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空木  作者: 越智和紀
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1.王城の兄妹 5

 部屋の中央の長椅子にユージェニーとアリシアが座り、そのそばにアーヴィングが立っている。

 女王の私的な客間であれば、世話をする侍従や女官、護衛の騎士さえも同室はしていない。

 身軽で気軽な第四王女であったユージェニーには平常でも女王然とした重々しさはあまりない。それでもここまでくつろいだ表情をしているのはやはり身内ばかりという気楽さだろう。アリシアがにやにやと口元に意地の悪い笑みを浮かべているところを見ると、ユージェニーはかなりしつこくアーヴィングをかまっているらしい。それでもアーヴィングが大人しく拝聴しているのは臣下の務めというよりも息子の義務だと思っているからだろう。

 ときどきユージェニーとアリシアの軽やかな笑い声が届くが、一方的にやり込められているらしいアーヴィングの声は、レーヴェとフェルディナンドには聞こえてこない。その程度には離れている。だが、だからといってこちらの話の内容がアーヴィングに聞こえてはいない、とはいえない。


「あいつの耳の良さは、いったい誰に似たものか」


 姿形も声も、その才覚さえも余すところなくその息子に受け継がせた父親は、自分にない息子の長所とも短所ともつかない能力に嘆息した。


「おちおち内緒話もできん」


 窓際に並ぶようにおかれた安楽椅子にレーヴェとフェルディナンドはそれぞれゆったりと腰を据え、静かに語り合っていた。ときどきアーヴィングがこちらに視線を向けていたのは、すべてではないにしてもその耳に二人の声が届いていたからだろう。


「アーヴィング殿に隠さなければならない話など、ありましたか?」


 フェルディナンドが肘掛けに身を凭れるようにしてレーヴェの側に頭を寄せ、レーヴェもまたくつろぐように姿勢を崩してこころもち体をフェルディナンドの側に倒して、一段声をひそめた。


「・・・あるな」

「はい」


 ゆったりとくつろいだ表情のレーヴェといつもと同じく穏やかな笑みを浮かべているフェルディナンドがともに酒杯を手に親しく語り合っているようにしか見えないだろうが、向かい合うようにはおかれていない椅子に座る二人の視線が交わることはない。


「セスがレーヴェ様の庇護を受け入れるとは思いませんでした」

「仕方あるまい。ファンベルクが持ってきた縁談を断ったのだ。あの男が次にどう出るかを考えれば、セスとてほかに手段はないだろう」

「ですが、ファンベルク卿がセスに縁談を持ってきたのはこれが初めてでもなかったはずです。セスが警戒するのもわからないでもありませんが、それならばレーヴェ様ではなく、アリシアでも私でもよかったのではないですか?」

「今までのような、断るに理由の必要ない有象無象ならば、な。ファンベルクめ、今回は自分の息子を持ってきた」


 ウィスタリア女王国において、貴族は王孫王族、また護国卿の、それぞれ孫まで、と規定されている。長い歴史の中で次第に護国卿家はその数を減らし、それにより貴族はどんどん減少していった。現在貴族階級に属するのは王孫王子でありマリアヒルフ護国卿レーヴェの子であるアーヴィングだけで、彼と王族三人以外は、王女の夫であるフェルディナンドも含めてすべて平民ということになる。

 しかし同じ平民であっても、家柄や財産、社会的地位がある上位層を、一般の平民と差別化して、貴人、と呼んでいる。王城に出入りを許されている者の多くは貴人で、自らの力でそう呼ばれるようになった者もいるがほとんどは代々貴人の家の生まれだ。貴人は、極端に少ない貴族を補い、王家国家を守り支え、国と同胞に尽くすことを高貴なる責務として自らに課している。称号と領地を与えられないだけで、その気概と自負は貴族に等しいといってもいい。

 ファンベルクは貴人だ。それも代々続く家で、途絶えた護国卿家――貴族に繋がる家系でもある。亡妻も同様の家から迎えており、その矜持は高い。

 セスは王立救護院の推薦を受けて女王宮に来たが、そもそも王立救護院は貧民層にも開かれた医療機関であり、また身寄りのない子供を保護する施設、孤児院も運営している。名乗る家名も持たないセスが親の知れない孤児であることを王城で知らぬ者はない。

 ファンベルクはすでに何度かセスに縁談を持ちかけているが、すべて断られている。それが知られていないのは当事者たちが口を噤んでいるからだが、ファンベルクにすれば屈辱以外のなにものでもないだろう。にもかかわらずアーヴィングの不在を前にして、自分の後を継ぐべき息子との婚姻を持ちかけてきた。


