7.地下室の再会
R15の残酷描写が含まれる場合がありますのでご注意ください。
「ここです。……ちっとも変わっていないようですよ」
レイが立ち止まったのは、古すぎて看板すら満足に読めないような小さな地下店舗の前だった。営業しているのかも怪しい店だったが、そこはレイが少年時代、剣術と呼吸を学んだ懐かしい場所だった。
カビ臭い羊皮紙と、乾燥した薬草の匂いが鼻を突く。扉を開けると、天井から吊るされた不気味な魔物の骨が、風もないのに小さく揺れた。
「……誰もいないよ。相談なら、他を当たりな」
山積みになった古書の中から、女の声が響く。
「いるじゃないですか」
レイがゆっくりと被り物を外すと、どこからともなく、五年経っても何一つ変わらない、熟年の女性が表情も変えずに立ちあがった。
「ご無沙汰しています、ウルスラ先生。……本当に変わりませんね。この薬草の匂いも店の雰囲気も、先生もびっくりするくらい昔のままだ。おまけに『誰もいない』という挨拶も変わらない。先生がいるのに」
レイが歩み寄ると、ウルスラは手にしていた煙管を置き、じっと彼を見つめた。その視線はレイの顔ではなく、その骨格、筋肉の張り、そして魔力の「揺らぎ」を凝視しているようだった。
「……ふん。てっきり土の下で骨になっているかと思ったよ。レイ、ちょっとこっちへ来な」
ウルスラは細い指先でレイの手を掴み、その手のひらの「たこ」をまじまじと観察した。それから彼の全身を叩いたりつねったりしてしばらく確かめていたが、大きくため息をついて言った。
「……驚いたね。五年も前に、さんざん世話になったくせに私に何も言わずいなくなって。諦めたころ戻ってきてみれば、余計な力みが抜け、魔力の通り道が以前よりずっと広くなっている。こんなことって本当にあるのかねぇ」
信じられないといった様子で、彼女は首を振る。
「……土を耕しているうちに、自然とそうなったんです」
「……土? たがやす?」
ウルスラは不思議そうな顔をしたまま黙り込んでしまった。何かを考えている様子で、来た時はまだまだ長かったろうそくが、今にも消えようと小さく爆ぜる。
「まだ私にも驚けることがあったとはね。……クリスティーヌ、あんた、とんでもないものを拾ってきたね。こいつはもう、ただの剣士じゃない。動作そのものを魔術に変換できる、歩く魔導回路だよ」
自己紹介もしていないのに不意に名前を呼ばれ、クリスティーヌが驚いて尋ねる。
「私のこともご存知ですか?」
「ふん。寝ぼけてるのかい?私の知らないことなんてあると思うかい?なんでもお見通しだよ。ここで何年生きていると思っているんだ」
レイが横から口を挟んだ。
「お言葉ですが、40年そこそこしか経っていないようにお見受けしますよ。私が若い頃と全然変わってないじゃないですか、そんなはずはないんですけど。本当はいくつなんです?」
「は? あんたそういうところは変わっていないんだね。ま、いいけど」
ウルスラはどこか嬉しそうだった。
それからクリスティーヌに向き直ると、真剣な顔で言った。
「トビーとマチルダ。あいつらは魔法を成り上がるための道具にしたんだ。あいつらの魔法には節操がない。継ぎ接ぎの力で、筆頭魔導師だの次席魔導師だの言って自分たちが神にでもなったつもりでいるのさ。魔力供給網なんて、聞いて呆れるね。あれは王都に魔力を供給するためのもんじゃない、あいつらがいざとなったら王都から魔力を吸い上げるためのもんだ。奴らは民衆を騙してほくそ笑んでるのさ。あんたは、そんな状況を放っておけるかい? ……レイもだよ。かつて競い合っていた奴が、そんな薄汚い連中と笑って王座の隣でふんぞり返っている姿を見て、放っておけるかい?」
「……ま、放っておけないから戻ってきたんだろうけどね」
ウルスラは一気にまくし立てた。よっぽど誰かに話したかったに違いない。
レイは少し考え、店の片隅に置かれた、今にも枯れそうな植木鉢に目をやった。
「……私の畑にも、たまにいるんです。他の草の栄養を根こそぎ奪って枯らしながら、自分だけ育つ雑草が」
レイの目が、一瞬だけキラリと光った。
「そういう雑草は、どんなに大輪の花を咲かせていても、僕は抜きます」
「そうしないと、ほかの作物が、畑が死んでしまう」
ウルスラは目を丸くした。やがて意味を理解すると、大声で笑いだした。
「……くく、あっははは!」
彼女は溜まったうっぷんを振り払うかのように、久しぶりに心から笑った。
「最高だね! 傑作だよ! 剣聖レイ・アカツキが、今や王都の支配者を『雑草』扱いかい。笑いすぎて涙が出ちゃったよ」
レイとクリスティーヌは、ウルスラの笑いが収まるのを辛抱強く待っていた。
「レイ。よく聞きな。あんたが私に何を求めてきたのか、ちゃんと分かってるつもりだよ。協力しよう。……正直に言ってあんたじゃなきゃできない。そのあんたがやる気になったんだ。この好機を活かさない理由なんてないからね」
そのやり取りを横で聞いていたクリスティーヌが、一歩前に出た。
「ウルスラ先生。私にも、手伝わせてください。……私は、魔導士が、魔法が評価されない世界を、何とか変えたいんです。努力次第で魔導士も評価される世界にしたいんです」
ウルスラはクリスティーヌをじっと見つめ、小さく頷いた。
「……もちろんだ。あんたも、どこかでいい風に吹かれてきたらしいね。生きた目をしてる。……よし、覚悟はできてるか?」
「もちろんです」
薄暗い地下室で、かつての師弟と一人の若き魔導士の、静かな決意が交わされた。
女性に年齢を訊いてはいけません。
師匠の年齢は悩みましたが、あえての不詳ということで。




