第二十七話~咎~
相手は犯罪者で、ある意味では自業自得で因果応報といえなくもない。
けれど、私は命の危険なんかない平和な国で育った日本人で、咄嗟に己が助かることしか考えられなかったという事実が、酷く罪深い所業の様な気がしてならなかった。
例えば、満員の救命ボートにさらに人が縋りつこうとして来たのを自分たちが助かる為に無視あるいは蹴落とした時のような、そんな罪悪感に近いと思う。
後になっていくら『あの時は必死だった』『仕方なかった』と言い訳をしたところで、後ろめたい気持ちがなくなるものじゃあない。
私は、一生癒えることのない心の闇を背負ってしまったのだ。
「アミ!? どうした!?」
上手く呼吸が出来ずに蹲ったまま粗く息を吐いていると、マサが心配そうに駆けてきた。
傷が開いたのか新たにこさえたのか、彼の通った道筋に赤い足跡がつく。
それに余計に罪の意識を刺激されて、私は自分自身を抱きしめながらひたすら謝り続けた。
「っごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
「はぁ? なんだ、急に。何で謝るんだ?」
「……っわ、私……のせいで……マサ……チョウが……」
「チョウ? お前を攫ったっつー、チョウデルクって男か?
そういや、見ねぇな。ヤツはどこに行ったんだ?」
冷静になった後から思えば、何日も軟禁状態が続いて、精神がかなり参っていたせいなのかもしれない。
この時の私は酷く自虐的な気分になっていて、いっそ全てを吐露してマサに嫌われたり軽蔑されたりすれば少しは罪悪感も薄れるんじゃないかとか、そんな馬鹿なことを考えていた。
心のまま、ここで起こった出来事を話し尽くすと、マサは呆れたような顔をしてため息を吐く。
「別に、そりゃアミのせいでも何でもねぇだろう。
むしろ、逃げて正解だ。
あのモンスターがチョウデルクだと知っていたところで、俺もやるこたぁ変わらなかっただろうしな。
大体、見殺しにしただけで罪になるなら、人相手に立ち回る傭兵なんか今頃全員檻の中だぞ?
どっから、そんな突飛な考えが浮かぶんだ」
「どこ…………から?
……今……どこからって……聞いた?」
彼から責めてもらえなかったことに対して、自分勝手にも不満を覚えた私は、何もかもがどうでもいいような気持ちで、今まで頑なに秘密にしていたこの世界に至るまでの経緯をペラペラと口にしていた。
どうせ信じてもらえるわけがないとタカをくくっていた部分もあるかもしれない。
でも、マサはそんな私を疑う素振りを見せず、神妙な顔つきをして黙ったまま、最後まで話を聞いてくれた。
隠していたものを出し切って口を噤み俯いた私を前に、マサは少し困ったような表情を浮かべて後ろ頭を掻く。
「俺は……学がねぇからよ、異世界なんて言われても、正直よく分かんねぇ。
とりあえず、この大陸の常識が全く通じねぇような、かなり遠い場所から来たんだっつーことだけは、なんとか分かった。
そんで、これまで持ってた疑問にも、色々と納得がいった。
……で、だ。
お返しっつーのも変だが……まぁ、今度は俺の話をしてやろう」
そう言って、マサはポツポツと彼自身の過去について語りだした。
その内容は想像の範疇を遥かに超えるほど壮絶で……私はただ茫然とすることしか出来なかった。
すでに終わった話だと割り切っているのか、あくまで淡々と語る彼のその姿が逆に痛々しく目に映る。
そんなマサを見ていて、些細なことで自棄になってしまった自分を愚かしく思った。
「ま。要は、俺は親殺しの最低の化け物だったってワケだ。
アミ、お前はこんな俺を…………軽蔑……するか?」
「そんなっ! だって、それはっ……」
「仕方のないことだったってか?
