13(閑話) これはどこかの大国の話
「かは……っ! お前は、俺に、一体、何を飲ませた……!?」
「まあ、お前ですって? 母を前にしてよくもそんな口を」
そう言って不愉快そうに唇を歪めるのは、間違いなく、俺の母だ。だが、血の繋がり以上のものを俺は彼女に感じていないし、向こうもそれは同じだろう。
つい先程まで俺が持っていたワイングラスが逆さに落ち、絨毯を赤黒く染め上げていく。じわじわとワインが絨毯を染み込む先に立つ女は、くずおれる俺にさらに近づく。
王宮の広々とした窓は、今は光も入らず、夜のように薄暗い。稲妻がときおり瞬き、女の横顔を暗闇の中で映し出した。
部屋には、俺と女以外にも、城の重鎮たちが周囲をぐるりと取り囲んでいる。
彼らは微動だにせず、まるで蝋人形か何かのようだ。
(毒婦の傀儡めが……)
心の中で毒づくが、しびれて舌をまともに動かすことができない。
「ルーファス……ああ、名前を口にするのですらもおぞましい……生まれてくるべきではなかった、我が国の呪われし王子よ……」
普段は息子とすらも認めぬ女が、わざわざと皮肉げに口上を並べた。
自分自身の言葉に酔っているのだろう。それほどまでに、今回の毒は自信のある品なのだろう――俺を殺すための猛毒が。
セルスニア国の第一王子として俺は二十一年前に生まれた。
王と王妃の間の初めての子供として、誰もが祝福する次期国王となるはずだった。
しかし俺は生まれた瞬間、自身が持つ膨大な魔力を暴走させた。
生まれた赤子はセルスニア国王家の証である金の瞳ではなく、赤色の瞳だった。魔力暴走が収まると、すぐに金の瞳に変わったらしいが、セルスニア国では赤色の瞳は悪魔の瞳として恐れられている。母である王妃は、赤子の俺を一度として抱くことなく、存在自体を忘れたかのように扱った。
王家特有の金の瞳を持っていることに間違いはないため、一度は王子としての通常の教育も受けたが、十歳を過ぎた頃に行われた魔力の技能テストにて、俺はまた瞳を赤く変化させた。どうやら魔力を使用することで、瞳の色が変化する特異体質のようだった。その事実を知り、王妃は幾度となく俺を殺そうとした。もう一人の息子である第二王子が生まれていたため、スペアも不要と判断したのだろう。国王である父は、それを見てみぬふりをした。
送り込まれる様々な暗殺の中で、一番多かったのは毒殺だった。
すでに、第一王子である俺の存在は国民に知らしめられている。ならば不審な事故や悪漢に襲われたとするならば、のちの処理が面倒だ。病死ということならば、ある程度、自然にことを収めることができると判断したのは、想像に難くない。
だからこそ数少ない友人の力も借り、毒に対する対抗手段を磨き、今日まで生きてきた。
今日この場でも、なんらかの毒物を飲まされることはわかっていた。
生きることを諦めるのは簡単だった。もしくは、国外へと逃げ出すことだってできた。
けれども俺が今まで歯を食いしばって生きてきた理由は、この国の王となるため。
俺を屈服させようとする人間たち相手に、決して膝を折らぬと誓ったからだ。
第二王子を王位に推す一派を大人しくさせ、父王の弱みを握り次期王位を約束させ、毒婦をここまで追い詰めた。最後の最後――重鎮たちの前で、神の盃と呼ばれる酒を飲み干し、神の許しを得るとされる――セルスニア国特有の継承法を行うのみであったというのに。
(……神をも恐れぬ所業とはこのことか。神の酒に、毒を混ぜるとは)
あの女なら、この程度のことはするだろうと予測していたが、裏切らぬ結果に吐き気まで感じる。大方、悪魔の子が王になるのを防ぐためならば、神は許してくれるとでも思っているのだろう。
(これは、なんの毒だ……。考えうる限りの種類の毒の対策は講じていたはず……。指先の震え、眼光の不安定、呼吸が……くそっ、思考が定まらん)
「不思議でしょうねぇ! 致死性の毒が、もはやお前に効かぬことはわかっています。死ぬわけではない……けれど、動くこともできない。どうかそのまま、じいっとしていてちょうだい。お前という生き物を作り出したのが私ならば、この世から消す宿命も、私が持っているのよぉ!」
狂気じみた笑いが響き渡る。王妃が取り出したのは、小型のナイフだ。鈍い銀の輝きが、明かりひとつない室内で不気味に光った。
「私の細腕では、この程度のナイフしか持てないの。その代わりに、安心なさいな。ちゃあんと心臓を狙うわ。骨の隙間を通り抜けるのは一度では難しいでしょうから、何度も試してあげる。何度も! 何度も! 何度も! あなたが死ぬまでね!」
笑い狂う王妃を動かない目の端で捉え、つうーっと背中に冷たい汗が流れる。
どうする。こんなところで死ぬわけにはいかない。俺は、必ず、この国の王に……!
