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空木  作者: 越智和紀
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1.王城の兄妹 2

 今日女王宮を訪れたのは、女王に呼ばれたからだ。アーヴィングの地方赴任を前に、近頃はよく呼ばれる。

 母親というのはこういうものだろうか、とアーヴィングは考える。

 実の母を幼い頃に亡くしたアーヴィングを育てたのは、女王だ。そのときはまだ王女だったが、アーヴィングが王城騎士になる直前まで母代わりだった。


 ジェニおばさん、とアーヴィングは呼んだ。そのたびに「ジェニお姉さまとお呼び」といわれたが、そのときまだ二十歳をいくつも過ぎていないユージェニー王女は確かにおばさんと呼ぶには若すぎた。

 成長に伴い、やがてユージェニー王女が父の妻、自分の継母になるだろうということを感じていたが、それを拒む理由はアーヴィングにはなかった。アーヴィングにとって母は、記憶も朧な実の母ではなく、ジェニおばさんだったからだ。

 しかしユージェニーはついに父の妻となることなく、女王になった。


 従兄妹で恋人であったユージェニーと父は今では女王とその騎士だ。アーヴィング自身も王城騎士になり臣下であることを明確にしたがそれでもアーヴィングにとって母であることに変わりはない。母に呼ばれれば息子である自分は応じる。そこには父もいる。それが女王の居室であっても、そこはアーヴィングにとって家族の場だった。



「半年は長いわねえ。あなたみたいな馬鹿息子、外に出したら、私、心配で白髪になっちゃうわよ」


 自ら煎れた茶を父と息子に勧めながら、ユージェニー女王は深く溜息をついた。

 父は、くくっ、と押し殺した笑いを漏らし、息子は困った顔をした。


「アリシアも俺を、馬鹿男、と呼びますよ。どうも王族の女性方に、俺は受けが悪いようで」


 アーヴィングは世継ぎの王女の名を口にした。アリシア王女は女王の姪、そしてアーヴィングのまた従姉にあたる。幼い頃から共に育ち、姉のようなものか。


「ほんとに馬鹿なんだから仕方ないでしょ。アリシアも心配してるのよ、あなたの馬鹿が広く知れ渡ったらどうしようって」


 押し殺しきれないレーヴェの笑いが大きくなる。アーヴィングは、父上、と困った声で呼んだ。


「女というのは身内の男には甘いというがな。うちの一族は違うらしい。俺も昔、従姉妹たちにかなり言われたぞ」


 くすっと女王が笑った。


 ユージェニー女王はやがて四十歳の声を聞くが、まだまだ若々しい。赤みのかった金髪をゆったりとうねらせ、まとめることなく流して、今日は男装している。だが、その豪華な美貌は男装することでかえって際立っている。

 その従兄にして女王の騎士、アーヴィングの父レーヴェは淡い色味の金髪、端正で男らしい面立ち、広い肩、厚い胸、引き締まった体と、息子が見惚れるほどだ。

 父や女王とは違い暗い色の髪を持つアーヴィングの容貌は父にそっくりだったが、まだ青年期にあるアーヴィングに父ほどの偉容、貫禄はない。


「まあ、上に立つ者が馬鹿で苦労するのは部下たちだ。せいぜい励んで迷惑をかけるなよ」


 父はすました顔でそう言うと、女王が煎れた茶を口にした。父にまで言われ、アーヴィングの口はへの字に歪んだ。


「皆で俺を馬鹿と言うためにお呼びになったのではないでしょう?」

「もちろんよ。馬鹿でも可愛い息子だもの、いろいろ心配なのよ。でも、まだ帰ってこないのよね」


 何が?と言いかけ、茶請けの菓子を勧められた。木の実入りの焼き菓子だ。勧められるまま口にすると、穏やかでやさしい味がした。


「セスですね?」

「あら、よくわかったわね。さっき王城へ行かせたんだけど、遅いわねえ」

「いや、この焼き菓子・・・」


 アーヴィングの言葉に女王も父も、笑った。


「いやだ。そのこと? そうよ、それはセスが焼いたのよ。また腕を上げたでしょ?」


 咀嚼しながらうなずく。セスは菓子作りだけでなく料理全般がうまい。時に女王の要求に応え、厨房に立つこともある。女王や父の相伴に預かり何度か口にしたことがあるが、女王宮や王城、王城騎士団の棟の料理人が作るよりアーヴィングの好みに合う味だった。


