The Second Observer
律のマンション(リビング)
遮光カーテンが引かれた暗いリビング。
唯一の光源は、律の目の前に浮かぶ複数のホログラムウィンドウだ。
部屋には、コンビニの空き容器と、古い文献が散乱している。
律は、険しい表情で東京湾岸エリア地図データを照合していた。
律: 「……ここもだ。……僕の記憶と一致しない。」
モニュメントだけではなかった。
街路樹の種類。
看板のデザイン。
ビルの配色。
微細だが、確実に何かが変わっているように感じる。
律はこめかみを押さえる。
律: 「だが、人間関係の相関図に変化はない。蒼吟も、デイビス達も、僕との関係性はあの日のままだ。……歴史の改変は、無機物に限定されているのか?」
律の脳内で、AIディサイシブの冷徹な声が響く。
ディサイシブ(脳内) 「警告。ストレス値の上昇。記憶の齟齬は、長時間労働による海馬のエラーである可能性が高いです。鎮静剤の投与を推奨。」
律 「……いや…エラーなんかじゃない。これは…」
律は震える手で、胸ポケットのブローチに触れる。
冷え切ったその感触。
律: 「僕のパルスが過去に届いた証拠だ。……世界が歪んだ分だけ、月凪が戻ってくる確率が上がったんだ。これは必要なプロセスだ。そうだろ?」
自分に言い聞かせるように呟く。
世界を壊している罪悪感と、それを正当化しようとする執着。
二つの感情が軋み合い、律の精神を削り取っていく。
律は乱雑に机の上の資料を払い除けた。
ガシャッ、と音がして、積まれていた本の山が崩れる。
その中から、埃を被った一台の旧式タブレットが床に滑り落ちた。
律 :「……?」
律はそれを拾い上げる。
無骨なデザイン。
画面の隅に貼られた、手書きの付箋。『For Riku』。
律: 「……沼田先輩の……」
4年前。
尊敬する師が遺した、遺品。
忙殺と洗脳の日々の中で、ずっと引き出しの奥に眠らせていた端末。
律の指が、吸い寄せられるように電源ボタンを押す。
(回想) 今よりも照明が明るく、活気があった頃のMIPラボ。
若き日の律は、自信に満ちた顔でシミュレーション結果を提示している。
律: 「……以上です。この確率操作を行えば、災害回避率は98%まで上昇します。」
対面に立つのは、白衣をラフに着崩した男、沼田或人。
彼はモニターを見つめ、深いため息をついた。
沼田: 「律。君の計算は正確だ。……正確すぎて、怖いよ。」
律: 「何が問題なんですか? 完璧な予測こそが、クロノスの使命でしょう。」
沼田 :「しかし、この確率操作は、結局、人の運命を指先ひとつで弄ることになる。君の演算は完璧だが……その指先が、倫理的重圧に耐えられるか?」
律: 「倫理的重圧など、計算すべきノイズではありません、先輩。我々が未来を救うためには、最大多数の幸福というゴールに向けて、最も効率的な経路を選ぶべきです。」
沼田 :「効率、ね……」
沼田は苦笑し、律の肩を叩く。
沼田: 「冷たい計算は、いつか律の心まで凍らせるぞ。我々が守るべきは、データ上の幸福じゃない。画面の外の、泥臭い人生だ。」
律: 「……それは感傷です、先輩…」
(回想) 夕暮れの休憩室。
沼田はコーヒーを飲みながら、窓の外の建設中のビル群を眺めている。
沼田:「そういえば、AELabの水無瀬さんとは順調か?」
律は一瞬、頬を緩ませるが、すぐに真顔に戻して咳払いをする。
律:「……私情は研究に持ち込みません。彼女はあくまで重要なパートナーです。」
沼田 :「はは、固いな。君にとって、彼女は計算不能な最大のノイズだろう?」
沼田は優しく目を細める。
沼田 :「だが、いいか律。論理で説明できないものが、世界を動かしていることが多々ある。愛も、その最たるものだ。」
律: 「私には、その非合理性が理解できません。なぜ人は、不確定なものに人生を委ねるのか…」
沼田 :「それでいい。……ただ、覚えておけ。」
沼田の声色が、ふと真剣なものに変わる。
沼田 :「『真理は常に、計算の隙間に潜む』。……君の人生で、最も非合理的な隙間が生まれた時、それが真理への扉だ。」
