クールビューティー×ドジっ娘=??
注意:流行に乗ってみましたが、作者は乙女ゲームをプレイしたことがありません。おかしなところがあれば、ご指摘お願いします。
わたしが今日から通う、私立蓮華学園の制服を着て姿見の前でターンしたとき、わたしは酷い既視感に襲われた。
――氷野椿。
15年間共に過ごしてきたこの名前に、違和感を感じた。
何かが廻り始めた……漠然とした不安がわたしを包んだ。
* *
蓮華学園は、庶民からお金持ちまでが通う、雑多な中高一貫校。ただし、学園の基準は寄付をたくさんしてくれるお金持ちの方に寄せられているため、学校の設備はどれもピカピカで豪華絢爛で、華やかだ。わたしは根っからの庶民なので、校門をくぐったときから眩暈がしていた。
蓮華学園は、主に優秀な頭脳の人のための特進科、庶民から御曹司までさまざまな人のための普通科、音楽コースと美術コースの芸術科がある。特進科は主に外部生が多い。わたし? わたしは言わずもがな、特進科で入試をトップで合格した。何だかわたしは吸収がいいようで、わりと勉強しなくても優秀な頭を持っていた。おかげで、頑張ったらトップで入れちゃったわけだ。
と、ふと気づいた。
まわりに人が誰もいない。
…意味が分からない。
ついさっき、校門をくぐって入学式が行われる体育館に向かっていたはずなのに。人の流れに沿ってのんびり歩いていたはずなのに。
…意味が分からない。
これは、あれか。迷子か。
まさかの!? まさかの、初日で迷子!?
どうしよう、蓮華学園は気が遠くなるほど広いのだ。どうしよう、どうやったら体育館に行けるのだろうか。
汗がどっと噴き出す。
わたしは近くの建物の壁にもたれかかった。酷い頭痛がした。
本当に有り得ない。わたしってこんなに方向音痴だったっけ。
何だか泣きたくなった。入学式の日に学校で迷子になるなんて、どういう――
「どうした? こんなところで何をしている?」
掛けられた声にはっと顔を開けると、こんなときでも見惚れてしまうような美形がいた。しかも低くていい声。同時に、激しい既視感。頭がぐるぐるする。
濃い茶色の髪に、同じ色の瞳。整った顔立ちに、がっしりとした体つき。
わたしは、顔から表情が抜け落ちていくのを感じた。
わたしは、この男を知っている。蓮華学園高等科3年生徒会長、山吹涼太。
「おい、どうしたんだ。まさか迷ったのか?」
「…え、は、はい…。その、まさかで…」
我に返り、しどろもどろ返事をする。生徒会長は怪訝そうな顔をしながらも、手を差し出してきた。
意味が分からなくて首を傾げると、苦虫をかみつぶしたような顔で言われた。
「着いてこい。もうすぐ入学式が始まっちまうから」
「へ、あ、はい」
返事をして歩き出そうとした瞬間、わたしは足元の石に躓いた。
「きゃっ」
思わず声を上げた瞬間、目の前に生徒会長が現れてわたしの体を支えた。思わず生徒会長の胸に倒れかかったわたしは、慌てて後ろに離れた。
「すっすみませんっ!」
「…気をつけろよ。はやく行くぞ」
言うなり、生徒会長はわたしの手首を掴んだ。
「え?」
「またコケられると面倒だからな」
そしてわたしは、生徒会長に手を引かれて走り出した。
* *
入学式には何とか間に合った。体育館が見えたところで別れ、お礼を言うと嫌そうに手を振られた。何で。
席に座ると、どっと疲労感が押し寄せてきた。初日から、すごいイベントだな。
そう、イベント。
わたしの頭の中には、濁流のように情報が流れ込み、荒れ狂っていた。今も激しい鈍痛が続いている。
考えたくもない。
ここが、ゲームの世界だなんて。
タイトルは、〈花と夢に囲まれて〉で、通称〈花夢〉。この蓮華学園を舞台にした乙女ゲームだ。
まさか、と思う。でも、これで最近の頭痛や既視感の正体が分かるのだ。
