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エイリンビィ=ファベットが奇妙な本を見つけたその数日後、学園に転入生がやってきた。
地方都市にあった魔法学園でその内包魔力の多さに王王都の学園へ転園することになった少女。
その髪の毛は珍しいくもないブルネット、瞳だけが印象的な滲むような青だった。
それは、不思議なことにあの物語に描かれた少女と全く同じ容姿だった。
そして、その少女にジディオルデ王子が興味を持ったと学園の噂は持ちきりだった。
物語との奇妙な一致を不思議に思いながら、エイリンビィ=ファベットは日々を過ごした。
ファベット家の影が調べあげた彼女の後ろ楯となっている中流貴族の名前を思い出す。この家は表立っては居ないけれど王家への忠誠心のある一族、「平民の癖に!」とやっかむ輩はいたけれど、エイリンビィ=ファベットの持つ情報では裏表共にさほど面倒な相手ではなかったために、さして気に止めることはなかった。
いや、それは表向きなもの。
エイリンビィ=ファベットの情報網は常に二人を追っていた。
本当は現実を直視するのが嫌だったのかもしれない。
エイリンビィ=ファベットは、あの不思議な物語通りの展開が起きる可能性を見いだしながらもただ、目をそむけていた。
そんなある日、エイリンビィ=ファベットの正面から転入生とジディオルデ王子、その後ろから数歩遅れて側近のイエフ=ジーエイドが歩いてくるのに気がづいた。
親しげに寄り添う眩いプラチナブロンドとブルネットの組み合わせは、思いの外似合うものだと他人事のように思いながら、エイリンビィ=ファベットは略式礼をとり道を譲った。
「貴女は変わらないな」
そう呟かれるように言葉をかけられたが、許しがないので面を上げずにいれば重いため息をつかれた。
「学園では皆生徒という立場だ、私も貴女も」
「はい」
エイリンビィ=ファベットは姿勢よく王子と向き合い、常に微笑みの形に固められた表情を変えずにそう答えた。
何度も繰り返したやりとり。
お互いの間に横たわる入学したその日から変わらぬ距離感。
「ジオ様この方は?」
先ほどからエイリンビィ=ファベットに不躾な視線を向けていた少女は、ジディオルデ王子を愛称で呼びその袖をひいた。
その行為を不敬だと思いつつエイリンビィ=ファベットの柔らかな表情は変わらなかった。
「エビィ、公爵のファベット家のご令嬢だ。失礼のないように」
そう王子に促されゆるくウェーブしたブルネットをゆらし、ぎこちなく挨拶をする彼女に、形だけは完璧な礼と微笑みを返しながら、エイリンビィ=ファベットは内心衝撃を受けていた。
かつて、その名で呼ばれていたのは私であったのに。
そう思いつつも、エイリンビィ=ファベットの鍛え抜かれた微笑みは揺らぐことは無かった。
ジディオルデ王子はエビィと呼んだ少女を連れて今度こそエイリンビィ=ファベットの横を通りすぎていった。
残されたエイリンビィ=ファベットに側近のイエフ=ジーエイドがすれ違いざまに小さな声で囁いた。
王子の影のようにつき従う彼は、見事な濃紺の髪と瞳。その視線でエイリンビィ=ファベットを、ひたと見つめた。
「よろしいのですか?」
探るような視線。
投げ掛けられたその言葉。
それはどういった意味だろうか。
ジディオルデ王子の婚約者として?
それとも。
エイリンビィ=ファベット個人として?
結局、どちらにせよ…
「私がとやかく言う問題ではありませんわ」
そう、答えるとイエフはそ物言いたげな表情をしつつもそれ以上何か言うとこもなく、ジディオルデ王子の後を追いかけていった。
エイリンビィ=ファベットも彼等の姿を振り返ることなく、真っ直ぐな廊下を進んだ。
『エイリンビィかぁ…じゃあ、エビィって呼んでいいかな?』
初めて会ったその日、父の横で緊張していたエイリンビィ=ファベットににっこりと笑ながら天使のように美しい少年が告げた言葉が脳裏を過る。
『エビィ』
ジディオルデ王子だけが、エイリンビィ=ファベットのことをそう呼んだ。
エイリンビィ=ファベットの唯一は、けれど、彼にとってはエイリンビィ=ファベットだけの名では無かったというだけのこと。
そう、ただそれだけのこと。