第三話~月夜にて~
結局、その日は答えが出ないまま夜を迎えた。
静かな湖のほとりに2人で腰を下ろす。
目視で直径50メートルほどのサイズのこの湖には、なんと精霊が住んでいるらしい。
普通にそんな単語が出る辺り、さすがファンタジー世界だ。
私にはその神秘的存在を見ることは叶わなかったけれど、彼らの恩恵で常に水がキレイなんだとか。
地球よりも大きな月の明るい光が、水面をキラキラと照らしていた。
いっそ怖いぐらい美しい光景だ。
「疲れてねぇか?」
「私は抱えられていただけですから。
マサこそ腕は大丈夫ですか?」
「この程度でどうこうなるほどヤワじゃねぇさ」
何となく納得して、私は軽く頷いた。
彼は、その屈強な見た目に相応しい体力を持っているらしい。
背中に下げられた大きな2本の斧は、ともすれば私の体重よりも重そうに見えた。
「……そう言えば、この森は随分と静かなんですね。
もっと、獣の声とか、するのかと思ったけど」
「俺がいるからな」
「え?」
「本来、ここは魔の森と呼ばれるモンスターの温床の地だ。
普通の人間が入れば、まず生きては帰れないと言われている」
「でも、モンスターなんて全然」
「奴らも格上の存在に手を出すほど馬鹿じゃねぇってこった。
意識して気配を殺さない限り、この森のモンスターは俺の前にゃ姿を現さねぇ」
「それって……」
「あぁ。隠すようなことでもねぇから言うが、俺の狩士階級はSだ。
そういうこったから、この森ではなるべく俺から離れんようにしろよ」
マサの言葉に対し、私は神妙な顔で頷いた。
地球人の自分からすれば随分と突飛で馴染みのない説明ではあったが、私を逃がさないために吐かれた嘘だとは思わなかった。
それだけ彼の声は真剣で、また当たり前のように紡がれていたからだ。
元の世界で溜め込んだライトノベル知識から当てはめても、階級Sというのが相当に高い評価値であるのだろうという推測が立つ。
いっそ、最上級のランクである可能性すらあった。
この人に助けられたのは本当に幸運だったのだと改めて気付かされたが、あからさまに態度を変えても彼の性格上困惑させてしまいそうだと思ったので、その点についてはスルーさせてもらうことにした。
少しでも腹に入れておけ、と言われて渡された保存食を齧る。
日本人の脆弱な胃腸が耐えられるか怖くはあったが、その辺りはあの美少年神様に適応状態にしてもらっていると信じたいところだ。
携帯用の簡易食である干し肉は、薄味のサラミのような味がした。
こんな身ひとつで放り出されたサバイバルのような状況で、まともに食べる物があるだけでも充分ありがたいと思う。
のに、なぜかマサはものすごく申し訳なさそうな顔で謝り、私が食べている間も何度も大丈夫かと声をかけてくる。
そこまで気遣われる意味が分からず、私は1人首を捻っていた。
落ち着かない食事が終わって、特に何をするでもなくボーっとしていた時。
半分無意識の状態で、ポツリと願望を口に出してしまう。
「……お風呂、入りたいなぁ」
「風呂?」
静かな空間にいたためか、ごく小さな呟きであったにも関わらず、私の声はあちらの耳にしっかり届いてしまったらしい。
即座に何でもないと首を振ったが、彼はサビ色のモッサリとした顎髭を扱いながら思案顔でこう告げてきた。
「どうしてもっつーんなら、おそらく出来んことはねぇと思うが」
「へっ……?」
あまりに予想外の台詞を聞かされて、間の抜けた声が出る。
1人唖然としていると、彼は巨体を起こしてノッシノッシと湖の方へ歩いて行った。
離れるなと言った本人が考えもなしに私を置いていくとは思えないが、何となくその姿が見えなくなることに不安を覚えて、急いでマサの後を追う。
再び大きな背が視界に入ったと思えば、彼は湖のすぐ傍に片膝をついているところだった。
直後、地鳴りのような音がおよそ2秒ほど響いたかと思うと、彼のすぐ前方に深さ50センチ、直径1メートルほどの若干いびつな穴がポッカリと口を開いていた。
彼は穴の中をあちこち触って納得したように頷いた次に、湖に近い側面の上部に拳を当てて振り抜き、穴と湖との間に道を開通させる。
そこから湖の水が流れ込み、それが40センチ程度まで達した頃に再び道を埋め直して流れて来る水を塞き止めた。
やがて、手を2度3度叩いて土を払いながら立ち上がると、今度は水面にひとさし指を向ける。
次の瞬間、ボッと音を立てて水中から火柱が上がった。
「…………………………えっ?」
あまりの展開の早さについて行けず、1人呆然と立ち尽くしてしまった私を、いったい誰が責められるというのだろう。
完成だと言って満足そうにしている彼に、私は乾いた笑いしか返すことができなかった。
