1.王城の兄妹 1
女王宮へ行こうと中庭に出たら、物陰から女の話し声が聞こえた。何やら切羽詰ったような口調と困ったような声。
片方の声はよく知っている。声の聞こえる方をひょいと覗いたら、やはり、いた。なじみの顔が。
「どうした?」
のんびりと声をかけると、一方ははっと驚いたように強張り、もう一方はほっとしたような顔をした。
「アーヴィング様」
なじみの顔が少し引きつった笑みを浮かべた。もう一方の女性はごく最近見たような気がするがとっさに名を思い出せない。アーヴィングの顔を見て強張ったまま、赤くなったり青くなったりしている。
「これは失礼。いかがなさいました?」
服装からして王城や女王宮で仕事を持つ者ではなく、王城に出入りを許された家の令嬢らしい。非礼を詫び、その様子を気遣うと、何やら言葉にならない一言二言を残し、アーヴィングに一礼して走り去って行った。
「何だ?」
呆れたように言うと、残った女が大きく溜息をついた。
「何だ、じゃありません。お気の毒な犠牲者がまた増えました」
そういうとアーヴィングの手に一通の手紙を押し付けた。封筒の裏にある名前を見て、ああ、と思い出す。先日少し言葉を交わした令嬢だった。
さらに二、三通の手紙を渡される。覚えのある名前もあればそうでない名前もある。やれやれ、と苦笑すると、目の前の女に睨まれた。
「アーヴィング様が地方勤務に就かれるというので、お嬢様方が慌てていらっしゃいます。私はお手紙の取次所ではありません」
「すまん」
「そう思われるのなら、ご自分で女の方たちにおっしゃって下さい。すみません、ちょっとした遊びでしたって」
女というより少女といった方がいいような風情のその娘は、とげのある言葉を投げつけると、アーヴィングとは反対方向、王城の方へ歩み去ろうとした。
ちょっと待て、と引きとめ、そういういい方はないだろう、と、だが笑顔でたしなめる。
「じゃあ、本気なんですか?」
肩越しに睨まれ、苦笑した。
もうすぐアーヴィングは王城騎士として地方勤務に赴く。任地は王都に近い地域で、任期は半年。その間王都には戻らない。
半年は長い。殊に妙齢の女性にとっては。
アーヴィングは女性に人気がある。王城騎士団でも期待の精鋭といわれ、堂々たる体躯の王城騎士たちの中にあっても飛びぬけて背が高く、容貌も際立っている。また近年では執政府内での評価も上がりつつある有望株だ。さらに、王族レーヴェ・マリアヒルフの一子として王族に連なる血を持ち、現在王族以外で最も王家の血が濃い。それを除いても護国卿マリアヒルフ家の継嗣として輝かしい未来が待っている。アーヴィングが自ら動かなくとも寄ってくる女性に事欠くことはない。また彼の人好きのする笑顔や女性に対する態度がそれを向けられた女性たちに妙な期待を持たせたり、勘違いをさせてしまう。
それらの女性たちがアーヴィングの長期不在を前に、慌てて約束を取り付けたいと思っている。あるいはかねてよりアーヴィングにひそかな想いを抱いていた令嬢方も切迫した気持ちでいるのかもしれない。いずれにしても女性たちは悲壮な覚悟で手紙をしたためている。
だが、日々の勤務に、鍛錬に、赴任の準備にと忙しいアーヴィングに、直接それを渡せる機会はなかなかない。そうして、今アーヴィングを睨む娘にことづけることになるのだ。
「アーヴィング様を見ていると、男性不信になりそうです」
困り果てたように娘は言った。
長身で、しなやかだが鍛えた体格のアーヴィングに対して、娘は同じ年頃の他の娘たちに比べて小柄で華奢だ。今十六、七歳くらいのはずだがもっと年下の少女のように見える。しかし、これでこの娘は優秀な薬師で治療師で、かつ女王の信頼篤い女官でもあるのだった。
「今日はまだこれだけですが、毎日なので、もう何通お渡ししたかわからなくなりました」
「すまん。面倒をかける。だが、何でみんなお前に渡すんだ?」
「存じませんよ。中には私を睨みつけていかれる方もおいでて、何を勘違いなされているのか・・・」
はああ、とまた大きく溜息をつく。それに、ううむ、と唸りながら、睨みつけた女たちの気持ちがわからないでもないような気がした。
アーヴィングと娘は気が置けない仲だ。
