第十五話~誇り~
勢いよく片膝をついて、ペイント甲冑の男は言った。
「あ……貴女の言う通りだ……私はっ、私は自分が情けない!」
「へ?」
「あぁ?」
「団長?」
男はもどかしげに面を取って床に投げ捨てると、その赤茶色をした切れ長の瞳を己の右腕で覆った。
震えていたのは、どうやら泣いていたせいらしい。
瞳と同色の短髪と丁寧に揃えられた口髭、年の頃は30半ば程に見えるそれなりに整った容姿の男は、人目も憚らずに声を上げ、顔を涙でグシャグシャに濡らしている。
滂沱とか号泣とか、そんな表現が相応しいドン引き必死の豪快な泣きっぷりだった。
普段の彼にはあり得ないことなのか、私とマサのみならず騎士たちまでオロオロと困惑した様子を見せている。
結局、彼が落ち着くまで、私たちは全員その場に立ち尽くしていた。
しばらくして平静を取り戻した男は、真偽も確かめずにマサを罪人扱いしたことを深く詫びた。
己の間違いに気が付いた時、それを素直に認め頭を下げられる人間は案外少ない……と思う。
先ほど見せられた醜態で下降した好感度が、大幅に上方修正された。
それから、実は団長かつ王弟というとんでもない権力持ちだった彼は、自分の名を使ってマサの無実を周知させようと一方的に約束して帰って行った。
九死に一生……あの男が下手に権力を振りかざすタイプの人間あれば、私の命はとうになかっただろう。
おそらく彼の約束は無駄骨に終わるのだろうとこっそり思いつつ、騎士たちが引き上げて再び静まり返った部屋でマサと2人、顔を合わせる。
「……疲れたな」
「うん」
「寝なおすか」
「……うん」
色々なことがありすぎて気力をごっそり削られた私たちは、何もかもを後回しにして早々に眠りについたのだった。
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翌朝。
可能な限り入室時のキレイな状態に戻してから、私たちはその部屋を後にした。
律儀にも昨夜壊れた調度品等の代金を支払うからと、マサがカウンターへ向かう。
原因は騎士団にあるのだから、正式に抗議してあちらから捻出させればいいのに、と個人的には思うけれど、彼がそうしたいのならば私から何も言うことはない。
邪魔にならないよう一足先に宿から外に出ると、いきなり左腕を誰かに強く掴まれた。
「っ痛! ……って、あなた」
そこにいたのは、以前町のギルドで絡んで来たヴェルスという傭兵。
彼は以前と変わらずワザとらしい軽薄な笑みを貼り付けて、私を見下ろしていた。
自然と嫌悪の表情が浮かぶが、だからと言ってこの男相手に取り繕おうとは思わない。
「……何の用」
「くっく。相変わらず、冷てぇなぁ。知らねぇ仲じゃねぇだろう?」
「ほとんど他人でしょう。何の用かと聞いているんです」
「あの悪魔がいなくなって寂しい思いしてんじゃねぇかなぁーなぁんて、親切にも慰めに来てやったんだよ。
全然堪えてなさそうなトコ見ると、やっぱアイツとは金だけの関係だったみてぇだな」
「いなくなってって……まさかアンタ!」
「喜べ。俺が、次のご主人様になってやるよ。
すぐに金づるが見つかって良かったな?」
「冗っ談っ! 放してよッ!
