第一話~邂逅~
~~~表記が時間経過、◇◇◇表記が視点変更となっております。
気がつくと、私は空中から落下していた。
薄いパジャマ越しに容赦なくぶつかって来る空気が酷く冷たい。
何とか薄目を開けた先の遥か下方に、鬱蒼と木々の生い茂る深い森が見える。
どうやら、かなりの上空から落ちているようだ。
悲鳴を上げるどころか、風の勢いが強すぎて、まともに呼吸することすらままならない。
このままのスピードで地面に到達すれば、私の命はどうあっても助からないだろう。
ほとんど諦めの境地で意識を失う直前、森から大きな深紅の何かがこちらに向かい飛び出してくる姿を視界の端に捉えた気がした。
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「生き……てる……?」
ぼんやりと思考を取り戻した私は、その事実に驚いてか、無意識に呟きを零していた。
おもむろに瞼を開けると、すぐ目前に丸太のような腕が映り込む。
また、身体の感覚から、とても大きな誰かに横向きに抱えられていることが分かった。
この人に助けられたのだろうか、と未だハッキリしない脳の中で平和ボケした日本人らしい想像を巡らせる。
次の瞬間、私のすぐ真上から、今まで聞いたこともないほど低くしゃがれた声が響いた。
「目が覚めたか」
反射的にそちらに顔を向けると、そこには金剛力士像も裸足で逃げ出しそうなほど恐ろしい容貌をした男が、そのぎょろりとした三白眼で私を見据えていた。
いや、ここまで極端に黒目が小さいと四白眼といった方が正しいかもしれない。
きっと、こういう顔を顔面凶器と称するのだろう。
彼の尋常でない風体を前にして、2度目の気絶に陥らなかった自分を褒めればいいのか罵ればいいのか、全くもって分からなかった。
視線を合わせてすぐ、ギクリと身体を強張らせて固まった私に対して、男はゆっくりと視線を外した後、どこかバツが悪そうに言う。
「スマン」
「……え?」
なぜかいきなり謝られて、私は思わず疑問の声を上げてしまった。
不用意な発言が、このとても人間とは思えないほど迫力のある顔面をした相手の気に触っていたらと考えると、少しばかり顔から血の気が引いてしまう。
「人と目を合わせるなと忠告されているのを忘れていた。
仲間内でも心臓に悪いだの、寿命が縮むだの、散々言われていたんだがな……」
そう言って彼は眉間に皺を寄せ、目を細めた。
その行動はさらに男の容貌を恐ろしいものにしていたが、声のトーンと話の内容から推測できる彼の人柄を考えれば、先ほどよりも落ちついて眺めることが出来る。
見た目は凶悪犯罪者すら一目で尿を垂れ流しながら泣き叫び侘びを入れてきそうな極悪さでも、どうやら心から悪い人間というワケではなさそうだ。
状況を確認するために、私は男に問いかける。
「あの、貴方が私を助けてくれたんですか?」
「……まぁ」
「そうですか。それはありがとうございました」
歯切れの悪い回答だが、一応肯定ということでいいのだろう。
それが嘘か本当か見分ける術はないけれど、少なくとも未知の状況に置かれている今、唯一の接触者である彼に悪い印象を与えるわけにはいかない。
そんな打算的なことを考えながら、お礼を述べ、併せてペコリと頭を下げる。
その際、腰に回された太い腕とお尻の下の胡坐をかいた状態の足が視界に入り、私は自然と浮かんだ疑問を口にしていた。
「あの、なぜ私は貴方に抱きかかえられているのでしょうか」
「あぁー……誤解するなと言っても無理かもしれねぇが、不埒なことをしたわけでも、考えたわけでもねぇからな。
身体がかなり冷えちまってたんで、応急処置というか、そういうアレだ、本当だぞ」
「……それは、重ね重ねありがとうございました」
もう1度、今度は先程よりも少しだけ深く頭を下げる。
かなり不審にさせる話し方をするものだと思うが、おそらく過去にそういった誤解を本当に受けたことがあって、焦ってしまっただけなのだろう。
この顔面ならさもありなん。
私が男の発言を疑って騒がなかったことに驚いたのか、彼は分厚い瞼を3度ほど瞬かせていた。
はは、米の国のアニメみたい。
「いや、そう礼を言われるこっちゃねぇっつーか。
……それより、嬢ちゃん。
お前さん、靴すら履いてねぇその軽装備で、どうやってここまで来た?」
気恥ずかしいのか話を逸らすように投げられた男の問いに、私はおのずと押し黙ってしまった。
自分自身理解も納得もしきれていない現状で、まともに答えられる口などあるはずがない。
この時の私の脳内を占めていた考えを暴露するなら『何て説明したらいいのか分からない』が5割、『正直に全部話したところで信じて貰えるわけがない』が3割、『嬢ちゃんって言われたけど、私いくつくらいに見えているんだろう』が1割、『そういえば、私パジャマ姿だった恥ずかしい』が1割だ。
若干、緊張感のない思考が混じっているけど、気になってしまったものは仕方がないと思う。
俯いて何も言わない私に、大男は別の質問を重ねてきた。
「それとだ、何をどうやったらあんな上空から落ちるようなことになるんだ?」
