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公国を襲った疫病は街ではなく貴族の多くが通う王都の学園から広がった。


疫病は遠い異国からやってきた視察団のひとりが意図せず運んできた。


それは、ヘボンキシ熱という名のその国ではごくありふれた病気。皆幼い頃に感染することが多く、以後再び感染したとしても軽い風邪に似た症状で済むものだった。

ただ、10代半ば以降の大人が初めて感染した場合のみ重篤な症状になりやすく、適切な薬を処方されず放置すると死亡する点以外は。薬さえあれば畏れることのない、ありふれれた病気だった。


滞在中、視察団のひとりの体調が悪化したが、見慣れたヘボンキシ熱の特徴的な症状に視察団の専属医は持参していた薬を与え、治療を終え、視察団は帰路へついた。


あと数日視察団が長く滞在していれば、ヘボンキシ熱による悲劇はおこらなかったと言われている。


感染力もさほど強くないその病気がなぜ蔓延したのか。その理由は不幸な偶然が重なったものだった。



学園に視察団のいる時に行われていたのは治癒ヒールの授業だった。

普段ならば攻撃魔法の授業を行う時間だったが、視察団に万が一なにか起きないようという学園の配慮で治癒魔法の授業の見学となった。

そして、視察そのものは慣れぬ魔法の範囲指定を誤った生徒が、広範囲で治癒魔法を展開して魔力不足で昏倒した以外はつつがなく終わった。


細胞の力を活性化させることで傷口の再生を早める治癒魔法ヒール、この魔法にはひとつ決まりごとがあった。


病気の患者に治癒魔法を使ってはいけない。


これは魔法を使う治癒法では揺るがない鉄則だった。

魔法は万能ではなく、怪我を治すには対象を認識することが何よりも必要だった。

適切な処置には 何を、どの傷をくらいの力で、どのように治すのかという範囲指定が必要だった。

そうして区切られた範囲内にある、傷ついた細胞を活性化させ、治癒速度をあげるのだ。

そのため、治癒魔法は基本的に清浄魔法のかけられた傷にしか使わない。


病気を直すことができるのは高位神聖魔法のみ。


通常の治癒魔法では病魔そのものを活性化させてしまい、治るどころか悪化することとなる。


そう、それはただ、不運が重なっただけ。


治癒魔法の授業をした者達が皆、失敗した治癒魔法で活性化された遠い異国の郷土病ともいえる病に倒れることとなど、誰も想像はしていなかったのだ。


しかも、ヘボンキシ熱はこの国にあるはずのない病気だったうえ、一見ただの、風邪のような症状にしかみえず、それゆえ対応の遅れが生じた。


そして、国に唯一いた、高位の神聖魔法使い

は時を同じくして発生した魔物の大量発生の対応に追われていたこともまた、不幸の連鎖であった。


様々な偶然が重なり、わずか半月もしないうちに病気は王都の多くの学生達とその家族の命を無慈悲に奪い、市民でも犠牲者が出始めたころ、病名と特効薬の存在があきらかになり、急速に事態は沈静化した。


疫病が死へと誘ったのは貴族それも、建国より続く由緒ある家の者ばかりであった。

原因は簡単、視察団の訪れた時、彼らは実技演習と補助そして視察団への説明を行っていた。

第一王子の側近となることが生まれる前から決められた、次期王権を率いるために産まれたその日から特別な教育を施された者達。


彼等は間近で活性化された病魔に強く蝕まれた。


そのなかにエイリンビィ=ファベットの兄達も含まれていた。

ファベット家の長兄は優しく穏やかな人物だった。リィンと愛称をつけ、優しく撫でてくれた記憶がある。

エイリンビィ=ファベット自身、兄を将来助けるためにと指導者ではなく従うものとしての教育を施された。エイリンビィ=ファベットの前にはファベット家の歴史を繋ぐための長兄と、次兄、それに姉が二人いた。


流行り病は長兄と、次女をファベット家から奪った。


次兄は人が少なくなった軍へ行くことが決まり、姉は結婚が決まっていた隣国の王の元へと隔離されるように嫁いでいった。


万が一、国中が疫病に侵されたときの保険として。

同じ理由で王家のまだ幼い姫も他国へ嫁いでいった。


疫病は終息したものの、残されたエイリンビィ=ファベットの教育方針は180度変わった。

居てもいなくても変わらない便利な駒でしかなかったエイリンビィ=ファベットは、ファベット公爵家を継ぐ可能性のある娘になった。

聡明さはそのままに、愛らしく可愛らしい世の男の望むような従順さは必要とされなくなった。


変わりに侮られぬよう、陥れられぬよう、一族と王家の損益、民のための政策、貴族としての誇りと矜持。


それを徹底的に叩き込まれた。


幸いなことにジディオルデ王子のおかげで天使の皮を使いこなすことに慣れはじめてきていたエイリンビィ=ファベットにとって、それらの教育に戸惑いはしたが受け入れることはできた。けれど、急遽始まった兄のスペアとして学ぶべきことは本格的に始まった淑女教育と容易く両立できるほど簡単なものではなかった。