わたし――氷野椿の役は、単純明快。
ヒロイン。
……有り得ない。誰が乙ゲーのヒロインなんかやるか。
わたしは、前世でこの〈花夢〉をプレイしていたっぽい。結構記憶が残っている。
わたし、友達が少なくて、平凡な容姿で男子にもモテなかったこと。ドジで間抜けで、馬鹿にされてたこと。だから、乙女ゲームにのめり込んで現実から逃げたこと。寂しくて、辛かったこと。――10代でトラックに弾かれて死んだことも。
それは、昨日のことのようにありありと鮮明に思い出せる。
……名前だけは、思い出せないけど。
〈花夢〉は、〈今までと一味違う乙女ゲームをあなたに!〉というキャッチフレーズで売りに出されていたと思う。そろそろ普通の乙ゲーに飽きていたわたしは、その言葉に惹かれて〈花夢〉を買った。
従来のヒロインは、ふわふわした茶髪に、くりっとした瞳、可愛らしい顔立ちをしていて、明るくて元気な性格をしていることが多い。でも、〈花夢〉のヒロイン〈氷野椿〉は違ったのだ。
闇よりも深い、漆黒の長い髪。ほとんど黒に見える深い蒼の瞳。彫りの深い顔立ち。背が高く、肩が凝るほど大きな胸に、スラリと伸びた足。可愛いというより、美しいという形容詞が最も似合う容貌。
そして、他人に興味を持たず、近寄りがたい雰囲気を持ち、常に孤高の女王である――のだが、男に慣れていなくて、すぐに真っ白な頬を真っ赤にしたり、接し方がわからなくてツンデレ気味になるという、なんだかいろいろ美味しいキャラクターなのだ。そんなんだから、性別問わず〈花夢〉は人気があったのである。
ルートは、各攻略キャラの個別ルートに入るとハッピーエンドとバッドエンド、誰とも結ばれない友情エンド、そして逆ハーエンドがある。
今日、鏡の前で感じた既視感。
わたしの容姿は、完全に〈氷野椿〉の姿をしていた。
そして、生徒会長――山吹涼太を見て眩暈を感じたこと。
全て解決――
――できない。
さっきのあれは、生徒会長(俺様キャラ)との出会いイベント。でも、わたしの記憶にあるものと少し違う。
氷野椿は、入学式の前になぜだか迷子になり、そこを山吹涼太に助けてもらうのだが。でも、絶対石ころに躓いて抱きとめてもらうなんていうシチュは無かったはず。
山吹涼太は、入学初日に迷子になる変な新入生に興味を持っていくのだ。
おかしい。なぜ、イベントがシナリオ通りに動かないのか。
それは、転生者ゆえのバグか。
そのとき、司会者がわたしの名前を呼んだ。
「新入生代表の言葉。新入生代表、氷野椿さんお願いします」
ああ、そうだ。わたしは入試をトップで通過したからここで挨拶をしなければならないのだ。
わたしは憂鬱な気持ちで席を立った。
黒い髪が、さらりと揺れた。
* *
入学式の、次の日。の、昼休み。
一応難関校だけあって、今日から普通に授業が始まっている。
わたしも何とか、外部生のおしゃべりできる程度の友人を見つけ、現在その友人たちと昼食を食べている。
「椿ってさ、本当に完璧超人だよね。美人だし頭いいし」
そう言うのは、いかにも流行に乗ってる感じの河野真弓だ。ちなみにサポートキャラ。
「そうかな?」
「そうですわ! 椿さんは素晴らしい人ですもの!」
わたしが薄い笑みを乗せて首を傾げると、頬を染め目をキラッキラさせて頷くのは、特進科には珍しい生粋のお嬢様。松宮財閥令嬢、松宮菫だ。わずか一日で、わたしを尊敬するようになってしまった。
だが、これはいささか不安である。彼女は、典型的な悪役令嬢なのだ。確か、生徒会2年書記の婚約者だったと思う。
こんなにもわたしを慕ってくれる、いい人なんだけど…、わたしがもし書記ルートに入ったら間違いなく社会的に抹殺されかけるに違いない。それは避けたいから、2年書記とは関わらないようにしよう。