~~~~~~~~~~
ほこほこと身体から湯気を出しながら、私は斧の手入れをしているマサに話しかける。
「聞いてもいいでしょうか」
「何だ?」
顔も上げないまま、けれど、気分を害した様子もなく彼が応えた。
集中しているようなら引き下がろうと思ったけれど、これなら大丈夫そうかな。
「水から火柱があがったのは、マサがやったんですよね?」
「あぁ、俺の魔法だ。
つっても俺ぁ火しか使えねぇんだが……ま、旅には便利だぞ」
「それじゃあ、次の質問。
穴の中がどこもカチカチだったんですけど、アレはどうやって?」
「殴り固めたからだな。掘ったんじゃなく」
「そ、そうですか」
魔法という答えは予想していたにしろ、まさか、あのたった2秒の間に素手で圧縮作業をしていたなんて……。
その結果を思い出し、意識外に顔が歪んでしまう。
「あのぅ、こんなことを聞くのは失礼かもしれませんが……。
マサは……人間、ですよね?」
「いや。俺は亜人だ」
「えっ、そうなんですか!?」
「あぁ」
「えっと、何の?」
「竜」
「えええっ!?」
普通に教えてくれたということは、少なくともこの地方では、それが珍しい種族だったり、人間以外が迫害されていたり、要は偏見が蔓延っているような状況にはないということなのだろう。
ただし、彼に限っては顔面差別の被害に合っているかもしれないが……。
「……私、亜人ってもっと半人半獣みたいな見た目なのかと思っていました」
「いや、ほとんどの奴らはそうだろう。
俺はちょっと特殊だからな」
「特殊、ですか?」
そう聞き返すと、彼は途端に黙り込んでしまった。
何か複雑な事情でもあるのだろうか。
例えば、魔王すら絹を引き裂くような悲鳴を上げて腰を抜かしてしまいそうなクトゥルフ顔に由来する事情とか。
……さすがにクトゥルフは言いすぎかな。
しばらく沈黙が続いた後、マサは軽くため息をついて手に持っていた斧を背に収めた。
そして、道具入れから外套を取り出して、私に手渡しながら呟く。
「……もう寝ろ。明日中には森を抜けてぇから、早めに起こすぞ」
「あ、はい…………っあの」
「どうした?」
「えー、その、お恥ずかしい話ながら、私は枕がないと眠れない質でして。
大変申し訳ないのですが、腕か膝をお貸しいただけないでしょうか」
直後の彼の呆気にとられた顔は、しばらく忘れられそうにない。
……ホラー的な意味で。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜。俺は森を進む足を止めて、とある湖のほとりに腰を下ろした。
アミは俺の正面にあった手ごろな大きさの岩に座っている。
疲れていないかと問いかければ、彼女は逆に俺を気遣う言葉を投げかけてきた。
こんな人間らしい扱いを受けたのはいつぶりだろうか。
仲間内で狩りに出ても、安否を気遣い合うやり取りの中、俺だけ言葉を掛けられないなんてことはザラだからな。
こちらから聞いたところで、お前は大丈夫だろうと断定されるのがオチだった。
浮かれそうになる心を落ち着けながら口を開く。
「この程度でどうこうなるほどヤワじゃねぇさ」
そう返事をすれば、納得したらしい彼女は小さく頷きを返した。
下手に気を使われすぎても面倒臭いので、素直な態度に少しホッとする。
それから、アミは辺りをゆっくり見回しながら、思案気な顔で随分静かな森だと言った。
どうやら、彼女はここがどこだか全く分かっていないらしい。
まぁ、森に到るまでの記憶がないなら、それも当然かもしれない。
安全な場所だと勘違いして勝手に動き回ることのないよう、一応でも釘を刺しておいた方がいいだろう。
そう思って教えてやれば、アミは小さく目を見開き、次いで、怪訝な顔をして小首を傾げる。
魔の森自体の知識がないのか、いまいち納得できていないようだ。
そんな当たり前に学ぶはずの常識すら知らずにいられるほど、安全な箱庭の中でだけ生きていたのだろうか。
モンスターの生存本能について簡単に説明するついでに、自分の狩士階級を告げた。
すると、わずかに恐れの混じる顔でアミは大きく頷いてくる。
さすがに状況を正しく理解できたらしい。
これで、少なくとも森にいる間は勝手に離れて行こうとはしないだろう。
安堵すると同時に、その彼女の恐れの中に自分という存在が含まれていたら、などと僅かながら不安になる俺もいた。
~~~~~~~~~~
いざとなったらモンスターの肉を生で食べることすら出来る半身が竜である俺は、ろくな食料を用意していなかった。
しかし、目の前の少女はきっと丁寧に調理された食事しか口にした経験がないに違いない。
そんな彼女に簡素な携帯食しか与えられない現状に、なんともいえぬ罪悪感を覚えてしまう。
