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ビール一本分

作者: yamaト

カウンターだけのバーで、シングルミストのウィスキーを氷が溶けるのを待つようにゆっくりと喉を潤していく。

甘いような苦いような舌の上を覆うような独特の味わいが空間が心地よい。

女もある程度の年齢を迎えると、こういった空間の有り難さを噛みしめるのだ。

仕事終わりの男性が女性を口説くためだけにバーがあるのでは無いとこの場を持って言わせて貰おう。

カウンター越しのバーテンダーとのやり取り、他愛ないカウンターのこちら側の客同士のやり取り、なじみになれば何て居心地の良い所だろう。

非日常的なそれでいて現実的な、心地良さの中に耳を傾ける。


カランという氷がグラスにぶつかる音の心地良さと煙草の匂い。

なぜだか落ち着く香りに目を閉じる。

嫌煙家では無いが、普段、煙草の香りは煙たくて好きでは無いのに、お酒の香りと交じると心地良さを憶える。湯すやし

ゆっくり溶け出す氷に交じるアルコールがゆらり、ゆらりと水へと変わっていく氷に紋を描いていく。

あぁ、何て綺麗なんだろう。

味が変わっていく工程を楽しみながらくるっとグラスを回してやる。

程よい味に変化して、それは、人の人生みたいだなと思った。

味の濃い子供時代

程よい青年期~壮年期

少し薄まってアルコールの僅かな香りが鼻をくすぐる時期

私は何処なのかな?なんて思いながらクイッとグラスを傾けて中味を空にした。


バーの外の夜の喧騒にカツカツとヒールを鳴らしながら家路に着く。

あぁ、もしかしたら、もうアルコールの僅かな香りを楽しむ時期にまで来ているのかな?と月を見ながら思った。

家路を急ぐ足並みの中、某小説よろしく、男の子が植木に落ちていた。でも確か、あの小説の男の子ってコンクリートは冷えるからって言っていたっけ?この子の場合は頭から血を流してるわ、ややもすれば荒っぽい息を吐き出している。


肩を叩いて揺すってみると、うぅっという声と共に、障んなよという若者らしい言葉が返ってくる。判った判った触らないから、頭から血が出てる自分で処置しなさいと手持ちの未開封のペットボトルから水を出してハンカチを濡らして渡す、億劫そうに私が指差した額に手を当ててギラギラとした獣のような目をこちらに向けている。

立てるなら部屋まで来る?手当てに必要な物かしてあげるから着いてきなさい。

そう言って動くかどうか暫く見ていると、立ち上がろうとしてスーッとしゃがみ込んだ。

どうしかしたのかと尋ねると、何か、気持ち悪い。と随分素直な返事が返ってきた。

貧血よ、肩貸してあげるから少し我慢して。

慣れた手つきでカードキーを操り、エレベーターを目的地へと動かし、長い廊下を突き進む。

何度かガクッガクッと崩れ落ちそうな細い体をよろよろしながら支えて、自分の部屋に辿り着く。

幸いにしてフラットな玄関に彼を座らせ、と言うか殆ど転がし、部屋の中の小さな箱を持って戻る。

光の下で見るとまぁ、そこそこなイケメンが我が家に居るという不思議な空間に少しばかりドキドキしたが、そんな物瞬間で忘れた。


吐きそうという言葉に引き戻され、廊下をまだ吐くな!と叫びながらトイレに連れ込み吐き出させる。

口の中が不味いだろうから適当にゆすげるように水を渡し、その間に渋めのお茶を用意した。

もう出ない?の質問に気持ち悪いという甘えた言葉。

いつの間にか安堵しトイレで寝落ちた彼を引っ張り出して、廊下に寝かせる。

全くと言いながら化粧を落として、撮り溜めていたビデオを流す。

あぁ、素敵な恋愛がしたい。

テレビの向こう側のようなこういった恋愛してないな。

そう思いながら廊下を見ると丸まって寝る姿が目に入った。

何歳ぐらいだろう。まだまだギラギラした目をしていて、随分年下かも知れない。今時の子っぽいし、こういう子とは学生時代でさえ恋愛し無かったなと自分が同じ頃の事を思い出す。

有り触れた当たり前の恋愛を繰り返して、仕事と恋愛とどっちにしようか悩んで独り暮らしの今なら言える、何で、仕事を選んだのかな私と。


いつの間にか寝落ちた私の肩に、サラサラとした糸のような物が触れてハッと目を覚ますと、廊下に放っておいた男の子が私の肩に頭を乗せて寝ている。

どうも掛けてあげたブランケットしか布製品が見当たらずでも自分も寒いしって事だったらしい。

目を覚まして悲鳴を上げるような事は無かったが、彼は当たり前のように、随分丁寧な言葉で、おはようございます。と言った。


適当なトーストくらいしか無いが食べるか尋ねると食べるというので差し出すと、ねぇ、おばさん名前は?と彼が突然尋ねてきたが、食べたら帰る子に教えなくても良いでしょ?と誤魔化した。

私もあんな所に何で転がってたのか聞かないんだから、これで50:50よ?と続けると、ふ~んと妙な返事が続いて、手持ちの未開封の歯ブラシの封を切りながら差し出せば、随分と素直に彼は受け取ったし、風呂に入るなら使って良いよというと、もう大丈夫と言った彼は部屋を出て行った。

後には何も残されていない。

それでも心地よい空間だけは残った。


呆然とした。

それが本音だ。


だが、その呆然を返して欲しいと今思っている。

急な取締役変更に伴い新社長として私の目の前で彼は、で、おばさん名前は?と随分悪戯っぽく笑ってペンの尻をこちらに向けている。

名前が分からない秘書じゃ困るんだけど?何て続くから本当にたちが悪い。


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