2 目が覚めた
「ヒンギャーッ!!!!」
私はベッドの上から飛び起きた。いやもうむしろ、盛大にずり落ちた。
さあ首よ落とせよ首よ、やるなら勢いよくやってくださいな! という気分だったのだが、いざ落とされるとなると怖すぎである。
「ついてる!?」
もちろん自分の首のことである。自分の首をぎゅっと両手で握って確認する。「つ、ついてる……」もはや同じ言葉しか言うことができず、首を握りしめて呆然としてしまった。
窓の外からは鳥のさえずりが聞こえた。明るい日差しが差し込んでいて、何もかもを忘れてしまいそうなほど平和な朝だった。
「…………?」
ゆっくりと部屋中を見回した後、しばらくの間、ぼんやりする。
「私の部屋……? もしかして、夢でも見てる?」
正確にいえば、領地に行く前に住んでいた城の一室、と説明した方が正しいだろう。
王女というより、メイドの一室といった方がしっくりくるほどに手狭な部屋。
小さいベッドに、洋服があまり入らないクローゼット。シンプルな姿見と、テーブルに対して椅子が一つ。部屋にある物はこれで終わり。
三年前に住んでいた自室と何も変わらなくて、まるで夢の中にいるかのような気持ちだった。ぽかんと口をあけたまま瞬きもできない。
――コンコンコン。
「はい!」
唐突に響いたノックの音に、跳ね上がるように返事をした。
びっくりして何も考えずに返事をしたのだが、ドアをあけて入ってきた騎士は、私よりもさらに驚いて、いや狼狽して、「なんという格好をしているのですか……!」と、ぎょっとしている。
よくよく考えると私はベッドからずり落ちて床に座り込んでいるし、シーツで隠れているとはいえ、寝巻き姿だ。
私を見下ろしている騎士服で身を包んでいる男は、服の上からでもがっしりとした体格であることがわかる。十代後半の青年で、短く刈り上げた清潔感のある茶髪と翠目。そして生真面目な顔つきと端正さを上品に混ぜたような、歩く模範の騎士のような姿で眉間に皺を寄せ、不愉快そうに私を睨んだ。耳の端が、わずかに赤い。
「入室の許可をくださったのではないのですか!?」
「……エヴァン・ランカス……?」
「……俺の名前をご存じだったのですね。それとも誰かから聞いたのですか? 結構なことです。ただし、必要な準備を怠られては困ります。すでに出発時間を過ぎております。下賤の者を待たせることに抵抗はないという意味ですか?」
「え、違……」
「ならばメイドの手でも借りて、準備なさってください。ドアの前に待機しております」
言うだけ言って、エヴァンはドアを閉めてしまった。
力強く閉まったドアを見て、はっきりとした拒絶を感じたが、「待って、どういうこと……?」となんとか床から起き上がって考える。
隣国に対する見せしめとして、私は処刑されたはずだ。なのに、生きている。それにエヴァンのあの態度。まるで初めて会ったときと、同じじゃないか。
(……初めて会ったとき? そうだ。エヴァンは私の護衛騎士で、初めて会ったのは、城を出る日で、私は出立する日を知らされていなかったから、びっくりして……)
ゆらゆらと、当てもなく部屋の中を歩く。日差しが入って明るい室内と、自身の混乱が噛み合わなくてどんどん頭痛が激しくなる。
(そのとき、私はエヴァンの名前を知った。領地に行くために選ばれた騎士だと……)
ふいに、部屋には姿見があったことを思い出した。
自然と、視線が鏡に吸い込まれる。
そこにいたのは、一人の少女だった。軽くウェーブがかった薔薇色の髪が腰の辺りまで伸びていて、瞳の色は薄紫。くりっとした目は小動物みたい。背は高くもなく低くもなく。唇の色は艶めいていて、苦労なんて何も知らなさそうだと領民からは噂されるような――見かけばかりは、どこかのご令嬢のよう。間違いなく、私だ。でも、どこか違う。
「少しだけ、若返ってる……?」
それこそ、領地に出立した日のような。
十五歳で領地を任され、十八歳のときに私は処刑されたはずなのに。
「い、痛い……!」
唐突に、頭が割れるように痛くなった。
『お母さーん! 今日はお弁当いらない日! 部活があるから、もう出るねー!』
そういうことはもっと早く言いなさい! と誰かに怒られている記憶。
女の子は十代の半ばくらいだろうか。見たこともないような奇妙な街並みを走って、服装だって少し変だ。
友達もいて、学校は楽しくて、でも、ある日、信号を渡っているときに……。
