第十七話~リスタート~
息苦しさに目を覚ますと、マサが私の腹部にうつ伏せに頭を乗せて眠っていた。
原因はこれかと思いつつ、起こさないように慎重に枕と身体を入れ替える。
ベッドの側面から上半身だけが乗っかっている体勢を見て、おそらく気絶した私を看病していて、疲れてそのまま寝てしまったのだろうと推測した。
よく見れば、マサの瞼は腫れて赤みがさしている。
顔の迫力は増していたが、それほど心配されていたのかと思うと胸の内にジワリと染入るような愛しさが募った。
と、そこで自分の中に湧いた感情に驚いて、やはりあの小さな私との出来事は単なる夢ではなかったのだと再認識する。
静かにベッドから降りると、身体の節々が痛んだ。
今が朝であることから考えるに、私は昨日から丸1日近く眠ってしまっていたらしい。
全身を順番に軽く動かして、凝り固まった身体をほぐす。
そうして最後に首を一回しして、深く息をついた。
落ち着いて周囲を見渡せば、どうもまた同じ宿に部屋を取ったのだということが分かる。
私が自分可愛さに意識を飛ばしたおかげで、マサに無駄なお金を使わせてしまったようだ。
自然、眉が下がってしまう。
けれど、おかげで無事に心を取り戻すことができたし、これでようやく前へ進むこともできるだろう。
勿論、今までにない不安や恐怖も感じているけれど、少なくともマサが隣りにいる間は大丈夫じゃないかという漠然とした安心感があった。
「アミッ!?」
目が覚めたらしいマサが、勢いよく起き上がる。
ベッドに私がいないことを確認し、焦ったように辺りを見回している。
そんな彼の姿を見て、私は苦笑い交じりに声をかけた。
「おはよう、マサ」
「っアミ! ほ、本物か? 夢……じゃ……ねぇよな……?」
「うん。何か私、長く眠ってたみたいで、迷惑掛けてごめんね」
「いい。起きてくれただけで……本当に、それだけで……」
首を緩やかに横に振りながら、感極まったように涙を滲ませるマサに疑問を抱く。
1日眠っていただけにしては、ヤケに大げさな反応だ。
いつもより少し力の入らない手足を眺めて、まさか……と口を開いた。
「ま、マサ。私、どのくらい眠っていたの?」
「ん? あぁ、お前が倒れてから今日で4日目だ。
このまま起きねぇんじゃねぇかと心配したぞ」
「4日ぁあ!?」
驚きに叫べば、反射的にか、目の前の巨体がビクリと跳ねていた。
その後、マサに詳しい説明を求めた私は、その想定外の出来事の連続にウッカリ立ちくらみを起こし、むやみやたらに過保護な男の手によってベッドへ強制移動させられたのだった。
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「アミ、起きたばかりなんだから無理をするな」
「別にこのくらいどうってことないって。
マサは、さっきから心配しすぎ」
昼に顔を出した医師から異常無しと診断を受け、食事は消化に優しいものにするよう助言をもらったので、厨房の一部を借りてお粥を作ることにした。
作業を進める私の傍で、大丈夫かと周りをウロチョロするマサは図体の大きさも手伝って少々鬱陶しい。
今回の件で、彼から結構な好意を持たれているらしいことは分かった。何せ泣かれるくらいだ。
けれど、私にはその方向がどうも父性愛ではないかという気がしてならない。
彼には今も私が中学生くらいに見えているんじゃないだろうか。
いかんせん、態度がその頃のやたら溺愛ぎみだった自分の父親そっくりなのだ。
そもそも、これだけ一緒にいてエロい視線で見られた記憶も、ラッキースケベが起こった事実も1度もないとはどういうことだ。
以前はそれでも問題なかったけれど、今となってはもどかしいというか何というか……。
かと言って、私が好きだ何だと体当たりで告白したところで、マサを困らせるだけだろう。
それに、まだ立場だって対等じゃあない。
