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クロノスバタフライエフェクト  作者: 研G


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5/12

証明

事故から数週間後の夜。


律の部屋は、遮光カーテンで閉め切られ、昼夜の感覚を失っている。


床にはホログラムの残骸が散乱している。


それらは全て、事故当日のAELabのデータログだ。


律はソファに深く埋もれ、身動きひとつしない。


ディサイシブだけが、暗闇で不気味に青く明滅している。


その右手には、煤けた青い蝶のブローチが握りしめられていた。


爆心地で月凪が最期までその手で守り抜いた、唯一の遺品。


律は、その古びたアーティファクトを、指先で確かめるように何度も撫で回しながら、虚ろな目で凝視し続けている。


まるで、その冷たい鉱物の奥底に、彼女の鼓動の残響がまだ閉じ込められていると信じているかのように。


(インターホンが鳴る)


律は反応しない。視線はブローチの青い光に吸い込まれたままだ。


数分後、セキュリティロックが外部権限で強制解除され、ドアが開く。


入ってきたのは、戒能 統吾。


彼は背後のSP(警護官)に対し、手で外で待てと制し、重厚なドアを閉めた。


組織の長が、護衛もつけずに密室に入ってくる。


その異常さが、これからの会話が公式ではないことを物語っていた。


戒能: 「……酷い有様だな、結城。部屋も、君の精神も。」


律: (焦点の合わない目で)「……長官。なぜ、お一人で。ここは、敗北者の墓場ですよ。」


戒能: 「敗北者か。……君はまだ、計算を続けているのか?」


律: 「……皮肉なものです。」


律は乾いた笑い声を漏らす。


律: 「僕は、地球の裏側の災害を1ミリ単位で予測し、何百万人の命を救うシステムを作った。……それなのに。」


律: 「半径2メートル……いつも手の届く距離にいた彼女の危機だけが、僕の観測範囲に入っていなかった。」


律: 「世界中を見渡せる望遠鏡を持っていたくせに、すぐそばの彼女1人、守れなかったんだ……!」


律は震える手で顔を覆う。


数値のミスという無機質な言葉ではなく、全能感ゆえの盲点という天才特有の絶望が、彼を苛んでいる。


戒能は、同情するでもなく、軽蔑するでもなく、ただ壊れた精密機械を見る目で律を見下ろす。


そして、ゆっくりとソファの向かいに腰を下ろした。


戒能: 「君の言う通りだ。君の演算能力は神に近かった。だが、倫理という名のフィルターが、君の視界を曇らせていたのだ。」


律: 「……倫理?」


戒能: 「君は、過去への干渉や死者へのアクセスを、思考の段階で除外していた。だから、彼女の死という変数を予測できなかった。」


律:「しかし、それは…」


戒能: 「結城。一つ、思考実験をしよう。」


戒能は、月凪が使い残したマグカップを指先でなぞる。


戒能: 「もし、君のシステムが時間軸の不可逆性(時間は戻らない)という前提を取り払い、全ての時間は並列に存在しているという仮説を採用していたら……君の計算式は、どう変わる?」


律: 「……並列……? それは、過去への遡行……五百旗頭博士が定めた、最大の禁忌タブーです。」


戒能: 「そうだ。世界はそれを禁忌と呼ぶ。だが、君のディサイシブは何と言っている?」


律はハッとして、デバイスに意識を向ける。

AIは、感情によるバイアスを排除し、純粋な論理だけで答えを弾き出している。


律: 「……理論上……可能です。観測されたデータが、現在の時間軸で消失しても……並行する座標軸には、データとして保存されている……」


戒能: (低く、囁くように)「ならば、それは死ではない。ただのデータの迷子だ」


律: 「……迷子……」


戒能: 「我々は科学者だ、結城。大衆が信じる倫理や死という概念に縛られて、救えるはずのデータを放棄するのか? それとも、悪魔と呼ばれても、真理を連れ戻すのか。」


戒能: 「選ぶのは君だ。……私はただ、惜しいと思うだけだ。君の愛が、ここで終わることを。」


戒能の言葉は、命令ではなかった。


律の心の奥底にある「諦めたくない」というエゴに火をつける、悪魔の問いかけだった。


律の瞳から、人間らしい光が消え、代わりにAIのような冷徹な青い光が宿り始める。


律: 「……長官。僕に、権限アクセスをください。」


戒能: 「何のための権限だ?」


律:(顔を上げ、狂気じみた決意で) 「迷子を捜索するための権限です。 ……倫理規定を書き換えます。僕は、世界を救うためじゃない。僕の計算が間違っていなかったことを証明するために、彼女を再収束リブートさせます。」


