第二十二話~恐れ~
「とんでもない!
貴女の知識は役に立つどころの話じゃありませんよ!」
チョウが吠える。
「知識?」
「そうですとも! ご自覚がおありにならないので?
遺跡から持ち出したあの手帳が日記であると言うことを、すぐにそうだと看破した貴女のような有能な方をどれだけ探し求めていたか!」
「遺跡から……持ち出した……?」
まさか……あれは、まさか遺物だったのか。
だから、彼は私を……。
「えぇ。保存状態が良かったのか、劣化が少なく比較的荒く扱っても壊れそうにない丈夫な本だったので、補強を施した上で日々持ち歩いて解読を進めておりました。
様々な歴史書を漁ったり、大陸中の言語と照らし合わせてみたり、実在した古代文明の遺跡を巡り少しでも近しいところがないかと探すことも致しましたが成果は思わしくなく、文字の研究に関して後回しにしようかと思っていた矢先に貴女が現れたのです!
この時の私の興奮がお分かりでしょうか!?」
眼球を血走らせながら、グイグイと身を乗り出してくるチョウ。
目の前が真っ白になりそうだった。
それは、つまり……私は現代ではすでに知る者のいない、失われた古代文字を解読できる唯一の存在であるということだ。
あああぁぁあの美少年神様、なんて余計なことをっ!
これじゃあ、何のために魔法のある世界で一般人を希望したのか分かったものじゃない。
かといって、今さら言い逃れが出来る空気でもないし、つれなく拒否したら誘拐なんてかましてくれたこの御仁が今度はどんな暴挙に出るのか想像もつかない。
八方塞がりだ。
無事に解放されるには、大人しく彼の望む通りにするしかないのだろうか……。
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私に用意されたこの部屋は、遺跡の中の住居の1つを改造して作ったものだそうだ。
考古学者は基本的にその研究対象を弄ることを好まないと思っていたのだけれど、先ほどの本といい、この部屋といい、チョウにはあまりそういった感覚がないらしい。
他の遺跡でもこの態度でいて問題が起きなかったのだとすれば、これがこの世界での過去の遺産に対する扱いなのかもしれない。
それはそうと、私は今、チョウに連れられて遺跡の中の主たる建物を巡らされていた。
都市の中心部にそびえ立つ細長い塔の天辺に、まるで人工太陽のように燦々と輝く光の魔法石が鎮座している。
そのおかげで、地下だというのに遺跡の中は昼間のごとく明るかった。
一体、どこからそんな膨大な魔力が供給されているというのだろうか。
なるほど主要都市だという彼の見解の通り、広大で優美な白い建築物が燦然と建ち並んでいる。
全体的に、何となくギリシャをイメージさせるような造形が多いように思った。
まぁ、行ったこともなければ詳しくもないので、あくまでイメージなのだけれど……。
キレイに整備された道のいたる場所に大なり小なり芸術的な彫像が飾られている。
また、地上から運んで来られたと思われる木々が大通りに沿って点々と植えられていた。
そこかしこから、今はなき帝国の文明の高さが見て取れる。
とりあえず、1人でこの無駄に広い地下遺跡を脱出するのは難しそうだ。
無暗に飛び出して、遭難して餓死というお粗末な結果だけは避けたい。
都市を見回って、もう1つ分かったことがある。
それは、自分が入れられていたのは、この都市の中でもヒエラルキーの最底辺に位置する人間の住居か、もしくは牢獄か何かではないか、ということだ。
あんなただの石造りの不衛生極まりない建物など他には見当たらない。
周囲の建物も石造りでこそないが比較的規模が小さく作りも簡素で薄汚れていて、まるで貧民街のような雰囲気を醸し出している。
こんな場所を用意しておきながら、よくもまぁ最初に会った時にあれだけ待遇がどうとか言えたものだと少しばかり呆れた。
