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「あの平民の小娘はエイリンビィ様を差し置いて殿下にあのように馴れ馴れしくするなど!」
お茶を飲むエイリンビィ=ファベットの正面で熱く熱弁をふるう少女と、それに追随するように頷くその取り巻き達の賑やかさに、エイリンビィ=ファベットはおっとりとした微笑みを浮かべた口許を扇でかくしながらそっとため息をついた。
ジディオルデ王子が親しくしていたのだから、ジディオルデ王子の友人達とエビィと呼ばれていた少女が親しくなるのはごく自然な事だろう。とエイリンビィ=ファベットは思う。
思うのだけれど、それを納得できない者が世の中にいるであろう事も自然な事だと思う。
エイリンビィ=ファベットのためと言いながらも、彼女達の本心は別の場所にあるてあろうことも。
「学園生活は殿下が唯一自由になれる時、伸ばしたその羽根の下にどなたを置くのかは殿下の自由、私にそれをお止めすることは出来ませんわ」
エイリンビィ=ファベットの教本通りの答えに少女達はわずかに落胆し、けれどまた喧しく会話を続けていく。
貴族間で交わされる婚約は女性側を縛ることはできても、男性側を縛ることなど出来はしない。
エイリンビィ=ファベットは息巻く少女達の囀りを冷ややかな気持ちで聴いていた。
ジディオルデ王子は不運が重なり少なくなってしまった王族の一人。
もし、在学中の火遊びで御子ができたとしても、それは慶事でしかない。
とはいえ、王位継承権第二位の王子の第一子が位のない娘の子供となった場合、争いの元にしかならない。ということが解りきっていながらも、彼女に手を出すというのならそれもまた、王子の選んだ道。
その程度の分別はあるだろうと思うものの、万が一という可能性があるだろうことも、エイリンビィ=ファベットは理解している。
王子と彼女の間にあるものが、あの不思議な物語に描かれていたように恋なのかもしれないならば。
キシリと僅かに胸がきしんだ。
その、痛みは何なのか、エイリンビィ=ファベットには解っていた。
ただ、己がその痛みを消すために愚かな行為に走ることはないだろうこともまた、解っていた。
衝動のまま行動を起こせるような性格だったならば、きっともう少し変わることもあっただろう。
だからだろうか…
「あの方はイエフ様とアイジェーイ様との鍛練にも図々しく顔を出し、エムロダ様とエヌリド様にも馴れ馴れしくなさってるのですわ!
アルルナ様はいつものように誰にでも御優しいお方ですもの、あの方にもとても親切に接していらっしゃいましたわ。それにブルーイ様も。寡黙ながらお気を使っておられましたわ。
御優しい皆様は何か失礼があったとしても言う方々ではありませんけれど…平民出のかの方はご迷惑をおかけしているはず…私、そのようなこと許せませんわ!」
そう声高に叫んだ少女の幼さと純真さをエイリンビィ=ファベットはすこしだけ、羨ましく思った。
たとえその主張がただの憶測でしかなかったとしても。
だから、少女を諌めるのが僅かに遅れた。
けれど、遅れたその僅かの差が時に思わぬ方向へ事態を転がすことがある。
今回のように。
「可愛らしい女の子がそんな怖い顔をするもんじゃないな」
エイリンビィ=ファベットの後ろから明るい声が降ってきた。
きゃあ!と扇で赤い顔隠す少女達の視線の先には、燃えるような赤い髪をかきあげたジディオルデ王子の騎士と名高い、アイジェーイ=ケイエダルが立っていた。
ジディオルデ王子の幼なじみのアイジェーイ=ケイエダルは軽い口調と爽やかな外見とは裏腹にその観察眼と冷静さを持っている非常に抜け目無い人物。
「まあ、アイジェーイ様、乙女の会話を盗み聞くなんて…」
エイリンビィ=ファベットが扇子で口元をかくしたまま軽く眉をひそめながら、非難を込めてそう言うとアイジェーイは肩をすくめた。
「可愛い乙女が美味しいケーキの話をしていたら、そのまま立ち去ったんだけどねぇ」
そういって翠の瞳をすがめた。
きらりと底に非難の色を浮かべて。
その瞳に萎縮する少女達を庇うように立ってエイリンビィ=ファベットはアイジェーイに向き合う。
「乙女は皆あなた様方と仲良くなりたいのですわ、ちいさなことにも可愛く嫉妬するくらいに」
そう言うエイリンビィ=ファベットにアイジェーイは剣呑だった翠の瞳を和らげた。
「そこに貴女は入るのかな?ファベット嬢?」
その爽やかな微笑みに色めく周りとは異なり、エイリンビィ=ファベットは表情を変えることなく「さあ、どうかしら?」と応えるに留めた。
どう、答えてもきっとアイジェイの望むものではないのだろうと感じたから。
さざめきとともにお茶会は終わり、エイリンビィ=ファベットは借りていた本を図書室へ行った。
ふと、あの本のことが気になり『国訪録』の棚に向かうけれど…
「無いわ」
あの日見た本は既になくなっていた。
あの本は一体なんだったのだろうか。
本がはいっていた隙間を指で触れた。
幻のように消えた不思議な本は、辺りを見回してもどこにもない。
まるで予言書のような不思議な物語。
もともとそんな本はどこにも無かったかのように…もしかしたら妖精のイタズラだったのかもしれない。
こういった古い場所にはイタズラ好きな妖精がたくさんいるのだから。
そう結論付け、エイリンビィ=ファベットはため息をつき図書室を後にした。
図書室を出て人気の無い夕日に染まる渡り廊下を歩く。
ふと、外をみればあの日と同じ夕日の中、ジディオルデ王子とその友人の中に一人の少女が加わっていた。
まるで、幻のように消えたあの物語に添うように。
昼に見たアイジジェーイ=ケイエダルの瞳を思い出す。
燃えるような炎の髪の下で煌めく翠の瞳は、柔らかな口調とは裏腹に探るように冷たい眼差しでエイリンビィ=ファベットを見ていた。
あれは疑いを持った者の眼差し。
ジディオルデ王子の側に居る少女を不敬だと非難するもの達、それを先導しているのではないかと疑う瞳。
あの、不思議な物語のように少女を傷つけようと画策するのではないかと疑う瞳。
エイリンビィ=ファベットはそのような眼差しを向けられるようなことを何一つしていないというのに。
まるで逆らえない運命の軌道にそうかのように進んでいく現実。
あの物語のように…
私はすべてを失うのだろうか。