第二十八話~限界突破~
「……っもういい。
マサの馬鹿、ヘタレ、チキン、意気地なし、臆病者、朴念仁、木偶の棒、腰抜け、腑抜け、弱虫毛虫っ。
そっちがそのつもりなら、私にだって考えがあるんだからね!」
~~~~~~~~~~
あの誘拐劇から3ヶ月が経過した。
西南の国の宿屋で目を覚まし、体調を整えるためにそのままそこで数日過ごした後、マサの武器を新調するとのことで南の国へと赴き、特注の斧の作製が済むまでまた数日を費やす。
そして、私たちは1ヶ月前にようやく目的地であった東の国の土を踏んだ。
今は、その国のとある町に永住を視野に入れつつ住み着いている。
翻訳師の仕事をこなしながらマサと2人、小さな借家で生活していた。
数ヶ月分の借家の代金を立て替えてくれた時点で、彼はお金を置いて出て行こうとしたけれど、まだ1人でやっていくことに不安があるからと言って何とか引き止めた。
ちなみに、マサとの関係は現在までに何1つ進展していなかったりする。
ギルドの依頼を受けて彼が1人で狩りに出かけることが増えたし、残念ながら部屋も別々なので、むしろ旅をしていた時より親密度が下がっているかもしれない。
それはそれとして、この町は規模も治安もそれなりで、仕事を貰うにも女が1人で出歩くのにも困らなければ、住民も活発で情に厚い人が多い。
何より、ここにはお米も味噌も醤油もある。
その味や料理の内容に多少の差異はあるものの、これらが精神に与える安らぎは非常に大きい。
どうやら、無事にこの世界で生きていくことが出来そうだと、私は少なからず安堵していた。
けれど、一応の平穏が続いたある日の夜中。
喉が渇いたので月明かりを頼りに台所まで水を飲みに行った帰り。
自分の部屋へ戻ろうと廊下に出ると、その先で足音をさせずに歩いているマサの姿が目に入った。
「……マサ? こんな時間に何してるの?」
言った途端、彼はギクリと身体を固まらせ、手に持っていた何かを落とす。
目を凝らしてみれば、それはとても見慣れた旅道具の詰まった袋だった。
改めて観察すると、その背や腰には斧や沢山の荷が下げられている。
私は眉を顰めて背を向けたままの彼に問いかけた。
「……ねぇ、その荷物なぁに?
それに、その格好も外着よね?
何だかまるで、私に内緒でここから出て行こうとでもしているみたい?」
疑問形にはしているが、この推測が正しいことは火を見るよりも明らかだ。
おかげで、不機嫌さが混じった低い声が出てしまい、そのせいか、マサはしどろもどろに答えを返してきた。
「あ……と、1人で暮らせるようになるまでっつー約束だっ、でっ、そのっ。
それで、もう、大丈夫だと判断した……から……えーっと……」
言っていることは間違っていない。
町の人ともそれなりに仲良くなれたし、仕事も順調だ。
今のままなら1人で生活するに問題はないだろう。
だけど、それは普通に出て行こうとした場合のみに通じる言い訳じゃないかと思う。
「それで挨拶の1つもさせてくれずに、夜逃げするみたいに出て行こうとしたって?」
「いやっ、その……っ」
「違うの?
だったらどうして、こんな時間にそんな大げさな荷物を持ってこそこそ廊下を歩いていたのかしら。
教えてくれない?」
「う……」
言いよどむ彼にたまりかねて、私は声を荒げた。
それが、冒頭の台詞である。
マサが私をちゃんと女として見てくれている事には、もう随分前に気が付いていた。
例の発言から彼のこれまでの言動を思い返し、さらにその後の態度を見ていて確信したのだ。
相手にも気持ちがあるのなら焦って告白するよりは、一緒にいることが当たり前の流れを作った上で、いずれ深い関係に持っていければなぁ、なんて思っていたのに……。
だ・と・言・う・の・に!
よりにもよってこの男、惚れた女を前にして怖気づいて逃げようとしたのだ!
