第八話~ギルド~
マサの知り合いの宿屋は厳つい主人と品の良い奥さんが『ガンちゃん』『ナッちゃん』などと呼び合うイチャラブ空間だった。
ちょっと待てそこの50代と思わなくもなかったが、その年齢まで貫いているのだったらもういっそ讃えるべきなのかもしれない。
部屋は古びた外観と違い綺麗に整えられていて、淡い色のカーテンとテーブルに飾られた1輪の楚々とした花が何とも優しく落ち着ける雰囲気を醸し出していた。
マサの纏う空気とは合わないようで、思い切り不協和音を奏でていたけれども……まぁ、それは気にするまい。
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マサに連れられて、私はギルドと呼ばれる施設に来た。
3階建てのコの字型をしたレンガ造りの建物で、大きく開かれた入口の傍に施設内部の案内板が設置されている。
そこから足を踏み入れてみれば、全ての壁を取っ払ったかのような、ひとつづきの大きな空間が私を出迎えた。
そんな部屋のやや中央辺りを、厚い木のカウンターが仕切りのように陣取っている。
カウンター内側には、等間隔で椅子に座り、特に笑顔を浮かべるわけでもなく事務的に作業をこなしているギルド職員たちの姿。
更に受付の彼らの後ろで忙しなく動き回る職員や、順番待ちで混雑する利用者たちなどといった煩雑な様子は、どことなく元の世界の役所を彷彿とさせるものがあった。
「あれ? マサ、報告と換金なら方向が違いますよ」
「いや、先にアミのギルド登録を済まそうと思ってな」
「ギルド登録……ですか?」
「あぁ。
仕事を受けるかどうかは別として、身分証のひとつもねぇと他国に入れんからな」
要は、登録用紙の控えか何かが身分証の代わりになるということだろうか?
「登録自体に身分を証明するものは必要ないのですか?」
「あん? 何だ、アミ。知らねぇのか?
お抱えの魔法師や学者が、ギルド専用の技術を今までに幾つも開発して来たのはさすがに知ってるよな?」
知りません……とは、言えず、黙って続きを促す。
その事実がこの世界の常識なのだとしたら、私がそれを聞くのはあまりに危険すぎる。
「俺も詳しくはねぇが、その中に一滴の血で個人を判別する方法ってぇのがあってだな……」
「あぁ、成程。それなら確かに身分証は必要ないかもしれませんね。
確実に個人を特定できる以上、登録後は名を偽ることも出来なければ、軌跡も容易に調べられる。
情報の管理体制にもよるけれど多重登録も防げるし、犯罪の抑止力にも繋がるでしょうね」
「っお、おぉ、そうだな…………?」
「ちなみに、判別するためにかかる時間はどれくらいになるのでしょうか」
「あー、大体5分くらいだったか」
……早い。
これで正確性が低いなんてオチさえなければ、元の世界のDNA鑑定よりも優秀かもしれない。
これも魔法の成せる技なのだろうか?
それとも全く未知の科学技術?
あるいはその両方?
