第十三話~望まぬ客~
確認までに、最低階級で受けられる翻訳師の依頼を漁ってみた。
異国へ送る手紙の代筆、たった1行の外字翻訳、友人に出された暗号の解読などという訳の分からないものもあった。
報酬はどれも子供の小遣い程度の金額だ。
中には階級フリー特殊依頼で古代文字の研究助手などもあったが、基本的にはほぼ地元民の依頼で埋まっており、他の町や国をまたぐような仕事はないようだった。
手慣らしということで幾つか受けてもいいが、本格的に始めるのなら住む場所が決まってからにしたい。
下手にお得意様なんかができても土地を離れにくくなるし、こんな物価の高い都に滞在し続ければ赤字もいいところだろう。
顎に指を当てて思案していると、隣で私の様子を見守っていたマサが頭にポンと手を置いてくる。
「マサ?」
「階級が上がりゃあ、下位の依頼は受けられなくなっちまうぞ。
上位階級の人間が仕事を独占して問題になった過去があってな。
規則が変わったんだ。
どんな職種も上になればなるほど、一般市民からの依頼は少なくなる。
人付き合いを大事にしたきゃ、住む場所が決まってから始めた方が良いんじゃねぇか。
周りに溶け込むなら、そいつらの役に立つのことをするのが1番手っ取り早ぇらしいし。
……まぁ、俺は違ったから断言できねぇけどよ」
「そっかぁ、確かにそうだよね。
うん。ありがとう、マサ。そうする」
最後の悲しい一言は聞かなかったことにしておく。
おそらく、マサは役に立とうとして拒絶されたか、曲解されたかしたのだろう。
……いちいち不憫すぎる。
そう思いながら、寄って来そうになる眉間の皺を指で伸ばした。
彼の助言をありがたく受け取って、結局、私は依頼を受けることなくギルドを後にしたのだった。
~~~~~~~~~~
高級宿の20畳はありそうな広く質の良い部屋で、非常に満ち足りた気分で就寝していた真夜中のこと。
「……アミ。アミ、起きろ」
切羽詰まったような声で名を呼ばれて、私は急速に意識を浮上させる。
寝ぼけ眼を手で擦り、薄暗い部屋の中の人影に目を凝らした。
「ん~? マサ?」
「アミ。目的は分からんが、殺気をみなぎらせた集団がこの部屋に向かっている。
いつでも出られるように用意しておけ」
「っへー……えぇ!?」
「問答している暇はない。急げ」
「わ、分かった」
訳が分からないまま彼の言う通り急いで着替えを済ませ、自分の荷物を纏める。
それから、斧の柄に軽く手を置いた状態で扉を睨んでいるマサの背後に移動した。
「……ね、逃げないの?」
「場合による。とりあえずは迎え撃つ。
アミ。危ねぇから、そこから動くなよ」
「う、うん」
緊張はするが、恐怖心は薄い。
こういう時だけは、心が半分麻痺していることに感謝する。
間もなく、廊下からガシャガシャと音が響いたかと思うと、壊れそうなほど勢いよく部屋の扉が開いた。
そこから姿を現したのは、仰々しい白銀の甲冑に身を包んだ十数人の集団だ。
その中の1人、胸元に青いペイントが施された甲冑を着こんでいる男がマサに剣の切っ先を向けながら叫ぶ。
「ようやく貴様の悪事の現場を押さえることが出来たようだな!
もう逃げられんぞ! 神妙に縛につけ、鮮血の悪魔マーシャルト・グリンストン!」
「あぁ?
夜中に無断で人の部屋に押しかけといて、意味分かんねぇこと喚いてんじゃねぇよ」
マサに全面同意だ。
せっかくのフカフカ布団での眠りを妨げておいて、ありもしない悪事の現場がどうとか全く理解不能だ。
そもそも鮮血の悪魔って何だ。
ダサい。
言い回しもウザい。
男の言葉に眉を顰めていると、その背後にいた一回り小さい甲冑から若そうな男の声が響いた。
「そこのお嬢さん!
我々、王国騎士団が来たからにはもう安心です!
