第二十三話~シェイク~
施設に足を踏み入れた瞬間、全身に鳥肌が立った。
理由は自分でも分からない。
別段、霊感があるとか勘が鋭いとか、そういった事実はなかったはずなんだけど……。
案内された先の施設の制御中枢には、SFばりの巨大で複雑な作りの機械が鎮座していた。
幾筋ものコードが複雑な軌道を画いて接続されている。
チョウ自身も触れている内にたまたま起動スイッチを押しただけのようで、動し方を知っているわけではないらしい。
そもそも、これがそういった『機械』であるという認識すらしていなさそうだ。
次に連れて行かれたのは、バイオカプセルらしき円柱の容器がズラリと並ぶ部屋。
透明な液体の中にさらに色付きの液体が注入されたかと思うと、その色付き液体が段々と形を成して行く。
そこから更に完全に液体がモンスターの形へと変化すると、天井より伸びて来たチューブがその身体に埋め込まれた。
幾重にも並んだ容器を眺めながら歩を進めれば、干からびてミイラのような容貌をしたモンスターが再び液化する姿が目に入る。
どうやら、繋げたチューブでモンスターの体内で作られる魔力を搾り取っているらしい。
それらが苦しげに蠢く姿に吐き気を催したが、チョウに弱みを見せたくなかったので何とか踏みとどまった。
その後も遺跡の様々な場所を案内された。
実は時計を持っていたらしいチョウに、遅い時間だからと最後に部屋に戻される。
扉を前にして軽く顔を顰め、私は彼に振り返りこう言った。
「あの、私できれば他のもう少しきれいな部屋で寝泊まりを……」
「いいえ、なりません。こちらでお休みください」
間髪入れずに笑顔できっぱりと拒絶を口にしたチョウのその眼には、ほの暗い狂気が宿っていた。
小さく喉を引き攣らせて、それ以上続ける言葉をなくす。
仕方なく部屋の中に入ると、すぐに扉は閉ざされ外から錠のかけられる音がした。
……チョウは、本当は私がここから逃げ出したがっているのを分かっているのかもしれない。
だとしたら、それを感じさせる素振りを見せるのは危険だろうか。
彼の瞳の奥に見える底知れない闇を思い出して身震いする。
その恐れに耐えるように、私は冷たい布団にくるまりギュっと目を固く閉じた。
~~~~~~~~~~
それから5日が経過した。
書物の翻訳をさせられることもあれば、遺跡の壁面に刻まれた文字を解読させられることもあった。
現在のこの世界の人間達にはあまりに過ぎた遺産だと思われるものや、大量殺戮破壊兵器になりそうだと判断したものは、読めないフリをしたり別の意味を捏造したりしてやり過ごした。
歴史を混乱に招くような真似はしたくなかった。
正直、こんな場所に何年も居続けたチョウが狂気に侵されるのも無理はないと思う。
連日のように研究に付き合わされている私の精神疲労は半端じゃあない。
部屋も不衛生でお風呂もないし、着替えも自前のもの以外は薄汚れたワンピースが1着だけ。
食事も日持ちのする簡素な携帯食ばかり。
いい加減、外に出て太陽の光を浴びたい。
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が欲しい。
あぁ、だけど……今のこの小汚い姿をした不安定な精神状態の私を誰にも見られたくない。
この日、どうも中から変な音がするからと、チョウに再び人工モンスターを作る施設へと連れて来られた。
制御機械の置いてある部屋へと向かう途中で、突然アラート音のようなものが鳴り響いたかと思うと、次いで平淡な機械音声が流れてくる。
『乙地区より不明物体が侵入しています。
3分後に各連絡通路間に防御壁を展開。
住民の方は速やかにシェルターへ避難して下さい』
『クリーチャーが不足しています。
生成に必要なエネルギーを注入して下さい』
『残存魔力量が1割を切りました。
中央魔光石発光量を温存モードに移行します』
直後、都市を照らしていた光の魔法石がその輝きを淡いものへと変化させた。
施設内も一気にその照明を落とし、ぎりぎり周囲が見えるか見えないかの光量だけが残った。
そこかしこから一斉に上がる温度のない声が、同じ台詞を幾度も繰り返している。
アラート音も一向に鳴りやまず、それに恐怖心を煽られた私は、たまらず地面にへたり込んだ。
チョウもこういった事態は初めてらしく、落ち着かない様子で周囲を見回している。
それでも平静を保っているのは、彼には機械音声が何を言っているか理解できないからだろうか。
『館内に作業員の不在を確認。自動管理モードに移行』
『第4区画にエネルギー固体を発見。自己供給を開始します』
「え?」
突如、天井からまるで触手のようなコード群が現れて、私たちに向かって伸びてきた。
背筋に言い知れぬ悪寒が走り、気が付けば、私はその場から全力で駆け出していた。
チョウは、あっさりコードに捕まってしまったらしい。
背後から断末魔のような空気を引き裂く悲鳴が聞こえてくる。
耐え切れず、私は咄嗟に耳を塞いで頭を振った。
「やあっ! もっ、やだっ! こんなとこやだぁっ!
