番外編 ビターキャラメル
王子のお友達。
アルルナ=エスティーユのお話。
アルルナ=エスティーユはエイリンビィ=ファベットが嫌いだ。
それはもう子供の頃から大嫌いだ。
誰にも言ったことはなかったし、幸いなことにアルルナ=エスティーユとエイリンビィ=ファベットの間に接点はほとんどなかったがために、それを知られることもなかった。
いつものようにふらりと街から帰ってきたアルルナ=エスティーユを見て、ブルネットの少女が呆れたように言った。
「アルルナ=エスティーユ様、そろそろ遊びは程ほどになさらないといつか後ろから刺されてしまいますわよ?」
エンビィとして演じることの無くなった少女の発言は兄と良く似て辛辣だ。
「やあ、エンビィ。今日も可愛いね。そうだ、この前君に似合いそうな髪飾りを見つけたよ、今度一緒に買いにいかないか?」
そうアルルナ=エスティーユが黒髪をひと房掬い唇を落とすと、エンビィは弾かれたようにばっと距離をあけた。
「息を吸うように女の子を口説くのをやめていただけます?鬱陶しいですわ」
強気な言葉とは裏腹に僅かに居心地悪そうにブルネットの髪を触れながらそう言う彼女を、アルルナ=エスティーユは街で先ほどまで一緒に過ごしていた女性達に、甘くて苦いキャラメルのようだと評されたヘーゼルの瞳で見つめた。
この、甘い言葉に慣れていない少女がわずかに恥じらいつつ強気に言い返す様が、アルルナ=エスティーユは好きだった。
ちょっと遊びすぎて、最近は避けられてしまっていたけれど。
「お兄様と殿下のご友人がこんな軽い方だなんて…」
あきれたように呟かれた言葉にアルルナ=エスティーユはくすりとわらった。
「仕方ないよ、女の子達が可愛いのは真実だからね」
そう、女の子は可愛い。
柔らくしなやかな体も甘い吐息をこぼす唇も、鈴を転がすような笑い声も不貞を詰る声だって、なんだって魅力的で愛らしい。
ちょっと面倒で、鬱陶しい子もいるけれど、そういう子達ほど、とびっきり可愛く笑ったりする。
アルルナ=エスティーユはうわさに違わず生粋の女好きのような発言をした。
「私は可愛い女の子がより可愛くなるのを見るのが好きなんだ、それに、可愛い子を口説かないなんてそれこそ、失礼だろう?」
アルルナ=エスティーユが肩をすくめると、さらりとヘーゼルの髪が頬をくすぐった。
「そんなことばかり言って…私気づいちゃったんですけどね、アルルナ様が口説かない珍しい相手がいるってことに」
そういって笑ったエンビィはまるで性格の悪い猫のような顔をしていた。
「アルルナ様って、エイリンビィ=ファベット様のことは絶対に口説きませんよね」
アルルナ=エスティーユはうっそりと笑った。
アルルナ=エスティーユとエイリンビィファベットの最初の出会いは王宮で催された子供達の茶会だった。
あの日からずっと、アルルナ=エスティーユはエイリンビィ=ファベットが大嫌いだ。
アルルナ=エスティーユはふっくらとした子供らしい頬をより膨らませ庭を歩いていた。
王宮の茶会は参加するのは始めてではなかったし、何度かジディオルデ王子と遊んでいる庭は勝手知ったるものだ。
堅苦しい挨拶を済ませ、わずかばかり会話を交わした後、子供達は各々好きな場所で遊び始めた。
アルルナ=エスティーユもジディオルデ王子と遊んでいたがふと気づくとジディオルデ王子の姿が見えなくなっていた。
アルルナ=エスティーユはむうっと一層頬を膨らませた。
きっとあのつまんないヤツに連れていかれたんだ。
そうして、王子を探し始めた。
今日、初めて紹介されたジディオルデ王子の婚約者は、銀の髪の毛の妖精みたいな可愛い顔した女の子だった。
ふわふわしてて、いいにおいで来ていた女の子の誰よりも可愛いのに、笑っているのに笑ってない気持ち悪いヤツ。
転がした鈴みたいな綺麗な声なのに。
俺が面白いこといっても、ちょっとしか笑わない…
つまんないヤツ
それがアルルナ=エスティーユのエイリンビィ=ファベットに対しての感想だった。
あんなちょっとしか笑わないヤツが許嫁だなんて、俺だったら絶対嫌だな。
女の子はニコニコころころ笑ってないと可愛くない。
あんなヤツ…
アルルナ=エスティーユがつまらない気分で小さな石を蹴ると、カサリと音を立てて小石は生垣に吸い込まれた。
ふと、生垣の隙間の向こうで誰かが話している声が聞こえた。
覗いてみると生垣のむこう、薔薇の花壇の中心にあるベンチで誰かが話している。
誰だろ?