こんなおんぶにだっこの状態で、1人前の人間として見て欲しいなどと言うのは甘えだ。
だから、気持ちを伝えるなら、私がきちんと1人で生計を立てられるようになってからが良い。
……が、それまで何のアプローチもしないという愚行を犯すつもりは勿論ない。
告白の成功率を上げるためには、少しずつでもアクションを起こさなければ。
放っておいて、鳶に油揚げなんて状況に陥るのも避けたい。
こっちの人間に比べたら極端に地味顔で身体も凹凸が少なく色気もへったくれもないかもしれないが、そんな事は百も承知だ。
私の持てる全てのスキルを使って、女を意識させてみせようじゃないか。
うん。目標があると、何事にもやる気が湧いて来る。良いこと尽くめだ。
とりあえず、亜人や同性しか恋愛対象にならないという可能性については、現状目をつぶることにした。
内容が内容だけに直接聞くのも憚られる。
そうと決まれば、まずはさりげないスキンシップを増やすことから始めよう。
いきなり態度を変えて警戒させてもいけないので、こういうことは慎重に進めたい。
それと、服は基本カッチリと着こむ。
無駄に露出を多くするより、普段は隠しておいて時折わずかに肌を見せるといった方が効果的だったはずだ。
髪を結いあげてうなじアピール……は、短くて無理だから保留。
あと思いつくのは、なるべく笑顔を心がけるくらいかな?
ちなみに、こういった作戦を考えたり、ましてや実行するというのは初めてだったりする。
今までは大抵告白された流れで付き合っていただけで、自分から何かをしたことはなかったし、しようとも思わなかった。
そう考えると、ある意味これが私の初恋なのかもしれない。
そんなことが頭をよぎったせいか、急に気恥ずかしくなって無駄にガシャガシャと鍋をかきまわしてしまった。
平常心、平常心。
それから完成したお粥を一緒に食べて、今後の話をしようという場面で意識的に最初の第1歩を踏み出してみる。
ここからが本当の異世界生活の始まりなのだと、私は内心で秘かに気合を入れるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気がつけば朝だった。
やはり願望が見せた夢だったのかと一瞬落胆したが、ふいに視線を落とせばそこにいるはずのアミがベッドから姿を消している。
彼女が起きたのではという期待と誰かに攫われてしまったのではという不安から慌てて部屋を見回していると、背後からずっと聞きたくてたまらなかった声がした。
「おはよう、マサ」
振り向いた先にいたのは、拍子抜けするほどいつもどおりのアミ。
嬉しさに涙を滲ませれば、彼女は首を傾げて自分の手足に視線をやる。
話を聞けば、どうもアミには長く眠っていたという感覚がなかったらしい。
そして、昨夜の出来事は彼女の記憶にないということも分かった。
現実だろうが夢だろうが、かなり醜態を晒していた自覚があるので、逆に助かった気分だ。
倒れてから今までの経緯を説明すると、アミには珍しく大げさな反応を見せてくる。
立ちくらみを起こしてしまった彼女を、無理やり抱きかかえてベッドへ運んだ。
あぁ、軽い、恐ろしいほどに。
だが、温かい、生きている。彼女は生きている。
……良かった、本当に。
降ろして腕を引き抜く際に、そこに巻かれている包帯に気付いて、アミは痛ましそうな顔をする。
それから、手を伸ばしてきて傷にひびかないよう包帯の上から腕を優しくさすり、とどめに瞳を潤ませつつ上目遣いに謝ってきた。
そんな彼女の一連の行動に、思わず抱きしめたい衝動に駆られる。
必死に理性を働かせて何とか堪えたが、どうも久しぶりに動いているアミを前にして箍が外れやすくなっているようだ。
気を付けなければ。
ちょうど、彼女と話が終わった頃に、いつもの医師が部屋を訪れた。
起きているアミを見て驚いていたが、すぐに立ち直り丁寧な挨拶をしてくる。
