1.王城の兄妹 4
赴任前のこの忙しい時に、と口にすれば非難を浴びそうなことを思いながらも、セスに泣かれアリシアに叱られては放置しておくわけにもいかない。どうにか令嬢方を納得させた。勝手に思いを募らせていた者はともかく、多少なりともかかわりのあった相手には泣かれたり恨み言を言われたりしたが、気持ちの醒めてしまったアーヴィングにはその口説きも届かない。最後には皆諦めてくれた。まあ、いい機会ではあったというべきだろう。
セスにはかねてより言ってあったことを再確認させた。
不本意にも男に言い寄られたら、その向こう脛を蹴飛ばしてでも逃れるように。仮に誠実で好感の持てる男であってもすぐに靡かず、必ずアーヴィングにその人物を検分させるように。俺が認めない男との交際は許さん、と自分のやっていたことを棚に上げておいて、まるで年頃の娘を持つ父親のような言い分ではあったが、セスは、はいはい、と笑って肯いた。
赴任の準備も整い、新しい守護隊の制服には隊長の肩章と王城騎士であることを示す襟章がつけられた。荷物には女王からの餞別も入れた。
出立を数日後に控え、女王の食堂で食事会が催された。女王主催で、主賓はアーヴィング。出席はレーヴェとアリシアとその夫フェルディナンド。内輪の食事会だから簡単なものだけにさせたのよ、と女王が言い、料理が運び込まれた。
「今日の料理はセスの作よ。アーヴィングへの餞だから気合が入ってるわよ」
しかし給仕をするはずだったセスはいない。王立救護院から急遽治療師の応援を求められ、料理を仕上げるとすぐに行ってしまったのだという。先のアーヴィングの不在の際よく手伝いに行って以来どうもあてにされているらしい。
「あの子、腕がいいから」
ユージェニーの言葉に全員が頷く。
「馬車で行かせましたか? 誰かつけてやりました?」
気遣わしげにアーヴィングが聞いた。
「もちろん馬車で行かせたわよ。あんまり遅くなるようだったら救護院に泊まるように言ってあるわ、本人は帰ってくるつもりみたいだけど」
ほっとした顔のアーヴィングを見てアリシアが笑った。
「過保護ねえ」
「悪いか。俺は心配なんだ」
溜息と共にアーヴィングが言った。
「しっかりしているんだかぼんやりしているんだか、隙だらけで心許ない。変な男に引っかからないように気をつけてやってください」
「あなたに言われるんじゃ、セスもたまんないわね。隙だらけの馬鹿男」
いつもどおり取り付く島もないが先日のような険はない。それがわかっているからかアリシアを止める者は誰もいない。ただフェルディナンドだけが苦笑している。
「セスはあれで慎重な女だから滅多なことはあるまい。俺とて自分の庇護下にある女にいらぬ手出しをする者を許す気もない」
「・・・レーヴェ、楽しそうね」
「ああ、楽しいぞ。これで堂々と親代わりとしてセスをかまえるからな。アーヴィング、お前、半年といわず何年か帰ってくるな」
満足げなレーヴェの言葉にアリシアが「おじ様、ずるい」と抗議の声を上げ、無情な言葉を投げられた実子はやれやれと息を吐いた。
「それなら最初から養女になさればよかったではないですか」
「馬鹿なことを。娘にしたら嫁に出さねばならんだろうが。どこの馬の骨ともわからん男にセスをやれるか。セスは俺の手元に置いておく」
「・・・父上」
アーヴィングとてセスを誰かにくれてやるのは業腹だと思うが、いずれ時が来ればセスにだって望み望まれる男が現れるはずだ。その時この父はどんな対応をするか。アーヴィングはいつか現れるだろうその男を気の毒に思った。
「それでもいつかは嫁に行きますよ」
その一言に全員が一様にわずかに苦い表情を浮かべたが、アーヴィングはそれに気づかなかった。
食事会の後には女王の私的な客間に移った。
アーヴィングは窓際でフェルディナンドとともに、部屋の中央に据えられた長椅子でくつろぐユージェニーとアリシア、そして二人のそばに立つレーヴェを見ていた。
先ほどまであそこで二人の相手をしていたのはアーヴィングだった。半年とはいえ手元を離れる養い子を惜しむようにかまいたがるユージェニーにかなり根気よくつき合ったつもりだが、そのうち気もそぞろになったのを気づかれ、苦笑と共に追い払われたのだ。
何がアーヴィングの気を引いたかといえば、レーヴェとフェルディナンドの会話だ。低い囁き程度にも届かない声もアーヴィングの耳は言葉として拾うことができる。「地獄耳」と呆れられることもあるが、それほどではないにしても人よりは耳がいい自覚はある。当然レーヴェはそれを知っている。
「父上もお人が悪い。呼んでくだされば陛下も放してくださるものを」
