Ashgray in VR
「うっぜーなあおい!」
イラつきを孕んだ青年の叫び声が木霊した。
直後響くのは幾つかの物が風を切る音と、何かが爆散する音。
時刻は夜。空高く昇った青い月が照らし出すのは、どこまでも広がる漆黒の森と、その上空を舞う数体の影。
先ほどの叫び声をあげたのは、その中の一つ、一際大きな影だ。
彼を取り囲むように、巨大な蜻蛉のような生物が飛び交っている。
「......一発で仕留めたほうが楽だな」
そう言って、彼は背に生えた翼の動きを止めた。その羽根は、光沢のある美しい黒をしている。同じ黒でも、彼の眼下に広がる死に絶えた森とは対照的な、光沢のある濡れ羽色。
彼は人だ。発する言葉や、体のほとんどのパーツがそれを物語っている。唯一人間とかけ離れているのが、その背にある翼なのだ。
落下始めた彼を追うように、蜻蛉らも急降下をする。
男は、数メートル落下したところで体制を変え、翼を広げた。
滑空する形で、蜻蛉達の真下を抜ける男。
「レイ! 大丈夫か?」
森の、少し木が開けた場所からもう一人の青年が声をかける。
彼もまた人だ。だがしかし、レイと呼ばれた青年と同じく異形な部分があった。彼の耳は頭頂付近にあり、その形は三角で、灰色の毛に覆われている。また、耳と同じように灰色の毛で覆われた尾も、臀部の上側から生えていた。
「トーマ、お前はとりあえずそこで待ってろ!」
レイは狼の青年、トーマの上空を通り過ぎる際にそう叫ぶ。彼の視界には、トーマの傍に積み上げられた異形の生物の死体が映っていた。
トーマが右手でOKサインを作ったのを確認すると、レイは翼を羽ばたかせて急上昇する。
先ほどからレイの後を追っていた蜻蛉らも、彼を追って上空へと向きを変えた。
一方のレイは、蜻蛉らに向かいあうように体の向きを変える。
「大鴉の焔矢!」
レイの声が起動のサインとなり、技が発動された。
彼の体の両側に広げられた翼から、緋色のエフェクトが放たれる。その中核にあるのは炎を纏った羽。
それらすべて、蜻蛉らが避ける間もないほどの速度で飛翔し、全弾が全ての蜻蛉に命中した。
奇怪な声を上げ、体を燻ぶらせながら落下する蜻蛉は、地面に落下する前に霧散する。
「......終わったぞ」
トーマの傍に軽やかに降り立ったレイは言った。
その時既に、彼らの体から獣のようなパーツは消え、普通の人間と同様になっている。
「ああ。......今回は僕のほうが早かったからな」
「るせーな、普段負けばっかの癖にいきがるんじゃねえよ」
互いに喧嘩のような会話をしつつも、直後にハイタッチをする二人。どうやら相当に仲がいいようだ。
「あ、そろそろ落ちたほうがいいんじゃねえか?」
不意にレイが言った。
その言葉を受け、トーマはスマートフォンのような端末を取り出す。それを少し操作すると、残念そうな表情になった。
「ほんとだ。じゃあまた明日だな」
「だな」
まるで放課後に遊びに行った友人が、帰りしなに交わすようなやり取りをする二人。
直後、その姿は灰色の光に包まれて消えた。
――
西遊記やら何やらにでてきそうな、雲をつく険しい岩山が林立する山脈が見える平原。そこがその五人の戦場だった。
様々な異形の姿をした敵は多数。いわゆる三下や雑魚といわれる程度のものが集まった軍勢。
「んー、あの程度なら、俺一人でもいけると思うんだけど、どうかな?」
黄色を基調とした中華風の衣装に身を包み、柳葉刀を二振り腰に携えた男が振り返って言った。彼の後ろには、緑、白、朱、黒を基調とした、やはり中華風の衣装の男女が四人。
「まあ、いいんじゃないの?」
面倒臭そうに、緑色の服の青年が言う。
他のメンバーも異論はないようだ。
「じゃあ、いってくる」
戦闘を楽しみにしているらしい青年は、それを言うのすらもどかしいといった感じだ。
そして柳葉刀を構え、こちらへ侵攻してくる軍勢に突っ込んでいく。
「全く、無茶ではないが、よく行こうと思えるよなあ」
白い服を着た、中年の男が言う。
「まあ、シンらしいよね」
朱色の服を身にまとった、五人の中で唯一の女が近くに一つだけある切り株に腰掛けた。
一人だけ何も言わない、黒い服の男は、仁王立ちで腕組をしたまま走っていく男、シンを見つめている。
シンは、軍勢の最前線にいる異形がとびかかってくると同時に、刀を両方とも左へ薙いだ。柄の先端についている黄色い刀彩が揺れる。
次の瞬間、その軌道から斬撃が広がり、かなりの数の異形を切り裂いた。
それから先は、まさに無双といった感じだった。
超広範囲に広がる斬撃と、彼の持つ剣術には、異形どもの攻撃を与える隙など皆無のようだった。
まるで大国の軍隊を思わせる数の異形が、彼一人によってほぼ殲滅されたのだ。
しかし、この手の場合最後まで一方的な殲滅とはいかないのがお約束だ。