そこで、ふと気になってチョウの部屋の場所を聞けば、彼は寝袋を持ち歩いて、その日の研究対象を前に眠りについており、特定の拠点というものを持っていないということだった。
逆に効率が悪い様な気がするのは私だけだろうか。
「そう言えば、ここまで来るのに何か乗り物を使ったとのことでしたが……。
そちらの修繕はチョウさんお1人で?」
「いえ、そういった作業はさすがに私1人では手に負えませんでな。
専門の者を幾人か雇ったのですが、完成後に得た技術を使って商売にしようなどと私利私欲に走ろうとしまして。
全く、今思い出しても忌々しい。
イェンバーの文明を穢す様な卑小矮小な輩は、残らず人工モンスターの餌にしてやりましたよ」
「じ……人工……モンス……ター?」
ゾッとした。
人を殺しておいて、さもそれが当然だと言わんばかりの態度を取る目の前の男に恐怖を覚える。
一見してマトモそうなこの男は、正しく研究狂いであるらしい。
彼に対する言動は慎重に見極めなければ、私も例外なく同じ末路を辿ることになるだろう。
私の顔から血の気が引いたことになど気が付きもせず、チョウは楽しそうに話を続けた。
自らの研究の成果を、ずっと誰かに語りたかったのに違いない。
こちらにとっては、はた迷惑な話だ。
「人工モンスターとは、その名の通り人の手によって作られるモンスターのことです。
詳しいことはまだ私にも分かりませんが、何でもモンスターは大気中の何らかの成分を体内で効率的に魔力に変換することができるそうでして、それを利用して生活の役に立てていたと……。
いやはや、イェンバーの民の叡智には感心するより他ありませんな。
あぁ、丁度あそこに見える建物がその施設ですよ。
行ってみましょうか」
軽快な足取りで国会議事堂の様な風貌をした建物へと向かうチョウ。
このまま逃げ出したい衝動に駆られながらも、私は大人しく彼の後を追って行くのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「くっそ! キリがねぇ!」
地下通路を歩いて半日ほど経った辺りで、超音波にも似た不思議な音が鳴り響いた。
かと思うと、突如、床や壁、天井から次々とモンスターが現れる。
地上で見た強酸スライムを始め、猛毒を含む鋼鉄よりも固い殻に被われた甲毒虫、傭兵階級Bに相当する戦闘力を持ちながらその身を粉々に砕くまで再生を繰り返す骸戦士、高速で空を舞い触れるだけで死を招く大病を患うという翼鼠に、高い戦闘知能と腕力と素早さを兼ね備えた4本腕の凶暴な三面猿など、いずれもAランク以上のバラエティに富んだモンスター達だ。
それらが大量に湧き出て、休む間もなく襲い掛かってくる。
魔の森ですら有り得ない熱烈な歓迎ぶりに、思わず舌打ちが出た。
そもそも、気配を消してもいないのに向かって来られるなど初めてだ。
大体、不定形なスライムのみならまだしも、その他の魔物が壁をすり抜けて出現するなど有り得ないだろう。
この場所の何もかもが異様すぎる……。
アミがここにいるのだとしたら、あの男の裁量以前に何らかの理由で命の危機に瀕している可能性もあるかもしれない。
心配で逸る気持ちと裏腹に、どれだけ倒しても一向に減らないモンスター達に行く手を遮られ、ろくに歩を進めることが出来ずにいた。
ならばと炎で一帯を焼き尽くしても、すぐに次の一団が現れるため、あまり意味がない。
むしろ、無駄に魔力を消費してしまう結果になるのだから、完全な悪手といえるだろう。
俺は、苛立つ心をぶつけるように乱暴な挙動でモンスター達を延々と屠っていった。
~~~~~~~~~~
あれから、丸1日は経っただろうか。
一瞬たりとも途切れない猛攻に、俺はいつにない疲労を感じていた。
普段なら3日3晩戦い続けた所で息のひとつも乱れはしないのだが……。