文明の程度はそう高くなさそうに見えたけれど、実は中々に侮れない世界のようだ。
「おっと、何とか言ってるうちに目的地だぞ。
アミ、あそこが新規登録専用の受付窓口だ。
俺はここで待ってるから、登録用紙を貰って来るといい」
受付の方に目をやると、気弱そうな三十路男性が絶望的な表情でこちらの様子をチラチラと窺っていた。
なるほど、これ以上マサが近づいたらショック死でもしてしまいそうな雰囲気だ。
1人で行っても多少ビクつかれたが、問題なく用紙を貰えたので、すぐにマサの元へ戻った。
この用紙、正式には『組合契約労働員登録書兼誓約書』という名前らしい。
灰色で少々目の粗い紙だが、この世界ではこれが普通なのだろう。
噂の羊皮紙が使われていないだけマシだ。
前書きにギルドについての説明書きがあったので、飛ばさずに読んでみた。
『商人組合、通称ギルド。
複数の有力商人による情報交換の場として発足される。
その後、急激な成長を遂げ各国に支部を置くようになったギルドは、その機能を多岐に渡り展開させて行き、現在では銀行・郵便・新聞発行・職業斡旋・物資斡旋・有益資材の買取・新技術の研究開発・不毛地域の開拓etc.をその一手に担う様になった。
ギルドの職業斡旋所にて労働員登録した際に発行されるドッグタグは、大陸全土で通用する身分証となるため、一般の商人はもちろん多くの旅人たちに重宝されている』
……うーん。どうやら、この大陸は商人に支配されているらしい。
ギルド専用の技術とやらも多くあるようだし、この組織にかかれば国の1つや2つは容易に潰せそうだ。
登録用紙と一緒に渡されたもう1枚の用紙には、契約事項や注意事項が書かれていた。
依頼を受ける予定のない今は関係のない項目ばかりなので、軽く目を通して終わる。
ふむとひとつ頷いて、使い慣れない羽ペンにインクを含ませ空欄を埋めていった。
ぎこちなくも順調にペンを進めていたのだが、ある項目に辿り着いた私は、敢えてそこで1度手の動きを止める。
「どうした? 分からないところでもあったか?」
「いえ……あの、マサ。今更な質問をしてもいいですか」
「ん? 何だ?」
「マサは私のこと、いくつくらいだと思ってます?」
子供に見える相手に不埒な真似はしないだろうと、わざとマサの勘違いを訂正して来なかったのだが、彼がそういった輩ではないと理解した今、あからさまなソレ扱いは成人した女として少し堪える。
だから、これを機に実年齢を教えておこうと思ったのだけれど……。
「んん?
そうだな、13くらいに見えるが、声質や考え方から判断してもっと上の15くらいか?」
言われて、まさかの中学生扱いだったことに愕然とした。
推定40過ぎの男からすれば高校生くらいの女は子供にしか見えないのだろう、などと考えていた過去の私を張り倒したい。
それから、私は自分でもどこから出しているのかと不思議に思うほど低い声で彼の名を呼んだ。
「…………マサ」
「お、おぅ」
マサは私から発せられる不穏な空気を感じ取ったのか、微妙に動揺を見せる。
そんな彼に黒い笑みを浮かべながら、私はゆっくりと口を開いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、アミの言う通り2人部屋を1室借りた。
カウガンにカギを渡されて、俺は彼女と共に与えられた部屋へ向かう。
その途中でナーエさんに会ったのだが、目があった瞬間に驚いて飛び上がられてしまった。
まとめられた亜麻色の髪には以前よりも少しだけ白髪が増えていたが、相変わらずカウガンより10も年上には見えない若々しさを保っている。
床に散らばったリネン類を拾って渡すと、彼女に苦笑いで謝られたので、ゆっくりと首を横に振った。
「うん? マサ坊、隣りにいるお嬢さんはどなた?」
「あぁ。この子はアミと言って、ある事情から一緒に旅をしている」
「……あの、初めまして。アミと申します。
いつもマサにはお世話になっております」
スッと丁寧にお辞儀をしたアミに目を白黒させた後、彼女は感心したように頷いてから笑顔を見せる。
「へぇぇ。何とも礼儀正しい娘さんだこと。
アミちゃん、私はナーエ。
主人のカウガンと一緒にこの宿を経営しているの。よろしくね」
互いに挨拶を交わし世間話に入ろうとしたろころで、カウガンに呼ばれてナーエさんは慌ただしく駆けて行った。