 さっきは女王の用で王城へ行くところだったのか。そこを令嬢の一人に捉まって・・・と思い、我知らず眉を顰めた。何を言ったのだ、セスに。そもそもの原因は自分であるのだが、その時々には愛らしく好ましいと思えた女たちが何やら急に疎ましく思えた。

 アーヴィングの表情に、女王が、何?と訝しげな顔をしたとき、控えめに扉が叩かれ、遅くなりました、とセスが入室してきた。頬がやや紅潮し、息も少し弾んでいる。走ってきたらしい。両手で籠を抱え、にこにこと笑っている。


「ああら、ずいぶんと大量ね」


 驚く女王に、陛下のご要望どおりですよ、と笑って答える。脇のテーブルにその籠を置き、かけてあった覆いを外すと、そこには小さな瓶がたくさんあった。


「アーヴィング、これは餞別よ」


 楽しそうに女王が言う。

 は?と怪訝な顔をすると、父がまた笑った。女王はふふん、と笑って、薬一式よ、と言った。セスがいちいち薬の説明を始める。頭痛、腹痛、食あたり、水あたり、不眠に胃もたれ、悪寒などなど・・・。

 赴任地の施設には医師も薬師も常駐している。わざわざ持って行く必要があるとも思えない。次々並べられる薬の瓶を、呆然と眺めた。


「馬鹿につける薬はないか、と言い出したのがはじまりだ。セスに準備させた。持って行け」


 父が笑いながら言った。


「また俺で遊んでおいでますね、陛下?」


 憮然と言うと、女王はにやにや笑いを浮かべた。


 「馬鹿につける薬はないそうだけど、薬なんてあって困るものじゃないでしょ? 子供の頃はやれおなかが痛いだ、気持ちが悪いだ、しょっちゅう言ってたじゃない? 上に立つ者が医療室通いじゃあ格好つかないでしょ。セス特製だから効きはいいわよ。持って行きなさい」


 今では薬の世話になることはほとんどないが、子供の頃の話を持ち出されると、頭が上がらない。はあ、と溜息ともつかぬ返事をして礼を言ったら、部屋の隅でセスが笑った。


 機嫌のいい風で、にこにこと笑みを浮かべている。それがいつのものセスだ。だが、アーヴィングはさっきセスの感情の爆発を見てしまっている。今見ている笑みに嘘が含まれているようで、素直に見ることができない。

 退室しようとしたセスに、後で話がある、と言うと、やはり笑って、はいアーヴィング様、と出て行った。見送る自分の眉間に皺がよっているのが、今度は自覚できた。


 しばらく三人で言葉を交わして、出立の前にアリシア王女夫妻も呼んで一緒に食事をしようと話がまとまったところで、アーヴィングは女王の居室を辞した。

 父が扉の外まで一緒に来て、俺も餞別をやろう、と言った。父も長身だが、それでもアーヴィングの方が頭半分ほど背が高い。


「セスに縁談が来た。持ってきたのはファンベルクだ」

「それは」


 令嬢方の勘違いや嫉妬などかわいいものだ。セスを狙う男たちの思惑も父絡みなら気にするほどもない。だが、ファンベルクが絡むとなると。

 軽く言われたその言葉に表情が厳しいものに変わる。それを見ていた父に軽く肩を叩かれた。


「もちろん断っておいた。ファンベルクが何を思ったかは想像がつくが、まあ、おまえのせいだな」


 ふふん、と鼻で笑い、父は女王の元へ戻っていった。





 王女であっても四番めとなれば自分が女王位に就くことなどユージェニーは想像もしていなかったろう。それが相次ぐ姉妹の死によってもたらされたとき、ユージェニーは混乱した。

 ことに妹王女が無残な帰還を果たした時の取り乱しようはひどく、どう取り繕うこともできないほどだった。

 男勝りでその豪奢な髪とも相まって「獅子のごとき」と称えられ、光り輝く存在感を放っていた誇り高い王女の姿はそこになく、狂乱するだけの女王の姿は王城の人々の目にどう映ったか。


