第二十話~他が為に~
身体を打ちつける強い衝撃に意識を取り戻した。
動かない手足に一瞬混乱するも、すぐに宿で襲われたことを思い出す。
状況から考えるに、どうやら私は攫われてしまったようだ。
体育座りに近い体勢で狭い場所に押し込められているらしく、体のあちこちが痛む。
うつ伏せの状態になっていることから、先ほどの衝撃は私が入れられている箱か何かが前向きに倒れでもしたのだろうと推測した。
しかし、身体を縛るだけに飽き足らず、目や口まで布で塞がれているため、周囲の状況を把握することも難しい。
ガタガタと振動が続いているのは、馬車か何かで移動しているからだろうか?
にしては、少し振動が大人しすぎる気がするが……。
それにしても、私は何の目的で捕えられたのだろう。
私自身には身分も特殊な能力もないし、何の利用価値もないはずだ。
そりゃあ、性的な意味でなら価値がないとも限らないのだろうが、それでは不自然な点が多すぎる。
そもそも、この世界に来てまだ1度も奴隷らしき存在を目にしたことがない。
人間が人間である以上、それに相当する者が全くいないということはないと思うのだが、だからといって様々なリスクを無視して私のような微妙な女を宿から攫う意味はないと思う。
あの宿が実は人身売買組織の隠れ蓑だったというオチなら分からないでもないけれど、さすがにこれは少々突飛すぎる考えだ。
しかし、そうすると目標を私に定めた理由があるはずで、さらに言うなら計画的犯行であった可能性も……。
あぁ……ダメだ……薬の影響がまだ続いているらし……また……意識……が……遠……く……。
次に目を覚ました時、私は簡素なベッドに横たえられていた。
無意識に顔に手をやる。
その拍子に拘束が解かれていることに気が付いた私は、勢いよく身を起こした。
まずは自らの状態を確認。
多少、手首や足首に縄の痕が残っていたが、特に身体に異常は見られない。
服もそのままだ。
こんなことになるのなら、ナイフの1本でも隠し持っていれば良かった。
悔しさに唇を噛むが、事実は覆らない。
次に部屋を見回す。
窓がないらしい石造りの部屋はかなり暗かった。
小さな木の机の上に淡い光を放つ魔法石と思わしきものが置いてあるが、それが唯一の光源のようだ。
窓さえあれば時間の経過も分かるし、うろ覚えとはいえ星を見て大まかな現在地を推測したり、太陽の軌跡から部屋の方角を予想したり、外の様子を観察して逃走ルートを脳内シミュレートすることだって出来たはずなのだが……。
それを防ぐためのこの部屋なのだとしたら、これは人を攫うことに慣れた人間の仕業なのだろうか。
せめて、コメディチックな漫画や小説のキャラクターのように、お腹の具合で時間が分かる特殊機能でもついていれば良かったのに。
納戸か何かと思っていた扉を開けると、そこにはむき出しになった地面に深い、しかし底の見える程度の穴が空けられていた。
現代人としてはこの穴の用途を理解することを拒否したいところだが……どうやらトイレのようだ。
町の宿は大抵が水の魔法石を使った水洗に近い作りになっていたので、そう不満もなかったのだけれど、だからこそこのトイレは色々な意味でダメージが大きい。
一応、木蓋があるようなので、普段はそれを被せておけば良いのだろう。
とりあえず、これでこの部屋が1階もしくは地下ではないかという予測が立った。
わざわざ2階以上に土を運んだり、深い穴が掘れるような作りの部屋を設計したりはしないだろう。
壁の側面にある1センチほどの穴から水がチョロチョロと流れており、その下にある水受けと思わしきでっぱりに少量の水が溜まっていた。
確実に飲み水でないソレはどうにもカビっぽく、触れることさえ躊躇してしまう。
部屋に戻り、外へつながっているであろう扉を観察してみた。