最初は実の妹かと疑ったこともあって複雑で屈折した感情からよくいじめて泣かせたものだが、今では逆に本当の妹のように思っている。いや、娘には言ったことはないが、敬意を抱いているし感謝すらしている。女王宮で働く身寄りのない娘を何くれとなく気にかけ、保護者のつもりでもいる。娘もそれを知っているから兄のように慕ってくれている。遠慮なく言い合い、笑いあう。実際アーヴィングはこの娘と一緒にいるときほど他の女性とは笑うことはないし、くつろぐこともない。傍から見るとあまりに親しすぎる、と勘繰る者もいるかもしれない。
そうではないのだが、と思う。妹は恋愛の対象にはならないが、愛しい者ではないか。強く欲することはないが、常に守ってやりたいと思う者ではないか。変に邪推されても困るのだがなあ、と口の中でもごもごつぶやくと、ちらりと娘に上目遣いで見られた。
「ともかくご出立までにどうにかなさってください。このままではアーヴィング様がご出立された後、お嬢様方のお怒りが私に向いてしまいそうです」
うう、と唸り、わかった、と渋々返事をする。
「できる限りのことはする。お前のことは女王陛下と父上に頼んでいくから、それで許せ」
娘の口がへの字に歪んだ。
「ご自分で播かれた種でしょう? ご自分で始末なさいませ。それに陛下とお父上様が出てこられたら、また変な噂がたって、それはそれで迷惑です」
ぴしゃりといわれ、また唸る。
自分が娘を父の子かと疑ったように、周囲も同じ疑いを持ったことがある。自分はすでに疑ってはいないが、周囲はそうではないだろう。月日と共に噂も消えつつあったが、まだ完全に人の記憶から消えたわけではない。再燃すれば、娘は男たちに狙われる。アーヴィングに女性が寄ってくるのと同じ理由だが、本当の少女であったときから娘はそれで苦労したのだ。
妹なら想い人ではないし、想い人なら妹ではない。だが、妹でも想い人でもない、とどうして誰も考えてくれないのか、と呆れるが、大声で言って回るわけにもいかず、結局自分で女性たちを納得させるしかないのか、とぐったりとした。
娘がちらりとアーヴィングを見た。
「本当に、レーヴェ様のお子とは信じられません」
むっとして娘を睨んだ。
「俺のこの顔を見て、父の子ではないとよく言ったな。そっくりだろうが」
「姿形ではありません。レーヴェ様は女王陛下お一人にお心を捧げておられるのに、アーヴィング様ときたら・・・」
「ほう。では俺の母の立場はどうなる? 父が母を娶ったのは気の迷いか?」
「そんなことは言っておりません。レーヴェ様が奥方様を心から愛しんでおられたお話は聞いております。そうではなくて、レーヴェ様のように深く女性を愛するということがアーヴィング様にはないから、申し上げただけです」
「ふん。何とでも言え。俺とてそのうち心から欲しいと思う女に出会ったら、他の女など目に入らなくなるさ。父の子だからな」
「ならばお早くお会いになってくださいませ。私だってやっていられません」
怒りを声ににじませて、厳しい口調で娘は言い放った。
さっきからずっと機嫌が悪いとは思っていたが、これほどまでとは思わなかった。日頃笑みを絶やすことなく常に機嫌のよい風の娘だが、しかし今は堪えきれなくなったようだ。
「お手紙を託されるたびに、言われなくともいいことを言われる私の気持ちがお分かりになりますか? 卑しい娘のくせに、親なしのくせに、どうやって取り入った。もっとひどいことを言う方もいらっしゃいますよ。アーヴィング様のせいです!」
見たことのない娘の怒りの吐露に、アーヴィングはたじろいだ。そしてその内容を理解したとき、苦い思いを噛み締めた。娘は顔を背け、目元をぬぐっている。
セス、と声をかける。いつものように、だが少し頼りない声で、はいアーヴィング様、と返事はする。だがこちらを見ようとはしない。
「すまなかった。お前に迷惑をかけるつもりではなかった。以後気をつける」
娘――セスは小さく首を横に振り、言い過ぎました、申し訳ありません、と頭を下げ、王城へ歩み去った。
セスは六年前に女王宮に来た。連れてきたのはアーヴィングの父レーヴェだ。十一歳だといっていたが歳の割には背も低く痩せて貧相で、表情も乏しく陰気な娘だった。だがしっかりと躾けられていたようで、礼儀正しく、すぐに女王の妹トリニティ王女の世話係となった。
トリニティ王女はセスが来るより一月ほど前に王城に帰還していた。帰還、というのはこの王女は十二年ほど前に王城を去り長く不在のままだったのだ。
