1 もう騙されないと決めた日
どうしてこんなことになったんだろう、と頭の中で何度も同じことをぐるぐると考えてしまう。細くて頼りない私の手には、重たい手錠がかけられている。長くつけられていたから、鉄が腕にすれて肌が赤黒く変わっていた。
腕だけじゃない。髪も、足も、服もぼろぼろだった。随分長い間、自分の顔を見ていないけれど、多分顔も似たようなものだろう。
「さっさと歩け!」
「痛っ……!」
腕の鎖を引っ張られて、無理やりに階段を上らされる。足が震えるのは、体がすっかり弱ってしまっているせいだけじゃない。
「――リッカ・エスターチェ! エスターチェ国の末王女でありながら、保護すべき自身の領地を荒らし、故意に魔物を生み出し、国を混乱の渦に陥れた恐るべき魔女である!」
刑の執行人が、私の罪状を読み上げる。
広場に集まった聴衆人たちの、「殺せ!」「何もかもお前のせいだ!」と熱を帯びた悲鳴のような声が私の心を焼いた。
――そんなこと、していない!
いくら叫んだところで、無駄だとわかっていた。
リッカ・エスターチェ。
それは私の名だ。平民の母を持ち、エスターチェ国の末王女として生まれた。
母は、私が幼い頃に死んでしまった。貴族の後ろ盾がない私は、城の中で、ずっと息を潜めて生きていた。たくさんいる兄や姉から無意味な嫌がらせをされても、きっと何か理由があるはずと思っていた。
ひっそりと生きて、いつかどこかの貴族に嫁ぐと考えていた私に転機が起きたのは、十五歳のときだった。
『国の端に、小さな街がある。王族としてかの地を治めてみよ。役立たずのお前でもその程度のことはできるだろう』
数えるほどしか顔を合わせたことのない父王から直々に命じられ、驚き、困惑したのは一瞬だった。誰かに願われたことが嬉しくて、一も二もなく引き受け、少しの不安とたくさんの期待を胸に持ち、領地へと向かった。
でも、私は早々に現実を知ることとなった。
領主である私を、領民たちは誰も信じてくれない。ただの小娘を領主として扱うだなんて、無理な話だとすぐに気づいた。だからこそ、私はがむしゃらに行動した。
領地のために、領地に住む人々のために。そして、エスターチェ国のためにと。
誰かを信じ、助けを求め、その度に裏切られた。
すっかり身も心もぼろぼろになった私に手を差し伸べたのは、一人の男の人だった。
『――君は、ずっと一人で頑張っているね』
どうか君の重荷を、僕にも背負わせてもらえないだろうかと甘くささやかれ、私は彼と恋に落ちた。しかし、それすらも幻想だった。お金だけが目当てで、彼は私に近づいたのだ。
私はもう何を信じればいいのかすらもわからなくなっていた。
領地の端にあるダンジョンから、魔物が溢れたのはその頃のことだ。
スタンピードと呼ばれる原因不明の魔物の大量発生は、エスターチェ国全土を包んだ。
もちろん、一番大きな被害を受けたのは、発生地である私の領地だ。
私がこうして生き残ったことすらも奇跡で、領地は何もかもが崩れ果てた。
だというのに、私は被害者ではなく、加害者として裁きを受け、人々に責められている。
「死んでしまえ!」
「魔女め!」
「お前なんていなければ!」
鋭い刃のような怒りが、次々に向けられ、足がすくむ。
スタンピードで発生した魔物たちは、エスターチェ国のみならず、隣国であるセルスニア国へと踏み込み、国際問題となった。
セルスニア国の王太子は、怒りのあまりに、『リッカ・エスターチェと直接話をしたい』と我が国に申し入れたそうだ。隣国とはいえ、セルスニア国は大国。エスターチェ国とは、吹けば飛ぶほどの国力差がある。
セルスニア国の王太子の姿は、肖像画でしか見たことがないけれど、私とはそう年の変わらない、黒髪と金目を持つ二十歳そこそこの若者だったと、思い出した。
「ぼんやりするな!」
「ひっ……」
また、鎖を引っ張られる。私は惨めに顔から転けてしまった。
そのとき、すかさず誰かの手が伸びた。「乱暴はおやめなさい!」と、甲高い声が響き渡る。私は目を見張り、顔を上げた。
「タニーマリア姉様……?」
彼女は私の四人いる姉の一人。そして、一番下の姉でもある。
普段はきつい双眸でこちらを睨みつける姉の瞳は、今は優しく細められている。
「ゆっくりでいいのよ、リッカ。立ち上がりなさい」
「は、い……」
重たい鎖の音がじゃらりと響く。そのことで、改めて現状に思いを巡らす。
『私の前に現れないで』
タニーマリア姉様からは、いつもはっきりとした拒絶を感じていた。
王族全員が出席する晩餐の最中に、出ていけと言われたのは一度や二度ではない。だから動揺してしまったが、それどころではなかった。
(もしかして、助けてくれるの……?)
