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堕ちた貴族に差し出される手は無い。
それを知識としては知っていたが、ここまで分かりやすくするものなのかと、遠巻きに噂されるエイリンビィ=ファベットはいっそ清々しいほどだと苦笑した。
たとえ学園内での立場が微妙なものとなったとはいえ、エイリンビィ=ファベットは公爵家の令嬢。針の筵のよう…になることはなかった。
多少の居心地の悪さはあるものの、元々気位が高い、冷徹と評されることもあったエイリンビィ=ファベットは遠巻きにされていたため、媚びへつらものが居なくなった程度の差でしかない。
今までは何処へいくにも誰かしらの声がかかり、目的地に向かうまで気を張ることが多かった分、今の方が楽かもしれない。とさえ思いながら、エイリンビィ=ファベットはざわめく校舎を歩いた。
学園の裏は薔薇園になっている。
初夏と秋に市民にも一般公開される庭園は時期はすれの今、濃い緑の葉と選定された枝が目立つ寂しい庭でしかない。
エイリンビィ=ファベットは一度も来たことがなかった薔薇園で、時期はずれに一輪だけ咲いている花弁の縁だけがにじむように赤い大輪の黄薔薇の前にいた。
珍しい品種だと思わずまじまじとその枝振りを見ていた。
ジャリっと石畳を踏む音が聞こえ、振り返るとそこにはジディオルデ王子が立ってエイリンビィ=ファベットを見ていた。
王子が独り歩きとは不用心このうえない。エイリンビィ=ファベットはわずかに顔をしかめた。
この状況を許している王子の護衛は何をしているのだろうか。と
「久しいな」
そう声をかけられ、エイリンビィ=ファベットは「殿下もご健勝のようで」と略礼をとりながら答えた。
噂に上っていたとはいえエイリンビィ=ファベットが王子と直接会うのはあの日、すれ違った時以来、いつのまにかひとつの季節が終わろうとしている。
同じ学園に通いながらここまで会わないのだから、よほど縁がないのか避けられていたのか。
久しぶりにみたジディオルデ王子は相変わらず眉間にシワを寄せていた。
昔から変わらない、エイリンビィ=ファベットの受け答えが気に入らないときの顔だ。けれど、なぜだろうか、珍しくその瞳は揺らいでいる気がした。
「なぜ、否定しない?」
「それをお望みでは無いようでしたので」
唐突な問いかけにエイリンビィ=ファベットは淀みなく答えた。
エイリンビィ=ファベットが噂を消して回るよりも一番簡単かつ明瞭な方法はジディオルデ王子が動くことだ。
王子が一言いうだけで事態は全て収まる。けれど、それをせず、ことあるごとにエイリンビィ=ファベットをあおろうと動く側近たちの行動も、全てに意図があったのだろう事くらいエイリンビィ=ファベットにだって解る。
「お前は婚約を白紙にしたいのか?」
『白紙にしたいのは殿下ではないのですか?』
そういいかけた言葉を飲み込む。この返答はエイリンビィ=ファベットらしくない。まるで、恋人の不貞を責める娘のようだ。
エイリンビィ=ファベットが調べた限り、今の婚約を蹴ってまで、あのブルネットの少女、エンビィと婚約を結ぶ利点が王子にはないのだから。
たったひとつの点を除きさえすれば。
「多少魔力が多いとはいえ元は平民、そのような娘を相手にするなど、いずれ王となる身の自覚がおありになる殿下がこれといった考えなしにされることとはおもえませんわ、それとも、私に忠言でもお望みでしょうか?
そのような娘を相手にするなど、王となる身と自覚はおありになるのですか?と。」
エイリンビィ=ファベットは己の唇からこぼれた言葉に、何処かで聞いたことのある台詞だと思った。
「もしも、恋だとおっしゃるのならば側室となさるのがよろしいでしょう。市井の出の者に御せるほど王宮は暖かな場所ではございません。それでもよいと言うのならば私から言うことなど何もありませんわ」
王子は俯いていた。
エイリンビィ=ファベットの言葉はなど、誰もが王子に言っているだろう言葉だ。上っ面だけの中身の無い言葉。まるでエイリンビィ=ファベットのような。
「お前はそれで、いいのだな?」
顔を上げたジディオルデ王子の瞳は強い決意を感じさせるものだった。
燃えるような金色の瞳はまるで大輪の薔薇のようだ。
先ほどエイリンビィ=ファベットに見せた揺らめく瞳はもう何処にもない。
覚悟を決めたものの瞳だと思った。
ああ、そうか。
エイリンビィ=ファベットは気がついた。
何処かで聞いたことのある台詞ではない。
あの物語のエイリンビィ=ファベットが言った言葉ではないか。
『そのような娘を相手にするなど、王となる身と自覚はおありになるのですか?』
どこまでも、どこまでも、あの物語はエイリンビィ=ファベットの進む先にある。
まるで、予言の書のようだ。