それは私が聞きたい。
異世界に飛ばされてしまったのはもうどうしようもない事実なのかもしれないけれど、その先が空である意味が分からない。
一体、神様とやらは何を考えているのだろうか。
それとも、何も考えていないのだろうか。
なおも俯いている私に、男はガシガシと頭を掻きながら口を開く。
「なぁ、嬢ちゃん。せめてこれだけ教えてくれ。
言えねぇのか? それとも、分かんねぇのか? どっちだ?」
さすがにこの問いにまで黙っているのは得策ではないだろうと考えて、私は目を伏せながら答えを返した。
「…………後者、です」
「はぁー。成程なぁ。
……で、これからどうすんだ? アテはあるのか?」
黙って首を横に振る。
男の視線は相変わらず私から外されていたが、気配で分かったのだろう。
頭上から小さくため息が漏れるのを感じた。
キュッと男の胸元の服を掴んで、縋るような気持ちで顔を見上げて言う。
「あ、あの……。
ご迷惑にしかならないのは重々承知していますが、一緒に連れて行っていただくわけにはいかないでしょうか。
わ、私に出来ることは何でもしますから……だから……」
もし、断られてこの深い森の中に放置されてしまったら、ほぼ確実に野たれ死にするだろう。
じわじわと目頭が熱くなり涙の出そうな気配がしたが、私はそれを気合いで止めた。
泣き落しなんか趣味じゃないし、逆に面倒な相手だと彼に認識されても困る。
「いくら何でも、この状況で見捨てたりしねぇよ」
呟くような小さな声だったが、その言葉はハッキリと私の耳に届いた。
ハッとして意識を向ければ、男は微妙な苦笑いを含ませた表情をして、私を安心させるように軽く2度ほど頭に手を置く。
彼の心情を理解し、落ち着いた気分で息を吐きだせば、今度は少しばかり眉間に皺を寄せて男が忠告してきた。
「それよりなぁ、嬢ちゃん。
余計なお世話かもしれねぇが、あんまり簡単に何でもするなんて言うもんじゃねぇぞ。
世の中にゃあ、タチの悪い人間がいくらでもいるんだからな」
多少なりと人格を信頼した結果であり、また、彼しか頼れる者がいない現状だからこその言葉だったのだが、余程の考えなしにでも見えたのだろう。
言っている内容自体に間違いはないので素直に頷いた私に、男は満足そうに微笑んだ。
この時、私はこっそり『笑顔の方が怖いな』とか『顔に似合わずお人好しなんだな』とか、そんな失礼な思考ばかり脳内に巡らせていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
Bランク以上のモンスターが数多く生息する魔の森で、討伐依頼のあったAランクモンスター5体を難なく狩り終わり、売却できる部位を回収して太陽の位置を確かめようと空を見上げた。
そこでふと、遥か上空から何かが落下してきていることに気が付く。
その正体を確かめようと瞳を据え、段々と大きくなってくるソレをハッキリと捉えた瞬間、俺は驚きに目を見開いた。
人だ。
意識があるのか無いのかは分からないが、落下中のその人間はピクリとも動かない。
さすがにここで見殺しにすることも出来ないので、俺は素早く竜形態を取り、翼を広げ空へと飛び立った。
無事にその人間を受け止め、慎重に森に降り立って人形態に戻る。
改めて姿を視界に含めば、それは何ともひ弱そうな少女だった。
かなり身体が冷えてしまっていたので、近場の木の根元に腰を下ろして腕の中に抱え込み、魔法で火を焚いた。
体勢が定まったところで、腕の中の少女をじっくりと観察する。
容姿こそパッとしないが、この辺りでは珍しい艶のある黒髪に、少し黄みがかった滑らかな肌、非常に縫製の細かい奇妙な柄の服に、そこから伸びた華奢でマメひとつない手足……。
見れば見るほど厄介事に関わってしまった気がして、俺は軽く頭を抱えた。
1時間ほど経った辺りで少女の体温が正常に戻ったので、流していた魔力を絶って火を消す。
彼女が目を覚ましたのは、それから更に1時間が過ぎた頃だった。
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「生き……てる……?」
小さな音量ながらしっかりと聞こえたその声は、思ったよりも低く落ち着いた雰囲気だ。
見た目よりも、もう少し年齢が上なのかもしれない。
声をかけると、少女はスッと俺を見上げた。
っあ、しまった。
瞬間、彼女は息を飲んで固まってしまう。
俺は自らの短絡的行動を後悔しつつ、どうにかこれ以上刺激を与えないよう、少女からゆっくりと視線を外した。
己の迂闊さに辟易する。
自身の持つ何もかもが他人を脅えさせる材料にしかならない事実は、昔からよくよく知っていたはずだったのに、なぜさも当たり前のように彼女に声をかけてしまったのか理解ができない。
反省して、更に脅えさせるかもしれないが黙りこむのもどうかと思い謝れば、少女は思わずといった風に疑問の声を発した。
言い訳がましいセリフを並べたてる俺をどう思ったのか、彼女はこちらを見つめたまま徐々に身体の強張りを解いていく。
はて……???