確かにあの時、親父を殺らなきゃ殺られてただろうし、母親にいたっては不可抗力かもしれねぇ。
だが、アミがチョウを見殺しにしたってのが罪になるんなら、自分の手で人を殺した俺は当然、それ以上の悪ってことになるだろう。
それこそ、誰に蔑まれても殺されても当然なくらいの……」
「……っ!」
返す言葉がなかった。
私が自分を責めることは、そのまま彼の過去を責めることに繋がるのだ。
なのに、彼は私のために今そんな理不尽さえも受け止めようとしている。
マサの自嘲にも似た苦い笑みから、その心の傷がけして浅くないことが分かるのに……。
「ごめん……なさい、貴方にそこまで言わせてしまって。
辛いのに。マサだって苦しいのにっ。
私、いつだって自分のことばっかりで……何で……こんなに子供なんだろう。
情けなくって、嫌になる……」
「別に、アミは情けなくなんかねぇよ。
たった1人で全く知らねぇ土地に放り出されて、最初から余裕のある奴なんかいるわけねぇだろ。
だっつーのに、お前はしょっぱなから俺に遠慮はしまくるわ、他人にもやたらと気ぃ使うわ。
本当に自分のことしか見えてねぇ人間に出来る芸当じゃねぇよ。
……お前はよくやってるさ、ずっと一緒にいた俺が保証してやる」
そう言って、マサは優しい眼差しを向けてそっと頭を撫でてくる。
その大きな手に撫でられる度に胸の内にあたたかいものが広がって、目の奥がジワリと熱くなった。
「っマサ…………マサぁ」
私はさらなるぬくもりを求めて、彼の大きな身体に力一杯しがみついた。
我慢していた涙が頬をつたう。
堪え切れずに嗚咽が漏れる。
マサは頭に置いていた手を今度は背中に移動させて、慰めるようにゆっくりとさすってくれていた。
それがあまりにも心地良くて、この場の状況も何もかもを忘れて安心しきった私は、いつの間にか深い眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦闘が終わり戻ってみれば、建物の隅で小さく蹲り、苦しそうに呻いているアミの姿が目に入った。
慌てて駆け寄ると、彼女は辛そうな表情で俺を見上げ、幾度も幾度も謝ってくる。
突然のことに面喰らいつつも、その理由を尋ねれば、アミは何かに耐える様な顔をして、拙く言葉を発し始めた。
その中でチョウという単語を聞いて、そういえばそんな男がいたんだったと今さらながらに思い出す。
彼女を見つけたこととモンスターを相手にしていたことで、今回の誘拐の元凶という重大な存在について、俺はすっかり忘れてしまっていた。
さらに事情を聞いたところによると、なんとあのモンスターの正体がチョウデルクその人だったらしい。
にわかには信じられない話だが、アミが言うのなら本当なんだろう。
彼女は俺にそれを教えなかったことと、まだ人だったチョウデルクを助けられなかったことを酷く悔いているようだった。
なぜそんな程度のことで思い悩む必要があるのか理解に苦しむが、それならそれで沈んだ心を晴らしてやりたい。
そう思い、彼女を慰めるために声を紡ぐ。
が、その内容の何かが気に障ったようで、今にも泣きだしそうな笑みを浮かべた彼女は、ほの暗い声でこう言った。
「……今……どこからって……聞いた?」
アミは急に睨むような目付きをして、息継ぎを忘れたかのごとく滔々と語り出した。
それは先程聞いたチョウの結末などよりも余程信じがたい内容で、今まで彼女がなぜ頑ななまでに自らの出自について話そうとしなかったのか、俺は痛いほど理解する。
アミの説明は学者が使うような専門用語らしき単語が多く、難しすぎて半分くらいは何を言っているのか分からなかった。
けれど、ようやく彼女の過去について知ることができるとあって、1つの言葉も聞き洩らしたくなかった俺は、ひたすら黙ってそれを記憶するに努めた。