にしても、ゲームではここまで〝氷野椿大好き人間〟だった気はしないんだけど……。
わたしは平凡に生きたい。でも、フラグを潰すのも面倒臭い。だから、わたしは己の正しいと思う道を爆進しようと思う。
そうすれば、わたしはどんな現実であろうと、受け止めることができると思うから。
だから、とりあえず乙ゲーの世界だってことは忘れようと思――
「氷野椿さんはいますか?」
突然、耳に届いた柔らかい声。わたしは知っている。その顔を見なくとも、生徒会副会長・菊池隼人であることを知っている。
これは間違いなくフラグ。でも、これを叩き折れば後々わたしの立場が危うい。
「はい。わたしですが」
立ち上がって、渋々という様子は一切隠してドアの方に行く。ああ、やっぱりね。お前か、乙ゲー定番の腹黒眼鏡。背中に届く、隠しきれない羨望と嫉妬の眼差し。何で? 美形だから? やだな、わたし腹黒に興味はないんだけどな。
「決定事項を告げに来ました」
「はぁ」
どうせあれでしょ、生徒会への勧誘でしょ。入試トップは生徒会に入って庶務になるのが決まりだもんね。知ってればトップなんて取らなかったのにな。
「あなたにはぜひ、生徒会に入って、庶務の仕事を受けていただきたいと思っています」
「……拒否権は、無いんでしょうか?」
一応聞いてみると、眼鏡をクイッと押し上げて菊池はとってもいい笑みを浮かべた。
「もちろんですが、何か?」
そうしてわたしは、生徒会に入った。
* *
乙ゲーの世界の生徒会室というのは、お洒落で広くて給湯室まであったりする。ここ蓮華学園もその例に漏れなかった。
腹黒眼鏡――名前を呼ぶのも面倒臭くなってきた――に生徒会入りを告げられた日の放課後、わたしは陰鬱な気持ちを隠して生徒会室に向かった。
他の教室と変わらないドアをノックすると、澄み切った綺麗な女の声で「どちら?」と言われたので、「1年の氷野椿です」と答えたところ、「ではどうぞ」と言って下さったので気は引けたけどドアを開けた。
「いらっしゃい、氷野椿さん。わたしが、3年書記の柴田芹菜よ。呼び方は任せるわ。よろしくね?」
ドアを開けてすぐのところにあるソファに、しどけなく足を組んで座っていたのは、生徒会役員6人――わたしが入るまでは――の中の紅一点。緩やかに波打つ、明るい茶色の肩まである髪。紅くて大きい瞳。胸は…あんまりないけど、抜群のスタイル。
氷野椿が来るまで、学園中の男という男を虜にしてきた美女。
――だから、わたしが攻略対象たちに好かれ始めると、露骨に苛めてくる悪役なのだが。
「はい。氷野椿です。よろしくお願いします」
わたしが頭を下げると、奥の方から聞き覚えのある声がした。
「礼はいい。それより、顔を見せろ」
顔を上げると、ソファの奥にある役員ひとりひとりの机の一番窓側――一番入り口から遠い位置にある――に座っていた男子生徒が、ふと首を傾げた。
「…お前…どこかで見た気が…」
そりゃ、新入生代表挨拶しましたからね! 生徒会長が見てないんですか!
「ああ、思い出した。迷子になってた奴だな。まさか、あの迷子が入試のトップだとは思わなかった」
そう言って、生徒会長は含み笑った。
それに敏感に反応したのは、チャラいキャラの2年会計だった。
「え、君迷子になったの? くふ、どうやったら迷えるんだろうね」
あ、今馬鹿にしましたね。わたし、それに気づかないほど鈍くないですよ。
「まあまあ、雑談は後にしましょう。とりあえず、自己紹介をした方がいいと思うのですが」
パンパンと手を叩いて場を収めたのは、わたしのところに来た腹黒だった。
「あら、わたしはもう自己紹介したわよ?」
「なら芹菜はもう結構です」
あ、芹菜って名前呼びなんですね。幼馴染って設定だっけ?
