9 騎士、キレそうになる
エヴァンはプライドの高い貴族のお坊ちゃんだ。こんな扱いを今まで受けたこともないのだろう。今すぐに飛びかからんとばかりに剣の鞘に手を当てようとしたのを、私は素早く目の端で捉えて声を上げた。その瞬間、エヴァンは表情を硬くしたまま動きを止める。
一応、仮にも主として仕えている相手からの指示なのだから、きちんと聞く程度の度量を持っていてくれてよかった。いくら事前に『誰に何を言われようとも、決して言い返してはいけない』と伝えていようとも、話を聞いてくれないかもと考えていたのだ。
それはそれで、あのメイド長をビビらせることができるので、まあいいか、とちょっとだけ思っていたけれど。
ちなみに一周目ではブチ切れたエヴァンが剣を抜き、怪我人こそは出なかったけれど、それはもう大変なことになった。
私と屋敷の人間たちの心の距離が離れた事件の一つでもある。
一周目の私はこれがあって、『愛人』疑惑を否定できなくなったのよね……。
「いいえ、この者は私の護衛騎士です。護衛中ならばともかく、屋敷の中までは不要な気遣いよ。彼には、別の部屋を案内させて」
今の状況においては、努めて冷静な声で話すのがポイント。これでも三年間領主をして、仕事に揉まれ続けたのだ。
一周目のときのように、城から出てきたばかりのおどおどした小娘ではない。
「…………」
私の堂々とした態度に、グレイや他の使用人たちも一瞬呆気に取られている様子だった。
メイド長も反応が遅れてしまったようだが、フン、と軽く顎を上げてこちらに気づかれない程度に鼻で笑う。いや気づくわよ。こんなに近いのよ。本当に私って舐められているわね、とげんなりする。
「……そうですか。それでは――」
「ああ、待ってちょうだい。私の自室と、その隣の部屋も準備ができているのよね。それなら、せっかくだから使わせてもらうわ」
「……お一人で、二部屋を使われるということでしょうか?」
事態を静かに見守っていたグレイが声をかける。部屋の調整が必要だと思ったのだろう。
「いいえ。ちゃんと二人で使うわ。紹介します。――私の息子、ルーよ。よろしくね。家族ですもの。息子が私の隣の部屋を使うわね!」
「…………は?」
うーん。気持ちがいいくらい、みんな同じ反応をするわね……。
***
「事前の話とはだいぶ違うようだな?」
「そう? 大きくは間違ってないわよ……大きくは」
私は用意された部屋にて、ルーの言葉にそっぽを向いてごまかした。だってファリス村の領主、というところは間違っていない。ただ、相手が認めていないというだけで。
エヴァンは今は別の部屋に案内されている。
私と話していたグレイ、メイド長や使用人たちまで、みんな目を丸くして驚いていたが、さっさと話を切って自室に移動してしまった。
私は少ない荷物を整理してルーにうそぶきつつも、若干、子供相手に良心がズキズキと痛んできた。やっぱり結構嘘をついたかも、と顔を背けたままドキドキする。
「まあ別に、俺はこの村に滞在できれば問題ないが」
しかし意外にもあっさりとした反応だったので、大きめに安堵の息を吐き出した。
ああよかった。もしルーが、『事実と違うじゃないか! もっと仰々しく出迎えられると思っていたのに!』と怒りでもしたら、ごめんなさいと謝って、ついでにもとの街に帰して、メイド長たちにルーは旅立ったと説明せねばならないところだった。今よりさらに呆気に取られそうだ。
……それにしても、ルーがファリス村に滞在したい理由はなんだろう?