まったく知らない記憶が頭の中に流れ込み、立っていられないほどの衝撃が訪れた。
そのはずなのに。
「あれは私だ」
はっきりと、認識していた。
けれど鏡に映る自分の姿との相違には、なんの違和感もない。
前世という言葉を思い出した。彼女の名前も、心も思い出したわけではないけれど、今までの私とは、はっきりと何かが違うことがわかる。
「落ち着いて考えよう。私は死んだ。それも二回。一度目は、見ず知らずの女の子として。そして二度目は、首を……」
切られたはずなのに、時間が元通りになっている。
あまりにも――理解できない。
私はゆっくりと息を吸い込み、のけぞって――ゴウンッ! と勢いよく鏡に頭を打ちつけた。ちゃんと痛い。ならやっぱりこれは現実だ。
いきなり妙な音が聞こえたからか、ドアの外でエヴァンが驚いたように身動ぎする音がしたけれど、気にせず姿見の両端を掴んだまま、頭を鏡に押し付けてぼそりと呟く。
「何が、苦労を知らなかったあなたも、よ……」
視点が変わった今ならわかる。私は苦労しかしていなかった。
父王からはいないものとして、王妃や側室たちからは、平民の母を持つ娘として蔑まれて扱われた。くだらない嫌がらせを兄姉たちからされても、領地で何かに騙される度に『自分が悪かったに違いない』とも考えていた。
でも、そうじゃない。
「……私は、悪くない!」
私は殺されるほどのことはしていないし、騙される方が悪いんじゃない。
悪意を持って、人を騙す方が悪いに決まっている。
エヴァンの耳には届かないように、けれども腹の底からの声を、鏡の端を握りしめて、下を向いて吐き出す。
その言葉は、ずっと心の底で思っていたことだと気づいたら、とてもすっきりした。
涙の膜が視界を歪ませたけれど、泣いてなんかやるもんかと、ぐっ、と口元に力を入れて今度は上を向く。首を切られた痛みと恐怖が浮かび上がって、無意識に拳が震えていた。
けれど、勢いよく手の甲で目元を拭う。過去の私の頭のお花畑さに、嫌気が差した。
ばちんばちんと両手で頬を叩いて、「目を覚ませ、目を覚ませ、目を覚ませ……!」と自分に言い聞かせる。
「よしっ! 目が覚めた!」
やり直せるというのなら、好都合だ。
私は全力で生き残らねばならない。だってもう、死にたくない。お上品で、お人好しのリッカ・エスターチェはもう終わりだ。
「この世界、マンガとかゲーム……だったっけ? そういう雰囲気よね。特に魔法とか。そういうのは昔の私もあんまり詳しいわけではなかったみたいだし、どうしたらいいんだろう……」
ただのジョシチュウガクセイだった私には負担が重すぎる世界感である。
――コンコンコンッ。
叩きすぎて真っ赤な頬を両手で押さえて部屋を見回していると、いつまでたっても行動しない私にじれたのか、エヴァンが再度ドアをノックした。
私は自分が寝巻き姿であったと思い出し、まずは急いで着替えをすることにした。荷造り。そう、まずすべきは荷造りだった。自分が死んだ場所なんて、さっさと抜け出したいに決まっている。
なんの準備もしていない割には、もともと荷物が少なかったこともあり、大きなバッグひとつに詰め込むだけで終わった。すっかりぐしゃぐしゃになってしまった髪をそのままにしているのも気が引けて、櫛でといてから部屋の外に出る。
すると待ちくたびれたのか、エヴァンは壁に沿って立ったまま、じろりと冷たい翠の瞳を私に向けた。
「随分、ゆっくりしていらっしゃいましたね」
もちろん嫌味のつもりなのだろう。
メイドもなしに、これほどスピーディーな行動ができるすごさを、多分彼はわかっていない。男前だけれど、堅物が概念として生きている騎士なのだ。
以前までの私ならば、彼の言葉に申し訳なさそうにしただろう。
けれど、私はニコッと笑った。
(だって私、別に悪くないし)
待たせたことは申し訳なくても、出立の日付をこちらに伝えていない方が悪い。
「待ちくたびれてしまった? ごめんなさいね。さ、行きましょう」
形ばかりの適当な謝罪をすると、エヴァンは眉間にシワを寄せて奇妙なものを見るような曖昧な顔をする。ちょっとだけ気分がいい。
この男には領地でも散々手間を掛けさせられたのだ。多少振り回してやりたくもなる。
ただし、三年間をともにした青年でもあることにも違いはない。
温度も何も感じないような、寒々しい城の中で一人いるより、少しだけマシなような気がした。