「では俺からだ。生徒会長の山吹涼太。よろしく」
俺様キャラ。でもめちゃくちゃ美形。目が焼けそう。わたしが一番好きだったキャラだと思う。
「はぁ…。僕は3年副会長の菊池隼人です。よろしくお願いしますね」
腹黒眼鏡キャラは溜息をついた。わたしのタイプじゃない。
「あ、俺は2年会計の桜木哲也。よろしくっ」
さっきのチャラい会計。めっちゃ茶髪だ。軽いのはあんまり好きじゃないな。顔はイケメンだけど。
「………榎田龍。3年会計」
無口だ。友達いるのかな。
「えっと…2年書記の柚島雅志です。よろしくお願いします」
菫の婚約者だ。友達っぽい雰囲気で、親しみやすい…はずだ。
これ、わたしは元から名前知っているからいいけど、普通こんなにいっぺんに自己紹介されて名前覚えられるわけないよね。
でも、これで全ての攻略対象者と顔を合わせたわけだ。5人だからあんまり多くはないけど、ダウンロードでプレイできるようになる隠しキャラも5人ぐらいいたはずだ。隠しキャラには、真面目な生徒会顧問と、エロい感じの保健の先生とか、先生が入ってくる。…うん、そういうのは良くないよね。
* *
わたしは美術部に入りました。
ゲームでは、氷野椿は茶道部に入っていたと思うんだけど、わたしにはそんなお嬢様っぽい品のあることはできない。それより、前世から密かな趣味であった絵を描くことを思いっきりしたかったのだ。
乙ゲーの生徒会はすっごい忙しくて、部活に入っている感じは全然しないっていうイメージがあるけど、〈花夢〉の生徒会の集まりは月金の放課後だけ。その分その二日にイベントが凝縮されちゃうわけだけど、蓮華学園の〈生徒は自分のしたいことをするべき〉という考えによって、部活に行けるのは嬉しい。今日は火曜日だし、満喫したいところだ。
この美術部では、生徒がしたいことを自由にしている。
何を描くのか、何を作るのか。そして、どうやって完成させるか、まで自由。
先輩たちも、美術室の壁際でキャンバスに油絵を描いている人や、どこかに出かけて題材を探している人、モデルを連れてきてデッサンをしている人などさまざま。そして、まったくもって指示を出してくれない。
……それはそれで、楽だけどさ。
わたしは油絵が好きだから、とりあえず学園のどこかを描いてみようと思った。鉛筆と消しゴムとキャンバスを抱えて、わたしは校舎を出る。
「ん、ここにしよっと」
わたしが決めたのは、学園内にある屋内庭園の中。
ガラス張りのドーム状の施設の中には、庭師さんが手入れをしてくれているおかげで、木が葉を茂らせ、花が咲き誇っている。
美しい花が立ち並ぶ中で、ひっそりと咲いている水仙だった。
こういうとき、時間の流れは早い。
わたしは早々に下書きを終えて立ち去ろうと思っていたのだが、思いのほか時間がかかった。スカートに着いた土を払いながら立ち上がり、赤く染まる空を見て、色を付けるのは明日にしようと考えた。
キャンバスを抱え、鉛筆と消しゴムを持って屋内庭園を出たときだった。
「危ない!!」
「……えっ?」
近くで空気を切る音が聞こえて、
ゴスッ
と鈍い音がし、同時にわたしの頭に鈍い衝撃が走った。
中からじゃなくて、外から。
頭がぐわんぐわんする。
霞む視界の中で、サッカーボールが見えた。
ああ、そういう感じね。ボールがわたしの頭に直撃したのね。
い……痛い。痛いなぁ。
椿の手からキャンバスが滑り落ちて、カランと音を立てた。
* *
驚いた。
俺が蹴ったボールが変な方に飛んで行って、やっちまったー、と思ったとき。突然屋内庭園から人が出てきて、
「危ない!!」
と叫ぶも遅く、スピードだけは出ていたボールはその人に当たってバウンドした。慌てて駆けつける。
「きゃっ!」
短い悲鳴。流れる黒い髪。ふと顔を見ると、彼女は昨日も顔を合わせた氷野椿だった。
「おいっ」
氷野の体がぐらりと揺れ、傾いだ。