「確かに普通ならセスが断ることのできる話ではありませんが・・・」

「セスをアーヴィングから引き離す。セスを取り込んで俺を牽制する。まあ、そんなところだろう。もっともわざわざ俺を通してきたあたり、どこまで本気だったかはわからんがな」

「何のために。卿は気がついていて鎌をかけてきた、とも考えられますが、だとしたら、吐き気がします」

「それはないだろう。そういった動きは見られないし、セスに関する情報は制限してある。王立救護院に来る以前を辿ることはできない」


 そうですか、とフェルディナンドは小さく息を吐いた。


「フェルディナンド。もうひとつ胸糞の悪い話を教えてやろう」


 レーヴェの声は笑いさえ含んでいる。


「ファンベルクめ、息子がだめなら自分の後添えではどうか、とも言いおったが、驚いたな、どうもやつの頭の中では、俺とアーヴィングが二人でセスを、共有、していることになっているらしい」


 レーヴェの言葉にフェルディナンドの動きが止まった。


「・・・下種が」

「は。おまえらしからぬ言い草だな。だが、まったくもって同意見だ」

「ですが、そう思っているのならばなぜ縁談など。万が一にもレーヴェ様がお許しになられたら、あの選民意識の強い卿はいったいどうするつもりで」


 そこまで言って、フェルディナンドは、ふと、言葉を切った。


「・・・いえ。レーヴェ様、どのようにおっしゃってお断りになったのです?」


 ふん、とレーヴェは嗤った。


「セスは王家にとっても俺にとっても手放すことのできない大切な存在だ、と、事実をありのままに」

「わざと卿の誤解を煽られましたね」

「そしてやつの欲を煽っているのはお前だ。女系相続見直しの動きなぞ、ファンベルクを喜ばせてどうする。アーヴィングを狙わせるのはかまわんが、セスまで巻き込まれてこのざまだ」

「関係修復の良い機会ではないですか」

「馬鹿をいえ」


 レーヴェが杯を差し出し、フェルディナンドはそこに酒を注ぎ足した。二人の頭が近くなり、さらに声がひそめられる。


「王家の悲劇の際、卿はアリシアを手に入れぬまま先走り、失敗しました。二度はないのは分かっているでしょうから、今回は慎重に動くでしょう。そしてアーヴィング殿はたやすく卿の手に落ちるような方ではありません。その間アリシアは安全で、私たちは卿を追い込むために動くことができる。レーヴェ様もそう思われたから、私の動きを黙認されたのでしょう?」


 早い時期に王家に関わる危険に気づき、フェルディナンドはレーヴェに一再ならずファンベルクの強制的な排除を進言してきた。しかしそれが受け入れられることはなく、フェルディナンドはレーヴェと歩調を合わせるしかなかった。

 興味の赴くままさまざまな分野の学問を渡り歩いていたため、学者仲間は多くその分野は多岐にわたる。その交友関係を駆使し、レーヴェの求めるものを追い求め、ついに突き止めたのはフェルディナンドだ。その一方で、男性の王位継承の可能性を密かに煽り続けた。

 世俗の名声、地位権力に熱意が薄いフェルディナンドにとって、自分の妻が次の女王であることに意味はない。切望した相手が世継ぎの王女で、それを知ったからといって諦めることなどできなかったから、フェルディナンドは今ここにいる。わが道を行くことだけを望んでいた彼に政治にも統治にも興味がないのは間違いないが、その裏でレーヴェの意を受け王家を守ろうとしているのは、王家への崇拝や忠誠のためなどでは決してない。


「アリシアのため、か」

「アリシアは女王になりたいわけではありません。ですが、女王になる義務がある。私はアリシアを女王にしたくない。ですが、アリシアが自ら女王になるというのならば、アリシアを守ります。そのためならば誰を犠牲にしてもいい」


 レーヴェはフェルディナンドの杯に、酒を注ぎ返した。それを受けるため、フェルディナンドは体をレーヴェに向けた。


「あなたがなさったのと同じことです」


 フェルディナンドの視線を間近で受けることとなったレーヴェは、ふ、と目を細めた。


「違うぞ、フェルディナンド。お前はアリシアのためにアーヴィングを利用し、俺を利用するだけだ。それを知ったとて、アーヴィングは己の立場も役割も理解している、お前を恨むことはない。だが俺のしたことは違う。何の落ち度も咎もない娘を裏切り、踏みにじり、貶め、そして損なった」

「それでもセスはここにいるではありませんか」

「俺がそう命じたからな。生きて、ここに在れ、と」


 残酷だな、とレーヴェは自嘲した。


「俺が踏みつけにした娘が、俺の息子を支えとしている。俺を憎みながら、俺とよく似た俺の息子を慕っている。このままアーヴィングがセスの兄であり続ければ、それがセスには一番いいのだろうが」