近づいてみるとくすくすと楽しそうに笑う声が聞こえた。
ジディオルデ王子の声だ。
けれど…なぜだろう?
それは、初めて聞いたようなそんな気になる笑い声だった。
アルルナ=エスティーユは生垣の間からこっそりと覗いてみた。
それはちょっとした冒険のつもりだった。
王子に似た声の、その正体は妖精?ゴースト?それとも?
本当はアルルナ=エスティーユにだって人間だということは解っていたけれど…探偵ごっこは気分が大切だ。
そうして探偵気分で覗いた先にはまばゆいほどの白金の髪の毛。
やっぱり。
あれは、ジディオルデ王子だ。でも王子の向かい合う相手は?
「じゃあ、問題だよ。ある魔法使いが魔法に使うはずだった林檎をうっかり食べてしまいました。さて、困った魔法使いが代わりに使ったものは?」
王子の出した魔法問題に真剣に悩むその少女は淡い銀色の髪の毛。
「ん…林檎を使う魔法?何かしら…うーん…う~ん…」
白の睫毛に彩られた紫色の瞳をくるりと回しながら考えている。
頬はほんのりと色づき、悩む時に噛まれ唇は艶やかで…
「はい、時間切れ~」
「ええっ!もう少し…」
「仕方ないなぁ、あと少しだよ」
「んーと、杖…ううん魔方陣かしら…あ、でも林檎を食べたから…」
真剣に考える少女の横で、いたずらっ子のような顔をした少年が急かす。
その姿にアルルナ=エスティーユはわが目を疑った。
「ねぇ、まだ?」
「わ、わかったわ、魔力!林檎を食べて増えた魔力を使ったのですわ!!」
どうだ!とばかりに答えた少女に少年はニヤリと笑った。
その表情をみてアルルナ=エスティーユは本当にその少年が誰なのか解らなくなった。
アルルナ=エスティーユが知っているジディオルデ王子はあんな顔はしない。
王子はいつだって柔らかい微笑みを浮かべて誰にでも優しく笑いかける。それはまるで絵本の中の王子が抜け出して来たかのようで…
「はい、残念!答えは頭でした~」
「あたま?」
「わかんないのか?ちゃんと頭使えよ」
馬鹿だなぁ。と少女を笑う少年はよく似た他人?
こんな人を小馬鹿にしたような少年が?
こんな意地のわるい表情をする少年が?
ジディオルデ王子だって?!
驚きのあまり声もでないアルルナ=エスティーユの視線はけれど、もう一人の少女に吸い寄せられた。
銀の髪の少女は紫色の瞳いっぱいに涙を浮かべたその顔に
「…ずるいわ!!ディル!!こんなの魔法問題じゃないじゃない!!」
「魔法問題だなんて俺言ってないし」
くくくっとしたり顔で笑う少年に怒る少女。
天使のような人だと思い込んでいたジディオルデ王子の変貌。
けれど、それよりもアルルナ=エスティーユが衝撃をうけたのはその少女のすねたような顔だった。
あんなに可愛い子をアルルナ=エスティーユは知らない。
あんな可愛い顔をして怒る少女を、悔し涙すら魅力に変える美しい少女を知らない。
「本当、頭硬いなエビィは」
笑った少年は少女の頭をポンポンと叩いて去っていった。
少女は荒く扱われ乱れた髪を直しながらほんの少し口許を笑みの形に変えた。
エビィ
少女が呼ばれた名前にアルルナ=エスティーユの頭が真っ白になった。
エビィって?
まさか、あの子がさっきの人形みたいなアイツ?