「それではレーヴェ様が陛下のご機嫌を損じることになりますからね」
「ああ。それは確かに面倒そうですねえ」
これまでに被ったさまざまなユージェニーの不機嫌の余波を思い出して、しみじみといったアーヴィングにフェルディナンドは小さく笑った。
「殊に今回のあなたの任地については陛下はかなり難色を示されました」
「・・・それで、あの餞別ですか」
「やはりお気づきでしたか」
十分に鍛えられてきたとはいえ経験の少ない王城騎士の最初の地方勤務に難しい地域を割り当てられることはない。だがそれでも、期待の精鋭、将来の有望株と言われるアーヴィングの任地がさしたる問題もない安定した王都近郊であるのは不自然であった。女王の養い子かわいさ、あるいは、護国卿継嗣への配慮であろう、と大方は見たようだが、そんな甘い養母と実父、女王と王子であるはずがない。それでもユージェニーが危惧したというのならば。
「ファンベルクに繋がる、と?」
お耳のいい、とくすりとフェルディナンドは笑った。彼もまたアーヴィングの耳の良さを知っている。おそらく聞かせるつもりだったのだろう、とアーヴィングは思った。
学者志望であったというこの男はアリシアの夫として王家の一員となった今では少ない王族、ことに一人しかいない男性王族であるレーヴェが女王の騎士となっていることもあって、それを補うべく公務を分担している。執政府内にも席があるが、学者として明晰な頭脳はかならずしも実用向きではないらしく、名誉職のような扱いだ。結果として彼は王城に来るより前と同じく好奇心の赴くまま学問に勤しんでいる。
また世継ぎの王女の夫として彼に課された最大の責務であるはずのアリシアの懐妊は、結婚後四年を経てもいまだなされていない。
それでも表立って彼が非難されないのは、その、すべてにおいて穏やかで控えめな身の処し方によるところも大きい。
容姿も物腰も言動もおそらく性格も穏やかで、言ってしまえばそれしか特徴のない男。それが王城でのフェルディナンドの評価だ。勝ち気で時にきつい言動も見られるアリシア王女には適した夫、と見られているのを、フェルディナンド本人も承知している。
「今回あなたにお願いした件、レーヴェ様はこれを足掛かりに本格的にファンベルク卿を排除なさるおつもりです」
ようやく、とアーヴィングは小さく呟いた。
「そうおっしゃいますな。本当に証拠が見つけられなかったのですから如何なレーヴェ様といえど手の下しようがなかった。今回あなたの赴任の前につかめたのは私たちにしてみればこれ以上ない僥倖です」
エロール・ファンベルクは隠れた王家の敵だ。
かつて彼が王女たちを求めたのは王家への憧憬でも王女たちへの恋情でもないのは明らかだった。アリシアの夫にと親族の男を勧め、それが現実味を帯び始めた時、次々と王女たちが亡くなったのははたして偶然だったのか。
王女たちの死因が判然としないまま時間だけがいたずらに過ぎていったが、王家の徹底した原因究明にもかかわらず不明のままであったことが却って王家の抱く疑いを濃くした。
アーヴィングの覚えている限り、王女たちはみな一様にファンベルクを嫌悪していた。言葉にも態度にもあらわされることはなかったが、抜きがたい悪感情を向けられる当人は感じていたはずだ。だが、嫌悪するならば王家はファンベルクを遠ざけることも可能だったはずなのに、ファンベルクは王城に在り続け年と共に地歩を固め、そして王女たちはいない。
アーヴィングは王家の悲劇のさなかにレーヴェの放った憤怒の一言を聞いている。
―――あの野郎。あの時殺しておくべきだった――
確たる証拠はおろか、ファンベルクに繋がると思しきどんな小さなかけらも見つけられなかった。それでもレーヴェの中で一連の悲劇はファンベルクによるものと確信されていたのだ。
だがどれほど疑わしくとも確たる証拠がない以上断罪はできない、王家がファンベルクに対してよい心証を持っていないことが周知であるならなおさらに。
レーヴェの第一義は王家の安寧だ。王家が独断専行すればいつかそれは負の形で跳ね返ってくる。目の前の障りを取り除くことで後の禍の種を播くわけにはいかない。それをもって王家の、レーヴェの弱腰と見る者もいたが、レーヴェは公正に、誰の目にも明らかな形で決着をつけることを望んだ。
王家の悲劇から五年、レーヴェが必死に探し求めていたものにようやく手が届こうとしている。
「責任重大ですね」
「あなたが仕損じるなど、私たちは思っていませんよ」
穏やかにフェルディナンドは微笑み、視線を三人の王族に向けた。
「事が成れば、お二人にお子も授かりましょうか」
