16 お昼寝用枕が備品なのはさすがにダメじゃない?
腕を伸ばせば触れてしまいそうな距離だ。貴族の、それも女とこれほど至近距離になったことがないのだろう。ワズはわずかにたじろいだように思えた。うん、威圧には必要だけれど、いつまでも日傘を持っているのは失礼よね、と私は日傘を閉じて、くるりと布を畳み、背後のエヴァンに渡す。
同時にエヴァンに持ってもらっていた書類の一枚を受け取り、くすっと鼻で笑った。何度見ても面白いわね、これ。
「『訓練費用請求。お昼寝の枕代』……ごめんなさい。これのどこが訓練費用なのかしら? ぜひとも詳しく説明していただきたくて」
「……そこに書いてある通りだ。それ以上でも以下でもねぇよ」
乱暴な口調だが、ワズは苦々しい顔をしている。痛いところを突かれたと考えているのだろう。訓練費用の水増し請求は、前領主時代から長く行われていた。初めは真面目に考えていたのだろうが、なんでも請求が通るためにだんだん適当になっていったのだろう。というか、実際にお昼寝として使ったんでしょうねぇ……。
「これでは到底費用としては認められないのでお返しするわ。今後は枕は自腹で購入してちょうだい」
「は、ハア!? 今までこれで通らなかったことなんて――」
「あるのよ。だって、昨日からは私がファリス村の領主だもの」
私がいいと言えばいい。だめと言えばだめ。ここでは私が法律だから。
これは、絶対にだめ。
「うう~ん。今日はこの請求書だけ突き返して終わろうかと思っていたけれど……ひどい有様よねぇ。ここって本当に騎士団で合っている? もしかして、ゴロツキのたまり場だったりなんて……」
「……おい。ふざけてんのか。いくらお前が領主ったって――」
「私は王都から来たけれど、城の騎士団とは比べ物にならない低俗さね。……知能の低さが透けて見えるわ」
「……テメェッ!」
ワズが私に向かって剣を振るうのと、背後のエヴァンが素早く剣でいなしたのは同時だった。吹き飛ばされたワズの剣が、からん、からん、と微かな音を立て地面で揺れ、次第に静かになる。騎士団員たちのざわめきが代わりとばかりに大きくなった。
そしてワズは、目にも見えぬ速度で振るわれたエヴァンの剣技に、信じられないものを見たかのように全身を慄かせた。腐っても騎士団長。自身とエヴァンの技量の差に気づいたのだろう。エヴァンはつまらなそうにワズを見下ろし、音もなく剣を鞘に戻す。
「そ、そいつは……」
「私の護衛騎士よ。元は王城の騎士なの。あなたたちみたいな半端者と違っていてね」
私は不敵に微笑み、面白そうに口元に手を当てる。
――実際は気を抜けばガタガタ体が震えそうになるのを食い止めるために、自分の口に手を押し当てただけなんだけど。
おうっふ。おうっふ。
騎士団長の想像以上の短気っぷりにドン引きを通り越して、めちゃくちゃビビってしまった。煽って煽って、エヴァンを利用してボコって言い聞かせる。それが今回の作戦である。
力尽くでなんでも解決しようとするお猿さん相手には、さらに大きな力でこちらがボス猿であることをわからせるしかない。エヴァンは一応私の護衛騎士だし、城の騎士団を引き合いに出せば、なんとかなるだろうという算段だったけれど、相手が想像以上の短気だった。まさか領主相手にいきなり剣を振り回すとか想像できなくない? 体のガクガクは止まらないけれど、いや今更後には引けぬ。
これぞ、虎の威を借る狐詐欺である。私は強いんだぞ、ウホッ、ウホッ、ウホッ!
心の中でゴリゴーリと呼ばれる魔物が得意とする技、ドラミングを弾きながら、やったるでぇ! と叫ぶ。いやでも大丈夫なのかしら。
「その程度の剣を防ぐこともできないだなんて……むしろ騎士団自体を解散すべきかもしれないわね。訓練を行うこともなく、昼間から酒を呑み……まるで、人間のクズね。もしファリス村に魔物の大群が襲ってきたら、誰よりも先に逃亡するのでしょうね?」
「い、言わせておけば……!」
私は酷薄な表情を口元にのせ、くすくすと笑う。ワズはあまりの怒りに拳を震わせている。同時に、背後の騎士団員たちからも殺気が立ち上った。
「俺たちは、もとは別の地域の生まれだ! 魔物に家族を殺され、この地に流れ着いた! それを、魔物を前にして逃亡するなど、よくも……!」
――実際の彼らは、スタンピードを前にして、誰ひとりとして逃げなかった。住民たちを守るために自らを犠牲として魔物の海に飛び込んだのだ。だからこそ、騎士団は最初に壊滅し、ファリス村を守る者は誰もいなくなった。
私はそのことに、怒りを抱えていた。簡単に使い捨てる命などいらない。
強い覚悟を持っているのなら、覚悟に似合う努力を行うべきだ。
……もちろん彼らだって、いつかスタンピードが来るとわかっていたら、死ぬ気で訓練しただろう。魔物に対する恨みも、日々を過ごすことで風化していき、平和に過ごしていた中の強襲だったのだ。
でも、私は。この中でただ一人、いつか来る未来を知っている。
「口だけならなんとでも言えるわ! それにあなたたちが束になったところで、私の騎士に敵わないでしょうね!」
「言ったな! おい、バルグ!」
ワズが副団長を呼ぶと、岩のような男はのし、のし、とこちらに向かってくる。
……あら。大きいわ。遠目だとよくわからなかったけど、想像よりも大きいわ……。
もしやこの作戦、やっぱりやめておいた方がいい? とちょっと動揺してエヴァンを見ると、彼はなぜかわずかに耳を赤くして、そっぽを向いていた。コラちゃんと前を見ろ。
「……俺は、あなたの騎士なんですか?」
「間違いなく護衛騎士でしょ!? 今からその定義について話さなければいけないの!?」
できることなら胸元を掴んでガクガクと揺さぶってやりたい。どんどん顔を赤くしていくけれど、今更なんなの、大丈夫なの!?