しかし王城に戻ってきたとき、王女は半死半生で意識がなかった。王城への帰還途上何者かの襲撃を受け大怪我を負ったのだという。王女を迎えに行っていた王城騎士アンドレアス・メラーは王女の命だけは守ったものの落命し、何があったかをはっきりと知る者はいない。
トリニティ王女は王城の医師らの懸命の救命により一命は取りとめたものの、意識は戻らない。おそらくこのまま眠り続け、遠くない先にやがて死に至るだろう、と医師らは告げた。
レーヴェはトリニティ王女の世話係として王立救護院からセスを連れてきた。
救護院長の推薦があるとはいえ、こんな陰気そうな小さな子供に・・・と最初は危ぶんでいた女王宮の女官たちも、セスが真摯に世話をする姿を見て、受け入れたようだった。
セスは周囲のことはほとんど眼中になかった。ひたすらトリニティばかりに集中している。扱いにくいわけではないがこの娘を皆何となく敬遠した。セスを気にかけたのはレーヴェとアーヴィング父子くらいだった。
それでもセスの献身的な世話により、トリニティは明確な意識の戻らぬながらも食物を口にし、体力を極力落とさぬように気を配られた。
アーヴィングがセスを見かけるのは、トリニティ王女の病室の外だった。人目を避けた場所で、呆けたようにしているか、泣いているか、どちらかだった。
アーヴィングは父がセスをどこから連れて来たのかを知っていた。初めて会ったときと女王宮へ来たときのあまりの変わり様に驚きもした。何があったのか、と気になる一方で父の隠し子と噂されるセスに複雑で屈折した気持ちから冷たくあたり、ひどくいじめた。ほとんど無表情無感動のセスだがアーヴィングを見ると怯えた。近寄れば身を強張らせた。苛立たしい、と思うと同時に、自分のしていることがひどく情けなかった。
それでも余人には知られることのない二人だけの記憶がアーヴィングとセスを繋ぐものか、決して互いを避けることはなかった。
たとえその方法が間違っているとしても、周囲から距離を取ろうとするそぶりを見せるセスにかまうのはアーヴィングだけだった。
アーヴィングがセスにつらく当たるのを見てそれに乗じる者もあらわれたがそういった者たちに対してアーヴィングは容赦なかった。まだ年若くとも自分がどういった存在か知っている彼は自分の背後にある自分のものではない権威権力までも使ってセスを守った。
セスを苛んでいいのは自分だけだ、とでもいわんばかりの行為をセスはどう見たのか。
やがてセスからアーヴィングに対する怯えが消え、戸惑いながらも笑みを浮かべるようになり、その笑みがアーヴィング以外にも向けられるようになる頃には笑い声さえあげるようになっていた。おそらくそれが生来の性格であったのだろう屈託なく笑う明るい少女となり、周囲に可愛がられるようになっていった。
トリニティ王女の意識は戻らないままだが、とりあえず死は遠くなったと医師らが言うようになった頃、セスは時間を見つけては薬師や治療師、また医師らについてまわるようになった。トリニティのために医療の技を身につけたい、と言って。日頃のセスの熱心さを見、また可愛がってもいた薬師や治療師、医師らはその願いに応えた。そうしてセスはいつしか優秀な薬師、治療師になった。いずれは医師に、とも思っているようで今も仕事の傍ら学ぶことを続けている。
セスには敵わない、とアーヴィングは思う。十一歳から六年間、子供が少女になり娘になった。セスは自ら努力して成果を上げている。一方アーヴィングは二十歳の今王城騎士団の精鋭といわれているが、そのきっかけは十二歳のセスだった。執政府内に評価を得ることになった改革案の提出も十三歳のセスの言葉がなければなかったかもしれない。アーヴィングがセスに敬意を抱き、感謝の気持ちを持っているのはそのためだ。
トリニティ王女は王城へ戻って四年を生きた。明確な意識の戻らぬまま亡くなった、といわれているが、少なくとも一度は意識を取り戻した。その場に居合わせたアーヴィングはトリニティに対するセスの強い思慕を見た。そのトリニティの死に打ちのめされ立ち尽くすセスを見守り、その肩を抱いた。
胸に温かな感情が湧いた。
かわいい妹。
そのときからアーヴィングはセスの兄になり、セスはアーヴィングの妹になった。セスの寄る辺はトリニティからアーヴィングになった。
アーヴィングとセスは、そのような関係だった。