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ギルドの支部は各地に存在しているが、町の規模によって運営される内容が異なっている。
地方の小規模な支部では、一部機能を除いた郵便と職業斡旋、一般的なものに限定された物資斡旋と資材の買取といったことしかやっていない。
この町のギルドはかなり大きい方で、研究と開拓を除く全ての施設が揃っていたはずだ。
大体、どのギルドも内部の作りは同じになっているので、慣れている人間は迷うことがない。
この町で言うなら、1階が組合員以外の一般市民も利用できる銀行と郵便施設。
2階が商人が多く利用する物資斡旋と新聞発行施設。
3階が健康な労働者たちが集う職業斡旋と資材の買取施設。
研究や開拓のある支部なら組合員でも限られた人間のみが入れる4階が存在するだろう。
ついでに、中庭は緑や噴水等が設置された憩いの場になっており、親子連れの利用度が高い。
また、各施設の窓口は内容別に利用者数や場所を考慮し分けられていて、中々機能的だと感心させられる。
初めてギルドを訪れたというアミは、なぜか目を細め懐かしむような眼をしていた。
それが過去を想う老年の人間の姿を彷彿とさせて、これが少女のする表情だろうかと疑問に思った。
職業斡旋施設は新規労働員・依頼人登録、タグ更新・再発行、依頼受付、仕事受注、終了報告・階級確認、報酬、定期本人確認、トラブル相談など多くの窓口に分割されている。
比較的混雑の少ない新規登録窓口は自然と1番奥に設置されるようになっていた。
アミの質問に答えながら歩いていたのだが、そこでまたも彼女は俺を驚かせる。
ただ『血で判別する方法がある』という情報を与えただけで、彼女はギルド登録に自己証明が不要である理由を簡単に導き出したのだ。
しかも、それ以上に俺が考えつきもしない利点まで上げてみせた。
流れで肯定はしたものの、どうすればそのような結論に至るのか、学のない俺には全く理解不能だ。
……もしや、アミは貴族じゃあなくて、どこか優秀な研究員の子供だったのだろうか。
功績のある研究系魔法師や学者はそれこそ稼ぎも大したもので、貴族並みの生活をしている者も多いと聞く。
一般的な知識の少なさに相反する子供らしからぬ理解力の高さと落ち着きも、そう考えれば納得できる。
そして、研究に人生を捧げているような両親なのだとしたら、己の子供を顧みない性格であった可能性も高く、これも彼女の話と辻褄が合う。
だとすれば、アミが知らぬ間に魔の森の上空を落下していたのは、研究成果を盗もうとした輩や功績を妬む輩の仕業か、あるいは実の両親に何らかの実験体として扱われた結果なのかもしれない。
ならば、彼女がそこに到るまでの記憶を持っていなかったのは、逆に幸運だったのではと思えた。
登録用紙を貰い小走りで戻って来たアミを、机のある場所へ促す。
背の小さなアミは椅子に座る際、少々手こずっていたようだった。
何とか無事に腰を下ろすと、彼女は満足そうにフッと鼻で息をつく。
微笑ましい限りだ。
しかし、書類に目を通し始めた彼女は、先ほどまでと打って変わって大人びた雰囲気を醸し出していた。
アミのそういった姿に、俺はいつも言い知れぬ違和感を覚えずにはいられないのだが、原因には未だ至らない。
文章を読み終わった彼女は、納得したようにひとつ頷いてからペンを取った。
ひとつずつ丁寧に記入していく様子をすぐ隣で見守っていたのだが、ふと、アミが淀みなく書き進めていた手を止めた。
不思議に思って声をかけると、こちらに顔を向けた彼女から良く分からない質問を投げかけられる。
「マサは私のこと、いくつくらいだと思ってます?」
なぜ今更そんなことを聞く?
と思ったが、俺は素直にアミの問いに答えた。
すると、彼女はまるで衝撃的な事実でも聞いたかのように目を見開いて硬直し、直後、感じたことのない種類の威圧感を発しながら俺の名を呼んだ。
その声があまりにいつもの彼女のものとかけ離れていて、情けなくも気圧されてしまった俺は、返す言葉を動揺に上擦らせてしまう。
一体、何が起こっているのだろうか……。
小さな身体からは想像もつかない程の迫力を携えたアミに、知らず冷や汗が流れていた。
そして、彼女は壮絶な笑みを浮かべながら、その桜色の唇をゆっくりと動かした。