すぐに助けてさしあげますからね!」
「……はい?」
言われた内容があまりに想定外すぎて、無意識に眉が下がり口の端が引き攣る。
…………おーけー。
何となくだけど、現状を把握した。
要は、あちらさんは私が囚われの身になっているかのような誤解をして、マサを捕まえに来たわけだ。
今までの悪事は証拠が無くて煮え湯を飲まされたから、これ幸いと出張って来たってワケね。
まぁ、実際は全部ただの噂なんだろうから、証拠も何もあったものじゃないと思うけど……。
わざわざ騎士団が派遣されたのは、マサの実力的に普通の兵士じゃ敵わないから、かな。
後方にへっぴり腰でカタカタ甲冑を鳴らしている人間が複数いることから、力量はピンキリなのだろうと予想する。
状況を理解したところで、聞いてもらえるかどうか分からないが一応反論してみた。
「あの、騎士様には無駄骨を折らせてしまったようで申し訳ありませんが、私は自分の意思で彼と一緒に居るので助けは不要ですし、出来ればこのまま帰っていただきたいのですが」
「あぁ、そう言うように脅されているのですね。
大丈夫、必ず助けますよ。我々を信じて下さい」
はい、ダメ。通じない。
言えば言うほど逆効果になるパターン。
さて、どうしたものか……と、暢気に考えている間に前方で火花が散った。
あのペイント付き甲冑男がマサに攻撃を仕掛けたらしい。
「っ化け物め! 貴様など生れて来たこと自体が間違いなのだ!」
そう罵った後、男は後方の騎士たちに指示を出して扇形の陣形を取った。
今の一撃で単独ではマサに勝てそうにないとでも判断したのか、連携攻撃に切り替えてきたようだ。
うん。何て言うか、そろそろアレだ。
キレそうだ…………マサじゃなくて、私が。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一通り翻訳師の依頼書に目を通したアミは、難しい顔をして黙り込んだ。
どれを受けるかで悩んでいるのだろうか。
そんな彼女に、俺はアドバイスがてら依頼受注の先延ばしを勧める。
嘘こそ吐いていないが、そこに手前勝手な願望も少なからず含まれていたため、つい饒舌になってしまった。
だからか、あまりにもあっさりとアミにその助言を受け入れられたことに心が軋んだ。
案外しっかりしているアミだけに、言われるがまま頷いたのではなくきちんと自分で考えた上で出した結論なのだろうとは思う。
それでも、何となく彼女を騙しているような、そんな罪悪感が俺を苛んでいた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夜。
身体が沈み込むような柔らかすぎる布団に慣れずどうにも寝つけずにいたのだが、ふいにこちらへ向けられている微かな殺気を感じ取って身体を起こした。
殺気を辿ってみれば、宿から1キロほど先。王城から延びる中央道を進む集団の存在を感知することができた。
さらに深く意識を集中させて正体を予測する。
傭兵階級Sに相当する人間が2とBが4、残りは全員A……か。
どうやらかなり手練の集団であるらしい。
彼らは足音もろくに消さずに堂々と道を走り進んでいるようだった。
とすれば、裏稼業の人間ではありえない。
だが、そこまで戦闘能力の高い集団が公にあったか……と思案したところで1つの結論に至る。
この国が所有する兵力の中でも、国王直属の徹底した実力主義で有名な『銀の騎士団』。
それしか考えられなかった。
入団試験の厳しさ故に通常の5分の1以下の団員しかいない少数精鋭となってはいるが、その功績は突出しており他に追従を許さない。
特に、王弟でもある騎士団長はあらゆる武器の扱いに長け、さらに宮廷魔法師顔負けの技術で水と風の2属性の魔法を操り、且つ、型に囚われない臨機応変な戦闘スタイルで個人・集団に関わらず常勝を続け、名実共に王国最強の名を頂く男だと聞く。
そんな騎士団に殺気を向けられなければならない理由は分からないが、相手が相手だけに逃げ出すというのは得策ではなさそうだ。
自分1人ならともかく、アミを連れた状態で彼らから逃れるのは至難の業だろう。
ここから探った限りでは俺に敵うような実力はなさそうだが……一応油断は禁物だと気を引き締める。
ただ数が多いだけなら歯牙にも掛けないが、優れた連携を取られれば個でしか対応の出来ない俺には非常に厄介な相手となる。
とりあえず、アミに怪我を負わせないことを第1に置いて、俺は騎士団を迎え撃つ準備を始めた。
彼らの目的が分からない以上、彼女から離れた場所に移動するというのも憚られる。
これまでになく気持ちよさそうに眠っているアミに一瞬躊躇いながらも、俺は彼女を目覚めさせた。
普段と違い、こういった場面での彼女は敏い。
寝起きに突然告げられた言葉に狼狽えはしていたが、すぐに置かれている状況を理解できたらしく、俺の言葉通り何も聞くこともなくアミは行動を開始した。
自らの命が危機に晒される可能性もあるというのに、平静を崩さず素早く荷を整えた彼女に俺は内心で感嘆する。
実感が湧かない、もしくは単なる強がりだという可能性もあるが……それでも大したものだ。
アミの準備が出来て間もなく、予想に違わず銀の騎士団の面々が姿を現した。
団長だと思われる男が、開口一番、俺の悪事がどうのと身に覚えのないことを言ってくる。
安眠を邪魔されたアミが可哀相で、少々憮然とした態度でそれを口にしてみたが、飛ばされる殺気が増しただけで全く相手にはされなかった。
これもまたいつものことだが……。
団長以外で唯一S階級に相当する小柄な騎士がアミに呼びかける。
おかげで彼らの襲撃理由を知ることが出来た。
どうやら、俺の良からぬ噂のせいで彼女にまた余計な迷惑を掛ける羽目になってしまったらしい。
その騎士の勘違いも甚だしい発言に顔を引き攣らせるも、アミはすぐに気を取り直して彼らの間違いを訂正すべく口を開いた。
こんな場面にも関わらず、彼女の『自分の意志で俺といる』という発言に1人浮かれそうになる己を胸の内で嘲笑する。
かなり信頼されている実感はあるし、嫌われていないのは確かだろう。
だが、そこに特別な感情など込められていないのは、分かり切った事実だった。
そもそも、同じ人として見られているかどうかも怪しい。
彼女の言葉も、思い込みにとらわれた騎士たちの前には意味を成さなかった。
冷静な目で見れば、アミが脅されているかどうかなど態度ひとつで分かりそうなものだが。
……逆を言えば、それだけ強く俺という存在が他者の精神を取り乱させてしまう、というのが真実か。
「卑劣な……」
目の前で剣を構えていた団長は不愉快そうに呟くと、急激に距離を詰めてその刃を俺に突き立てんと襲いかかって来た。
それを斧で難なく受け止めると、彼は吐き捨てるように俺をなじる。
「っ化け物め! 貴様など生れて来たこと自体が間違いなのだ!」
これはまた、何とも懐かしい台詞を聞かされたものだ。
竜人族の隠れ里に住んでいた幼少期にはしょっちゅう耳にしていたな、と記憶の奥底で風化しかけていた過去を思い出した。
同時にその後に起きた惨劇の記憶も掘り起こされて、俺は自分の心身が急速に冷めていくのを感じた。