10.協力者
R15の残酷描写が含まれる場合がありますのでご注意ください。
トビーが計算に没頭している頃。レイとクリスティーヌは、王都の地下水道を抜けた先にある、古い、今は使われなくなった大聖堂の廃墟を訪れていた。
そこは、マチルダやトビーの「崇高な犠牲」にされるのを何とか逃れた魔導士たちの隠れ家だった。そこには、杖を折られ、あるいは魔力を奪われて衰弱した、数十人の魔導士たちが反撃の時を信じてひっそりと暮らしていた。
「……クリスティーヌ様? お帰りなさい。お待ちしてました。そちらは?」
一人の若い魔導士が、声を潜めて尋ねる。彼の腕には、トビーの実験によって刻まれた痛々しい魔法火傷の痕があった。
「ええ。先日話した『私たちの希望』を連れてきたわ」
クリスティーヌが横に退くと、レイが静かに前に出た。魔導士たちの間には、とまどいの空気が流れる。
(本当に彼は希望なのか)
(作戦は一度きりだ。失敗は死を意味する)
(生半可な作戦ではうまくいくわけがない)
彼らの目には、レイはただの温厚な男にしか見えず、未来を託していいのか信じていいのか半信半疑なのは仕方のないことだった。
「彼は……レイ・アカツキ。かつての『神速の剣聖』よ。そして今は、『私たちの希望』」
「......うっ」
魔導士たちざわついた。魔導士の中にはレイ・アカツキの名を知るものもいた。ここでも彼の名前には威力があった。
「剣聖? でも、確かギデオンに騙されて、もう剣を持てなくなってしまったのでは」
「……その通り、私は剣を持てません」レイが穏やかに、しかしはっきりと宣言する。
「私はかつての地位も、名誉も、何も求めていません。ですが、皆さんがトビーたちに奪われたもの、そしてこれから奪われようとしている『明日』を取り戻す手伝いなら出来ます」
レイは、傷だらけの若い魔導士の手に、自分の大きな手を重ねた。農作業で硬くなった、ごつごつした温かい手だ。
「私は今は農夫です。農作業は、荒れた土地を耕し、毎日害虫を除き、ゴミを拾い、雑草を抜く、の繰り返しです。でもそうやって手入れしてやれば、畑はちゃんと実りをもたらしてくれる。でも……この王都という土地は、少し雑草も虫も湧きすぎてしまいました。私一人では広すぎますが、皆さんの知識があれば、きっとまた良い作物が育つ場所に戻せます」
虐げられてきた魔導士たちは、水を打ったように静まりかえった。誰かが鼻をすする音だけが響く。
「……レイさん。俺たちが、何をすればいいのか一緒に考えてくれるか。もう、あいつらに怯えて暮らすのは嫌なんだ」
「もちろんです。僕からも頼みます。一緒に雑草を抜きましょう」
*
クリスティーヌと地下の魔導士たちが、王都の魔力供給網に細工を施すための、緻密な作戦会議を開始している。そんな中、妙な具体性を持った、トビーの「救出作戦」の知らせが飛び込んできた。
トビーは、まず自分の配下の中にいる「彼らのスパイとして潜り込んでいる若手魔導士」に見当をつけ、マチルダが孤児たちを「崇高な犠牲」として消費する凄惨な現場の記録をわざと机の上に放置して隙を作り、その若手がその記録を盗み出して、魔導士の隠れ家へ駆け込むように仕向けたのである。
「……あいつなら、自分が英雄になったつもりで情報を運ぶだろう」
トビーは、その若手が地下水道へ向かうのを窓から見下ろしながら、ニヤリと笑った。
「計算通りだ」
彼ら「綺麗ごとを並べている魔導士たち」が最も食いつきやすいのは、「子供たちが虐げられている」という情報であることを彼は熟知していた。
魔導士たちにもたらされた情報は極めて具体的だった。
【日時:今夜三の刻。
場所: 王都北部、検問の緩い廃倉庫群通称北倉庫の三号棟。
状況: マチルダのため、今夜これまでにない規模の「崇高な犠牲」を伴う儀式が行われる。】
トビーの投げてよこした餌は、「今夜を逃せば、子供たちの命はない」という時間的制約をつけることで、レイやクリスティーヌから冷静に裏を取る余裕を奪ったのである。
同時に、トビーはギデオンに対しても隠蔽工作を行った。 ギデオンには
「今夜は北部地域の魔力供給網の保守点検があるので大きな魔力波動が出ると思うが、気にしないでくれ」と伝え、騎士団の目を北部の倉庫街から遠ざけた。そして彼は、何日もかかって作り上げた自分の最高傑作である「算術結界」の中にレイを誘い込み、誰にもに邪魔されることなく、その「剣士の身体能力」と「どうやって剣士の技を魔術に応用しているのか」を心ゆくまで解体するつもりだった。
*
「……間違いない。マチルダの魔力で封をされた輸送指令書だわ」
クリスティーヌが、急いで奪取された書類を広げる。そこには、トビーが偽造した完璧な「崇高な犠牲」の輸送計画が記されていた。地下に隠れていた魔導士たちは、顔を引きつらせる。
「レイさん、行きましょう! あいつらは、子供たちをただの消耗品だと思っている!」
「何が崇高な犠牲だ!外道の所業だ」
レイは、その書類をじっと見つめていた。
(何かがおかしい。整いすぎている)
しかし、書類の端に付着した、マチルダの魔力は本物だった。
「……罠かもしれませんね。あまりに、都合が良すぎる」
レイの懸念に、クリスティーヌが顔を上げる。
「罠かもしれない。でも、もしこれが真実だったら? 私たちが躊躇している間に子供たちが……」
判断を迷っている暇はなかった。それこそが、トビーの狙いだったのだが、「生命」を育んできた者として、子供たちの未来が奪われるのを黙って見過ごすことはできなかった。たとえそれがトビーの「計算通り」だとしても、彼は踏み込むしかなかった。
「……わかりました。行きましょう。ただし、私が先に行きます。皆さんは私の背後、隠れてついてきてください。危なくなったら絶対に出てこないように。次の機会のために、必ず帰ってください。これだけは約束してください」
レイが立ち上がる。 その姿を、数キロ離れた魔導塔から、遠隔視の魔道具を通して眺めていたトビーは高揚を隠そうともしなかった。
「計算通りだ」
「さあ、おいで。レイ・アカツキ。私の数式という名の『遊び場』の中へ」
*
その日の昼間、地下の隠れ家を出る直前、ウルスラはレイの袖を掴んで引き止めた。
「レイ、いいかい。一つだけ忠告しておくよ。……トビーの魔法は『破壊』じゃない。『定義』だ。あいつの数式のなかでは、一足す一が三になり、上から落ちるリンゴが横に飛ぶ。……あんたの『剣』は、この世界の正しい法則の上に成り立っている。だが、もし『法則』そのものを書き換えられたら、あんたの研ぎ澄まされた感覚こそが、あんたを殺す刃にもなる」
ウルスラはいつになく真剣だった。何かを予感するかのように。
「あんたは昔に比べれば格段に魔力の通りはよくなってるとはいえ、まだまだ魔導士としては絶対的に知識が足りない。トビーだって何を目的にするかだけの違いで優秀なことは確かだ。何がおこるかわからない。念のためにこれをどこかに忍ばせておきな。わかってるな、地に足を着けるな。あんたが信じている『地面』は、もうそこにはないかもしれないんだからね」
レイはふとウルスラの言葉を思いだし、反芻した。
(地に足を着けるな、か)
そして、レイたちは夜の闇へと消えた。
「私たちの希望」です。




