第九話~騒動~
「ご期待に沿えず申し訳ないですけれど、私の年齢は23ですよ」
「へぇ、にじゅー……って、ハァ!? にっ、23!?」
予想通り、大仰に驚くマサ。
自分が思っていた年齢より10近くもババアだったと知れば、誰しもそんな反応になるものだろう。
「バカな、俺と5つしか違わないってのか!?」
………………えっ。
ちょっ、待っ、え?
5つって、あの5つよね?
えっと、しぃ、ごぉ……っ28ぃ!?
「嘘でしょ! いくらなんでも老けすぎッ……って、あっ」
指折り数えて思わず叫べば、自らの失言に気が付いて慌てて口を両手で覆う。
チラリとマサを見ると、彼は怪訝な顔をしてこちらを指さした状態で固まっていた。
どうにも動く様子がないので、椅子の上に立ち手をいっぱいに伸ばして彼の目の前で軽く振ってみる。
その途端、マサは「うわっ!」という声と共に、背後の椅子を引き倒しながら大きく1歩後ずさった。
戦々恐々と遠目からこちらを窺っていた人間たちは、慌てて机の下に隠れたり悲鳴を上げて逃げ出したりと、いつものように失礼な態度を取っている。
もっとも、今の彼にはそんな周囲の様子など全く目に入っていないようだが……。
「……マサ?」
「い、いや! 違う!!」
前後に全く繋がっていない意味不明な言葉を叫びながら、彼は焦ったように何度も頭を振った。
「マサ、ちょっと落ち着いて。違うって、一体何の話?」
「えっ、いやその…………何でもねぇ、スマン、取り乱した」
「……まぁ、何でもないって言うならいいけど」
改めて問えば、彼は数秒の思考ののち、冷静な様子を取り戻す。
本人が言いたくないと主張するものを無理に聞き出すような真似は好まない。
とはいえ、そこそこ気まずい空気が生まれ、しばらく互いの間に沈黙が続いた。
のだが、やがて何かに気付いたマサが「おや?」と首を捻る。
「アミ。お前、そのしゃべり方は?」
「え? しゃべり方って……あっ」
驚きすぎて敬語で話すのを忘れていたようだ。
失敗したと思いつつも、今さらやり直せるわけもないので、腹を括って真実を告げることにした。
「ごめんなさい。本当はこっちの話し方が普通なの。
拾ってもらった恩もあるし、マサは年上だから、丁寧に話さないといけないような気がして……」
「別に、それなら謝るこっちゃねぇだろ。
ま、俺としては変に畏まられるより、そっちの方がいいかな」
後ろ頭をガシガシと掻きながら、微妙に眉を下げてマサはそう返す。
そんな彼の服の裾をゆるく掴んで、私はわざとらしく上目遣いに問いかけた。
「本当? 怒ってない?
年増だし、もう面倒なんか見ないって、思ってない?」
「……っな!」
瞬間、マサは傍目に分かりやすいほど全身を硬直させ、カッと顔を赤く染めた後、片手で口元を覆った。
…………え。何だろう、この反応。
人慣れしていないせいで直視されると羞恥を覚えるっていう、いつものアレ?
それとも、もしかして、大人だと知ったことで女として意識された?
って、まさかね。今さら今さら。
なんてことを考えているうちに、彼の大きな手の隙間から、くぐもった声が聞こえる。
「……俺は、何があったってアミを見捨てたりしねぇ」
一見キザな台詞のようだが、それが何とも情けなく上擦っていて、私は思わず噴き出してしまった。
マサの金色の瞳がまるで捨てられた子犬のように哀愁を帯びており、余計に笑いが止まらなくなる。
……あぁ、もう。
相も変わらず可愛い人だ。
~~~~~~~~~~
あれから、お互い落ちつくまでに少しばかり時間を要したが、ようやく当初の目的である登録手続きを終わらせることが出来た。
ドッグタグの発行までに30分ほどかかるそうなので、マサに今の内に用を済ませて来るように促す。
私を残して行くことを心配していたが、最終的には納得したようで、1人頷きながら何か呟いていた。
そんなこんなで、マサを見送ってから間もなく。
どこから現れたのか、ニヤニヤした笑顔を貼り付けた20代と思わしき金髪男が話しかけて来た。
「よぅ。俺のこと知ってる?」
「知りません」
趣味の悪い派手な紫色の外套からチラリと覗く肉体は、無駄のないしなやかな筋肉に覆われている。
また、背に使い込まれた2本の剣を背負っているところから、マサの同業者、もしくは傭兵といった類の人間なのだろうと推測した。
多少顔は整っているかもしれないが、私はこういう頭の軽そうな男は好きにはなれない。
迷惑そうに顔を背け冷たくあしらってみたが、全く堪えない様子で男は再び口を開いた。
「そう?