「おお、これが大将か」
シンの前に立ちはだかったのは、シンの数倍はあるかというほどに巨大で、かつ手にはその体格に見合った刀を持った、鬼とイノシシを混ぜ合わせたような異形だった。
それは周囲の大地を震わすほどに巨大な咆哮をあげると、シンの頭頂めがけて得物を振り下ろす。
「あ、でかいのでた」
遠目でその様子を見守っていた四人のなかで、朱色の服の女が言った。そのこ声色には一欠片の緊張も含まれていない。
その理由は、すぐに判明する。
振り下ろされた巨大な刀は、頭上で交差させたシンの刀に受け止められていた。
「ほうほう、強さはそこそこって感じか」
言い終えると同時に受け止めていた刀を弾くシン。
その衝撃で、異形は大きく体勢を崩した。
後ろに数歩後ずさる異形の足の間を、シンは走って通り抜ける。それと同時に、異形の両足の筋を切り裂いた。
支えを失った異形は、後ずさる動きからそのまま後ろに倒れこむ。
既に横方向に飛んでいたシンは、それに押しつぶされることなく異形の横に立った。
「とどめるぞ」
薄く笑みを浮かべながら跳躍すると、空中から異形の首めがけて斬撃を放つ。
異形の首は胴体から切り離され、胴体もろとも霧散した。
――
大海原を渡る、一隻の帆船。甲板には少年が一人立っていた。やけにブカブカな服を上に着ており、袖は手に嵌めた黒革の手袋を半分隠している。
「ねえ、そんなとこに突っ立ってなにしてんの、イノーラ」
船室から出てきた、少年よりいくらか年上のように見える、背に弓を装備した銀髪の女が声をかける。少年の名はイノーラというらしい。
イノーラは、女のほうへと体を向ける。
「あ、いや、なんか来そうだなあって」
女はその言葉に眉を顰めた。
次の瞬間、船体が大きく揺れる。
バランスを崩した女が短く悲鳴を上げた。
船の周囲の海から、何か大きな触手のようなものが伸び、船体に巻き付く。揺れの犯人はこれのようだ。
「ちょっと、何なのこれ?」
揺れが激しくなり、近くの柵に手をつきながら、女が言った。
イノーラは、懐から小さく緑色をしたキューブを取り出す。
「わかんないけど、何とかしないと不味いよ」
そう言って跳躍し、今まさに船体に巻き付こうと姿を現していた触手に、手に持っていたキューブを押し付ける。
キューブはまるで卵のように容易く割れた。
次の瞬間、キューブを中心に爆発が起こり、触手は弾かれ海中に潜っていく。
爆炎の中にいたイノーラだが、無傷で船上に着地した。直後に女のほうを向く。
「そっちは任せたよ!」
言われた女だが、すでに弓矢を構えていた。
極限まで引き絞ったのちに放たれた矢は、船体に巻き付いた触手に深く突き刺さる。
触手の大きさからみると大したことないように見えた。しかし触手は攻撃に驚いて船体から手を放し、海へ沈んでいく。
海上に出ていた触手は二本。つまり今沈んだのですべてだったのだが、再び大きな振動が船を襲う。
現れたのは、計八本の触手。船体の左右に四本ずつある。
「これ......一度に全部対処しきれないよね......」
焦った表情で言う女。
イノーラも同じようで、触手を睨みながら何かを思案している。
「ああ......何なんだよさっきっから。人が寝てるとこをガタガタと......」
船室から声がした。ドスの効いた低い声だ。
出てきたのは、長身で目つきが悪く、ボサボサとした髪型の男。
「邪魔」
そう呟いた瞬間、左右二本ずつ、触手が何かに弾かれたように倒され、海へと沈んでいく。
突然のことに、残った触手が一瞬焦ったように痙攣した。
それを好機と見たイノーラと女は、左右に分かれて触手を攻撃する。
女は左側へ。連続で矢を放ち、すべてを二本の触手に命中させた。
イノーラは右側へ。先程使った緑色のキューブを、船上の触手へと投げつける。
爆音と同時に、海上に出ていたすべての触手が海へ潜っていった。
「......終わったんなら俺はまた寝るぞ」
最後に甲板に出てきた男が、大あくびをしながら船内へと戻っていく。
――
佐渡裕也は、横になっていたベッドから起き上がると、頭につけていたマシンを取り外す。
没入型VR、その名もアッシュグレイ。これが一般に普及するようになってから早八年の月日が流れた。
裕也は、ゲームの中ではレイと名乗っている。彼がインプットしているワタリガラス、レイブンクローからとった名だ。
「......暇だな」
ベッドから降り、伸びをしながらつぶやく。
学校に行く以外はほぼ引きこもり、ゲームに没頭している彼にとって、アッシュグレイのシステム上再起動ができなくなるまでの時間は全て暇な時間ということになる。
彼は、後々世界規模の騒動の台風の目となるのだが、今はまだ誰も、その話を知るよしもないのだ。