童貞力を試される恋愛バッティングセンター
仕事帰りの道すがら、ふと目に入ったバッティングセンター。施設内からは爽快な音が鳴り響いており、先程上司から叱責を受けたこともあってか俺はついつい立ち寄ってしまった。
中は同じく仕事帰りの冴えないサラリーマン達がネクタイを緩めバットをブンブンと振り回しており、時折球が弧を描いては、一喜一憂を重ねていた。
千円を崩すついでがてらお茶を買う。本当は炭酸でシュワっと決めてやりたいが、糖分の摂り過ぎで先日健康診断で『要経過観察』のありがたいお達しを受けてしまったのだ。
俺は野球初心者だが、バッティングセンターは好きだ。在学時は可愛いマネージャー目当てでサッカー部に入ったが、そのマネージャー達はイケメンのエースが目当てだったので、何事も無く無事に健全な青春を送ることが出来たってやつだ。
バットを肩に担ぎ、フェンス扉を開けて中へと入る。スッと腕をめくり、やる気だけはプロに負けない気概だ。
100円玉を入れると、ボタンが点灯した。どうやら三つの難易度から選べるようだ。
※地味な幼馴染み(初心者向け)
※影のある学園のマドンナ
※危険な香りのする大人びた先輩
俺は選ぶ人差し指を出したまま、固まってしまった…………バッティングセンターだよな……ココ。
両脇を見ると、確かにバットを振る大人達。揺れるメタボリックシンドロームが見ていて何とも物悲しい。
俺の理解が追いつく前に、時間切れで学園のマドンナのランプだけが残ってしまった。前方から学生服を着た女の子がグローブを手に、ペタペタと歩いては適度な距離で立ち止まった。
サラサラと揺れる髪と、モデルのような細い体付きは、正しく学園のマドンナの様相を呈していて、健全な青春しか送れなかった俺は、その麗しさに思わず喉を鳴らしてしまった。
「プレイボール!!」
いつの間にか審判らしき太めの男が打席の後ろで構え始めた。女の子も素早く投球フォームへと移り、俺は訳の分からないままにバットを構えるしか無かった。
女の子が振りかぶり、思わずスカートから覗く健全な太ももに目が行ってしまった。
「こんな所で会うなんて偶然ね?」
謎の台詞と共に可愛らしい仕草で投げられた球。俺は勢いのままにバットをフルスイングするが、かすりもせずに球はフェンスへと当たった。
「ストライーク!!」
後ろで審判らしき太めの男が叫んだ。
女の子は直ぐさまに構え直し、二球目を投げるそぶりを見せた。
「あら、あなたもその本読んでるの?」
──ブンッ!
「ストライクツー!!」
球は想像以上に速く、とてもじゃないが当てられる気がしない。あの女の子は野球部か何かかな?
「ハハッ……」と乾いた笑いが喉から出た。お茶を一口飲み、置き場へと戻す。そしてバットを構えた。流石に一球くらいは当てたい。
女の子が投球フォームに入る。しかし女の子は顔に涙を浮かべていた。
「べ、別に何でも無いわ……っ!!」
俺は頭が真っ白になり、顔をしかめている間にボールはフェンスへと当たった。
「ボール!!」
「──えっ?」
おいおい、バッティングセンターでボール球が来るのかよ!?
俺が混乱する頭で女の子を見ると、既に女の子の顔は元に戻っており、既に次の投球フォームへと入っていた。
「ふーん……私以外の女の子と話すこと、あるんだ……」
目が慣れてきたのか、コースの真ん中を走るボールを俺の目が捉えた。
「──ッシャッ!!」
──ブンッ!
「!?」
バットを振る間際、ボールの軌道がストンと落ちた。しまった! 変化球もアリかよ!!
「ストライーク!! バッターアウツッ!!」
フェンスへとぶつかり、転がるボールは、緩やかな斜面の床を転がり、ぺこりとお辞儀をする女の子と共に去って行った。
「訳分かんねぇまま終われるかよ……」
俺は謎のやる気に満ちていた。このバッティングセンターはとち狂ってやがる! だが、それが俺のやる気を駆り立ててくる……!!
俺は百円を機械に入れ、地味な幼馴染み(初心者向け)をセレクトした。悔しいがコイツで憂さを晴らすとしよう。ボタンを押すと、丸眼鏡のいかにも地味そうな制服の女の子が、グローブを手に、トボトボと歩いて来た。
俺はお茶を口に含み、獲物を見る目つきで女の子を見つめた。
「プレイボール!!」
審判らしき太めの男が叫ぶ。今度こそ打ち取ってやるからな……見てろよ!
女の子がトロそうな動きで投球フォームへと入る。スカートから地味な太ももが顔を出したが、気にはならなかった。
「髪、切ったんだけど……どう?」
地味な投球フォームから放たれた遅い球。先程まで見ていた速い球に比べたら屁でも無い!!
「──可愛いよ!!」
──カキーン!
勢い良く振ったバットに確実で爽快な手応えが伝わった。ボールはボテボテと女の子の脇をバウンドしながら飛んでいき、審判らしき太めの男が「ヒット!」と叫んだ。
「……勝ったぜ」
俺がすっきりしてお茶を飲むが、女の子が次の投球フォームへと入った。
「お客さん次来るぜ。打つ方は1点入るまで気を抜くな」
審判らしき太めの男が俺へ話し掛ける。マジかよ。
「あ、1点取るとお持ち帰り出来るから、宜しくヤれよ?」
嫌らしい笑みを浮かべる男に、俺は軽い嫌悪感を覚えた……が、お持ち帰りは魅力的だな……ってか犯罪じゃないのか?
