第10話:中途半端で
小屋の壁にもたれかかり、二人揃って息切れをさせて喉を鳴らす。未だ部屋の電気もつけず、ただひたすらに全身を落ち着かせることに意識を集中させていた。もう周囲で物音はしない。恐らく逃げ切れたのだろう。床をなぞって指に付いた埃を息で飛ばし、静かな余裕を取り戻してきたのを自分の中で感じる。
外に出していてはいけないだろう、という理由で思い切り部屋の中心にバイクが停めてある。ただでさえ、本の入った棚で埋め尽くされ、あとは机と椅子しかない最低限な部屋だ。バイクが一台居座るだけで、まるで三人で泊まっているような感覚になる。本当にここで研究なんて出来たのかと思えるほどの窮屈さだが、逃げ込ませてもらった性分、そんな軽口はもう叩かない。
「ひとまず……大丈夫そうだね。はぁ〜、マジで死ぬかと思ったぁ〜」
「はぁ、本当だよ……。というか! お前があの黒服倒してたら、あんなことにはなってなかったかもしれないだろ。なんであそこで躊躇ったんだよ」
「え……いや……それは……。……ごめん」
アルラは膝を抱えるように座ると、息を溜めてから静かに呟いた。か細いその声。思わず強く言葉を発してしまったことに、ノードはしばし反省する。あぐらをかいて座り直し、小さくため息をつきながら微量の電流が走っている拳をじっと見つめた。まだ、感触が残っている。ライクア特有の金属質の肌を抉った時の、快感とはかけ離れた重み。コルの慟哭が鮮明に頭の中で駆け巡ってしまう。髪を触り、沈黙に身を委ねつつも、傷ついた彼女の体を視界に入れてゆっくりと話し出す。
「……なんで、そこまでしてあいつらと戦うんだよ。お前とかじゃなくて、もっとなんか国の、あの門に立ってる兵隊みたいな奴ら、そういう奴らに任せておけばいいだろ」
古ぼけた匂いが鼻をくすぐる。かなりの間使われてはいなかったであろう、軋んだ床と剥がれた壁。木材の温かみなどとうに薄れ、全体が酷く色褪せている。しばしの沈黙ののち、膝に顔を埋めたままの彼女はこもった声を吐き出した。
「両親はね、インスの奴らに殺されたの」
「……何だと?」
「君の知り合いのライクアが言ってた通り、インスは人間への復讐のため動いている。ライクアの研究員だった両親は、勿論ずっと目をつけられてた。ライクアからしたら自分達をこの醜い世界に放った人々の一端、だからね」
彼女の体が震え始めたのが分かった。ノードは頭を抱えたまま、何も言葉をかけることが出来ず、ただ背中に当たる壁の感触を感じるだけで。
「その日、いつもより帰りが遅いなぁなんて呑気に考えてた。そしたら家に電話が来て、政府の人から知らされたの。そして次の日から、私は戦うことを決めた。これ以上、被害者が出ないようにって」
「……」
「今まで言ってなかったんだけどね。実は私、政府に頼まれてやってるの」
「頼まれて……? 何を、」
「インスの討伐だよ。政府からかかってきた電話は訃報の知らせもそうだったけど、それだけじゃなかった。パパもママもどっちも政府の研究所内では有名な人物だったから、政府関係者とは色々繋がりがあってね。それで、直々にお偉いさん方から頼まれたの。両親の残した技術を使って、黒服達を全員始末しろって。その契約としてちょっとのお金と、電気屋含めた両親の遺産を担保出来ることになったの」
「お前、一人だけで全員をか……?」
「……うん」
「無理に……決まってるだろ。なんでお前一人だけにそんな責任を押し付けるんだよ」
「さあね……。軍を派遣するよりも、安上がりだからなんじゃない。分かんないけど……。でも、政府の人のことを悪く言わないで。契約してなかったら、少なくとも今の年齢までは生きてなかったと思うから」