これが怒りを感じずにいられようか!
否!
人に侮蔑され続けて臆病になるのは分かるけど、だからって据え膳食わずに逃亡だなんて、全くもって有り得ないったら有り得ない!
マサが振り向こうとした瞬間を狙って、私は彼の足に思い切りタックルした。
重心移動中だった彼の不安定な足元がグラついて、そのまま2人で床に倒れ込む。
咄嗟に私の身体を持ち上げて下に敷かないよう庇うマサに、うっかり胸をときめかせてしまったのが少し悔しかった。
「……アミ? 大丈夫か?」
困惑気味に呼びかけるマサを敢えて無視して、私は彼の身体に両手をついて勢い良く起き上がる。
無言のまま、のびっぱなしの髪を纏めていた紐を解き、次いで、その紐を使い素早くマサの両腕を縛りつけた。
「あ?」
思考が追いつかないのか、マサは私のされるがままになっている。
両腕を頭の上に移動させ、今度は服の腰部分についていた飾り紐を解き、すぐ傍の柱と彼の腕を固く結びつけて軽い拘束状態にする。
それから、のしりとお腹の上に跨ってマサの上着のボタンを1つずつ外し始めると、そこでようやく彼は慌てた様子で言葉を発した。
「って、ちょっ! 待て待て待て!
アミ! おまっ、一体何をっ!?」
「……襲う」
「おそっ…………はぁ!?」
これ以上は無いというほど目を大きく見開き絶句するマサに、私は脱がせる手を止めないままにっこり笑って教えてあげた。
「マサを襲って、既成事実を作るの。
そうしたら、責任感の強いマサのことだもの。
もう逃げようなんて思わないでしょう?」
聞いた途端、信じられないといった唖然とした表情で固まるマサ。
私はクスクスと黒い笑いをこぼしながら、そんな彼の頬に左手を添えゆっくりと顔を寄せていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アミは地上に帰ってきてから、夢にうなされ飛び起きることが増えた。
そうなると、何となくその原因であろう遺跡での出来事について話すことが躊躇われて、結局、あの時の言葉の意味を聞けないまま日々が過ぎて行った。
~~~~~~~~~~
東の国の町でアミと暮らし始めてから、3週間ほどが経とうとしていた。
始めは、俺と一緒にいれば彼女も人から遠巻きにされてしまうだろうという理由と、いい加減に自分の理性が限界に近付いてきているという理由から、当分の間生活できそうなだけの金を置いて出て行くつもりだったのだが……。
去ろうとした俺に彼女は『まだ1人は不安だから行かないで欲しい』だとか『事情を知っているマサしか頼れない』などと縋りついてきて、どうにも断り切れずにしばらく共に生活することとなった。
……己の意思の薄弱さに反吐が出る。
アミも最初の内は慣れない家事に戸惑っていたが、日々考察を重ね、1週間も経つ頃にはすっかり彼女なりのやり方というものを掴んでいるようだった。
また、積極的に町の人間とも交流を深めているようで、夕食時にはその日に仕入れた情報などを楽しそうに話してくる。
一体、何をどうやったのか、彼女と2人の時はもちろん、1人で町を歩いている時にまで俺を避けずに挨拶をしてくる人間が増えていった。
それはすごく嬉しい事のはずなのに、同時に彼女がどんどん俺を必要としなくなっているようで、胸の内に鬱屈とした感情が溜まっていく。
いつか本人にそのドス黒い感情を吐きだしてしまうのではないかと恐れた俺は、狩士の仕事を理由に頻繁に外出するようになっていた。
幾度目かになる依頼を終え、2日ぶりに戻った家で笑顔のアミに出迎えて貰い、久々に晴々とした気分で彼女と過ごしていた、そんなある日のこと。
夕方頃になって商人見習いの青年が米の配達に来たのだが、その男とアミが楽しそうに会話を弾ませている姿を目撃して、どうしようもないほどの嫉妬に駆られた。