思わず抱きとめると、舞い上がった髪からシャンプーの香りがふわりと漂い、思わずくらりとした。その上、その体は少し動かしただけで折れてしまいそうなほど細くて、硬直してしまった。
「哲也ー!」
声を掛けられてグラウンドの方を見ると、山吹先輩が駆け寄ってきた。
「大丈夫か、そいつ」
「い、いや…。気ぃ失っちゃったみたいっす」
山吹先輩が、長い指で顔に垂れ落ちた髪をそっと掻き分けて顔を覗きこんだ。氷野の閉じられた瞼に、長い睫毛が影を落としていて、唇が微かに震えていた。
「こっ…氷野か」
驚いたように目を瞠って、そして先輩は俺を見た。
「哲也、お前保健室に連れて行けるか」
「は、はい」
彼女の背中と膝の下に手を入れて持ち上げると、山吹先輩が彼女の膝の上にキャンバスと鉛筆、消しゴムを乗せた。
「重くないか?」
「いえ…まったく。めちゃくちゃ軽いです」
「ならいい。目を覚ましたらきちんと謝っておけよ」
「はい。ありがとうございます」
* *
まだ、微かに頭が痛んでいた。
何だか柔らかいところにいるようだった。
わたしは、重たい瞼をゆっくり持ち上げる。
そこで、チャラい2年会計の桜木哲也と目が合うとは思わなかった。
目が合うと、桜木は僅かに安堵の溜息を洩らした。
「良かった…。大丈夫? まだ痛まない?」
そう問いかけられて、あのボールを蹴ったのはこいつだったのかと気づく。
「まだ、少し…。あの、先輩が運んでくださったんですか?」
ここは保健室のベッドの上。視線を枕元に移すと、キャンバスが置いてある。
「うん。でも気にしないで。俺がぶつけちゃったから。ごめんね」
「い、いえっ…。そんな、わたしのほうこそすみません。重かったでしょう?」
「ううん、全然軽かったから」
やめてほしい。そんな、眉毛を下げて、心配そうな顔で覗きこまないでほしい。しょんぼりしないで、チャラさが消えたら普通に優しいイケメンになっちゃうから、ドキッとしちゃうからやめてーーー!!!
「ありがとうございます。あの…先輩はもう、お帰りになっても大丈夫ですよ? わたしは平気なので」
「でも…まだ痛むんでしょ? それじゃ俺はまだ帰れない」
「そんな、先輩に迷惑はかけられません」
だから、わたしの心臓に悪いんです! なんて言えないけど。
「じゃあ、送ってく。それでいいよね」
「え」
「うん、決まり」
そのいい笑顔、やめてください!
* *
結局あのあと、わたしは桜木家の車に送ってもらってしまった。滅茶苦茶申し訳ないし、運転手さんがいるとはいえ、あの密閉空間に二人はすごくいけない。
そのうえ桜木は、ずっとわたしの顔を覗きこんで心配してくるし、顔を背けるとさらに心配してくるから、心臓が大変だった。顔が赤くなっていなければいいのにな。
家に帰ってから考えたんだけど、こんなイベントはなかったと思う。だいたい、氷野椿はクールビューティーであんな間抜けなシーンは無かったはずだ。
……これも、バグかなぁ。ドジで間抜けなわたしがいるせいで。
翌日、学校では何人もの人に問い詰められた。
どうやら、話を聞く限りわたしは桜木にお姫様抱っこで運ばれたらしい。違うよ、そういう関係じゃないからね。
で、そういうので疲れたので、今日の放課後は部活に行かずに出された課題をすることにした。
かといって自習室に行くとまた面倒なので、図書室に向かう。図書室で騒ぐバカはいないだろう。
思った通り、放課後の図書室に人はほとんどいなくて、読書している人や本を探している人がちらほらいるだけだった。その人たちも、わたしを見ても何も言わない。やっぱり、ここで正解だった。
だだっ広い図書室の奥へ奥へと進み、一番奥に来たところでわたしは足を止めた。
本棚の間にある、六人座れる長方形の机の端っこで勉強していたその人も顔を上げる。
「………こ、こんにちは」
わたしが恐る恐る声を掛けると、榎田先輩は微かに頷いた。もしかして、挨拶代わりに頭を下げたのかな?