そしてなぜか、そのあと俺だけ部屋を追い出された。
まぁ、普通に考えれば精神的な昏睡だったのだから、他に聞かせられない繊細な話をするためなのだろうが……。
どうも、それだけでなく、彼女に意識がない間に俺が一切食事をしていなかったという事実を告げ口する目的もあったらしい。
そのせいで医師が帰った後、アミに食べるという行為の大切さとやらを懇々と諭されてしまった。
王宮専属の身分ある医師のくせに、何ともいらぬお節介をやいてくれたものだ。
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故郷の伝統的な病人食を作ると言って、彼女は今、宿の厨房に立っている。
さすが高級宿だけあって、ギルド発の最新式調理用魔法機械が揃っていた。
使い方が分からないというアミに、1つ1つ動かしながら教えてやったのだが……。
たった1度で、それら全てを簡単に使いこなされてしまうのだから敵わない。
本当は以前から使い方を知っていたのではないかと思うほどの手際の良さだった。
右へ左へ動き回るアミに無理をするなと声をかければ、彼女は心配し過ぎだと苦笑する。
朝、身体をフラつかせる姿を見せられた俺としては、今日1日ベッドへ括りつけておきたいのが本音なのだが、本人の意思を無視するわけにもいかない。
しばらくして、いきなりアミが激しく鍋をかき回し始めた。
どうしたのかと聞くと彼女はピタリと動きを止め、またいつもの曖昧な笑みで何でもないと首を横に振る。
その笑みの向こうで考えていることを、いつか教えてもらえる日は来るのだろうか。
アミに出されたお粥という名の白い食べ物は、あまり味を感じられなかった。
変に粘りのある食感にも慣れず、首を捻りながら後ろ頭を掻く。
本当に、なぜ彼女がこの米という穀物に執着するのか理解できない。
反応を恐れながらも正直に感想を言うと、彼女は病人食だからこんなものだと笑っていた。
いずれもっと美味い米料理を作ってくれるらしい。
気を悪くされなかったことにホッとする。
食事が終わり、今後の予定について話をしようとベッドに腰かけると、アミがすぐ隣りに座って来た。
驚いて仰け反れば、彼女は瞼を大げさに瞬かせながら首を傾げる。
いや、首を傾げたいのは俺の方なんだが……。
いつもなら正面の自分のベッドに座るところだろうと思いつつ、わざわざそれを口にするのも墓穴を掘る行為のような気がして言えなかった。
結局、王都を発つのは、俺の怪我と彼女の体調を考慮して2日後にしようという話になった。
あれだけの深い傷がどうしてそんなに早く治るのかと怪訝な顔をされたが、そういう体質だと言えばアミはへぇと感嘆の声を出しつつ頷いていた。
随分簡単に納得するんだなと聞けば、『普通の人間ならともかく、マサだしねぇ』と朗らかに笑って返される。
…………腑に落ちん。
何だかこのまま実は竜になれるんだぞと告白しても、全然動じなさそうな雰囲気だと思った。
無論、言わないが。
竜は古来より忌み嫌われる存在だ。
個体数が少ない上、自然の奥深くに生息しているため滅多に遭遇することはないが、ろくに知性を持たず凶暴で圧倒的な力を有する竜を、人は災害と同等の存在として忌避する。
アミの前で竜形態をとるつもりは毛頭ないし、だとすればわざわざリスクを冒してまで話す必要もないだろう。
それにしても……彼女は少し変わったか?
何となくだが、以前よりも表情が豊かになったような……。
ついでに、微妙に彼女から触れられることが多くなった気がする。
俺には経験がないから分からないが、病み上がりは往々にして人恋しくなるものなのだと聞く。
アミもそういった類の感情から近寄って来ているのかもしれない。
だから……変に勘違いして理性を崩壊させるなよ、と俺は心の内で密かに自分を叱咤するのだった。