毎日繰り返される母につれられた子ども達だけの他愛のない、けれど気の抜けないお茶会に向かう途中の馬車で領地経営学の本を読むのが社交界デビュー前のエイリンビィ=ファベットの日課となった。


時折見かけるジディオルデ王子は相変わらず天使のような微笑みを浮かべていたけれど、王子が天使の皮を被ることを知っているエイリンビィ=ファベットにはその笑顔が以前よりも磨きがかかっていることに気づく。


第一王子が亡くなり、第二位王子へ王位が継承権が移り、間に居た姉姫達が他国の王家へ嫁いだ今、ジディオルデ王子は王位継承権第二位となっていた。

日々の隙間を縫うように様々な知識を詰め込まれているのはジディオルデ王子も同じ。


そう思い至り、エイリンビィ=ファベットは勝手に同士のような親しさを胸に抱いて過ごした。


軍へ配属された兄は着実にその実力で地位を築き始め、ファベット一族の方針でエイリンビィ=ファベットは公爵の地位を継ぐことがきまった。


権力の集中を厭うファベット家はエイリンビィ=ファベットをジディオルデ王子の妃候補から下ろそうとした。


けれど、そうならなかったのはジディオルデ王子側の希望であった。王子を産んだゼトロティー第二妃の位が高くなかったからである。


第一王子は病弱で、王位をついだとしても公務の補佐は必須。そして、誰も口にはしないがその余命は長いものではなかった。そして、情熱の全てをかけていた第一王子を疫病で失った正妃は残された息子、病弱な王子とともに生きると権力闘争からの撤退を表明したものの、弱い王の方が御しやすいとする勢力も存在するのも事実。


ジディオルデ王子には確固たる後ろ楯が必要だった。

ジディオルデ王子は実質、次王の地位を約束されていたが、ジディオルデ王子とエイリンビィ=ファベットとの婚約は王子の地位の安定のためには不可欠なものだった。


けれどそれを望まないファベット一族の希望も汲まれ、婚約は紙の上だけのものとされた。


そして、それに伴いエイリンビィ=ファベットの教育内容はより、複雑になっていった。

例え紙の上だけのものとなったとしても、その可能性が無くならない王妃として、そして女公爵として、エイリンビィ=ファベットがどちらになろうとファベット家が安寧を続けるために。足りぬものが無いように学ぶことは山のようにあった。

エイリンビィ=ファベットはそれらの期待に全て答え続けた。


けれど、期待に応えるほどにエイリンビィ=ファベットの心は軋んだ。


幼い頃から清らかであれ、愛らしくあれと洗脳のように植え込まれた言葉。


けれど、真逆をゆく現実の己の行動。

その解離にエイリンビィ=ファベットの心はきしきしと微かな音をたてた。


エイリンビィ=ファベットが14歳を迎えたとき、ファベット家に慶事があった。

エイリンビィ=ファベットの母の懐妊が判明したのだ。エイリンビィ=ファベットは母親のお腹が大きくなるのを見るたびにひっそりと吐いた。


家中が喜びに満ちるなかエイリンビィ=ファベットだけは喜べなかった。


弟が生まれた、弟が健やかにそだったならば、公爵位は弟が継ぐだろう。


では、エイリンビィ=ファベットは?

何になるのだろう?


紙の上だけの王子との婚約。

おそらく、弟の者となる公爵位。


公爵にもならず、王妃にもならない、けれどさかしすぎる娘の行く先は?

エイリンビィ=ファベットには己の未来が見えなかった。


ただ、自分はあとどれだけ演じればいいのだろうかと思った。

そして、弟の誕生を喜ぶ姉を演じながら、新たな命の誕生すら喜べない醜い己のあり方に。


誰よりもエイリンビィ=ファベットは絶望した。



花のように柔らかく、ひだまりのように暖かく、天使のように純真で、慈悲深く、愛らしくありなさい。


だれよりも愛されるために。



ええ、ええ、おかあさま。


わかっております。


こんな氷のような私が誰にも愛されないことのなど。

こんなにも心の醜い私が誰にも愛されないことなど。





わかっているのです。





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