「向かい、いいですか」
また恐る恐る訊くと、「…うん」と今度は小さな声が返ってきた。本当コミュニケーション能力が低い。なんで生徒会に入れたんだろう。あれか、乙ゲーだからか。
……………………。
……………………しーん。
何か気まずくない? 先輩は気にしてないけど。いや、勉強はかどるからいいけど。あ、でも分かんない問題が多くてイライラしてきた。
「……氷野さん」
「は、はい」
突然話しかけられて、びっくりした。
「分からない問題あったら訊いていいよ」
「は、はぁ…」
突然すぎて脳が、イマイチ働いていない。
でも、それはラッキーだ。
榎田先輩は特進科だし、テストでも常にトップ5に位置しているはずだ。そんな先輩に教えてもらえるなんて、ラッキーだとしか言いようがない。
「えっと…。じゃあ、この数学の問題はどうやってやるんですか?」
「ああ、これ…。これは……」
先輩はノートに計算式を書いたり、図を書きながら丁寧に教えてくれた。
「…で、答えはこうなるんだ」
「なるほど! すごいですね! わかりました!」
わたしが言うと、榎田先輩はすぐに自分のノートに戻って「いや、いいから」と言った。切り替え早い。
そして、それから最終下校の時間まで、時折教えてもらいながら課題をすべて終わらせた。
荷物を纏めながら、榎田先輩はぼそっと言った。
「だいたいここにいるから、分からない問題があったら訊きに来てもいい」
「あ、ありがとうございます」
また来よう、とわたしは決めた。
* *
蓮華学園最初の一大イベント――体育祭が近づいている。
みんながみんなふわふわと浮き足立ち、日を追うごとにわくわくしてくるのが空気でわかる。
チームは赤、白、黄の3つ。1(特進科)・2組が赤、3・4組が白、5・6(芸術科)組が黄だ。
種目決めでもいちいちクラスが盛り上がり、クラスが一体化しているのを感じる。
一方、生徒会は忙しい。
リハーサルから片付けまで、すべて生徒会と体育委員会が中心となるのだ。会場準備から当日の会場整備、接待、会場片付けまですべての役割分担をし、全校生徒に配布するプリントを作り、各委員会に手伝いを頼みに行く。
入って1ヶ月経っていないわたしも容赦はされていないので、猫の手も借りたい。
――で、土曜日の今日は買い出しだ。会場作りに必要なものや接待に必要なものなどを、芹菜先輩と買う担当になっている。
場所は、蓮華学園の最寄駅から徒歩1分のところにある巨大ショッピングモール。
それで、待ち合わせ場所で待っているんだけど、待ち合わせ時刻から10分過ぎてるのにまだ来ない。
場所を間違えたのかなと思い、先輩に確認しようと携帯を取り出したとき、メールが来ていることに気づいた。
『ごめんなさい! 風邪を引いてしまって。わたしは平気って言ったんだけど家の者が許してくれなくて。だから、代わりに隼人に行ってもらうことになったの! 少し遅れると思うけど、待っててあげてくれる? ごめんね<(_ _)>』
了解の返事を出しながら、わたしは頭を押さえた。
しまった。イベントだ! 気づいてたら腹黒眼鏡とふたりで買い出しなんて絶対避けてたのに!
「こんにちは、氷野さん?」
振り向くと、私服の菊池が立っていた。ラフだけど、絶対高い服なんだろーな。わたしなんか、バーゲンで買った白ワンピにパンプスだし。
「あ、こんにちは、副会長」
「何度も言いますが、役職で呼ぶのはやめてもらえませんか」
そう、こいつは副会長と呼ばれることを嫌う。菊池先輩と呼んでほしいらしい。嫌だな。
「まあ、はやく行きましょう」
歩きながら、イベントの内容について考える。
確か、買った荷物が思いのほか重くてふらふらしている椿に、「僕が持ってあげます」とかほざいくんだ。それで、渡す時に指が触れあって椿が赤くなり、そんな椿を見て菊池が可愛いな、とかって思うやつだったと思う。
それ、赤くならなければいい話だし。だいたい、最初から荷物持たせておけばいいんじゃない?