パッと見は木でできているようだが、どうも叩いて調べた感じでは鉄板か何か仕込まれている様子があり、壊して脱出というのも不可能そうだ。
その後、壁や床に隠し通路や脆そうな箇所はないかと調べてみたが、普通になかった。
素人のやることだから、単に見つけられなかっただけの可能性もあるけれども。
外につながっている確率は高いが、さすがにトイレの土を掘るのだけは拒否したいところ。
汚泥には塗れても、糞尿には塗れたくない。
人として大切な何かを失ってしまう気がする。
一通り見終わって、現状打つ手なしとの判断を下した私は、ベッドに音を立てて倒れ込んだ。
後は相手の出方を待つより他ない。
ここまで連れてきておいて飢え死にさせることはないと思うので、とりあえず今は体力温存の意味も込めて大人しくしておくことにする。
やることもないので、暇つぶしもかねて犯人の目的についてうだうだ考えていた。
そして、その内に1つの大きな可能性に思い至る。
そう。例えば……マサに対する人質……とか……。
あぁ、ありそうだ。
噂1つで騎士団が出張してくるほど人に疎まれている彼のこと。
その中には、本気で排除を望む輩も少なからずいるだろう。
彼は優しいから、私の命を盾にされたら抵抗も何も出来ないに違いない。
そうなったら恩に報いるどころか、完全に仇で返すことになってしまう。
それだけはダメだ。
自分1人なら泥水を啜ってでも生き延びようとするかもしれないけれど、彼の命がかかっていれば話は別だ。
いざとなったら、自ら死ぬ覚悟もしておかなければ……。
物騒な考えに至ったところで、扉の向こうから小さく足音が聞こえてきた。
段々と近付いてきているようだ。
この部屋に来るのかもしれない。
だとしたら、寝たふりをするか、起きて待っているか、扉の横に待機して開いた隙に脱出を謀るか。
一瞬で浮かんだ3つの選択肢。
最良の結果を得るために、私はどれを選ぶべきなのだろう……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とにかく、情報が欲しい。
そう思った俺は、従業員の男に気配を消して近付き、逃げられないように腕を掴んで声をかけた。
「おい、話がある」
振り向いて俺の顔を視界に収めた瞬間に、男が悲鳴を上げようとしたので素早く空いている方の手で口を塞いだ。
こんな朝早くに大声を出せば他の客の迷惑になるし、それで起き出して来られたらまた変な誤解を受けかねない。
すると、男は顔に絶望の色を混じらせ、それに呼応するように身体を小さく震わせた。
その反応に『頼むからここで気を失うことだけはしてくれるなよ』と内心でため息をつく。
「まぁ、落ち着け。
ちょいと質問があるだけだ。危害を加えるつもりはねぇ。
分かったらいいか…………騒ぐなよ?」
男が小刻みに頷くのを見て、俺はゆっくりと口から手を外した。
瞳に涙を滲ませながら浅い呼吸を繰り返す姿に、こんな状態でまともに質問に答えられるのかと懸念する。
だが、今はこの男の心情を慮るような余裕はない。
怯えて落ち着かない様子の男を前に、俺は容赦なく質問を投げかけた。
男の口からたどたどしく綴られる情報を取捨選択し、また質問を繰り返す。
そうやって聞き出した話を頭の中でまとめていった。
米をばらまいたのは30分ほど前に宿を発った客で、謝罪と共に掃除を頼まれた。
その客はやたらと大きな荷物を持っていた。
部屋を取ったのは夜も遅くなった頃で、その時はそんな荷物を持ってはいなかった。
茶色のローブを目深にかぶっていたが、声からしてそう若く無い男だという印象。
また、身長は少し低く180に届かない程度であったらしい。
何ともあからさまで分かりやすい。
米を撒いたのが女だと言うのならアミが自分で出て行った可能性もあったが、これで完全に彼女が攫われたであろうことが確定した。