だというのに、文句の1つも零さず大人しく干し肉を口に運ぶアミに、俺は幾度となく声をかけずにはいられなかった。
後になってから気付いたが、飯の最中に邪魔をされて、彼女にはさぞ鬱陶しかったことだろう。
食事も終わり、お互い無言で休んでいると、ふとアミが独り言と思わしき声量で何か呟いた。
「……お風呂、入りたいなぁ」
想定外の内容に、反射的に聞き返してしまった。
アミは如何にもしまったという顔をして、何でもないと言い、首を横に振る。
町の規模がそれなりに大きければ大衆浴場の1つや2つ存在もしているが、小さな村ではまだ湯につかるという発想すら浸透していない地方もある。
だが、それ以上にアミの言っている風呂というのは、おそらく貴族たちが所有するような個人単位のものなのだろうと察せられた。
やはり、彼女は高貴な身の上なのだと再認識しつつ、どうにか願いを叶えてやりたいと考えを巡らせる。
それから間もなく、ある方法を思いついた俺は、そのままアミの返事も聞かずに湖の傍へと移動した。
適当な場所を見つけて片膝をついた時、彼女が早足ぎみに姿を見せる。
どうやら後を追ってきたらしい。
少しぐらい距離が離れたところでまだモンスターが寄ってくるような範囲ではないが……まぁ、魔の森で1人にされれば、不安にもなるか。
気遣いが足りねぇクソ野郎だな、俺は。
その後、時間にして2分にも満たない間に風呂を作ってしまった俺に、アミは目を白黒させて驚いていた。
~~~~~~~~~~
武器の手入れをしていると、風呂上がりのアミがポソポソと話しかけて来る。
何かと思えば、俺の使った魔法や作った穴について詳しく尋ねたかったようだ。
階級も教えているし隠すことでもないだろうと正直に答えると、彼女は小さく唇の端を引き攣らせる。
そして、若干目を泳がせた後、再び俺に視線を戻して、アミはいつになく不安げにこう問うてきた。
「マサは…………人間、ですよね?」
その表情に一瞬「そうだ」と嘘の肯定をしそうになったが、ギルドにも亜人として登録しているだけに隠しておけることでもないだろうと、すぐに思い直し首を横に振った。
そもそも、ただの人間がこのような体躯と力を持つなど、あり得ない話だ。
まぁ、それでも俺が亜人だという事実に彼女が驚くのも無理はない。
一般的な竜の亜人というのは、ドラゴンがそのまま人の形を成したような半竜族が主だ。
人間形態と竜形態に化け変わる竜人族は、数も少ないが何より秘された種族で、世間には知られていない。
俺が竜になれるということは、旧知の間柄の人間たちにすら隠している。
彼らは単純に先祖返りで力を得た亜人なのだろうという認識でいたはずだ。
嬉しくもない記憶を掘り返していると、彼女はどこか感心するような口調でこんなことを言ってきた。
「私、亜人ってもっと半人半獣みたいな見た目なのかと思ってました」
大昔と違い、今は亜人などそれこそどこにでもいるはずなのだが、アミはまるで見たことがないような口ぶりをする。
少々訝しむも、彼女の生れを思い出して納得した。
人間の貴族の中には、亜人を畜生だ何だと見下す奴も少なくはない。
そのような狭い世界の中で生活していては、実際に亜人を目にする機会が訪れなかったのだろう。
己の姿が特殊なのだと言えば、彼女はきょとんとして聞き返してきた。
自ら嘘をつく気にもなれず、また真実を話すこともできず、ただ口を噤む。
誤魔化すように就寝を促せば、アミはこちらの意図を悟ったのか、素直に頷きを返してくれた。
と、思うと小さく俯いて視線を彷徨わせた後、再び小声で話しかけて来る。
いつになく言い辛そうに口を開閉する彼女に、人ではないと知って嫌われてしまったのだろうかと邪推し、どこか憂鬱な気分で告げられるであろう言葉を待った。
だが、次の瞬間。予想の遥か斜め上を行く申し出を受けて、俺は咄嗟に自分の耳を疑わずにはいられなかった。
「大変申し訳ないのですが、腕か膝をお貸しいただけないでしょうか」
この時、俺はおそらく人生の中で1番マヌケな面を晒していたに違いない。
目の前に座るアミという少女が、いっそ笑えるほど無防備な存在であるという現実を思い知らされた夜だった。
作中でマサが「2分」という単位を使用している場面がありますが、これは読みやすくするために日本語的表現に直しているだけで、実際に彼がそう言っているわけではありません。
一応、この世界オリジナルの単位が存在し、彼もそれを使っています。
今後も単位や単語等につきまして様々な場面で同様の処置を取らせていただく所存です。
読者の皆様方には何卒ご理解いただきますよう、宜しくお願い申し上げます。