無理だと思った。
もうこれ以上、彼女の傍にいることはできないと思った。
だから、今夜にでもアミに内緒でこの家から出て行こうと決めた。
もしまた引き止められてしまったら同じ轍を踏みかねないし、逆にあっさり承諾されでもしたら身の内の劣悪な独占欲が発露してしまわないとも限らない。
満月が地上に向かい傾きだした真夜中。
自室の机に謝罪の手紙と手持ちの金すべてを置いて、静かに部屋を後にする。
足音を殺し、荷が音を漏らさないよう慎重に廊下を進んでいると、突如背後から声をかけられた。
荷物にばかり注意をやって、周囲への警戒を怠ってしまっていたらしい。
「……マサ? こんな時間に何してるの?」
飛び出さんばかりの勢いで肩が跳ねあがり、それから全身が固まった。
拍子に、緩んだ手から道具袋を落としてしまう。
しまった、と思った時にはもう遅かった。
聡いアミのこと、俺の出で立ちを見てすぐに状況を察したのだろう。
彼女のいるであろう位置からジワジワと冷気が漂ってきて、額からあぶら汗が流れ落ちた。
「……ねぇ、その荷物なぁに?」
そんな一言から始まった詰問紛いの問いかけに、俺は背を向けたまま口を開く。
彼女の顔を正面から見る勇気はなかった。
何とかまともに返答しようとするも、舌が上手く動いてくれず動揺を隠すことができない。
拙い言い訳の末、ついには言葉を詰まらせてしまった俺に、彼女はとうとう痺れを切らしてしまう。
珍しく声を荒げ、まるで子供のようにこちらを誹ってきたのだ。
ただ、その内容を聞いていると、もしかして彼女は俺が出て行こうとした理由を知っているんじゃないかと思えてきた。
そうでなければ、臆病だの朴念仁だのといった単語を使われる意味が分からない。
しかし、そうだとして、彼女の言う考えとは一体何なのだろうか。
いったん話を聞いてみようと後ろを振り返ると、腰を低く落としたアミがものすごい勢いで足に向かい突っ込んで来た。
まさかの行動に驚きながら、そのままバランスを崩し倒れていく。
しかし、普段相手取っているモンスターのものと比べれば、彼女のそれは当然、遅すぎるくらいの動きだった。
だというのに避けることが適わないのだから、アミの前で、俺はどれだけ気を抜いてしまっているのだろうか、と自身に呆れる。
巨体に巻き込まないよう、彼女を身体の上に抱え上げたのは、もうほとんど反射に近かった。
背負っていた斧に打ちつけられて地味に痛かったが、それよりもアミに怪我がなかったかどうかの方が気になったので、自分のことは二の次で先に彼女に声をかける。
返事はもらえなかったが、勢いよく起き上って何やら慌ただしげに動いている様子を見る限りでは大丈夫そうだと、ホッと胸を撫で下ろした。
そして、気がつけば両腕を紐で縛られている。
彼女の奇行に対する理解が追いつかず呆けていると、いつの間にか俺の腕は柱に繋ぎ止められ、腹の上に跨ったアミが服に手をかけていた。
混乱どころの騒ぎじゃない。
慌てて制止し理由を尋ねれば、さらに『襲う』などという意味不明な回答が返ってきた。
いや、状況を考えれば意味は分かるが……まさか、という思いが強すぎて脳が受け止めることを拒否していた。
普段の彼女からは全く想像もつかないほど妖艶に笑むアミ。
俺がまともに思考できていないことを見て取ったのか、彼女はその表情に相応しい色のある声で今度はハッキリと目的を口にした。
「マサを襲って、既成事実を作るの」
自分の耳がおかしくなったのかと思った。もしくは、夢でも見ているのではないかと。
だが、その考えは口に当たってきた生々しい感触によって一瞬にして払拭される。
その後、停止した脳の奥深くに響いたブツリという音は、果たして腕の拘束を引き千切った音だったのか、それとも理性の切れた音だったのか……。