4.街道の旅
R15の残酷描写が含まれる場合がありますのでご注意ください。
王都へとつづく長い街道には、かつての賑わいは微塵もなかった。 クリスティーヌは歩きながらぐっと両腕を突き上げ、凝り固まった身体を大きく反らせた。
「んんーっ。あと2日ってところかしら。さすがナギ村は辺境だわ」
ふう、と溜め息を吐き出して前を見据える。だが、すぐに彼女は不快そうに鼻を摘まむ。
「それにしても、このあたりは泥臭いというか空気の淀んだような変な匂いがするわね」
クリスティーヌはそう言って顔をしかめた。その隣で、レイは重い荷物を背負いながらも、一定の歩幅で歩みを進めている。
かつての「神速の剣聖」と「宮廷魔導士」。本来なら馬車に揺られ、護衛を引き連れているはずの二人は、今では泥のついた長靴を鳴らしてトボトボと歩く旅人にすぎなかった。
「……いい、レイ? 結局のところ、魔導士は剣士の『便利屋』じゃないのよ。術式一つ構築するのに、どれだけの論理と精神力が必要かわかる? そのことを、あの剣士って連中はちっとも理解してないの。あ、剣士って言ってもあなた以外の剣士のことよ? わかってるわよね。それなのに威張って……ちょっと、レイ、聞いてる?」
不意に隣が静かになったことに気づき、クリスティーヌが顔を上げた。そこにあるはずのレイの姿がない。
「……レイ?」
振り返ると、少し離れた後方の道端で、レイが地面に伏せているのが見えた。倒れたのかと思って急いで駆け寄れば、彼は目をキラキラさせて地面を凝視していた。
「何をしているのよ、こんなところで。疲れたの? だとしても、ここで寝ないでよ、臭いんだから! 宿まで待ってちょうだい!」
クリスティーヌは声を荒らげたが、レイの耳には届いていない。完全に心ここにあらずだ。
「……クリスティーヌ、見てください。これ、『ミズゴケ』ですよ。それも、こんなに質のいいのは辺境でも滅多に見られない」
「は……? コケ?」
クリスティーヌは彫像のように固まった。
彼女の頭の上に止まった黄色い蝶が、二度ほど羽ばたいて去っていくまで、その思考は完全に停止していた。
沈黙があまりに長かったので、レイは心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「……あの、クリスティーヌ? もしかして、それって『石化の魔法』の練習ですか? 微動だにしないなんて相当な集中力だ」
感心しているレイの顔を見て、彼女の中でようやく何かが弾けた。
「練習なわけないでしょうっ!!」
元に戻ったクリスティーヌを見て、レイは安心した様子で早口でまくしたてる。
「このコケが自生しているということは、この付近の土壌は酸性が強くて、なおかつ地脈の魔力が湿気を持って滞留している証拠です。これは保水力も抗菌性も優れているんです。ああ、素晴らしい……」
「.......」
「一袋分、持って帰りたいです。何か袋、袋……袋持ってません?」
(バカなの?)
レイは愛おしげにコケを撫で、おまけにその土を少し指で掬って、よりによって匂いを嗅ぎ始めた。
「クリスティーヌ! これはいい匂いです! みずみずしい!」
クリスティーヌは大きくため息をついた。
「……あのね、レイ。私たちは今、国を揺るがす大事件を解決しに王都へ向かっているの。わかる? 国家の一大事よ。世界の命運を懸けた、剣聖と魔導士の帰還なのよ。なんでその伝説の英雄が、道端で土の匂いを嗅いでるのよ!」
「ちょっとだけ、ですよ。あ、でもこの土、少し味もみてみようかな。ねぇ、クリスティ――」
「食べない! 立って! 早く!」
クリスティーヌがレイの襟首を掴み、強引に引きずり起こす。
「あなた本当にあの、王都の令嬢たちを軒並み骨抜きにしたっていう伝説の剣聖だったの?」
「すみません……」
クリスティーヌはまだぷりぷりしている。
「……ため息が出るわ。私の尊敬したレイ・アカツキは、どこに行っちゃったのかしら!」
「すみません……。でも、農夫にとって良い土との出会いは、剣士にとっての名刀との出――」
「だとしても! ごまかされないわよ」
「すみません……」
謝りながらも、レイは名残惜しそうにコケの群生地を振り返った。服の泥をパタパタと払って、また歩き出す。
「帰りにしよう……」
ぼそっと漏らしたその呟きは、クリスティーヌには聞こえなかった。幸いにも。
「……あ、クリスティーヌ。さっきの魔導士の話の続きですが」
「あら、やっと聞いてくれる気になったの?」
どうやら機嫌を直してくれるらしい。
「『魔導士は剣士の便利屋じゃない』って話ですよね。全面的に賛成です。……うちの村にも一人、水魔法の使い手が欲しいとずっと思っていたんです。水路を引く手間が省ければ、あと畑3つ分は開墾できる。やっぱり魔法って、すごいですよね」
「......」
(……剣士の便利屋じゃないっていうだけで、そういうのを別の意味で便利屋っていうんじゃないかしら?)
「あなた、王都に着いたらギデオンにその話をしてやりなさいよ。腰を抜かして憤死するわよ、きっと」
クリスティーヌは笑い出した。ひとしきり笑って、それから真顔になる。
「……それにしても信じられないわ。あんなに惨い裏切りを受けて、剣を持てなくなったのに、なおこの国のために戦おうだなんて」
クリスティーヌのおしゃべりは止まらない。
「誘ったのは自分じゃないですか? 変なことを言うんですね。ボケましたか?」
レイだってたまには反撃してみたいのだ。クリスティーヌがなんと返事するのかワクワクしている目をしたレイがいる。クリスティーヌは、敢えてそれを無視した。
「ボケてないわよ。何変なこと言ってるのよ。口説き落せたのが信じられないと思っているのよ。半分ダメ元だったから」
「なるほど」
「そこは納得するのね?」
「それを言うなら戦うためじゃないですよ。ただ、私の畑を荒らす『雑草』を抜きに行くだけです、クリスティーヌ」
レイはにこにこと満足げだった。
意外とおしゃべりなクリスティーヌと天然なレイ。
レイは本気でコケを持って帰りたいと思っていました。