「あ、大丈夫だ。全員成人だからよ」
心の声を読むな気持ち悪い。だがそれを聞いて安心する俺がいた。
「お弁当作って来たんだけど……どうかな?」
クッソ遅いヘロヘロ球が投げられた。コレはマジで初心者向けだ。
「うまーーーい!!!!」
──カキーーン!!
ボールが女の子を飛び越えて大きく弧を描いて飛んでいった。実に爽快で気持ちいい。
「ツーベースヒット!!」
審判らしき太めの男が大きく叫んだ。よし、後1ヒットでお持ち帰りだ。
女の子が次の投球フォームへ移る。打ち取れる気しかしない。
「好きな子……いるの?」
あからさまな球が投げられた。
俺はバットを握る手に力を込め、前足に力を入れて「お前だよ!!」と振ろうとした…………が、実際に手と口が動くことは無く、俺はそのど真ん中の球を見送ってしまった。
「ストライーク!!」
「……」
俺の頭の中に居を構える正直者が、スッと手を挙げ「やるならマドンナを打ち取れ」と指令を下した。俺もその意見に賛同である。
「ストライクツー!!」
「ストライーク!! バッターアウト!!」
その後、俺は全ての球を見送り、眼鏡の女の子は、少し悲しそうな顔を浮かべて去って行った。
「──よし」
俺はマドンナにリベンジをすべく、100円を強く投入した。お茶を大きく口に含み、そしてバットを構えて気合いを出した。
何処か陰のある雰囲気を漂わせながら、マドンナが俺の前に現れた。
「さっきはやってくれたな……」
俺はマドンナにバットを向けた。
「お持ち帰りしてやんよ~……」
「お客さん気持ち悪いね」
審判らしき太めの男が、俺に声を掛けた。お前にだけは言われたくないわい。
「プレイボール!!」
マドンナが投球フォームへと移り、綺麗な脚がスカートから顔を出したが、今はそれよりもその先のお持ち帰りを目指すべきだ……!!
「ねぇ、今度の休み……空いてるかしら?」
幼馴染みとは比べものにならない速さでボールが放たれた。しかし、俺は落ち着いてそれを見送った。
「ボール!」
クク……既に熟知! ココで飛び付くのは童貞の中の童貞だけさ──!!
俺がニヤリと微笑むと、マドンナが次の投球フォームへと入った。
「私に関わらないで……!!」
「…………」
「ボール!!」
低めを逸れる怪しい球を、悠々と見送る。球は速いがクセを見抜けば選別は容易い。俺は落ち着き次の球を窺った。
「べ、別にこの傷は何でも無いわよ!!」
高めの球がくる。俺はバットを振った!
「待てよ──!!」
──キン!
「ファーール!!」
バットを僅かに当たった球は、上空へと上がり、俺の後ろの方へと飛んでフェンスへと当たった。惜しい……実に惜しい。
よく考えれば、失敗してもまた挑戦すれば良いだけなのだから、俺が焦る必要は全く無い。焦る童貞は発射が速いってやつだ……!!
冷静な俺に、マドンナの顔付きが影を帯び始めた。しかしその影が何とも俺の好みを捉えて内なるヤる気を駆り立てるのだ。
「あなたのせいで……!!」
これまでに無い速さの球が放たれた!!
「うおっ!?」
思わず竦んでしまったが、それよりも球が明らかに俺の体の方へ向かっている事に驚いた!!
──ボゴッ!!
「いでぇ!!」
「デッドボール!!」
腰に球が当たり、俺は痛さのあまりその場でピョンピョンと跳ねてしまう。だが、何もせずに1ヒット扱い。勝利が近づいたと思えば美味しいものさ……!!
女の子の影が一段と強くなり、俺を見る目が闇を帯びてゆく。どうやら向こうさんも本気らしい。そりゃあお持ち帰りされないように必死だろうよ……。
「私の頭の中から消えてよ!!」
──ボゴォッ!!
「あだぁぁっっ!!」
「デッドボール!!」
またしても腰に衝撃が走った! 痛みで仰け反るが、マドンナはお構いなしに次の投球フォームへと入った。ヤバい、痛みでバットが構えられない……さてはこれが狙いか──!!
「私以外の女と話さないで……!!」
──ボゴォッ!!
「うごぉぉぉぉ!?」
「デッドボール!!」
またもや腰が悲鳴を上げた。もう痛みで一歩も動けんぞ……!! バットも持ち上がらないし、ヤバい……確実に負ける……!!
「もう……貴方しか見えないの!!」
「──!?」
その手を離れた球に明らかな危険を察知した俺は、痛い腰の悲鳴を無視して走り始めた!!
──ボゴォッ!!
「うっ……!!」
しかしボールは俺の背中を捉えた。
「ゲームセット!!」
俺は痛みで蹲り、その場から動けなくなった。
「じゃ、お持ち帰りするから……」
「あ、お疲れ様でした」
俺は審判風の男が用意した台車に載せられ、マドンナの手によって持ち帰られてしまった…………。