(回想) ある日の夜。
ラボのエレガントな廊下に、不釣り合いなサイレンの音が響き渡っている。
担架が運ばれていく。
その上に横たわる、白い布で覆われた動かない体。
律: 「……先輩?」
律は立ち尽くす。
過労による急性心不全。
それが公式発表だった。
だが、その直前、沼田は言っていた。
『神になろうとした者が、皆どうなったか知っているだろう……』
あの時、沼田が最後に見せた、何かを悟ったような、それでいて諦めたような瞳。
それが、律の記憶の中でフラッシュバックする。
律は、ハッと息を飲んで現実に戻った。
手の中のタブレットは、バッテリー残量わずかで起動していた。
律: 「……先輩。あなたは、何を知っていたんですか。」
画面には、ただ一つ。
『My Memo』とだけ記されたフォルダがある。
律はそれをタップする。
『Access Denied(アクセス拒否)』 『高度な量子暗号化により保護されています』
律 :「暗号化……? ただのメモに?」
律はキーボードを叩き、解析ツールを走らせる。
だが、プロテクトは強固だ。
それ以上に奇妙なのは、そのデータ構造だった。
律: 「なんだ、この非効率な配列は……。無駄なデータジャンクが多すぎる。こんなの、先輩らしくない……」
まるで迷路のように入り組んだ、無意味に見えるデータ群。
AIディサイシブが判断を下す。
ディサイシブ(脳内) 『解析結果:破損ファイル、または無価値なゴミデータです。削除を推奨。』
律 「……ゴミデータ? いや……」
手を尽くすが今はまだ、解読の鍵は見つからない。
だが、この「非効率」の中にこそ、沼田が命を賭して隠した何かが眠っているという予感だけがあった。
律は一度タブレットをデスクに置き、疑念を振り払うようにメインモニターへと向き直った。
もし過去が変わったのなら、今の世界はどうなっている?
律は震える指でブラウザを立ち上げ、いくつかのニュースサイトを巡回した。
歴史的な事件、街の再開発計画、流行のガジェット……。
モニターに映る情報は、律の記憶と概ね一致しているがやはり時折違和感を感じる。
律:(デジタルな記録では、過去が変われば瞬時に上書きされ、整合性が取られてしまう。このモニターの中に書き換わる前の真実は残っていない…)
律は息を呑んだ。
確証を得る方法は一つしかない。
システムによる自動更新が効かない場所――人間の脳を探るしかない。
律:「もし、僕と同じように……この誤差に気づいている人間がいたら…」
律は検索ウィンドウにカーソルを合わせ、慎重に言葉を選んだ。
『マンデラ効果』のようなオカルトめいたワードではなく、もっと切実な、日常の綻びを訴える言葉を。
『記憶 食い違い 家族』 『昨日と違う 風景』
検索結果が滝のように流れていく。
そのほとんどは「鍵をなくした」「ただの勘違い」といった他愛のないノイズだ。
やはり、自分の考えすぎか。
律が諦めかけてページを閉じようとした、その時。
たった一件。
数分前に投稿されたばかりの、ある呟きがスクロールの手を止めさせた。
【User: Coco_Melon(投稿時間:5分前)】
『ねえ、怖い。昨日お母さんと「新型myPhone、明日届くね」ってあんなに話したのに、今朝聞いたら「そんな注文してない」って真顔で言われた。 家を出たら、通学路の看板もいつもと違うし。 私の記憶がおかしいの? それとも世界がバグってる? 誰か同じような人いない? #TimeLag #世界線バグ』
添付された写真には、街角の看板と、違和感を訴える手書きのメモが写っている。
それは、律が感じている歪みと同質のものだった。
律: 「……いた。」
律の瞳に、わずかな光が宿る。
それは狂気の光ではなく、同志を見つけた探究者の光だった。
律 :「僕だけじゃない。……世界は、確実にズレている。」
律は画面上の『Coco_Melon』というIDを凝視する。
孤独な観測者が、初めて自分以外の「目」を見つけた瞬間だった。




