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君に贈る求愛ダンス

作者: 一抹

 夕日が海の水平線へ傾いた頃、一日の仕事を終えた私がいつも向かうのは路地裏の地下1階でこぢんまりと営業している飲み屋『海猫亭』である。店に入っても「いらっしゃいませ」の掛け声もない無口で強面の大男が経営するこの店は、普段賑やか過ぎる職業に就く私の心を和ませてくれる空間なのだ。


「いつものと何かつまみを二品頼む」


 私がそう言うなり、無口な店主は手早くウィスキーのロックを作り、カウンターに座る私の前に差し出すと、小気味良い音を響かせ野菜を切り始める。

 ああ、癒される。私は女という性に生まれながら料理の才能には恵まれなかったが、誰かが料理をする姿を見るのが昔からとても好きなのだ。日本にいた頃は、作るでもない料理番組を予約録画し家に帰るとお酒を飲みながらそれを見るのを楽しみにしていた。




 思えば随分遠くまで来たものだ。日本にいた頃は『東邦歌劇団』という女性の役者だけで構成されたミュージカルやレビューを演じる劇団の中でも一番人気を誇る『蝶組』の男役トップスターとして活躍していた。劇団始まって以来の最年少で男役トップスターに抜擢され、芸名『真城こうが』として順風満帆な人生を歩んでいたのだ。

 2年前のあの日いつも通り舞台を終え、出待ちの女の子に手を振りつつ乗った車でうたた寝をし、気付いたらこの全く知らない世界にいた。

 ここで使えるお金や今夜泊まる所など、心配をすべき事はたくさんあった。しかし、潮風に誘われた私はとりあえず向こうに広がる海の浜辺へ歩いた。そこでしばらく揺れる波を見ていたのだ。

 そうして陽の光に煌く海をしばらく眺めていると、なにやら岩場の方から人の気配がした。そう、私には分かるのだ。微かに聞こえる足音が何かのステップを踏んでいるという事が。足音をたよりに岩場の陰を覗くと、一人の男が踊っていた。


 未知の世界の踊りだろうかと一瞬考えたが、彼の動作からするとどうやら創作ダンスのようだった。興味深く伺っているとバチリと男と目が合った。男の西洋風な顔つきから察するに、言葉が通じる可能性は低い。しかし私にはダンスがある。ダンスは言葉の壁を越えるのだ。

 私は踊った。まさに上演中の演目『TEISOU~愛の試練』から、レッドクリス伯爵がミレイ嬢に切ない劣情を訴えるシーンのダンスだ。

 踊り終えると男は泣いていた。そして「素晴らしい、素晴らしいじゃないか!」と彼は言った。驚いた事に日本語は通じたようだ。そして男は、私に一緒にダンスを考えてくれないかと切り出した。



 事情を聞くと、この国では女性にプロポーズをする時は求愛ダンスを踊らなければいけないそうだ。どうやら、この国の伝記によると求愛ダンスを踊るある鳥から生まれ変わった人物がこの国の始祖なのだそうだ。しかしこの国ではダンスはプロポーズの時のみで、娯楽としてのダンスは踊られることがないのだそうだ。そして伝統としての決まった求愛ダンスもなく、結婚を切り出そうという時、男達は焦って愛を伝える創作ダンスを考えるとの事だった。

 なんということだ。娯楽としてのダンスが栄えていないだなんて。

道理で先程男が踊っていたダンスは、単調で正直何の感銘も受けるものではなかった。



 私は男にダンスを教える代わりに、その間の宿泊費と食事代を貰うことにした。素人相手に一から教えるのはなかなか大変だったが、最後にはまあまあ納得のいく物になった。プロポーズは無事成功し、男の恋人は感激の余り「ウチは世界一の幸せモンになったんじゃあ~!」と号泣した。

娯楽の少ないこの街では男の一世一代のプロポーズをたくさんの人が見に来ていた。

 この国では見たこともないほど愛情豊かに表現された男のダンスは評判を呼び、私の求愛ダンスレッスンはあっという間に申込者が殺到したことは言うまでもない。



 と言う訳で、私のここでの生活基盤を手に入れたのである。更には、私は退団したら業界は決めていないが、某かの実業家になろうと思っていたのでその夢まで異世界で叶えてしまったのだ。今では遠くの町からもひっきりなしに悩める男達が私を訪ねてくる。