アルラの表情も、声も、もう上手く捉えきれなかった。彼女はなぜ、ここまでの運命は背負うんだ。悪く言わないで、と言われても嫌な考えしか頭に浮かばない。政府は、権力も持たない一人の少女を動かし、自分達の敵対勢力を排除しようと画策しているのか。そんなの、あまりにも狡猾すぎる。なぜ。なぜだ。考えてもどうしようもないはずなのに、自分が自分に問いかけてくる。自分のことですらない、彼女のことをひたすら。
「だから私、頑張って、頑張って倒さないといけないの……! あいつらを、あの両親を葬った、憎き黒服のあいつらを……! なのに、」
雫が、床に一滴。埃まみれの砂漠に、降ってきた雨のようなそれは、皮肉にも酷く目立っていた。膝を抱きしめる腕の力は強くなり、雨を降らす雲は未だ俯いている。
「なのに……! 引き金を引く時、いつもよぎるの……! パパとママの言葉が……! ライクアは未来の希望だって、誰かの助けになるための存在だって……! だから……私……!」
泣きじゃくるアルラは顔を上げ、ノードの方へと向く。メガネは床へと落ちていて、顔は震える口と流れる涙でぐしゃぐしゃになっていた。彼女は両肩に手を置いて全身の力を預けると、彼の膝へと涙を零す。
「ねえ……私ってどうすればいいんだろう……! 殺さなきゃいけないのに、殺せない……! パパやママの復讐なのに、本当に両親が願っているのはもっと違う未来なのかもしれない! でももう後戻りは出来ない……はずなのに、まだ違う道があるんじゃないかって……! ずっと、中途半端にしか生きて来れなかった……! s」
必死に訴えかける彼女の叫び声にも近い独白に、ノードは何の言葉も返すことが出来なかった。ただその迫力に唖然とし、彼女の吐き出すいずれも受け止めきれないまま、涙と共に溢される思いが床へとすり抜けていく。
「もう……戦いたくない……! 争うしか選択肢が無いなんて、おかしいよ……! ライクアと人間同士が争わずに共存出来る世界が……いつか叶うなら……! 私は……!この命だって投げ捨てても……!」
随分と静けさの耽る夜に感じられた。彼女は泣き疲れ、ノードに寄りかかるようにして寝息を立てている。彼は一向に眠ることなど、出来なかった。強く握られた拳。彼女を助けるには仕方が無かった、といくらでも言い訳が出来る感触。同族のライクアを、殺してしまった。勝手に証だと思い込んでいた自分が馬鹿に思える。彼女の痛烈な叫びは、もう既に拳が酷く汚れてしまったことを気付かせた。
「後戻り出来ないのは……俺の方だ」
寝ている彼女は、年相応の少女の表情をしていた。まだあどけなさが残り、とても異種族との争いに駆り出される戦士には見えない。ふと、目の前にある数少ない家具達が気になった。彼女の体をそっと壁に寄り掛からせてから立ち上がると、ノードは部屋を歩き出す。年季の入った机だ、撫でると表面の木目の特徴的な質感が手に伝わってくる。目線を上げる。近くの書棚には全ての隙間に余すことなく本が埋まり尽くしていた。どれも背表紙のタイトルだけで難解なものばかり。ライクアに関する本があったりするのか、と視線を動かして探していると、一つ本と本の間に薄い紙が挟まっているのが確認出来た。背伸びして、指の先で掴んで引き出してみる。それは、一枚の写真だった。この部屋を背景に並んでいる三人は、全員屈託のない笑みを浮かべている。中でも、その真ん中に立つ幼き頃のアルラは際立って幸福そうで、際立って、無垢に見えた。
「いかないで……」
声がして、振り返る。壁に寄りかかったままの彼女の寝言。ただひたすらに、その一言を彼女は繰り返していた。ノードは静かに写真を元の位置に戻すと、彼女のなるべく近くに座り、密かに決意をその拳に込める。手を汚すのは、もう自分だけで十分なのだと。
肩を叩かれる感触。思わず目を開けると、そこにはアルラがいた。今度は彼女に起こされる羽目になってしまった、開いた扉の隙間から差す日光がダメ押しで目覚めを告げてくる。伸びをして、あくびを一つ。彼が起きたのを確認すると、彼女は少し目線を外しながら口を開く。
