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御礼小話 駒

8月9日の活動報告に記載した御礼小咄に後半をプラスしております。



サロンで本を読んでいたエイリンビィ=ファベットの耳に愉しげな笑い声が聞こえた。

華やかな女性達の笑い声。

まるで妖精達が戯れているような華やかな慈愛に満ちた声。


「さあ、こちらへいらしてくださいディン様、まあ!お上手ですこと!」


ふふふ、ほほほと笑うメイド達の声の、先にはよたよたと歩くエイリンビィ=ファベットの弟ディエンド=ファベットの姿があった。

よたよたと歩いた幼児は柔らかな芝生の上でバランスを崩し、ころりと転がった。

いや、転がったわけではなく、こけたのだろう。

その証拠に泣き出したディエンドにメイド達のたおやかな手が差し出されていく。

一瞬だけ泣いた弟はすぐに泣き止み、己を抱き締めている腕から出てまたよたよたと歩き始め、しばらく歩いたあと、庭の端にある花壇の手前に咲いているクローバーの前でしゃがんだ。

僅かに肌寒い季節になり、多めに服を着せられたディエンドの姿は真ん丸い後ろ姿がまるでクマのぬいぐるみのようだと思った。

ぬいぐるみ…ではなくディエンドは、ぶちりとクローバーを引きちぎりメイドに渡し始めた。


きっと回らぬ舌で「どーじょ?」と言っているのだろう。

エイリンビィ=ファベットも何度か小石や枯れ葉を渡されたことがある。

小さな小さな手はしっとりと柔らかい。



メイドとディエンドが戯れているその場に灰色の服を着た人物…この家の主人ファベット公爵その人がやってきた。

メイド達は頭を下げ、その中で唯一立ったままのディエンドは不思議そうな顔をし、ファベット公爵に気づくと満面の笑みを浮かべた。

公爵は躊躇うことなくディエンドを抱き上げた。

くるくるとした巻き髪のディエンドの髪は柔らかな金色、瞳は碧眼。

その色は抱き上げた者と寸分違わず同じ。


エイリンビィ=ファベットは自分のくすんだ灰のような髪の毛を一房つまみ上げた。

弟とは異なるエイリンビィ=ファベットのその色は祖母譲りだという。

母とも父とも違う、肖像画でしかみたことの無い人。

きっと、ゼルドラーレ=ファベットという兄が居なければ、エイリンビィ=ファベットはこの色を酷く忌避したことだろう。


太陽の下で輝く金の髪を見つめながらそっとため息をついた。


キャアキャアとはしゃぐ幼児…弟は嬉しそうにファベット公爵にしがみついていた。


エイリンビィ=ファベットも昔はあんな風にしがみつけたんだろうか。あんな風に笑って、あんな風に楽しそうにあの人を見上げたのだろうか?



ファベット公爵…いや、父を。



あの人は今どんな顔をしているんだろう?

エイリンビィ=ファベットの時はどんな顔をしていたのだろう?


全く想像が出来なかった。


それは、きっとエイリンビィ=ファベットが知らないからだ。

思い返してみれば6つの時にはもう父を恐ろしいと感じていたのだから。


2歳の弟はどうなのだろう?いつかあの、抱き上げる手を怖いと思うのだろうか。



父はどんな人だっだろうか。


思い出そうとしても思い出せなかった。

あの人はいつだってエイリンビィ=ファベットのことを見ないから。

そうだ、いつだって手元の書類か兄や姉を見ていたから。



どんなに頑張っても、エイリンビィ=ファベットのことなど、見てはくれなかったから。


きっと、記憶にない幼い頃もどうでもよい駒と、見向きもしなかったのだろう。

そっと目をそらした先にサロンの端に置かれたままのチェスがあった。

ここにあるということは、兄と父が打ったのだろう。


エイリンビィ=ファベットは父と向かい合って座ったこともないというのに。


卓の上には転がった不要なポーン。


エイリンビィ=ファベットはあの駒に似てる。


そこにあるだけで盤上には上がらない。

ただ、いつか来るかもしれないその時のためだけに用意された駒。


いつか来るかもしれない必要となる時など来るはずもないのに。




窓の外ではいつのまにかディエンドとファベット公爵の横に母と兄のゼルドラーレも揃っていた。


仲の良い家族そのもの。


暖かな日だまりの下で微笑む彼らの姿は、まるでそのまま切り取れば幸せな家族の肖像画。



そこにエイリンビィ=ファベットが居なくても。


エイリンビィ=ファベットは逃げるように窓辺から離れた。

打ちかけの盤上にはクイーンが3つ。


ポーンは最果てでクイーンになれる。けれど、クイーンになったポーンは違う駒に変えられ、盤上から下ろされる。

結局、クイーンになっても、変えられたポーンは、使われない駒は、盤上には上がらず、卓に打ち捨てられるだけ。



エイリンビィ=ファベットは何になればいい?