頭から湯気を噴いてすっかりポンコツになってしまったエヴァンに焦っていると、「楽しそうだな」と、ルーが私の横からするりと前に出る。
「え、ルー!? 危ないわよ!?」
「剣技は嫌いじゃない」
嫌いじゃないって、あなた剣を持ってすらいないわよ!?
わけがわからない状況の連続で、まるきり予定通りに進まない。ルーはポケットに手を入れたまますたすたと闘技場の真ん中まで歩く。そこには、バルグと呼ばれた大男が。
まるで、大人と子供だ。いや文字通りに彼らは大人と子供ではないか。
バルグはルーの背丈ほどもある大剣を肩に乗せた状態で、じっとルーを見下ろす。
「ルー! 危ないから戻ってらっしゃい! そういうのは大人の仕事なのよ!」
だめだ。全然聞いてくれていない。
私の声にはまったく反応しないで、ルーは相手と向かい合う。
かくなる上は無理やりにでも引きずり下ろすべきか、と私がスカートの裾をばさりと持ち上げたとき、バルグはその大きな口を、ゆったりと開いた。
「俺はファリス騎士団、副団長、バルグ……。小僧、名を名乗れ……」
「俺はルー。そこにいる領主の息子ってとこかな」
何を好敵手同士が名乗り合う雰囲気を醸し出しているのよ。ちょっと副団長! 『強者は強者がわかるのだ』みたいな顔をするのはやめなさいよ! あと、なんで副団長なのに騎士団長よりも強そうなのよ! どう見てもあなたが騎士団長でしょ!?
「……フンッ!」
「やめてッ!!!!」
私のツッコミが間に合わないほどに、信じられない速度で副団長はルーに向かって大剣を振り下ろした。ぺしゃんこになってしまったルーを想像して、息をすることもできず口元を両手で覆う。おそらく、私は真っ青な顔をしていただろう。
しかし大剣で巻き起こされた土煙が聞こえると、ルーは無傷のまま闘技場に立っていた。
それどころか挑発するような不敵な笑みを悠々と浮かべている。即座に副団長は動いた。大剣を振り回し、ちょこまかと逃げるルーを追いかける。見ているだけで身がすくむような大剣が地面を叩き下ろす轟音に、もうやめてと飛び込みたくなる。
でも、今は下手に止めると大怪我をしかねない。エヴァンに助けを求めようとしても、彼も食い入るようにルーと副団長を注視していた。
「……隙ができたな」
たしかに、エヴァンの口がそう言った。それって、どっちの? と、血の気が引く思いでルーたちの決闘に急いで目を向ける。そのとき、私は信じられないものを見た。
ルーが副団長の剣を足場に駆け上がり、副団長の肩を起点にひねりを加えて一回転する。勢いづいた足が副団長の首の後ろを殴打したのだ。ぽこんっ……と、あっけないほどに小さな動きのように私には思えたけれど、ルーが着地すると同時に、副団長は顔から地面に落ち、ぴくりとも動かない。
「ま、軽い運動にはなったか」
しばらくの間、私も、他の騎士団たちも呆然としてルーを見つめていたが、はっとして私は闘技場に上った。
「ルー!? 大丈夫!?」
ちなみに近くで見た副団長はしっかり白目をむいていた。こっちもこっちで大丈夫なのだろうか。「ん?」とルーは私の心配を、本当に何もわかっていない顔をしている。
「ん? って……怪我をしたらどうするの!」
「……ああ。怪我か。ん。……そういった心配をされたのは、初めてだな」
「ハア!?」
なんでちょっと苦笑しているのかもわからない。私と目が合うと、ルーは優しく目を細めて笑った。……ちょっと可愛い。
可愛いけども、私は今、猛烈に怒っているんですけども!