初対面の女子供の反応は、半狂乱になって泣き叫ぶか、もしくは気絶と相場が決まっていたはずなんだが……。
早くも平静を取り戻したらしい彼女は、俺に助けられた事実を確認すると、丁寧に頭を下げてから、再び見上げてきた。
おぉ。なんという……なんという肝の据わった少女だろうか。
この狂気の顔面を眺め続けていられるのもそうだが、何より礼を言う彼女の声には怯えが含まれていないのだ。
俺は内心でかなり驚いていた。
続いて発された疑問に答えてやれば、少女はその内容を疑うこともなく、また同じように頭を下げつつ礼を述べる。
すごい、すごいぞ。
初対面の人間とこんなにもマトモに会話が進むなど、言葉を曲解もされずに、しかも感謝までしてもらえるなど、死ぬまで有り得ないことだと思っていた。
あぁ、人と話をするというのは、こんなにも爽快な行為だったのか。
普段にない態度を取られて、ウッカリ感激の視線を送りそうになってしまった。
年甲斐もなく己を忘れそうになった愚かさと気恥ずかしさを誤魔化しついでに、俺は彼女へと質問を投げかける。
「お前さん靴すら履いて無いその軽装備でどうやってここまで来た?」
それを聞いた途端に、少女は顔を曇らせて俯いてしまった。
嫌な予感が再発する……。
懲りずに別の質問をしてみるが、やはり答えはない。
どうしたもんかと考えつつ、右手で後ろ頭をかいた。
それまでの態度を見るに、俺に恐怖して答えられないというワケではないだろう。
ないと思いたい。
だとすれば、やはり厄介な事情を抱えているというのが正解なのかもしれない。
少しでも判断材料が欲しいので、大まかな2択で尋ねてみる。
すると、今度は少しばかり思案するような気配がした後、ようやく彼女の口から質問の答えが返ってきた。
……分からない、か。
誰ぞに誘拐でもされたか、何かの事件にでも巻き込まれたか、はたまたモンスターに攫われでもしたのか、まさかの記憶喪失か。
アテはあるのかと尋ねれば、当然のごとく少女は首を横に振った。
その答えに軽くため息をつくと、彼女は俺の服を掴んで見上げてくる。
なるほど現状を正確に把握しているらしい少女は、何でもするから一緒に連れていって欲しいと頼み込んできた。
だが、彼女の言葉尻には隠し切れない震えが混じっている。
それでも、流れそうになる涙をぐっと堪えて強い眼差しを向けてくるのだから、感心もするというものだ。
存外、勝気な性格なんだな。
あー、いや、俺と会話ができる時点で、少なくとも肝が据わっているのは分かっていたが。
もしくは、人前であからさまに感情を出すのは恥だとされる、貴族のような考えを持っているのかもしれない。
見捨てないと、心からそう告げた俺を驚いたように見上げる少女に、軽く苦笑する。
気まぐれに彼女の頭をポンポンと叩いてみれば、その唐突な行動を怖がりもせずに、小さな口から安堵の息を吐いた。
少女の反応を心底微笑ましく思うも、一方で、初対面かつ凶悪な面の俺にろくな警戒心も抱かない彼女の行く末が少し心配になってしまうのだった。