アルルナ=エスティーユはよろよろと生垣から進み出た。
「エイリンビィ=ファベット?」
確認するように名前を呼ぶと、立ち去った王子の背中を見送っていた彼女はこちらを向いた。
先ほどのほんのり染まった頬が嘘のように青白い顔。
笑っているのに笑わない人形のような顔。
(なんで、さっきまであんな可愛い顔をしていたのに、なんで、俺には…)
アルルナ=エスティーユは衝動のまま、目の前の少女に質問した。
「ジディオルデ王子のことが好きなの?」
そう聞くと少女は不思議そうにくびをかしげた。そして、少し考えて
「好き…なんかじゃないわ」
と言った。
王子と一緒に居たときとは全く違う顔で、アルルナ=エスティーユにそう言った。
ーーー嘘つき。
アルルナ=エスティーユはこの時から、エイリンビィ=ファベットが大嫌いになった。
「いたっ!」
にんまりと笑うブルネットの少女の額を指先でぱちんとはじく。
「冗談でも、できるわけないだろう?陛下の婚約者だぞ?」
「そんなこと言って、本当は好きなんでしょう?」
はじかれた額を大袈裟にさすりながらむくれる少女を置いて、アルルナ=エスティーユはその場を去った。
『好き…なんかじゃない』
今なら解る。
あのときのエイリンビィ=ファベットの言葉の意味が。
彼女にとって、本当にジディオルデ王子は特別だった。
あの頃からずっと、ただ一人、特別な想いを向ける相手だった。
それは、子どもの言う移り気な好きなどというものではなかった。
それはもっと深くて重い気持ち。
だから、エイリンビィ=ファベットはあのとき言ったのだろう、好きなどではないと。
けれど、それに気づいてもアルルナ=エスティーユのエイリンビィ=ファベットの評価は変わらなかった。
「大嫌いだ」
ヘーゼルの瞳をすがめてぼそりとつぶやく。
あの日見たエイリンビィ=ファベットの微笑みは、いつまでたってもアルルナ=エスティーユに向けられることはない。
何故なら、エイリンビィ=ファベットとアルルナ=エスティーユの間には何も無いから。
アルルナ=エスティーユが僅かな関わりも作らずに来たから。
ふと、何かに意識を引かれた。
アルルナ=エスティーユは諜報活動をする際、こういった感覚を非常大切にしている。
無意識でとらえ、違和感として感じたものは、物事の真に迫る足掛かりとなることが多いのだ。
辺りを見回すがこれといって何も無い。
けれど、足元をみると石畳の隙間から小さな花が咲いていた。
ああ、綺麗な色だとぼんやりと思った。
そして、引っ掛かりの正体はこれか、とも。
このまま誰かに踏まれるのが惜しいと思うほどに鮮やかな色の花。
アルルナ=エスティーユは膝をつき、その花に触れた。
「アルルナ=エスティーユ様?」
急に声をかけられる。
「お具合でも悪いのですか?」
しゃがんでいるアルルナ=エスティーユに心配気な顔で近寄るその人の姿に、思考が一瞬停止した。
「いえ、花が…」
「まあ、菫ですわね」
アルルナ=エスティーユのすぐそばに躊躇いなくしゃがむエイリンビィ=ファベット。
ふわりと落ち着いた香水の香りがした。
お互いに1つの花を見つめる。
「可憐な花が誰かに踏まれ枯れるのが惜しいとおもったんですが…」
ここから植え変えたとしても、傷ついた根から枯れてしまうかもしれない。
「ふふっ、たとえ踏まれてこの花が散ったとしても菫の根はこの石の下、傷つくことなくまた次の花を咲かせますわ」
菫は強い花ですから。
肩が触れそうなほど近くで話すエイリンビィ=ファベットの横顔の口許はとても柔らかい線を描いていた。
アルルナ=エスティーユは思わず息をのんだ。
「アルルナ様の人気の秘密がわかった気がしますわ。アルルナ様はとても…おやさしいのですね」
こちらを向いてそう言ったエイリンビィ=ファベットは見たことのない顔をしていた。
あの日見た、人形のような微笑みとも、悔しそうな顔とも、寂しそうな微笑みとも違うその顔。
それは喜びを湛えた柔らかな笑顔。
「私、先生に呼ばれていたのでしたわ!失礼いたします」
はっと!気づいた様子でそう言い、優美な礼と共にエイリンビィ=ファベットは足早に去っていった。
それを見送りながらアルルナ=エスティーユはいつものように大嫌いだと呟こうとして、けれど、からからに渇いてかすれたような喉はうまく声が出せなかった。
アルルナ=エスティーユはひやりと冷たい花びらに触れる。
ゆらりと揺れる菫は通常の菫よりも淡い色。
その色は先ほどまで触れられるほど近くにあったものと同じ。
菫はの花の色はエイリンビィ=ファベットの瞳の色に酷似していた。
プツリ
躊躇いなく花を手折る。
誰かに踏まれて枯れるのがこの花の運命ならば、アルルナ=エスティーユがその命を刈りとってもいいだろう。
あの花の代わりに。
「大嫌い」
アルルナ=エスティーユは小さな花に呟く。
自分自身に言い聞かせるように。
あの日の幼い想いは恋になる前に消えたのだから。
手に入らない花と解っていながら足掻くほど、アルルナ=エスティーユは愚かではない。
決してアルルナ=エスティーユのものにならない花なんて、どんなに美しくったって口説いても意味がない。
それに…
苦いキャラメルのように煮詰まった想いを抱えて、冗談のように口説けるほど、アルルナ=エスティーユも大人ではなかった。
大嫌い、大嫌い、大嫌い!
胸の奥であの日の幼い自分が喚く声が聞こえるような気がした。
けれど、思い出さずにはいられない。
先ほど向けられた微笑みを。
それは自分だけに向けられた彼女の素顔の欠片。
アルルナ=エスティーユは苦く笑った。
この想いは甘くて苦い。
キャラメルのように、早く溶けて消えればい。
そして、呟く。
言えない言葉の代わりのように。
「俺は君が大嫌いだ」
お読みくださりありがとうございます。
後日談
というほどではないショートストーリーが9月7日の活動報告にあります。
後書きにのせるかのせないか悩んだんですが…ちょっとコメディー調なので。