――と、思っていたのだが。
わたしは今現在、ほっぺたも耳もすごく熱い。
土曜日のショッピングモールは人が多い。
荷物を全部持たせようと思っていたのだが、さすがにそれはわたしの良心が痛むので、5分の2くらいをわたしが持っている。
で、全て買い終えて、帰ろうとしているときだった。
大きな人にぶつかって、わたしは宝飾店に入ってしまった。「おっと…」と言いながら出ようとするわたしをじっと見て、菊池がふと思いついたように言った。
「今日頑張ったご褒美に、アクセサリーを買ってあげましょうか」
「は…?」
わたしが呆けると、勝手に腹黒は店内を物色し始めた。
「いやいやいや! いいですから!」
「いいんです。僕が買いたいだけですから。もらってくださいね?」
わたしの言葉など、聞いてもくれない。
奴は、店員さんと話しながらあれこれ見ている。
もう帰りたいけど、こいつを残していくのはいくらなんでも気が引ける。だいたい、わたしに宝石なんか似合わないって。
「これなんか、どうですか?」
菊池が持ってきたのは、小さなエメラルドが付いたネックレスだった。
「え? いいですよ、わたしには似合いませんって」
わたしが手を振ると、腹黒は強引にネックレスを付けてきた。
「え、ちょっ」
首筋に手が当たっている。ていうか近い! 近いから!
「ほら、似合います」
にっこり微笑まれて、一気に顔が熱くなるのを感じていたのだった。
結果、高そうなのに買ってもらい、わたしは帰り道腹黒に文句を言い続けた。
「副会長はなんでただの後輩に高いものを買ってあげちゃうんですか?」
「女性には優しくする主義なんです」
「そうやって、今までたくさんの女性が悲しんだことでしょうね」
「なぜそうなるのですか?」
これは……ゲームとは違うからフラグ立ってないよね?
* *
体育祭が明日に迫っているというのに、今日は今にも雨が降りそうな天気だった。みんな、空を見上げては心配そうな顔をしている。
わたしも、明日は晴れてほしい。あんなに準備を頑張ったんだから、ベストな状態で明日を迎えたい。
そう思っていたのに、午後になったあたりから小雨が降り始め、授業が終わるころには豪雨に近い雨になっていた。
…参ったな。傘、持ってきてないんだよね。
かばんを頭に乗っけて、駅までダッシュするしかない。
一応明日開催できるという前提で、生徒会と体育委員会は結構遅くまで残っていた。
その間に、少しは雨も弱まったけど止みそうな気配はない。
かといって、そういうことを口にすると生徒会の人たちは送ってくれそうだから、すぐそこまで親が車で来てくれてるんですと嘘をついて校舎を飛び出した。
信号で止まったとき、後ろから傘が差しかけられた。
振り向くと、柚島先輩。菫の婚約者さん。
「傘無いんだったら、言ってくれれば良かったのに」
わたしは曖昧に笑う。
「迷惑を掛けたくなかったので。…先輩は、車ではないのですか?」
御曹司なのに。
すると、柚島先輩は快活に笑った。
「僕、そういうの好きじゃないんだよね。自分の足で歩くのが好きなんだ。だから、いっつも電車使ってるよ」
「意外でした…」
わたしが呟くと、先輩は人懐っこい笑みを浮かべた。
「そう? ま、とにかく駅までは一緒に行こうよ。傘入れてあげるからさ」
「…ありがとうございます」
改札で別れた後、あれが相合い傘だったと気づいて、わたしは青くなった。
そんなイベント、なか…った、よね?
と、とりあえず明日は体育祭だ!
* *
氷野椿は、自分がゲームとは違うイベントを起こしフラグを立て、逆ハールートに入りかけていることに気づいていない。
彼女がそのことに気づくのはいつになるのか?
そして、体育祭ではどんなイベントを起こすのか?
――それは、神しか知らない。