誰か……誰か助けてっ!
助けてっ! 助けてぇぇえっ!!」
あり得ないことだと分かっていながら、それでも縋るモノを求めずにはいられなかった。
間近に迫る死の恐怖に怯え涙しつつも、必死に足を動かす。
何とかコードに捕まらず出口へと辿り着き、それでも安心できずに都市内を闇雲に走り続けていると、遠くに見える都市の壁面の一部が爆発でもしたかのように激しく弾け飛んだ。
予想外の出来事に、思わずその場に立ち尽くす。
粉塵の中からのっそりと姿を現したソレは、血のような深紅の鱗を持つ体長10メートルはあろうかという巨大なドラゴンだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
固い鱗に被われた竜の身体は、襲いかかって来る何百何千という杭を容易にはね返した。
怒り任せに口から吐き出した業火により、壁が焼けただれて杭の放出が止まる。
すでに己の意識などないに等しい竜形態の俺はしゃにむに暴れ出した。
爪で引き裂き、尾を振り回し、頭を打ち付け、翼で疾風を巻き起こし、口から炎を吐く。
それを思考の奥深くからぼんやりと眺めている内に、いつの間にか過去に想いを馳せていた。
~~~~~~~~~~
「お前なんかが生まれたせいでっ……!」
そう言って、父は幼い俺の身体を容赦なく打ち続けた。
母体の健康を脅かす程に貪欲にその生命力を吸収し、さらに胎児として大きくなりすぎた俺は、母の腹を内から破って誕生した。
そんな化け物じみた赤子は、0歳にして2歳児並みの体格を持っていた。
竜人族の自己治癒能力は亜人の中でも比較的高いが、それ故か回復魔法を会得している者はいない。
それまでに体力が限界まで低下していたこともあり、母はあっけなく死んだ。
そして、父は俺を憎んだ。
狭く暗い納戸に閉じ込められ、僅かな残飯と実父の暴力にひたすら耐える日々。
栄養が不足しているためか痩せ細りはしたが、なぜか身長だけは異常な程の伸びを見せた。
悪鬼のような顔に、ヒョロリと長すぎる身の丈、どこもかしこもガリガリに骨を浮かばせた体は、まるで亡者のようだ。
そんな俺を、父は本物の悪魔だと信じて疑わなかった。
本来生まれるはずだった子を殺して入れ替わったに違いないと、尋問とも拷問ともつかない責め苦の毎日を過ごしたこともある。
今思えば、この時すでに父は正気を失っていたのかもしれない。
そんな日常が異常なのだと気が付いたのは、里長が俺を引き取った後のことだった。
長の家族には忌み子だと言われ邪険にされはしたが、暴力はけして振るわれなかったし、まともな食事と寝床に加え最低限の教育も施された。
当時はその環境に安心すると同時に、またいつ父に連れ戻されるかと気が気でなかった。
外を歩けば大人たちからは遠巻きにされ、子供からは侮蔑の言葉と共に石を投げられる。
幼子の投げる小石が当たったところで大きな怪我を負うわけでもないし、生れ出でてよりのち父に暴行を加えられ続けたことを思えば、むしろそうされるのが普通だと信じていた。
逆に、俺のいない場所で彼らが笑いながら遊び回っている姿が不思議でならなかった。
教育の中でその関係に友という名がついていることを知ったのはいつの頃だったか。
自分に限っては有り得ない存在だと望みはしなかったが、どこかで憧れていたのは確かだ。
この時、俺はまだ笑うことも泣くことも怒ることも何も知らなかった。
周囲の人間にはさぞ不気味に映っていただろう。
月日は流れ、俺が10歳になった頃の話だ。