ユージェニーの女王即位以後二人が寝室を共にすることはなくなった。レーヴェがユージェニーとの結婚を拒んだこともあり関係は終わったのかとも思われたが、それでも互いに寄り添うのを他に譲る気はないらしい。
ならば憂いが除かれたならば二人はまた以前のように戻るのだろうか。アーヴィングにウィスタを名乗る異母弟妹ができるだろうか。
長く関係を続けていながらついにユージェニーは身籠らず、アリシアもまた然り。今王城ではひっそりと女性優先相続の見直しが囁かれている。
「やがてファンベルク卿もこちらの動きに気付くでしょう。あなたがお戻りになる頃には卿の令嬢も成人していますし、あなたの周辺も騒がしくなることでしょう。言うまでもないことですが、私たちはあなたが共に並んでくださることを望んでいます」
「ご期待に添えるよう努力いたします」
「お待ちしています」
「アリシアを、お願いいたします」
「もちろんです。・・・あなたはあの時もおっしゃいましたね、アリシアを頼む、と」
言われてすぐに分かった。四年前の舞踏会の夜、逃げるアリシアを追ってきたフェルディナンドに、アーヴィングはアリシアを託した、姉を頼む、と言って。
「あなたがアリシアを姉とおっしゃるならあなたは私の弟です。そのあなたがセスを妹だというならセスはアリシアと私にとっても妹です。及ばずながらもこの愚兄も妹を守りましょう」
「フェルディナンド様」
「セスは幸せになっていい娘です。つまらぬことに巻き込まれて泣くようなことがあってはなりません。陛下やレーヴェ様にはできないことも、私とアリシアならばできるかもしれません。あなたには及びませんが」
手にした酒杯が二人ながらに空に近いことに今更ながら気付いたフェルディナンドはどちらにも酒を注いだ。
「・・・お待ちしていますよ、お父上と私は。あなたが共に並んでくださる日を。そして私たちと同じ喜びと苦しみを知る日が一日も早くあなたに訪れることを。・・・これが私の餞の言葉です」
そう言ってフェルディナンドは酒杯を掲げた。
その夜そのままセスは女王宮には戻らず、その後も女王宮と王立救護院を頻繁に行き来していたようだった。アーヴィングはろくにセスの顔を見ることもないまま、出立の日を迎えた。
王城錬兵広場の大階段の上には王族をはじめ、執政府首脳陣、王城騎士団、女王国守護隊の幹部らが連なっている。
それぞれ時期をずらして出立するため見送られる王城騎士より見送る側のほうが多く、見送る側にとっては非効率この上ないはずだがそれでも簡略化も効率化もされないのは、それだけ王城騎士への期待が高いからだ。
殊に今回はアーヴィングがいる。練兵広場には入れなくとも遠巻きに様子を窺う者の姿も少なくはなかった。良くも悪くもアーヴィングは常に人の目を集めずにはいられない。期待も羨望も妬みも悪意も熱も、ありとあらゆる含みを持たせた視線を向けられるのには慣れている。それらに囚われた時期はとうに過ぎた。視線をあげれば守るべき主がそこにいる。
初めて指揮官として軍務に就く若い王城騎士たちを、儀礼にのっとり、女王は大階段の上に立ち、祝福をもって見送った。
錬兵広場の門をくぐり、王城を一歩外へ出ると沿道には、若き王城騎士を見送ろうと人々が花を撒きながら歓声を上げている。王城騎士はウィスタリア女王国の将来の指導者候補だ。自分たちを守りやがて導いてくれる王城騎士は人々にとって仰ぎ見る存在で、ましてやまだ若いとなれば期待も大きい。人数が少なくとも見送る人々は決して少なくはない。歓声の中には家族や友人だろうか王城騎士の名を呼ぶ声も聞こえる。
アーヴィングを見送ってくれる家族はみな錬兵広場の大階段の上にいた。沿道にはいない。結局今日もセスは王立救護院へ行っているらしい。
俺に花を撒き、声をかけてくれる者はいないな。
何やら物足りなくもあったが、それでも見知った顔がいくつかあり、手を振ってくれたことに満足した。
やがて沿道の見送りの人々の姿も途絶えるほど進んだとき、アーヴィングは一人佇む女の姿を見つけた。小柄で華奢で、赤みの強い金髪の、見慣れた姿。
王立救護院からは王城に戻るより、ここに来たほうが近い。さらさらとした髪が少し乱れ、頬が紅潮し、息が弾んでいるように見えるのは、走ってきたからか。
アーヴィングはそっと指を唇に当て、そしてセスに向かって小さくくちづけを投げた。たちまち見ていておかしくなるほどセスの顔が真っ赤になった。
行ってくる、と目線と微笑みだけで語ると、セスも半分泣きそうな顔になりながら微笑み、そして唇が動いた。
「行ってらっしゃいませ。ご無事のお帰りをお待ちしています」
人よりはよく聞こえるアーヴィングの耳にはセスのそんな声が届いたような気がした。