傭兵階級Aのヴェルスっつったら、ちまたじゃ結構有名なんだけどなぁ。
本当に知らねぇ?」
「本当に知りません。暇つぶしなら他所でして下さい」
「冷たいねぇ。あの悪魔とは楽しそうに話してたじゃねぇか」
悪魔、ね。
私みたいな人間に声をかけるなんて趣味を疑っていたけど、そういう目立ち方か。
面倒臭い。
「…………誰のことでしょう」
「とぼけんなよ。
どうせアンタ、アイツに金で買われた娼婦か何かなんだろ?」
「はい?」
「顔は地味だし、背もやたら低くて色気ねぇし。
あんな奴くらいしか客がつかなかったのかも知れないけどさぁ。
自棄は良くねぇぜぇ?
何なら、俺が買ってやるか?」
……あぁ。
私に力があれば、すぐにでもこのヴェルスとか言う男を拳で黙らせてやるのに。
きっと、こいつは今、脳内で『娼婦にまで優しくしてやる俺カッコいい』などと自画自賛しまくっているに違いない。
もう言葉を返すのも億劫だと口を閉ざせば、ヴェルスは気分を害したように眉間に皺を寄せた。
「おい、無視してんじゃねぇよ。
この俺が買ってやるっつってんだ」
そう言って、手首を掴まれた。
……マズイ。この男、思った以上に短気だ。
嫌悪感から反射的に痴漢撃退講座で習った技でヴェルスの手を外してしまったのだが、私はその行動をすぐに後悔した。
これでもし相手がキレて暴力を振るってきたら……。
案の定、ヴェルスは信じられないといった表情をした後、グシャリと顔を歪ませて私を睨んできた。
もしかして、ピンチというやつだろうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アミに実の年齢を聞かされた俺は、かつてないほど混乱していた。
23? 23? そもそも23って何だ?
23? 年齢? 誰の?
アミの…………アミの? アミが23?
俺の5つ年下?
子供でもなんでもない成人した女?
誰が? アミが?
…………あぁ、でも確かに。
滅多に視線を合わせないから分からなかったが、よくよく見ると彼女の顔に思っていたほどの幼さは見られない。
だとすると、俺は今までその大人の女を相手に抱きかかえたり、頭を撫でたり、膝枕をしたり、風呂を作……っっっ!
どっ、なっ、えええぇっ!?
うっ、嘘だろう!? 誰か嘘だと言ってくれ!!
思考が低迷を極めた時、フッと何かが視線を遮ったことで、俺は現実に意識を引き戻された。
すると、いつの間にかアミがすぐ目の前にいて、それに仰天した俺は、倒れるように大きく一歩後ずさる。
きょとんと首を傾げる彼女を見ていて、連鎖的にさらに重大な問題を思い出した。
……そういえば、今日は同じ部屋を取ったんじゃなかったか?
23の、大人の、女、と。
そんなことを考えた矢先にアミに名前を呼ばれて、俺は思わずこう返していた。
「い、いや! 違う!!」
そんなつもりだったんじゃあない!
断じて下心なんか無いんだ!
俺はあくまでアミを子供だと思っていて、本当にやましい気持ちなんか全然これっぽっちも!
嘘じゃない!
