ち上がるとカイルの口に突っ込んだ。
「そんな目でみるな!」
口に突っ込まれたカイルの方は目をぱちくりさせた。
「な……なにを、もが」
「ミシェルに、誤解、されるだろうが!」
口元のクッキーの粉をはたいてファラザードはミシェルの方を向いた。
「きゃーカイルさま! ごめんなさいい」
リリアは両手で口元を覆って狼狽した。
「いえ、大丈夫ですよリリア嬢。私もこれでも耐性は高いですから」
ぺろりとくちびるをぬぐってカイルはにこりと笑った。
「ミシェルさん、愛していますよ。私の国に来てください」
「おい、どうしてそういう話になる」
ファラザードは青筋をたてた。
「貴方はこちらのリリアさんと婚約する未来がありますから、ミシェルさんは私がしあわせにする。それだけですよ」
「はあ? 勝手に決めるな。ミシェルは私と婚約しているのだ」
「私がミシェルさんと初めて出会ったのは五歳のときでした」
「勝手に思い出を語るな!」
「一目見てその心根のやさしさに私の心は惹かれたのです」
「浅すぎるな! 私など三歳のころから好きだった!」
ファラザードは口にしてからはっと息を呑んだ。
おそるおそるミシェルの方をふりむくとやはりしっかりばっちり聞かれているようだった。
「くっ……お前のせいで、調子が狂わされてかなわんな。とっとと国に帰るがいい」
いまいましげにカイルを睨みつける。
「わかりました。では、ミシェルさんともに帰りましょう」
にこりと笑ってミシェルの手をとるカイルの腕を、ファラザードははたきおとした。
「一人で帰れ! 痴れ者が!」
ミシェルは目の前で行われるやりとりをぽかんとした顔でみていた。
どうやら婚約破棄はされないらしい。
「やれやれ、どうやらうかがうのはまだ早かったということで」
「まだとか言うな!!」
ファラザードは真っ赤な顔で怒鳴った。
「婚約破棄なんかするか!」
ファラザードの声が響いた。
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