おそらく、私の期待は自身の瞳に滲んでいたのだろう。泣き出しそうな気持ちを抑えて、タニーマリア姉様に事実を訴えた。
「姉様、私は故意に魔物を生み出したりなんか……!」
「知っているわ」
「……え?」
「間抜けなあなたにそんなことが、できるわけないじゃない。お父様も、兄姉たちも、みーんなわかっているわよ」
先程までの慈愛に満ちた声が嘘のように、タニーマリア姉様は私の耳にそっとささやく。
「でもね? 誰かが責任を取らないといけないの。セルスニア国の王太子様があなたに会わせろと言ってきたでしょう。お父様は、かの国の怒りを恐れているの。セルスニア国から、これ以上の責任を追及される前に、私たちの誠意を見せなければいけないわ。あなたは今から……見せしめのためだけに死ぬのよ」
何を言われているんだろう。
頭がガンガンと痛くて、足が震えた。それでも、タニーマリア姉様は、仕草ばかりは優しげに私の手を握りしめる。その落差が、とにかく怖い。
タニーマリア姉様の濃い紅が塗られた赤い唇が、にたりと月のような孤を描く。
「ねえ、リッカ。どうして自分が、あんな辺境の地の領主になったのか、知っている?」
「そ、それはどういう意味なのですか……?」
「私が父様に提案したの。どこかの貴族に安値で売り払うよりも、少しくらい役に立たせてみたらどうかしらって。あなたの話はたくさん聞いているわ。随分頑張ったみたいね。……本当に愚かだわ」
私が領地に向かった真相よりも、私が罪を犯していない事実を、家族の誰もが知っていることに驚愕する。
なのに、誰も私の刑の執行を止めることなく、いいや自ら進んで行おうとしている。
……そんなこと、許されるのだろうか?
「ああ、楽しみだわァ……。あなたが死んだ後で、私はセルスニア国にこうべをついて謝罪するの。犯人が死んだ後だもの。きっと私たちを許してくださる。それこそ……美しく涙を流す私に、王太子様は情けをかけてくださるかも……! ふふっ」
「な、何を、おっしゃっているのですか……?」
「ごめんなさい。自分のことばかり話してしまったわ。今日はあなたが主役の日であるというのにね。……苦労を知らなかったあなたも、これでやっと苦労を知ることができたわね。姉としてとても嬉しいわ」
タニーマリア姉様はいっそ輝かしいほどに微笑み、私の背を階段の先へと押し出す。
十五歳のときに領地を任されてからの三年。決して短くない時間を、領地のためにと奔走して生きてきた。その先が、この未来だった。
執行人の刃がゆっくりと近づく。視界が白く染め上がっていく。
「あなたみたいな馬鹿なお人好しが、何かの役になんて立てるわけがないでしょう?」
タニーマリア姉様の声が、ふいに耳に届いた。騙される方が悪いのよ、と。
きっとその通りだ。人生の最期になって、私はやっと気がついた。
(本当に、姉様が言う通りね……)
人の優しさを信じて、甘い誘いにほいほいと乗る度に、痛い目を見て。
この結果は、私が馬鹿だったせいだ。
人々は私を口々に罵っていた。処刑台の特別席には、父王や、兄姉の姿も見えたが、誰も彼も、早く終われとばかりに冷たい瞳を投げかけている。
(もし、次の人生があるというのなら……)
ふと聴衆人の中に、不思議と目を引く青年を見かけた。会ったことなどないはずなのに、どこか見覚えのある黒髪の青年。彼は今まさに駆けつけたとばかりの汗だくで、綺麗な服はぐしゃぐしゃになっている。遠すぎるから、青年の瞳の色はわからなかった。でも、私を心配してくれているような、不思議とそんな様子を窺えた。
なぜか、私は彼から視線をそらせなくなってしまう。
そして、同時に考えた。
(騙される側で生きるなんて、もう嫌だ)
はっきりと、強く願う。
騙す側と、騙される側。選べるのなら、今度こそ騙す側として生き抜いてやりたい。
……そんなことを考えても、もう手遅れだけど。
処刑人に髪を掴まれうつ伏せにされながら、黒髪の青年に、そっと微笑んだ瞬間。
私の首めがけて、刃が、振り下ろされた。
新連載です。よろしくお願いいたします!