「おはよう。……昨日は、そのごめん。ちょっと、取り乱しちゃって」
相変わらずノードは彼女の抱える運命に対して、うまく返す言葉が見つからなかった。沈黙を続けていると、彼女は恥ずかしそうにそそくさと話題を変える。
「……ま、まあいいや。っていうか、この後のことなんだけどさ。ちょっと頼みたいことあって」
「頼みたいこと?」
「そう。さっきね、シルバさんから電話で連絡があったの。ああ、シルバさんってのはこの前ライクアの修理に来たおばあさんね。で、その人がちょっと家の留守番を頼みたいって言ってくれたんだけど、今日私電気屋で修理の予約入っちゃっててさ、お願いなんだけどあんた、行ってくれない?」
「……留守番ぐらいなら、まあいいけど。それよりも、黒服の奴らは大丈夫なのかよ」
「あいつらは基本的に日が落ちてから行動する。白昼堂々と犯行は出来ないみたいだから、その間は街を歩いてても襲われないと思うから安心して」
「俺の心配じゃなくて、お前だよ。もし、次襲われるようなことになった時、お前はちゃんと自分の身を自分で守れるのか?」
目力を込めて、言葉の節々をはっきりと発声してその思いの強さを伝える。アルラは口を噤み、目線を逸らす。消極的な態度。彼女のそれを見て、ノードはもう一つ言葉を付け足した。
「無理だと思ったら、どうにかして俺を呼べ。そうすれば、なんとかする」
「なんとかって……その……」
「分かってる。もう、無闇に殺したりなんかしない。ちゃんと対話が出来る段階に持っていくって意味での、なんとかする、だ。なるべく、お前の理想を貫けるように俺は力を尽くす」
彼女は、徐々に彼の顔へ視線を向ける。息を吐き、吸い、勢いよく唾を飲み込み、そして彼と目を合わせた。消えかけていた虹彩の輝きを、静かに戻していき。
「……これ」
強く握った拳を柔らかに開き、彼女は手のひらを差し出した。そこに乗っていたのは、小さな白い丸型の機器のようなもの。彼がそれを手に取ると、彼女はほんの少しだけ得意げに話す。
「今日の朝、作ったの。発信機。これで電話を通して私はノードに、ノードは通信機を通して私に連絡出来る。あんたももし命の危機を感じたら、私を呼んで。絶対に助けるから」
「……ありがとう」
微量ながら鼻高々な表情をする彼女を見て、ノードは少し胸を撫で下ろした。そうだ。彼女はただの軟弱者なんかじゃない。目の前で困っている人がいるなら救う、そういう人間じゃないか。そんな大事なことを忘れていた自分を、鼻で笑ってしまう。
「ところで、これはどう使うんだ? ボタンも無いし……このままこいつに喋り掛ければいいのか?」
「チッチッチッ、これはノード専用の造形なんだから一味違うわよ。それ、飲み込んでみなさい」
「の、飲み込む……? こんな機械の塊をか!?」
「あんたの体に合うようにしたの。ほら、物は試しよ」
言われるがままに、錠剤よりも少し大きめの発信機を口の中に落とし、そのまま勢いよく飲み込む。なんだか喉に突っかかるような違和感が初めに襲う。だが、しばらく経ってからその閉塞感はまさしく粉のようにうなじへと抜けて外に出ていった。その感覚を伝えると、彼女は持っていた携帯を掲げる。
「これで、あんたのそのうなじのコンセントを軽く押すと、喋った声がこっちに聞こえてくるようになるわ。なんか言ってみなさい」
「……あ」
やまびこのように遅れて、携帯端末から「あ」という声が流れてくる。続けて長い文章で試しても、その効果に問題点は無かった。更に彼女が言うには数秒長く押せば周囲の音を録音するモードに入り、それをそのまま他の通信機器に転送することも可能となっているそうだ。ノードの体は彼女のおかげでレコーダーの機能が追加され、小一時間で製作したとは思えない技術力を朝から見せつけられる。流石、研究者の娘だ。何気ない顔で咳払いをした彼女はバイクに跨り、顔で後部座席を指す。
「それじゃあ、向かうよ」