「何!? この風は!」
そのとき、激しい風が室内に生み出された。
風はみるみるうちに俺を包み巻き上げ、視界を隠していき――。
「……ルーファス。生きてる?」
「……なんとかな」
まだ毒は抜けきっていないのか、視界が定まらない。相変わらず緊張感のない友人の言葉に返答する自身の声が、奇妙にいつもと違うような気がしたが、耳の具合もおかしくなっているのだろうか?
「……メラニー。来るなら、もっと早く助けに来い」
「おいおい。友人である君のピンチを嗅ぎつけ、これでも超特急で向かったんだぞ?」
そりゃあないよ、憂鬱だ。とメラニーは緑のおかっぱ頭を抱えて嘆いている。
いつも何かに嘆いている男、大魔道士メラニー。掴みどころのない男だが、いつしか俺たちは友人となって、ともに多くの困難を乗り越えた。今現在も俺はメラニーの隠れ家に転移させられ、命からがらあの女のもとから逃げ出したということだ。
大魔道士が住まう家とは思えぬほどに、部屋の中は雑多なものばかりだ。本人曰く、『実験に使うから』という理由だが、生活感溢れる平民の小屋、という雰囲気だった。
「……あの女が使用する可能性のある毒に対する守りは、完璧なんじゃなかったのか?」
「うん。毒に晒されすぎたおかげで、そもそも君は大抵の毒は効かないし、それにプラスして僕の魔術的な守りを組み込めば、まずもって完璧に近い。そのはずだったけど」
メラニーはどこか言いづらそうに言葉を濁す。
だんだんと体が動くようになってきた。床に寝そべっていたままの体を、俺はゆっくりと起こしながら、また微かな違和感に首を傾げた。
「……これは、毒ではなくて、呪いだろうね」
「……毒ではないだと?」
「なんていうか……見てもらった方が早いかも」
そう言って、メラニーは部屋に立てかけてあった姿見を俺に向ける。
「…………まさか、これが俺か?」
自身でも間の抜けた声だった。そこにいるのは、黒髪の子供である。
年の頃は、五つか六つ頃。生意気そうな顔をしていて、大人物の服を無理やり着ている。鏡に映る子供が口を動かす度に、これが夢ではないと伝えてきた。瞳の色は、金……いや、ときおりくすんだよう濁り茶色に染まり、また元に戻る。
「瞳の色が不安定なのは、呪いの影響だろうね。しばらくすると茶色の方に落ち着くんじゃないかな。今の君は体中の魔力を限界まで抑え込まれている状態だ。おそらくまともな魔術も使用できないと思う」
「……はっ。呪いにまで手を染めるとは……何が悪魔の子だ。あちらの方が、よほどその名にふさわしい……」
「本当に、愚かなことだと思う。僕の緑髪のように、魔力量の差によって体の一部の色が変化しているだけなのに……。僕らの国を変えるためには、ルーファス、君が王になるしかない」
「わかっている。しかし、この体では……」
「隣国に行くんだ」
メラニーが、エメラルドの瞳をじっとこちらに向ける。自身のローブが汚れることなど気にせず床に膝をつき、子供の姿となってしまった俺と視線を合わせた。
「……隣国? ここからだと……エスターチェ国のことか?」
「そうだ。エスターチェ国には、ファリスという土地がある。我がセルスニア国とほど近い場所にある、小さな街だ。あそこは少し特殊な場所なんだ。もしかすると、そこなら君の呪いを解けるかもしれない」
「ファリス……。聞いたことがないな」
「辺境の街だからね。以前はファリス村と名乗っていたそうだ。今もそう呼ばれることもあるらしい。手助けしてやりたいが、僕も国に監視されている。君の行き先がバレることは避けたい……」
「わかっている。むしろ、ここまでよく助けてくれた」
特に意味があったわけではない。情けなく顔を伏せた友人の頭を、軽くなでてやる。
即座に弾き飛ばされるかと思いきや、「そうだろうか」と小さな声が聞こえた。涙を押し殺すような、ささやくような声。
「ああ、もちろんだ。俺は、お前が友人でよかったと思う。いつか元の姿となり、国に戻ることを誓う。お前は、それまでここで俺の場所を守っておけ」
返事はない。代わりにあったのは、ぐずりと鼻をすする音だけ。
まったく。すっかり見かけが変わってしまった俺よりも、こいつの方が、ずっと子供のようじゃないか。