特徴から察するに、昨日出会った研究どうとか言っていた男が犯人だろう。
手口に粗が目立つのは、そういったことに慣れていないせいか。
それにしても、自分の研究とやらにどれだけ熱心なのかは知らないが、そのためなら犯罪に走ることも厭わないとは狂気じみている。
とりあえず、ここを離れたのが30分前なら、まだ自身の捜索の範囲内にいるかもしれない。
俺は急ぎ荷物を纏め、宿を出て町の出口へ走りつつ、慎重に気配を探った。
しかし、希望とは裏腹に、どれだけ探してもアミは見つけられなかった。
俺たちが宿を決めたのが夕方過ぎの時間で、後を追ってきたはずの男が夜遅くの入りだったことを考えると、周到に用意をしていたのかもしれない。
移動の手段も事前に手配していたのだろう。
アミを攫ったのがあの男だとすれば、行き先は西南の国で間違いないはずだ。
とは言え、ルートは1本ではないため、追おうにもどの道を行けば良いのか分からない。
一応、西南の国に向かうつもりではいるが、1人で探して回るには国1つという範囲は広すぎる。
ジレンマを感じつつ道を走っていて、ふと前にアミからもっと人を頼れと言われたのを思い出した。
そういえば、カウガンの嫁のナーエさんは昔腕利きの情報屋だったという話を聞いた覚えがある。
結婚と同時に引退したらしいが、それでも現役の人間に顔を繋いでもらうくらいはできるかもしれない。
単身で闇雲に探し回るよりは効率も良いはずだ。
そう思った俺は、踵を返すとともに一気に駆ける足を速めた。
~~~~~~~~~~
「そういうわけで力を貸して欲しい」
あれからわずか2日で俺はカウガンの宿に到着していた。
いつになく必死な様子の俺に、珍しくカウガンも真剣な態度で接して来る。
アミが攫われた旨を告げると、カウガンはそれだけで心得たとばかりに頷いてナーエさんを呼びに行った。
それからすぐに現れたナーエさんは、今まで見たことのない鋭利な空気を纏っていた。
おそらくこれが情報屋としての彼女の姿なのだろう。
ひとまず深呼吸で気を落ち着けて、俺はアミが消えた経緯を口にした。
「いいわ。そういった情報に強い知り合いがいるから紹介してあげる」
至極あっさりと了承の意を示したナーエさんは、そこからさらに情報屋に接触するための詳しい手順や相場、タブーとされている言動などを説明してくれる。
一通り話を聞き終わった後、教えられたことを忘れないように頭の中で反芻した。
「あぁ、そういえば失念していたな。
ナーエさん、貴女に払う紹介料はいくらになる?」
「いやぁね、いらないわよ!
これは仕事じゃなくて個人的なし・ん・せ・つ。
そんなこと考える暇があったら、アミちゃんと再会した時に何て言うかでも考えてなさい」
ナーエさんは先ほどまでの空気を一転させ、朗らかに笑いながら背中をバシバシと叩いてくる。
俺はそれに苦笑いで返して、起立し深く深く頭を下げた。
「スマン、恩にきる。
今後、俺の力が必要になった時は遠慮なく呼んでくれて構わない」
「もうマサ坊ったら……別にいいのよ。
私ね、アミちゃんに感謝してるの。
だって、ようやく貴方が人を頼ることを覚えたんですもの。
こんなに嬉しいことはないわ。
今まで頑なに1人であろうとしていたマサ坊を、私たちずっと心配していたのよ」
「ナーエさん……」
こちらから声に出さなければ、助けて良いかも分からない……か。
あの時のアミの説教は、真に正鵠を射ていたのだ。
今更ながら彼女の優しさが身に染みる。
「さっ、急ぐんでしょう。
こんなところでモタモタしてないで、さっさとあなたの女神を助けに行ってらっしゃい!」
その言葉に思考を切り替え、もう1度深く頭を下げて、俺は身を翻して外へと駆け出すのだった。
マサが本気で走ったら新幹線並みのスピードが出ます。