 しかし、いくらお客がこようと私のダンスは尽きることがない。平安時代のプレイボーイから断頭台の露と消えたロココの女王を一途に愛す男、アラブの義賊や常勝の天才として戦うスペースオペラまで私の立った舞台は数知れずアレンジを加えればダンスのバラエティーは無限にあるのだ。



 最近では、希望者には踊る時に合わせる歌や衣装のデザインも手がけている。日本にいたころと変わらず、毎日が忙しく充実している。

 しかし、私は時にむなしさも感じる。おそらく会う人全員におそらく私が女と認識されていないのだ。175センチを超える身長、日々のダンスで鍛えられた筋肉、男のように短い髪、そしてこのハスキーボイス。

 性別を聞かれることなどまずない。いくら男性の客が殺到しようと私の呼称は「求愛の兄貴」なのである。男役トップスターの年齢は決して若くない。10代の内に結婚する人が多いこの国ではもう絶望的とも言えよう。

 まぁ、こちらの世界でも女性にはモテるのが、せめてもの救いである。

 求愛の兄貴が誰からも愛されないのでは悲しすぎる。




*****





「もう一杯頼む」



 店内にはまだ私以外、客はいない。その言葉を待っていたように、空いたグラスが下げられ新しいウィスキーが静かに目の前に置かれる。

 カラリと、音楽のない静かな店内にグラスの氷が崩れる音が響く。続いて、店主が鍋のふたを開け、食欲そそる美味しそうな香りが店内にあふれる。ポトフだ、そう予想を立てていると、案の定美味しそうに煮込まれた野菜や干し肉の入ったポトフらしき料理が運ばれる。


 嗚呼、幸せだ。温かい料理が冷え切った心と身に沁み渡る。

先程までの虚しさが、食欲によって満たされていく。最近では目覚めると朝と言うぐらいお酒を飲んで帰るが、今日はあと一杯でやめておこう。これ以上、お酒に逃げるのでは蝶組トップスターの名が廃るというものだ。



 そして後から出て来た白魚のソテーをつまみながらゆったりと過ごし、今日最後の一杯を飲み干すと立ちあがった。


「店主、勘定を頼む」


 そう言って紙幣を何枚かカウンターに置くと、店主は一瞬驚いたように固まってから焦ったようにカウンターの中から飛び出して来た。


「ああ、今日は少し早いがもう帰る事にする。今日も美味かった、いつも感謝している」


 意識がしっかりしている今日は、美味しい料理の感想と感謝を言おうと声を掛ける。

 店主は一つ頷いてから、何故か出口へ続く階段を勢いよく駆け上がり扉まで到達すると、真っ赤に上気した顔で振り向き女の私が望んでも到底不可能と言える美しいテノールボイスで歌い出した。ああ、まるで久しぶりのオペラではないか。



“愛しの君!可愛い僕の野ネズミさんよ!

御日様が西へ傾くと、僕の胸が騒ぎ出すと云う摩訶不思議~

開店時間まで花占いしてみるのぉ、今日彼女は来る?来なぁい?“



 強面の大男が美しいテノールで歌う、何とも可愛らしい歌。フィナーレの大階段から降りるように悠々と階段を降りつつ踊る見た事もない渾身のダンス。

 ああ、女子はギャップに弱いと言うが、私も例に漏れないらしい。


 それにしても、この店にこんな素敵なサービスがあったとは。私と言う人間は今まで彼の踊る“ごきげんようのダンス”を酔っぱらって見逃していたのだ。

 お礼に私からも”サウンド・オブ・ミュージック”より『おやすみ、ごきげんよう』の歌を返礼として歌い踊り彼に応えた。





 それが彼の求愛ダンスだったと知ったのは、それから一週間程過ぎた頃だった。あの日から私はお店に行き帰る際に、毎度彼の”ごきげんようのダンス”をリクエストした。その度、店主はリクエストに応えてくれるので気付くのが遅くなったのだ。 


「求婚ダンスを踊り、それを受けてくれたものだと思っていたモンよ……」


 そう彼はしょんぼりと語った。

強面大男の肩を落としガックリとしている姿に、私の胸がまたズキューンと反応した。




 こうして異世界でついに出会えたのだ。

運命の相手に。私は満ち足りた。


 ところで、今まで男の独壇場だった求愛ダンスに、女性からの返答ダンスをする事がブームになり、私の仕事が更に増えたのはまた別のお話。









2014.5.2 別視点の短編をupしました。

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