今年の書初め
中学3年生の三学期が始まった。国語の最初の授業は「書初め」だった。
私は、小さな谷あいの町にある中学校の3年生。新しい年が明け、3年生最後の、中学生最後の三学期が始まった。三学期の最初の授業は国語。もともと国語は好きな教科だったが、3年生になってからの国語のK先生はとってもユニークで、もっと好きになった。
その若い国語の先生は、私たちの言うことが間違っていても、いつも「いいねえ!」とリアクションして聞いてくれる。だから変な緊張感もなく、授業に参加することができる。
さて、先生は言った。
「今日の国語は『書初め』をします」
「え〜、面倒くさい!」「え〜、俺、習字は苦手!」と不満を言う男子もいるが、先生は続けた。
「書初めで書く字は、みんなが“前向きになれる言葉”なら何でもOK。中学の習字もこの時間で最後だから、習字なんてこれが最後になる人もいるかも? とにかく楽しんでみて!」
その言葉に、さっき不満そうだった男子も気を取り直して習字の準備を始めた。先生のその一言こそが、まさに「前向きになれる言葉」だったのかもしれない。
私は何て書こう? 前向きになれる言葉……急に言われても、なかなか思いつかない。みんなは何て書いているんだろう? 周囲をそっと見まわしてみた。
優等生のN子は「挑戦」と達筆で書いている。絵が得意なY美は、ためらうことなく習字の筆で干支である馬の絵を描いている。アニメ好きのY香はアニメキャラのようなものを、K-POPにはまっているH君はハングル語で何かを書いている。英文を書いている人もいる。本当になんでもありだ。
K先生もその様子を楽しそうに、いつものように「おっ! それは何のキャラ? ハングル語かぁ、いいねえ!」と見回っている。
T君は何て書いているんだろう? 席が離れていてよく見えないけれど、会話は聞こえてきた。「卒業」「高校生活」などと書いているらしい。まだ高校受験の願書の提出すらしていないのに、もう高校生になった気分なのだろう。T君は、本当に驚くほど前向きなのだ。
T君は保育園は違ったけれど、小学校は同じで、隣の席になったこともあった。彼との特別な思い出があるわけではないが、いつの頃からか、いつも視界のどこかに彼を探している自分に気づいていた。目立たない地味な私にとって、愛の告白などできる話ではないが、T君のことがずっと好きだった。「好き」というよりは「憧れ」に近い感情なのかもしれない。
実は私は、親の仕事の都合で、中学卒業と同時に少し離れた市に引っ越すことが決まっている。高校も市にある私立の女子高を受験する予定だ。4月からは、知り合いなど一人もいない場所に行くのだ。
大好きだったT君を視界に探すのも、あと40日程度しかない。このクラスのみんなと過ごすのも、徒歩で通った通学路を歩くのも、住み慣れた家で眠るのも、もう数えるくらいの日数だ。
そう感じたとき、私は前向きな言葉を考えるのとは裏腹に、急に別れの哀愁が込み上げてきた。子供の頃からの出来事が、走馬灯のように一気に頭の中をめぐって、胸がキュンと締め付けられて、ちょっと涙まで込み上げてきた。悲しい思い出だってたくさんあったけれど、それらもすべて愛おしく感じて、動けなくなっていた。
「おい、M代、ぜんぜん書いてないけど、どうした?」
背後からK先生の声がした。
「あっ、えっ、前向きになれる言葉が、なかなか思いつかなくて……」
小声で答える私に、先生は言った。
「自分が前向きになれると思えば、なんだっていいよ! とにかく、人生で最後になるかもしれない習字を楽しんで!」
そう言われても、何を書いていいのか思いつかず、ただただ哀愁に浸っているだけの、鉛のように重い時間がゆっくりと流れた。
K先生が「じゃあ、今書いている紙で終わりにして片づけを始めてください。今日書いた字の中で、自分が一番気に入ったものを提出してください。全校生徒のものを廊下に展示します」と言うのが聞こえた。
えっ! 私はまだ1枚も書いていないんだけど……。
一瞬で哀愁は消え去り、頭の中はパニックになった。やばい、どうしよう?
一瞬目を閉じたとき、やっぱりT君のことが頭に浮かんだ。
そうだ。私が前向きになれる言葉。いつも心の支えになってくれた大好きなT君、いつも助けてくれたクラスのみんな、この町や今までの自分に対して、この16年間のすべてに対して「ありがとう」って言ってみよう。
そうしたら、きっと哀愁も吹っ切れて、前を見て進んでいけそうな気がする。私からのメッセージ……誰か気づいてくれるかな?
「ありがとう」
時間があったらもう一枚「感謝」と書こう。そう言い残せば、なんだか笑顔で別れていけるような気がする。
私は気を取り直して、急いで筆に墨をつけた。