 視線を転じれば、そこに自分に似た横顔を見せる息子がいる。母から受け継いだ髪と瞳の色以外はすべて父であるレーヴェをなぞったような息子だ。この息子を産んでくれたただ一人の妻を得るために足掻いた若い日が礎となって今のレーヴェがある。ならば息子もまた同じような道をたどるのかも知れない。


「ことは動き出した。これまでファンベルクに手を出せなかったのは俺の落ち度だが、取っ掛かりを掴んだ以上は速やかに切る。その時アーヴィングがセスを支える杖となるか、打ち据える剣となるか。・・・セスは支えられることを望むまい」

「望まれぬ献身を捧げ、相手をも苦しめる我々のように、アーヴィング殿もいつか苦しむのでしょうか」

「それほどに愛せる相手に巡り合えた幸運を、お前は苦しいというか?」

「いいえ。これほどの幸せはありません。だからこそアーヴィング殿には私たちと同じ側に立ってほしい。王子の子で女王の養い子、次代の護国卿にして王家の守護者。次代を継ぐのがアリシアならば、アリシアのためにもアーヴィング殿は王家に必要です」

「まったくお前は潔いほどアリシア一辺倒だな」

「それをお望みでしたでしょう?」


 フェルディナンドの返事にレーヴェは満足気に頷いた。


「まさに天の采配、女神の恵みだよ、お前は」

「畏れ入ります」

「あとは、早く子を生してくれれば言うことはない」


 こればかりは何とも、と苦笑するフェルディナンドに、俺が言えた立場ではないな、とレーヴェもまた苦笑で返した。


「すべてを託すことのできる相手の手を取るまで子を守ってやるのが親の務めだ。だが俺はセスからその父母を奪った。子の幸せを願わぬ親はいない。だが俺がセスの幸せを願うことは、セスにとっては偽善だろう。いつかアーヴィングに添うてくれれば、と思っていたが、それさえも俺のわがままだ」


 背の高いアーヴィングの横に小柄なセスが並ぶ姿は女王宮ではそれほど珍しい光景ではない。遠すぎず近すぎず、視線を合わせるのは両者とも少々首が大変そうだが、それでも親しげで楽しげな姿を見たことがある者は多いはずだ。そこに色恋めいた気配はないが、古参の女王宮勤めの者ならば微笑ましく、妙齢の令嬢方ならば妬ましく感じるものがある。

 フェルディナンドも、微笑ましい、と思う一人だが、同時に、その痛ましさを見ていられない。自分がしていることもレーヴェとどれほど差があるだろうか。ならばレーヴェ同様フェルディナンドがセスの幸せを願うのは偽善だろう。だがそれでも、アリシアのためならば躊躇いなく踏みにじることができても、フェルディナンドにもセスに対して情がある。


「やはりアーヴィング殿にお教えしてはいけないのでしょうか。知って、アーヴィング殿が変わるとも思えません」

「セス、というただの女はいない。だが、ただのセスであることがあれを支えるかもしれない」


 そんな日が来ないことを願う、と言った男の顔を、レーヴェは苦く思い出す。


「だとしたら、ここで、俺たちの中で、セスを支え得るのはアーヴィングだけだ。お前の言うようにアーヴィングは変わるまい。だがセスはそうではない。アーヴィングが知ったと知れば、アーヴィングがいかに手を差し伸べても拒むだろう」

「頑なですね」

「まったくだ。だがセスをそんなふうにしてしまったのは俺だ。ならばアーヴィングには知らぬまま、セスに頼りにされたまま、そのセスの頑なさを解いてほしい。・・・笑うな、フェルディナンド」

「いえ。まるで、恋人を他の男に託そうとされているようで」

「男親の娘に対する心情など、永遠に叶わぬ片恋と同じだ。ところが託したい男はあてにならず、あまつさえそれが自分の息子だという、この不甲斐なさがお前にわかるか。これほど馬鹿げた茶番をお前とわざわざやっているというのに肝心のところであいつには聞こえておらんぞ」

「・・・そのようですね」

「だから不甲斐ないというのだ」


 ユージェニーが肩を竦め、アリシアが追い払うように手を振った。アーヴィングがユージェニーとアリシアに頭を下げ、一歩引く。それを見てレーヴェとフェルディナンドも席を立った。


「では、私は少しアーヴィング殿とお話を」

「言うなよ」


 是、と答えるフェルディナンドをおいて、レーヴェは女王と王女のもとへ向かった。



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