そりゃあ一緒にいたいとは思っていたが、それはそういう意味じゃあなくて、もっと別のっ……。
泥沼の思考から抜け出せない俺に助け舟を出したのもまたアミだった。
少し頭を冷やせば、彼女が俺にそんな疑いを持っていないことなど明白だ。
彼女は俺を男として意識なんかしていないし、ともすれば大きくて便利な生き物程度にしか思われていないかもしれない。
ならば、慌てることなど何もないはずだ。
逆に、下手なことを言って、今さら俺という存在に危機意識を持たれても困る。
だから、俺は何でもないと首を横に振り、取り乱したことを謝罪した。
そこでふと、先ほどのアミとのやりとりの中に妙な違和感があったような気がして、ソレが何かを考えた。
そして、気付く。
どうやら、アミは俺に気を使って、ずっとあんな堅苦しい話し方をしていたらしい。
あまりに違和感なく敬語を使うものだから、それが彼女の普段からのしゃべり方なのかと思っていた。
が、普通に考えれば、いくら上層の人間でも、それが当たり前であろうはずがない。
彼女という存在に浮かれて、俺も大概まともな思考が出来ていなかったようだ。
なぜか謝ってきたアミに気にしていない旨を告げると、彼女は俺の服を掴んでこう言った。
「本当? 怒ってない?
年増だし、もう面倒なんか見ないって、思ってない?」
バッ、おまっ……そんな目で見てくるなっ。
ほんの少し眉尻を下げて、俺を不安そうに見上げてくるアミ。
彼女を少女だと思っていた頃ならまだしも、大人の女なのだと分かった今、そんな縋る様な瞳を向けられると、妙に煽られているような気分になってしまう。
耳慣れた敬語ではない砕けた言葉使いがまるで甘えられているようで、さらにその気分を増長させた。
ならばアミの顔を見なければ良いのかもしれないとも思うが、どうにも視線を逸らすことが出来ない。
己の顔にものすごい勢いで血が昇ってくるのが分かる。
くそっ、年齢ひとつでどれだけ単純な男なんだ、俺はっ!
早く何か返さなければと焦る俺の口から出た言葉は、自分自身でも意味の分からないものだった。
それをどう受け止めたのかは知らないが、アミは一瞬の間の後、急に大笑いを始める。
もう何が何だか……。
苦しいのか腹を抱えて蹲りつつも笑いの収まらない様子のアミを、俺は呆然と眺めているしかできなかった。
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書類を提出して待ち合い用の長椅子に腰かけたアミは、自分はここで待っているから今の内に用事を済ませて来てはどうかと提案してきた。
報告と換金の窓口はここから少し離れた場所にある。
こんな人の多い所に彼女1人を置いて行くことは躊躇われたが、連れて行ったとしても、結局待たせることに変わりはないのだから、性質の悪い人間もいるあちらよりはマシかと思い直した。
早く戻りたいのは山々だが、せっかくキレイに並んでいる人々の列を乱すのも気が咎めるので、存在感を極限まで消して最後尾に立つ。
これをやると人に気付かれにくくはなるが、至近距離で唐突に俺を直視する羽目になった人間が腰を抜かしたり気絶したりと、面倒な事態に陥りやすいため、普段は控えるようにしている。
依頼報告を終えて振り向いた人間たちが一々小さく悲鳴を上げ走り去るのを少し煩わしく思いながら順番を待っていると、ふと横を通り過ぎる2人の男の会話が耳に入ってきた。
「ヴェルスの奴、まぁた女に絡んでたぜ」
「嫌だねぇ、なまじっか顔が良くて実力がある奴ってのはさ。
つまみ食いし放題ってか?」
「しかし、随分と背の低い女だったな。
いつもはもっとこう、出るとこ出てるタイプばっか相手にしてるのによ」
「たまには珍味もつまんでみようってんじゃねぇの?
あー、ヤダヤダ」
ヴェルスという名は聞いたことがある。
奴は実力はあるが、偏った正義感を持つ自己中心的で快楽主義な傭兵だったはずだ。
まさかとは思ったが『背の低い女』という単語が気になった俺は、矢も盾もたまらず走り出していた。
そして、辿り着いた先で見たものは……当のヴェルスが殺気を漲らせてアミを睨み付けている、そんな許しがたい光景だった。