自分じゃ敵わないからって、デマを流して彼を捕まえさせようとするなんて最低!」
「どうした、アミ!?」
「マサ!」
私の叫びに反応したマサが宿から姿を現すと、ヴェルスは驚愕に目を見開いて固まった。
その態度に、やはり己の推測は間違っていなかったのだと確信する。
マサはヴェルスとその彼に掴まれている私の腕を見て、顔を顰め怒りを露わにした。
「……テメェ、アミに何してやがる」
「っ嘘だろ、何で!」
自らの浅はかな計略に余程自信があったのか、目の前の事実を受け止めきれない様子のヴェルス。
マサは怒りの瞳をそのままに、片眉を器用に上げて唸った。
「あぁ?」
「マサ、昨夜のアレはこいつの仕業だったみたいなの」
「っほぉ……成程なぁ?」
私のその一言だけですぐにピンと来たのか、彼は皮肉気に笑うと、動揺を見せるヴェルスへ1歩近づく。
「随分と、ナメた真似してくれてんじゃねぇか。
俺はあの時、2度目はねぇと言ったはずだぜ?」
「っく」
怯んだ拍子に手が若干緩んだので、そのチャンスを逃さずに素早く掴まれていた腕を外した。
そのままの流れで、今度は逆にヴェルスの腕を掴んで背面に回りつつ捻り上げる。
痴漢撃退講座の捕獲編で習った関節技だ。
失敗さえしていなければ動くほど腕が痛むはずなので、もうヴェルスは逃げられない。
「っっっ……っのアマ!」
見下していた相手に取り押さえられてプライドでも傷ついたのか、憎々しげに言い放つヴェルス。
それを完璧に無視して、私は唖然とするマサに問いかけた。
「マサ。この国では悪質な嘘を意図的に広めたり、婦女に暴力行為を働いたりした人間は捕縛対象になる?」
「っえ? あ、あぁ、なるぞ」
「だったら、お願い。衛兵でも騎士でもいいから、ここに連れて来て。
少なくとも暴行に関しては、私の腕にくっきり跡が残っているから現行犯で捕まえられると思う」
「な!? テメェ!」
「馬鹿野郎、こいつは階級Aだぞ!?
俺が押さえとくから、アミが呼んで来……」
「何を言ってるの!
この男が一芝居うって被害者面でもしようものなら、初めて会った他人がどっちを信用するかなんて分かりきったことでしょう!?」
「そっ……」
「どうしました!?」
突然降って湧いた第3者の声に反応して目を向けると、昨夜の騎士団の中にいた小柄な甲冑男がガチャガチャと音を立てながら走って来るのが見えた。
何というタイミングの良さ。
昨夜、あの現場にいた彼なら、一方的にマサを悪と決め付けずに話を聞いてくれるだろう。
ある意味、当事者でもあるから余計な説明も省ける。
さらに、無駄に階級の高いこの男を連行途中で逃がしてしまう可能性も低い。
至れり尽くせりだ。
ヴェルスとの確執が終末に向かっているのを感じて、私はフッと安堵の息を吐いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
攻撃に備えて警戒体勢を取っていたというのに、いきなり団長が膝をついて無防備な姿を曝す。
意図が分からず眉間に皺を寄せていると、彼は『アミの言うとおりだ』と嘆くように言った。
さらに、面を外して豪快に声をあげて泣き出したというのだから、焦りもする。
こんな反応は全く想定外だ。
それに、恐怖に泣き叫ばれることはあっても、自分情けなさに涙を流す男を目の前にした経験など皆無。
こういった場面でどうするべきなのかなど、俺に分かるはずもない。
噂に聞く銀の騎士団の王弟団長というのは、正義漢で努力家、自分にも他人にも厳しいが面倒見は良く懐が広い、そんな人物であったと記憶している。
彼に声をかけないところをみると、騎士たちも信じられない思いなのだろう。
その後、気を取り直した団長は噂通り潔くも凛とした態度で俺に謝罪すると、未だどこか呆然としている団員を連れて颯爽と帰って行った。
……体力的には全然だが、精神的にかなり疲れた。
それはアミも同じだったらしく、俺たちはその後すぐに床につき泥のように眠った。
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翌朝。2人がかりで荒れた部屋を片付け、その場を後にする。