一緒に馬車に乗っているときから不思議だったので尋ねようとしたのだが、
「お前は、あれでよかったのか? 随分馬鹿にされていた」
と、先に質問されてしまった。目をきょとんとした後で、私は小さく微笑む。
「いいのよ。あそこで怒っても、怒らなくても、どうせ陰で笑われるだけだもの」
「……たしかに、あの様子ではそうだろうな」
「前領主の愛人としか納得してもらえないのなら、そう扱ってもらって結構ってやつよ」
「ところでだが、お前の子供ということは、俺は前領主の子供として振る舞えばいいのか?」
「あ。それは大丈夫。ほら、相続とかでややこしくなっちゃうし。私はあなたの子供。それで終わり。ん? つまり、何人もの男を手玉に取っていたということ? まーっ! 私ったら悪女~!……うん? いいわね悪女。これからはそっち路線で行くわ」
ぶつぶつと話してニマニマする私を見て、ルーは片眉を上げて曖昧な表情をする。やっぱり大人みたいな表情をする子だわ。それも個性だろうけど。
「今頃混乱してるでしょうねー。メイド長ったら」
きしし、とちょっとお下品に私は笑った。昔はこんな笑い方は絶対にしなかったけれど、別にいいのよ。真面目でお上品なだけは損をすると知ったから。
「部屋の中は……。ま、そこそこね」
案内された場所は、一周目でも使用していた部屋と同じだ。前領主の部屋というだけあって、装飾品はごてごてしているし、家具も使いづらいところは難点だが、懐かしささえ感じる。一応、ちゃんと掃除はされているようだ。
とはいえ、私はベッドや椅子、ときにはクローゼットまで確認して、見つけたものを持っていた小袋にポイポイと入れていく。ルーは私の行動を不思議に思ったのか、小首を傾げて観察していた。
「うん……うん、うんうん。ルー。あとであなたの部屋も確認に行くけど、ベッドとか椅子は特に注意して。絶対に座ったらだめよ。さすがに子供の部屋までは悪さをしないと思いたいけど、あなたが使うと決まったのはついさっきのことですからね」
「……ん?」
部屋の確認を終えた私は、「よし!」と腰に手を当てる。
が、その後で、ふいにため息が出てしまった。
……メイド長のイーリに対して、私はいい印象を持たない。彼女は私が領主になって二年たった頃、腰が悪くなったという理由で職を退いた。それまでの間、今日のような遠回しな嫌味の他、色々と地味な嫌がらせを受けたものだ。嫌がらせも下っ端のメイドに命令して行うためメイド長自身の手は絶対に汚さない。そのためはっきりと糾弾することもできず、とても厄介で、私は常にストレスを抱えていた。おかげで私はまだ十代だったのに、立派な胃痛持ちだった。
「……リッカ。馬車の中でもあまり寝ていないだろう。一度休んだらどうだ?」
「ううん。あんまり寝たいわけじゃないから」
でも心配してくれてありがと、とルーに付け足すと、彼はぷいっとそっぽを向いた。言葉遣いは堂々としていて大人みたいだが、ときおり見せる仕草は可愛いじゃないか。
「ところで……リッカじゃなくて、お母様、と呼んでくれてもいいわよ?」
「うるさい」
相手すらしてくれないのは、刃物のように尖りまくっている年頃だからだろうか。六歳ってこんな感じだった……?
「それで、いいのか? あのメイド長は」
「ん~……」
主語のないルーの疑問に、私は顎につんと指をのせて考える。
ぼふん、とベッドの上に座った。眠る気はないが、たまにはのんびりしたくもなる。ずっと馬車の上でお尻が痛かったからね。
「見せた尻尾を、ぴーんっ! と引っ張るだけだからね。大丈夫」
にこーっと屈託のない笑みを向けてみせると、ルーは可愛い顔なのに、眉間に皺を寄せて訝しい顔をした。エヴァンにしろ、ルーにしろ、しかめっ面が多い人間たちばかりだ。二人とも、もうちょっとニコニコしたらいいのにね。
でもやっぱりそれは怖いかも、とすぐに私は思い直した。
――というような会話をルーとしたのは、屋敷に到着後すぐだったけれど、メイド長の尻尾を掴むタイミングは、案外早く訪れたのだった。




