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奇跡を求めて  作者: 徳明樹 望
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幕開けの番外編

「な、んだ? それ、は……?」

 無意識に少年の口から漏れ出たのは、奈落の底まで突き落とされたような絶望の声だった。普段は瓢々とした態度をとる彼だが、今は見る影もない。彼には目の前の現象を視覚化し脳に送り処理することが出来無かったのだ。あまり本心からしない驚愕の形に表情筋を歪めていた彼の視線の先には、『黒』。そう表現するのが適切な少女がいた。

 艶やかな濡烏色の髪、濡れたように輝く漆黒の瞳。衣服も多少汚れているが真っ黒で、陶磁器のように滑らかで白いはずの肌は燃え盛るような紅い斜陽によってそこには陰を落とされていた。

 が、それだけではなかった。

 その彼女の象徴とも言うべき『黒』。

 それが少年の理性を刈り取った原因だ。

「……セイ」

 彼女が口を開いて少年、つまり彎月 誠(わんげつ まこと)の愛称を呼んだ。透明感のある弱々しげな声に少年は反応しなかった。

 反応できなかった。

 ボンヤリとした視界の中で、彼女の一部だけが鮮明に網膜に焼き付けられている。視線の先には少女がいる。視点には光沢を持つ闇色の、一対の皮膜の翼が、大きくその存在を誇示していた。それはあの災厄を連想させるには十分な部位で、その中でも最も人々の間に恐怖として刻み込まれた『黒の翼』だった。

「……驚いた?」

 少女は相手の出方を探るかのように問いを紡いだが誠に届いたかどうかは怪しい。少年は今も尚、食い入るように少女の翼を驚きとともに見つめていた。出した問いを完全に無視された少女は、分かっていたからなのか口をまた開いた。

 まるで、現実から逃げているかのように。

 そして、諦めを含んだ声色で。

「セイが思ってるとおりだよ。私は――――」

 一瞬の空白は彼女の逡巡を表しているのだろうか。

 それともただの演出なのか。

「私の身体に、竜がいる」

 それは。

 その告白は。

 本来ならば胸の内に秘めておくべきものだ。案の定、誠の胸には絶望、怒り、その他様々な感情が渦巻いた。

「ぁ……ぇ……?」

 もう既に身体は硬直して、止まっている。いや、誠にはこの状況を理解しようとして脳の余剰領域がないのかもしれない。それほどまでに少女の告白は衝撃的だったのだ。

「セイの夢を裏切って、ごめんなさい」

 少女が深々と頭を下げる姿が誠の瞳の中に落ちた。

 手を伸ばせば届きそうな位置にいるのに。

 決して手が届く程近づかなかった相手が。

 誠が憧れ、あの様に成りたいと思った相手が。

 誠に頭を下げていることがおかしかった。

 おかしいと誠は思った。

 だからか。

 誠は思考の海から這い出して来られたのかもしれない。

「違う」

 誠ははっきりとした口調で彼女の言葉を否定した。誠の心はもうどうしようもないくらい澄み切っているだろう。そう確信させるほど誠の表情は柔らかだった。

 いつものように微笑んでいた。

 少しの理性があれば分かっていたはずだ。例え『黒の翼』が背中から生えていようと、例えそれをずっと隠していたとしても。

「君は僕の夢を裏切ってなどいない」

 誠の夢。

 彼女に追いつくこと。

 彼女の隣に立つこと。

 彼女の様になること。

 そんなシンプルな夢だ。

 それ故に、翼を持っていようがなかろうが。

 誠の夢は変わらない。

「…………?」

 今度は少女が思考の海に落ちた。

 怒鳴り散らされ、罵倒され、恨まれ、疎まれてもおかしくない。

 少なくとも真実を知った人は大抵、いや全ての人間が少女に対して畏怖か憎悪の視線を向けてきた。

 彼女は自分のことを知った上で、しかも吹っ切れたような笑顔で受け入れてくれるような人間を知らなかったのかもしれない。

 いるはずも無かったのかもしれない。。

「僕は君のその強さに感動したんだ。心が動かされたんだ」

 ――翼があれば君は弱くなるのか?

 常時ならば月並みの表現だと笑われるが、この状況において、誠の心から出た言葉に少女は震えた。

 本当の自分を認めるてくれる人間。

 確かに翼があると知られたら、周りの人間の態度は豹変するだろう。

 それも見越してか、彼女は人との間に障壁を作っていた。

 相手に依存せず、相手に依存されず。

 相手に裏切られても最低限度の悲しみしか背負わないように。

 でも誠は。

 彼は彼女に憧れ続けてきた。だから驚きはあったけれども、多少恐ろしくもあったけれども、それで見限るほど、誠の彼女に対する憧れは薄くなかったのだ。

「それに……」

 生まれてから今まで、彼女が疎んできたそれが。

 その翼があるからこそ。

 彼女は彼女なのだ。

 誠はそう断言できた。

「その翼……綺麗じゃないか」

 限界だった。

 気がつけば少女はその目尻に涙を浮かべていた。 

 人前では決して見せなかった涙に少女自身驚いたが、一度動き出した心は止められず、彼女は誠のそばまでやって来て、ついには感情が涙腺を突き破って少年の胸に流れ出してしまった。プライドも外聞も、なにもかも忘れて、少女は彼の胸の中で泣き叫んだ。

「セイ……セイ……」

 なきじゃくりながらしきりに、少女は何度も誠を呼び続けた。そこには年相応の感情の豊かさと、年不相応の幼さがあった。誠が少女の髪を撫でていく度に少女は誠の胸により一層密着し、誠の服を掴んで縋り付くようにしていた少女の手が後ろに回り、次第に誠に抱き着くような形になる。そうなれば誠も自由な左手で少女の肩を抱き寄せた。瞬間少女はピクッと身体を硬直させたが、次第に身体から力が抜けていき、誠に絡み付くようにように密着した。

 いつまでそうしていただろうか。少女の涙が渇き、空は夕焼けの紅から黄昏の紫に変わった頃、少女は誠から離れようとし、長い間撫でつづけた少女の髪が名残惜しかったが、誠は素直に少女に回した腕を解いた。

「……帰ろうか」

「……うん」

 ずっと泣いていたため目は真っ赤に腫らしていたが、それと同じくらいずっと異性に抱き着いていたという事実を改めて認識させられた少女の顔は赤くなっていた。少女は気恥ずかしいのか顔を俯かせていたが、時折誠の表情を窺うようにチラチラと上目遣いで見上げてくる。

 特に思うところのない誠だが、相手がその反応だと誠までその空気にあてられて、その気まずさを打ち破るかのように帰宅を提案した。同じ位あるいそれ以上に居心地の悪さを感じていた少女もまたその言葉に頷く。

 否定される事をそもそも考えていなかった誠は了承だけ得ると踵を返して歩き出した。少女もそれに続く。

「あ」

 突然誠が思い出したかのように声を上げた。そしてくるりと反転し、少女に向き直すと口を開いた。

「これからもよろしくな、蓮華(れんか)

 言われた蓮華、四十川 蓮華(あいかわ れんか)はキョトンとしていたが、誠がずっと見詰めつづけると大きく頷きながら誠の隣に立った。その表情は先ほどとは一変して、頬に微笑みが湛えられていた。

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