天井を透き通る(改
見知らぬ天井が、僕の視界を埋め尽くす。
暗い暗い、壁があるのか分からなくなるほどまでの暗闇の部屋。太陽が消えた日食の昼間の様な空間。そこに光は無く、部屋なのかどうかも危うかった。
痩せ型の女性がドアを開けて入ってきた。とても空虚な美人のナースだ。
「あなたの想像の及ばない程の体温になるまでは、私がお話し相手になります。」
と、マニュアルに載せたくなるような微笑みで平然と怖い事を言ってきた。確かに言われてみれば、身体の芯まで冷え切っているのが分かる。
目を下にやると、肌は真っ青な青ざめた色をしていて、まるで水風呂から出て来たかのようだ。遺体保管所ではこんな身体がいくつも収納されているんだろう。人間がそんな状態で部屋で隔離されていているにも関わらず。彼女はそれでも微笑みを絶やしはしない。全くもって正気の沙汰じゃ無い。
恐らくもう十数分は経っただろう、ようやく視界がはっきりして、壁とドアの区別がついてきた。さっきまで壁と思っていた左右の壁は鏡で出来ていたことに気付いた。そこには合わせ鏡特有のどこまでも続く部屋の光景が目に見え、酷く吐き気がする。
私は縛られていた。SF映画にでも出てきそうな腕輪?の様なモノで、手首に足首、首にまで付けられて雁字搦めにされ、身動きが取れなかった。目を開けると、そこには綺麗なナースが居るのだ、少しでも緊張をほぐす為なのだとしたら、とても的を得ている。ふと客観的に思ってしまった。
彼女らを見ていると、ここを出た先に家族がいるんじゃ無いかと考えてしまう。ナースである彼女達にも親が、ボーイフレンドが居ると。
彼女らが人間だと言う証拠は、どこにも無いというのに。
ナースに会話を持ち込む。が、どこか不気味な雰囲気だ。ここはどこなのか、君は誰なのかと聞くと何も反応がない上に、今日はいい天気だねなんて言ってみると、
「そうですね。」
と返事を返してくる。どちらかと言うとこちらの質問の方が異様だと言うのに。
「君らの主は誰なんだ?何故こんな所に入れられなければいけないんだ?まさか治療じゃ無いのか?隔離か?ここは病室じゃないのか?」
何度言っても返事は返っては来ない、僕は何を向きになっているんだろう。
「サナギは、成長します。そして大きく華麗に羽ばたき、そして輝かしく花粉を運ぶ蝶となる」
「悪いが、美学の心得は無い。」
「これは美学などではありません。我々が愛するは科学です。」
呆れた。その一言に尽きる。僕は目を閉じ、深呼吸をした。そして左右の鏡に目をやり、こちらを向かない自分を見つめていた。そうだ、何故こちらを向いていない?僕はその時大きな見落としをしていた事に気が付いた。
僕ではない、他人だ。つまりは鏡ではなくガラスなんだ。
つまりは向こうの部屋を覗けるという事になる。つまりは彼らは僕とは全くの別人だという事になる…。
ガラスの向こうには、僕と同じように寝たきりで拘束され、チューブを血管に繋ぎ、血を吸われ続けている光景が…血?彼らが吸われているということは僕もチューブで血を吸われているということになる。体温がどうたらと言っていたが、まさか干からびるまで吸い続けるつもりなのか。
「血を吸ってどうする気なんだ?何故そんな回りくどい殺し方をするんだ?」
「それは、これからの人類の為に有効活用されるからなのです。」
人類?有効活用?何を平然とそんな単語を並べているんだ?僕を悩ませて楽しんでいるのか?
しかしちゃんとした返答をして来たのは事実だ。だが全く理解出来ない。これからの人類?有効活用?なんだ、それじゃあまるで血を吸うだけ吸って干からびたら捨てるような言い方だ…
でも、あながち間違いでは無いのかもしれない。
地球にとって何が一番毒か、それは紛れもなく人間だ。最近世間では大きな出来事が目立ってきている。過激派の宗教国家、国の連合脱退、世界中での大地震、殺人現場の生放送行為、世界中でテロが多発、第三次世界大戦の疑惑。ただでさえ酒にタバコに麻薬。無駄なものを好む人類を、リセットする事も間違いではない様に思えてくる。
だが"これから"とはどう言う意味だ?
僕らは多分死んでしまうんだろう。彼女にも振られて、ろくな就職先も見つからず、どうせ露頭に迷う人生だ。こんな人生に意味は無い。しかしながら僕らを糧に生きる者がいると言うのであれば話はまた別だ。"これから"の奴らは何の権利を持って生きるてゆくんだ?
金か?権力か?功績か?血縁か?信頼か?
もはやどうでもいい。
干からびるのなら、僕に先は見れないだろうから。
横を向くと、ガラスがある。それを見たくなさに天井に向くと気味の悪いナースが僕の顔を覗きこむ。
だから僕は目を閉じた、現実を非難せず現実を受け入れることを選んだ。
抵抗もしない、恨みもしない。
生きることに意味はない、ただ死を待とう。
「楽に殺してくれはしないんだな。」
ダメ元で聞く。
「それは出来ません。」
やはり彼女はその一点張りだった。
左右に見えるガラスの向こうの部屋には、恨み激怒し生き狂う、哀れに被虐な人間に、酷似した彼女が、ナースが居合わせていた。
僕は眠ってしまった様だ、視界がはっきりしない。またもや同じく暗い暗い天井のようだ。だが前と少し違う。腕輪らしきものは外されているが、ここは部屋ではなかった、まるで箱の中に入れられているようだ。段々と視界が悪くなって…意識も遠のいてきた。苦しい。息が出来ない。なぜ急にこんな所に。
「花は愛の象徴です。花粉は愛の子ら。
あなたには卵となる資格はなかったようです。ですがどうか、綺麗に舞う蝶を、末永く見守って居てください。」
彼女の声は、どこか安心する声だった。僕は導れて行くのだろう。
土を浴び、天を仰ぎ、旅立とう。
死は始まりだ。