すでに身長は180を超し、圧倒的な体格差を恐れたのか、同年代の子供から石を投げられることはなくなっていた。
存在せぬ者のように扱われはするが、暴力を振るわれないだけで、俺には至極快適な日々のように感じられていた。
が、そんなおり、ようやく記憶の片隅に埋もれかけていた実の父が、唐突に俺の前へ姿を現した。
昼間の里長たちが家を空ける時間帯を見計らったのか、男が声を荒げているというのに誰かが様子を見に来るような空気もない。
父が今更になって俺を再び打ち据えようとするキッカケが何だったのか、それは未だに分からずにいる。
けれど、相変わらず父はその瞳に憎悪を湛えて、俺の頬へ躊躇いなく拳を振り下ろしてきた。
その日の父は執拗だった。
殴る蹴るはいつものことだが、その行為で過去ほど俺の肉体が傷付かないと知ると、わざわざ狩り用の槍まで持ち出してきた。
いつもなら避けもせずにされるがままになっている俺も、この時ばかりは生存本能に促されるまま必死に逃げ出した。
それでもすぐに追いつかれ、幾度も身体を貫かれる。
そうして命の危機に瀕した俺は、無意識に竜へと身体を変化させていた。
竜となった俺は、父をその鋭い爪であっけなく引き裂いた。
ぐちゃぐちゃの肉塊に変わった父を、何の感慨を抱くこともなく醒めた目で見降ろす。
空虚な心にも知らず内に悪感情が溜まっていたらしく、俺の破壊衝動はそこで終わらなかった。
幸いと言っていいのか、すぐに事態を把握した里の大人達が総出で竜化し殺しにかかってくれたおかげで、重傷者は大勢出たが父以外に人が死ぬことはなかった。
そうして完全に瀕死状態になった頃、彼らの手によってそのままどこかの山の奥深くに捨てられる。
放っておけば勝手に死ぬだろうと判断されての廃棄であり、自分自身それで構わないと思っていたのだが、忌み子である俺の肉体が生を諦めることを許さなかった。
雨に曝され雪に埋もれつつも少しずつ肉体は修復されていき、まともに食事すら摂取していないというのに、2か月も経つ頃にはほぼ全快していた。
父の、里の者たちの言うとおり、間違って母の腹から産まれただけで、本当に自分は化け物なのだろうと思った。
それからは色々なことがあった。
正体不明の老人に拾われ、自身の力の使い方を覚えた。
やがて老人は寿命を迎え、死の悲しみと命の尊さを知った。
大病を患い村を追われ、単身森で暮らす盲目の女性と出会い、俺は人の情について学んだ。
半年もせずに女性は息を引き取ったが、その頃には顔に表情がつくようになっていた。
その後、目的もなく旅を続けていると、ほんの僅かばかりでも友や仲間と呼べる存在ができるようになった。
いつしか冗談すら口にできるようになっていた。
だが、埋まらない。
感情を覚えていくほど、人と接していくほど、身体の中心を隙間風が吹き抜ける。
何かが足りないのだと、今でも孤独なのだと、その虚しさに心が慟哭する。
そして、あの日……俺は唯一を手に入れた。
全てが満たされ、幸福を知り、愛することを覚え、俺はようやく人になった。
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ふと声が聞こえたような気がした。
何より大切だった誰かが、必死に助けを呼ぶ声が。
もう意識が沈みきった自分にはその名を思い出すことすらできないが、本能がそれを求めた。
体当たりで壁を突き破る。
ガラガラと崩れ落ちる瓦礫を越えて進んだ先に、見たこともないような巨大な都市が広がっていた。