すてられるとわかっていながら。



エイリンビィ=ファベットはことりかすかな音をたてながら指先で倒れたポーンを立てた。


盤上に立たないポーンの回りには誰も居なかった。





ゼルドラーレ=ファベットは久しぶりの休みにサロンへ向かう途中に庭で遊ぶ弟を見つけ、ふらふらと引き寄せられるよう寄り道することになった父を引き戻した

「父上、目尻が下がりすぎです」

「仕方がないだろう、うちの子供たちはいつだってかわいい」

「気持ち悪いのではやく直してください」

父であるファベット公爵が子煩悩なのは昔から変わらない。

「リィンにもその顔をしてあげればいいのに」

はぁ…とため息をつくと、ズドーンと厳めしい顔のファベット公爵が地の底まで沈む。はぁ、とゼルドラーレは再びため息をついた。

それができればここまで事態は拗れていないだろう。


時折、動揺した父は信じられないような墓穴を掘る。

そんなとき凹んだ二人を慰めるのは自分だ。凹む姿は二人とも笑えるくらいとても似ている。

こんなところばかり似なくてもいいだろうに。


エイリンビィ=ファベットと父の不仲は4つの頃から始まっている。

兄を叱る父に怯えた妹が父を怖がるようになり、その心の弱さを心配した父は兄弟の誰よりもエイリンビィ=ファベットに厳しい教育を課した。

末の妹が誰からも責められないように、誰からも愛されるように、どこに出しても完璧な淑女にするために。


けれど、父の思惑とは裏腹に妹はどんどん笑わなくなっていった。


誰からも愛される愛らしい微笑みを浮かべる少女は、家族が気づいたときには愛らしい人形のようになっていた。


それに何よりショックを受けたのは誰よりも父であった。

そしてなんとかしようとするあまり、非常にわかりにくい言葉をいくつも妹に投げつけた。


『お前はなにもせず笑っていればいい』

『そのようなことはお前に求めてはいない』

『賢しさを競うことに意味はない、誰もお前にそんなものを求めていないのだから』


本当に父が言いたかったことは

「役にたたなくても、賢くなくても、お前が笑っていてくれればそれでいい」ただそれだけだったというのに。


教師たちは不器用なファベット公爵の言葉をそのままの意味で捉えた。

そうして妹への教育は駒としての色合いがいっそう濃くなった。

教師達の教育というフィルターを通すだけで、妹に与えられたすべての愛情は曲がっていった。母が歌うように繰り返す言葉の意味もさえも。


『花のように柔らかく、ひだまりのように暖かく、天使のように純真で、慈悲深く、愛らしくありなさい。だれよりも愛されるために。』


権力に溺れず、心を殺すことなく、人を許し、慈しみ、愛し愛せる者になれるようにと、祖母から母へと伝わったその言葉。


それはエイリンビィ=ファベットを愛らしい傀儡へと望む呪いの歌のようになった。


父がそのことに気付き、方針転換を図った頃にはエイリンビィ=ファベットの頭はすっかり洗脳されていた。


父は、未だに妹と目を合わせられない。

抱き上げたあの日、腕のなかで泣かれたことを思い出して。

幼い頃に自分が消してしまったエイリンビィ=ファベットという愛娘を思って。

己の教育の間違いを認められなくて。



ゼルドラーレは打ちかけのチェス盤をはさみ父と向かい合う。

ことり、ことりと小さな音をたて駒が動いていく。

「さて、クイーンにしようか」

昇格した父のポーンがクイーンになった。

父は横の小箱から小さなリボンを取りだしポーンにつける。

父は昇格したポーンを他の駒に変えない。昔、なぜそんな面倒なことを、と聞いたとき「ここまで到達したのはこの駒だからな」と笑った。


父は厳しいだけの人ではない。


クイーンになった時、ポーンにつけるリボンは淡い紫だ。それはゼルドラーレの瞳と同じ色、妹の瞳と同じ色だ。



盤の横で倒してあったポーンが立てられている。ゼルドラーレは使わない駒は倒す癖がある。使用人が触れることはないから、これをしたのは先ほどまでここにいたエイリンビィ=ファベットだろう。


盤の外から眺めるようなその駒は妹が考えるエイリンビィ=ファベットの姿だろう。


妹は紫のリボンが舞っているこの盤のを見たらどう思うだろうか。


「チェックメイト」


ぼんやりとしていたら盤上の王は倒れていた。

「珍しく集中力にかけていたな、そのようでは勝てる試合も勝てないぞ」


苦々しい表情でそう言われゼルドラーレは呆れた。

何を考え込んでいるか気になるならば素直にそう言えばいいのに。


むっとした表情でするりとポーンのリボンはほどかれた。



全くもって不器用な二人だ。



ゼルトラーレはくすりとわらった。





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