戒能は、満足げに口角をわずかに上げた。 彼は立ち上がり、律の肩に手を置く。


戒能: 「よろしい。」


戒能: 「明日からラボに戻れ。ただし君の暴走を管理するために、監査官をつける。だが安心しろ。君の証明の妨げにはならんよ。君は、君の論理で突き進め。」


戒能が部屋を出ていく。


残された律は、暗闇の中でデスクに向かう。


彼の指が、キーボードを叩き始める。


その速度は、人間のものではない。


モニターに映し出されたのは、月凪の笑顔の写真ではなく、彼女を構成する膨大な量子データコードだった。


律: 「待っていてくれ、月凪。……」



翌日。


クロノスインダストリー。


事故の爪痕が残るラボに、冷ややかな静寂が戻っている。

他の研究員たちが、デスクに向かう律に腫れ物に触るような視線を向ける中、ヒールの音が鋭く響いた。


スーツ姿のイズミ 唯零イオが、律のデスクの横に立つ。


泉: (事務的かつ冷徹な声で)「本日付で、量子倫理審査局より配属されました。技術監査テック・オーディターの泉 唯零です。」


律: (手を止めず)「……ああ。長官から聞いている。僕の監視役か。」


泉: 「管理です。……結城チーフ。長官より、特別高度演算プロジェクトの発令を受けました。」


律: 「特別高度演算?」


泉: 「はい。事故の原因となった未知の量子ノイズを解析し、将来の災害リスクを完全排除するための極秘プロジェクトです。……これはレベル・ブラックの機密事項となります。」


律はこれが建前のプロジェクトであるとすぐに察した。


泉は端末を操作する。

すると、律のデスク周辺を囲むように、防音・防視のプライバシーフィールド(遮断壁)が展開された。 周囲の研究員たちの姿と音が遮断され、ラボの中に二人だけの密室が完成する。


デイビス(フィールドの外): 「えっ? おい、何だこれ……チーフが見えないぞ。」


泉: (フィールド内で、声を低くして)「これで、外部からの干渉は遮断されました。他の研究員には、このプロジェクトの内容は一切開示されません。」


律: (泉を見上げる)「……用意周到だな。まるで、僕を隔離病棟に入れたみたいだ。」


泉: 「必要な措置です。あなたが扱うデータは、彼らの理解(倫理)を超えていますから。」


泉: (……この男か。愛という名のバグを動力源にする、危険な演算装置。戒能長官は、この熱暴走ギリギリの炉心を管理しろと命じた。)


律: (鼻で笑う)「いいだろう。隔離病棟だろうが監獄だろうが構わない。……計算式ロードマップは僕が書く。君は、その出力結果が組織の利益になることだけを確認していればいい。」


泉: 「……組織の利益とは?」


律: 「失われたデータの完全な復元だ。この世界に空いた0.01%のエラーを埋めない限り、システムは完成しない。」


泉: (わずかに目を細める)「……了解しました。あなたの目的が証明であれ愛であれ、我々は結果さえ出れば問いません。」


泉: 「ただし、これだけは警告しておきます。」


泉は、律の胸元のポケット(蝶のブローチが入っている場所)に冷ややかな視線を落とす。


泉: 「その強すぎる執着は、諸刃の剣です。 感情を単なる演算リソース(燃料)として、最後の一滴まで使い潰してください。 ……もし途中であなたが演算の手を止めるようなことがあれば――」


律: (口元を歪め、冷たく笑う)「……心配いらない。今の僕に、人間らしい迷いなどない。」


律は再びモニターに向き直る。


画面に映っているのは彼女の生体情報を数値化した膨大なコードの羅列だった。


律: 「あるのは、再収束への渇望だけだ。」


律の瞳は、ディサイシブの光と同化し、人間性を失った機械のように冷たく輝いている。


泉は無言で彼の一歩後ろに立ち、タブレット端末を起動した。


狂気が極秘任務として正当化され、律は二度と戻れない修羅の道へと足を踏み入れた。


その背中で、見えない監獄の扉が、重く、静かに閉ざされた。


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