 ユージェニーが落ち着きを取り戻すより前に、レーヴェを宰相に、と望む声が上がる。すでに執政府内で確固たる地位を築いていた実力者の王子を実質的な王に望んだのだ。さらに長く恋人同士と周囲に認知されている女王との結婚を求めた。

 だがレーヴェはそのどちらにも諾わず、女王の騎士となった。

 武官として女王の身辺を守り同時に側近として女王の政務を補佐するのが女王の騎士だ。文武ともに優れ女王の信頼の篤い王城騎士がその任に就くのが通例だが、レーヴェは王子で女王の恋人で今や王家の長老だ。当然のように反対や抗議が沸き起こったが、女王のそばで女王を支えるのだから同じこと、とレーヴェは一蹴した。


 同じではないだろう、とその時アーヴィングですら思った。

 人は見える形で安心を得るものだ。女系相続の王家でなければ、代王が歓迎されない先例がなければ王であったろう、それだけの力と威容を持つ王子が宰相としてでも王配としてでも表に立てばそれだけで人心は治まるだろう。ましてやユージェニーの狂乱を見た後ならばなおさらに。


 一時の狂乱が過ぎればユージェニーはその母や姉がそうだったように毅然とした女王になった。女王の騎士といいながらレーヴェの発言権は宰相よりも強い。


 だがユージェニーの女王としての脆さは人々の印象に残った。人々の不安を置き去りに我を通したレーヴェに不満を持つ者が生まれた。


 ひっそりと囁かれるそれらをやわらかく窘め、止めたのがファンベルクだ。


 代々文官として王城に勤めてきたファンベルク家だが、当代ファンベルクはおそらく歴代の中で最も優秀であるだろう。執政府内でも実力者であり宰相の筆頭補佐としてひそかに「副宰相」などと呼び慣らされている。

 そのうちに本当に副宰相位を要求してくるかもしれない。

 ユージェニーとレーヴェへの不満を窘めるなど王家の忠実な臣である風に見えるが、その実不満や疑念を持つ者たちをいつしか取り込んでいた。今やファンベルクとそれに与する者たちが執政府に占める数は侮れるものではない。


 かつて王家の悲劇といわれる王族の相次ぐ不審死があったとき、世継ぎとなったアリシア王女の夫に親族の男を推していたのはファンベルクであった。悲劇の混乱の中にその話は立ち消えたのだが、不確かな噂によれば昔ニギディア女王の王女たちに再三にわたり近づこうとしていたという。

 アレクサ王女は独り身を宣言していたし、ユージェニー王女はレーヴェ王子に固執していた、トリニティ王女に至っては行方不明だ。結局やはり代々王家に仕える大家の令嬢を妻に迎えたが、次の代であるアリシアにまで、と古い話を知っている者たちは呆れた、とも聞く。

 それを権勢欲を伴った王家に対する憧憬だ、と言うほどアーヴィングも楽観的ではない。

 不正に携わることなく彼を貶めたい者につけ入る隙も与えない清廉潔白さは賞賛すべきだが、ときおり見え隠れする民の存在を忘れたようなファンベルクの姿勢は、地位や名声を求める者のそれであるようだ。


 そうやって上ってきたファンベルクがアリシアの次に求める者は。


 ニギディア女王の死から立て続けに王族が亡くなった。それから六年間穏やかに過ぎたが再び同じことが起きないとは限らない。一度あったことだ、二度とないとは誰にも言い切れない。口には出さずともウィスタリア女王国の者はみなそれを恐れている。


 もしも起こってしまったら。その時、最後に残ったのがレーヴェならば。


 女王の恋人ではあるがレーヴェは独身だ。二十歳を過ぎた息子がいるとはいえ後妻を迎え子をなすこともできる。そしてその息子もまた独身。

 代王レーヴェの妃になるか、世継ぎのアーヴィング王子の妃になるか。狙われているのは老練な父ではなく自分だという自覚はアーヴィングにはある。


 ファンベルクの娘は今年成人する。


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