こことは違う世界なのだとか、魔法が存在しない代わりに発達した機械文明がどうとか、普通ならまず本人の精神状態を疑ってもおかしくないだろう。
病気だと断じられてしまうかもしれない。
だが、俺は不思議と彼女のそれを虚言だとは感じなかった。
いや、他ならぬアミの言葉を疑う余地など俺の中にはなかったというのが正しいのかもしれない。
俺なんかを普通の人間のように扱ってくれる奇跡のような存在のアミが、こんなことで嘘なんかつくはずがない。
全てを話し終わって悲痛な表情で俯いたアミに、俺は何と言葉をかけていいのか分からなかった。
ただ、黙るのも違う気がして、とりあえず、素直に思ったことを口にしてみる。
そして、彼女の罪の意識が少しでも軽くなるのならばと、今まで誰にも話さなかった子供時代に起こした苦いあやまちについて、余すことなく語って聞かせた。
彼女から告白された内容が、己の隠してきたそれに相当する重さのものであると判断したからでもある。
……ただ、自分を攫った人間にすら慈悲の心を向けるアミのことだ。
自らの命を惜しんでテメェの親すら殺した事実を話せば、嫌悪し避けられてしまう可能性もあるかもしれない。
そうなったらなったで、自分の犯した罪に対する罰として甘んじて受け入れるつもりだった。
けれど、アミはやはりアミで……。
嫌悪どころか、俺の語りを聞く彼女は、自分のこと以上に辛そうな顔をして気遣わしげな瞳を向けてきた。
それが何とも面映ゆく、満たされる幸福に滲みそうになる涙腺を意識して引き締める。
長い話が終わり、俺はある問いを彼女に投げかけた。
「アミ、お前はこんな俺を…………軽蔑……するか?」
表情を見れば彼女がそれを否定するであろうことは予想できていたが、それでも『もし、肯定されてしまったら』と考えると怖くて声が震えた。
諦めることには慣れているが、期待することにはそう慣れていない。
想像通り即座に首を横に振ったアミに対し、俺自身を卑下することで彼女に悩む必要のないものなのだと伝えられればと思った。
上手いやり方ではないかもしれないが、人間との交流経験に乏しい俺にはこれが精いっぱいだ。
ハッと目を見開いたアミは、何とも痛ましい表情をして、か細い声で謝ってきた。
その上、自分のことばかり考えていて情けないなどと、彼女に限ってありもしないことを言って落ち込んでいた。
いつだって人の事情ばかり気にして、遠慮しがちで我がまま1つろくに口にしないアミの、どこをどうすればそんな結論に至るというのか……。
否定して、励まして、彼女から貰った慈愛のほんの一欠けらでもいいから返したくて、その頭を丁寧にゆっくりと撫でつけた。
すると、アミは顔面をくしゃりと崩し瞳を潤ませながら、縋るように俺の名を呼び抱きついてくる。
ずっと気を張っていたのだろう。
彼女は、それからしばらく、子供のように声をあげ泣きじゃくっていた。
懐の内でいつの間にか深く眠りについていたアミを腕に抱え立ちあがる。
彼女から聞いた話に間違いがなければ、行きがけと同じあの通路を使ったとしても、エネルギー不足とやらで大量のモンスターに襲われることはないだろう。
無残な状態の死骸が積み重なった光景など見せたくはないが、他の脱出路など知らないし、よしんばそれらしき道を見つけたところで、そこが安全であるか、どれくらい時間がかかり、どこに出るのか、何も分からない以上、選択肢としては除外するしかない。
それを考えれば、彼女の意識がない今の状況は、願ったり叶ったりだろう。
懸念事項もあるにはあるが、傷も魔力も少しは回復しているし、何よりいつまでもアミをこんな所に置いておきたくないという思いもあった。
それから、俺は腕の中の存在を抱え上げ、万一にも傷つけられないように最大限注意を払いつつ、慎重に帰路へとついたのだった。