この宿の代金は前払いで、さらに最近開発された暗号入力式開閉扉を導入しているため、出立時の煩わしい手続きが必要ない。
が、昨夜の騒ぎで置物や絨毯などに傷がついてしまったので、その弁償をしようとカウンターへ向かった。
俺が直接やったことではないが、結局のところ自分が泊まったせいでこの宿は余計な被害を被る羽目になったのだ。
素知らぬ顔で放っては行けない。
要は迷惑料というやつだ。
受付の男は俺を見て慌てるような様子を見せていたが、すぐに気を持ち直して丁寧に頭を下げた。
さすがに高級宿の従業員だけあって、教育が行き届いているらしい。
支払いしたい旨を伝えると男はパチパチと瞬きした後、僅かに眉尻を下げて言った。
「そちらの客室の件でしたら、銀の騎士団へ請求するよう申しつかっておりますが……」
「そうなのか?」
「はい。
もうじきいらっしゃる騎士様の立会いの下、破損の程度を確認する手筈になっております」
確かに、実際に傷をつけたのは彼らなのだから、金を払うに1番筋が通っていると言えば通っているのか。
しかし、そうならそうと俺達にも伝えておけば良いものを……と若干の憤りを覚えないでもない。
だが、すぐにそれも仕方のないことかと考え直した。
彼らも、自分の落ち度でもないのにわざわざ金を払おうとする人間がいるとは夢にも思わなかったのだろう。
「……そうか。分かった、手間をかけさせたな」
「いいえ、とんでもないことでございます。
お客様の疑問にお答え致しますのも、正しく我々の務めでございますれば……。
過分なるお気遣いを賜り、ありがとう存じます」
深々とお辞儀をする従業員に、何とも言えない気持で後ろ頭を掻いた。
傅かれることに慣れていないせいか、ここまで恭しく出られると逆に慇懃無礼に感じてしまう。
と、そこで外からアミの怒鳴る様な声が聞こえて、俺は反射的に身を翻し駆け出していた。
宿を出てすぐの場所にいた彼女は、助けを求めるように俺の名を呼ぶ。
見れば、いつかの町でアミに手を出そうとしたヴェルスという男が、また性懲りもなく絡んできているようだった。
それに驚くより先に『少しの間だからと、油断して彼女から目を離すのではなかった』という後悔の念が浮かぶ。
ふと、ヴェルスがアミの細腕を強く掴んでいることに気付き、心が一気に煮え滾った。
……っの野郎、もし折れでもしたらどうしてくれる。
凄みながらヴェルスに話しかけるが、なぜかこいつは信じられないものを見たような目をして懐疑的な声を上げる。
その様子をいぶかしんでいると、未だ捕まったままのアミが吐き捨てるように言った。
「マサ、昨夜のアレはこいつの仕業だったみたいなの」
彼女のその一言で合点がいった。
俺が、騎士に捕縛されも殺されもせずにこの場に現れたことに驚いていたのだろう。
そして、自分の手を汚さずに邪魔な俺を排除したこいつは、アミを使って憂さを晴らそうと宿の前で待ち伏せをしていた、というわけだ。
……とことん性根が腐ってやがる。
先ほどより数段殺気を込めて1歩足を踏み出せば、ヴェルスは息をのんで軽く身を引いた。
次の瞬間、アミが素早く腕を振りヤツの手から逃れる。
彼女から一先ずの危険が去ったことにホッとしていると、何を思ったのか今度はアミがヴェルスを不思議な技で拘束した。
抜け出そうとして走る痛みに呻き、動きを止め顔を顰めるヴェルス。
非力なアミが仮にも階級Aの傭兵を押さえつけているという、信じ難い光景に思考が混乱する。
そんな俺と対照的に、アミは冷静な態度でヴェルスがこの国で捕獲対象になるという事実を確認すると、兵を呼んでくるように指示を出してきた。
危険だからと役を変わるよう提案すると、俺に強い眼差しを向けた彼女に浅慮を窘められてしまう。
ツラがマズいのは事実かもしれないが、アミのキッパリとした言いようには少し凹んだ。
と、そこで俺たちの会話を遮る何者かの声が響く。
チラと視線をやると、昨夜の小柄な騎士が走って近づいて来ていた。
そういえば宿の従業員が言っていたな、と思い出しながら再び視線をアミに戻す。
すると、ヴェルスがこっそり仕込みナイフを取り出し彼女を傷つけんとする様が目に入り、俺はほとんど反射的に腕を伸ばしていた。