8.招かれざる客人
R15の残酷描写が含まれる場合がありますのでご注意ください。
レイの帰還から4日。
王都の中でも雑然とした地区のそのまた地下。陽光すら届かないウルスラの隠れ家に、いつもと違う「気配」が近づいてきた。押し殺してはいるが、そんな場所におよそ似つかわしくない高級な革靴の音。そして何より、冷たく淀んだ不浄な魔力。
「……相変わらず、何かの薬のようないやな匂いのする場所ですね、ウルスラ先生」
薄暗い部屋の入り口に、いつ扉を開けたかも分からないほど音を立てずに、その男は薄笑いを浮かべて立っていた。
細身の体に、銀糸の刺繍が施された贅沢な法衣。一筋の乱れもなく撫でつけられた髪。銀縁の眼鏡の奥で光る細い目は、獲物を狙う爬虫類のような狡猾さと、狂おしい好奇心が同居している。
彼こそが筆頭魔導師、トビーだった。
ウルスラは煙管を燻らせたまま、視線すら向けない。
「……何の用だい、トビー。ここは、あんたのようなお偉い筆頭魔導師様が来るような場所じゃないよ」
「相変わらずですねぇ。……マチルダが、最近あなたの周辺に『不快な揺らぎ』を感じると言っていましてね。確認に来たのですよ。もしかして、また妙な犬を拾って、無駄な訓練でも始めているのでなければよいのですが」
トビーは部屋の中を、何かを探すように見回した。机の上に開かれていたのは、魔力を効率的に循環させるための「身体強化」の古い研究書。かつてレイが剣士として頂点にいた頃にも参考にしていたものだが、トビーの視線は何の興味も示さず通り過ぎた。
「……野良犬を拾うのはあんたの得意分野だろう、トビー。死にかけた魔導士を拉致して、自分の実験と魔力増幅のために使うんだろ……。ふん、趣味が悪い」
「おや、心外ですね。私は、理想の魔導士を作りたいだけなんですが」
トビーは右手で眼鏡を直すと、にやりと笑いながらそのまま空中に小さな術式を描いた。それだけで、ウルスラの煙管の火が消える。
「剣士たちが至上のこの歪な国で、魔導士が生き残る道は二つ。ひとつは彼らの言いなりになる。もうひとつは……彼らを黙らせるほどの『魔力』を、犠牲を払ってでも手に入れるかですよ。崇高な犠牲です。……ウルスラ先生、あなたはもう、かつての天才剣士を教えていた頃の栄光に、いつまでもすがるべきではありません」
「……栄光?そんなもんは、思ったこともない」
ウルスラが、ようやくトビーを真っ向から見据えた。ウルスラにとっては、栄光など何の価値もないものだった。
「あんたは魔法を、ただの『暴力の道具』としてしか見ていない。だがね、トビー。魔法の本質は『呼吸』だ。生きた人間が世界と対話するための技術だよ。こんなこと言ったって、あんたには到底理解できないだろうけど……死体を弄り回して手に入れた継ぎ接ぎの魔力など、本物の『魔法』にはかなわないってことさ」
トビーの頬が、僅かに引きつった。
「本物の魔法……? くくく、面白いことを言いますね。では、その本物とやらを見せてもらいたいものです。……もし、あなたの周辺で『五年前の幽霊』が彷徨っているようなら、教えてください。ちょうどマチルダが、新しい検体を欲しがっていましたから。あんな古い物体がどういう仕組みで動いているのか、解体して調べてみるのも一興でしょう」
トビーは背を向け、去り際に言い捨てた。
「ろくでもないことを考えると、次は調査ではなく、掃除に来ることになりますよ。……さようなら、ウルスラ先生。せいぜい、その汚い地下室でよくよく考えてくださいよ」
男が去り、再び地下室には静寂が戻った。
暫くしてウルスラが動き出す。
「塩撒いとくか」
ウルスラは、消えた煙管に再び火を灯した。
「……顔は覚えたかい、レイ。あいつはあんたを『検体』にしたいようだよ。さっそく釣り針にかかったな」
いつからいたのか、部屋の奥の書棚の影から一人の男が出てきた。かつての「神速の剣聖」、そして今は土を愛する農夫。
「……ええ、覚えましたよ、先生。しっかりと。それと……彼にとって幸運なことに、僕は『ゴミ拾い』は得意なんです。畑を綺麗にするためには毎日欠かすことのできない作業ですから。気持ちがいいですよ」
「ゴミ拾いかい? こりゃいい。おまえさん、口もなかなか達者になったね」
*
クリスティーヌが扉を乱暴に開けて駆け込んでくる。
「レイ! 大変よ!」
マチルダとトビーに虐げられ、ひっそりと隠れ住む魔導士たちは、いつの日か彼らに逆襲するために、クリスティーヌの帰りを今か今かと待っていた。いまや、クリスティーヌは彼らの希望でもあった。今日は帰還の報告と今後の相談をするためにクリスティーヌは彼らの潜伏場所に出かけていた。
「また子供が一人マチルダに引き取られたわ!」
「マチルダの実験室に行きましょう。顔を確かめるのにもちょうどいい」
「案内は魔導士仲間がしてくれるわ。合流地点も決めてきた」
「さすが仕事が早いですね。すぐ行きましょう」
幸いにも、月のない夜だった。
トビーは執念深いマッドサイエンティストのイメージです。
ウルスラとレイはギデオンとトビーたちを分断するための餌を撒いていました。