とは言え、原因は分かっている。
未だにアミを助けられないという焦りから来る激しい精神の消耗と、それゆえに持久戦を想定せずに全力で戦い続けてしまったという明らかな配分ミスのせいだ。
まだ攻撃を喰らう程の隙は生じていないが、少しずつ返り血を浴びるようになってしまった。
幾重にも積み重なったモンスター達の醜悪な死骸から立ちのぼる死臭に眉を顰める。
おそらく自身にもその臭いは染みついてしまっているだろう。
無事に再会できたとして、返り血をそこかしこに浴びた俺をアミは怖がりはしないだろうか。
他の人間と同じように、化け物でも見る様な怯えた目を向けられてしまったら……。
早く会いたいという気持ちに偽りはないが、それを考えると臆病にも先に進む足に躊躇いを覚えた。
地下なので正確な時間を知る術はないが、それからさらに半日ほどが過ぎた頃だったように思う。
道の先にようやく出口のようなものを見つけ、少しばかり気力が上昇した。
一斉に跳びかかって来る三面猿たちを斧で薙ぎ払うついでに扉を破壊し、中へと踏み込む。
直径で200メートルはありそうな広い半円形の空間。
その空間の最も上部に光の魔法石が埋め込まれており、どこから魔力を得ているのか未だ輝きを失わずに部屋を明るく照らしていた。
地下であるにも関わらず、ところどころむき出しになった地面からは青々とした木々が生い茂っている。
部屋の中央には精巧な模様と女性型の像で彩られた豪華な噴水が鎮座していた。
すでに水は枯れており、一部が欠けて若干みすぼらしくはなってはいたが、それでも機能していた当時の美しさが窺える。
癒しの空間とでもいうのだろうか。
こんな時でさえなければ、何とも静謐なひと時を過ごせたことだろう。
今の俺にとっては、むしろ不気味なだけだがな……。
なぜかモンスター達はこの部屋には入って来なかった。
しばらく破壊した扉の向こうからこちらを見ていたようだが、やがて潮が引くように姿を消していった。
首を捻りながらも、考えてもどうしようもないことだと思考を切り替える。
ちょうど直線上に見える反対側の壁に巨大な扉が見えたので、警戒しつつも歩を進めた。
噴水の横を通り過ぎようとした時、モンスターが現れる前に聞いたあの超音波のような音が再び激しく鳴り響く。
やはり罠か。
何かが弾けたようなバチンという音と共に、部屋が一瞬にして闇に包まれた。
同時に背後から風を切る音がして、咄嗟に身を捩る。
直後、先端の鋭く尖った杭のようなものが脇腹の肉を容赦なく抉り取っていった。
その痛みに小さく呻き顔を顰めつつも、振り向きざまに杭の飛んできた方向へと灼熱の炎を放つ。
だが、その炎が捉えたのは木々と壁のみ。
ならばと部屋中の気配を探るも、何も掴めはしなかった。
しかし、その理由はすぐに分かった。
燃え盛る壁からジワジワと杭が生えてきたかと思うと、次の瞬間には俺を目掛けてものすごいスピードで飛来してきたのだ。
今度は躱すことが出来たのだが、それを合図にしたかのように壁中から杭が放たれて、思わず息を呑んだ。
何とか急所だけは避けたものの、至る所を貫かれ大量に血が流れたおかげで次第に意識が朦朧としてくる。
……心臓が熱い。
どうやら生命力の低下に伴い、強制的に竜形態に変わろうとしているようだ。
心の奥深くに封印したはずの破壊衝動が暴走しようとしている。
だが、それを抑え込むだけの精神力はもう残っていない。
また、あの悪夢を繰り返そうというのか……。
そんな絶望的な気分を抱いた時には、すでに俺の身体は巨大な赤竜へと変化していた。
怒りに満ちた地を震わせるほどの咆哮を、深く沈み込もうとする意識の狭間で聞いていた。
チョウが国境の町で口にしていた研究所というのは、実際には存在しません。
地上でイェンバーの名を出すわけにいかないので、その仮称として使用していました。