魂の刻印
杉山奏真のアジト――スクラップ工場の地下。
湿った空気と油の匂いが立ち込めるその場所で、時間は一瞬、凍りついたようだった。
赤い蝶のブローチが放った紅蓮の閃光が収まり、崩れ落ちていたレイアがゆっくりと顔を上げた。
その瞳を見た瞬間、律は息を吞んだ。
そこには、先ほどまでの彼女を支配していた「恐怖」や「混乱」は欠片もなかった。
代わりに宿っていたのは深淵を覗き込んできた者だけが持つ、重く、底知れない覚悟がだった。
レイア:「…… リク。」
レイアが唇を動かした。
その呼び声に、律の心臓が跳ねる。
あの日、炎の中で聞いた最期の声と全く同じ響き。
律:「月凪…… なのか?」
律の問いに、レイアは自分の細い指先を見つめ、それから優しく微笑んだ。
レイア:「不思議な感じ。私は天宮レイア。 その自覚も、私が生きてきた人生の記憶も、ここにあるわ。 でも…… 月凪の時の経験も、今は私のものとしてここにあるの。 他人の映画を見たのとは違う。 私がリクと出会い、あの日、あの場所で命を落とした痛みも。 …… 今なら、全てが私自身の記憶として語れるわ。」
レイアは椅子を引き寄せ、律、心呼、そして杉山の三人を見渡した。
レイア:「話すわね。……この悲劇が、どこから始まったのか。そして、なぜ私がここにいるのかを。」
地下室の古びた電球がチカチカと音を立てる中、レイアは語り始めた。
レイア:「まず、あの青い蝶のブローチのこと。あれは単なるアクセサリーじゃなかったの。 戒能――トウゴが行った初期の実験…… 或人さんを犠牲にしたあの実験が、時間を越えて過去のブローチの鉱物に干渉していた。 それが量子増幅器として機能して、私の脳とブローチの間に、目に見えない量子のもつれを生じさせていたの…それがすべての始まり。」
杉山:「量子増幅器……」
杉山がタバコをくわえ直し、唸るように呟いた。
杉山:「なるほどな、それで普通の人間には不可能な情報の蓄積が可能になったわけか。」
レイアは一度目を閉じ、忌まわしい記憶を呼び起こす。
レイア:「そう。そして2067年。 戒能の手によって起こされたあの事故で 私はあの日、死んだわ。 でも、リク。 あなたが私を失った衝撃で放った『愛のパルス』…… 計算不能なほど激しい感情の熱量が、ブローチを核にして、私の意識データを環境中の量子ノイズの中に結晶化させてしまった。」
律:「結晶化……」
レイア:「これが生存の理由。私は肉体的に死んだ後も、情報の残響として、この世界に留まることになったの。」
心呼:「残響……?」
心呼が息を呑む。
レイア:「ええ。私は情報の残響として世界を見ていた。リク、あなたが自分を責め、戒能の傀儡となって、世界から自由が失われていくのを。何もできないまま、ただ透明な目で見守り続けるしかなかった。……それが、どれほど残酷な時間だったか。」
レイアの瞳から一筋の涙がこぼれ、机に落ちた。
律は顔を伏せ、拳を握りしめた。
心呼が眉をひそめて割り込んだ。
心呼:「ちょっと待って。 再構成とかパルスとか難しいけど、要するに月凪さんは、死んだ後もお化け…… じゃなくて、データとしてこの世界を彷徨ってたってこと?」
レイアは少しだけ悲しげに頷いた。
レイア:「そして2120年代。」
レイアの言葉に熱がこもる。
随分と未来の話しだ。
3人とも驚きの表情をみせた。
レイア:「そう、不思議でしょうけど私の残留思念はずっと漂い続けた。そして戒能に支配された未来で、彼に抗う組織……『自由時間軸擁護機構』の人たちが、私を見つけてくれたの。環境中に漂っていた私の残留データをね。彼らにとって、私は戒能の独裁が始まる前の、最も純粋な感情の記録だった。それで彼らは私を検知して…… 再構成したのよ。 未来のバイオ技術で新しい肉体を作り、そこに私の意識を流し込んだ。」
杉山:「おいおい…」
あまりにも唐突な話に声がもれる。
レイア:「私はある意味で蘇らせてもらった。意識は新しい肉体に定着し不自由もなかった。彼らは私を再構成し仲間にすることで戒能が作り出したデストピアを変える戦力としたかったのね。」
レイアは少し微笑んだような表情を見ほんの一瞬杉山の方を見た。
杉山:「もはや並行世界線が常識の時代だ、50年後人間を生き返らせる科学があっても驚きゃしねえが…と、言いたいとこだがさすがに話が追い付かねえな…」
杉山のタバコがフィルターまで達し灰が床に落ちた。
心呼:「そんなことが現実に…凄い…」
レイア:「そう、でも真実なの。私はずっと戒能が作り出した世界を見てきたし今から50年後のその世界で生きている人たちも見てきた。私は組織のリーダーに一つ提案をしたの。私が死んだあの年の私に意識を再転送してほしいと。」
律:「!じゃあ67年のあの年の月凪は未来からの君…?」
月凪:「ええ、でも事故があったほんの数日前に転送されたからまた事故にあう間だけが私の水無瀬月凪としての2周目。何らかの形で対抗コードを過去に持ち込めば戒能の計画を阻止できるんじゃないかと。」
心呼:「話が凄すぎて混乱しそうなんだけど、月凪さんは事故を回避できなかったの?」
レイア:「私は、自分の愛が戒能の独裁の起点を作ってしまったという罪を雪ぐために、過去へ戻る決意をしたの。 …… でも、戒能のシステムは完璧だった。干渉を全てノイズとしてブロックするように設計されていたわ。 唯一の隙間は、リクの『愛のパルス』が爆発するあの瞬間…… システムが論理的に計算できなくなる非論理的な窓だけだった。」
律:「つまり事故で死ぬ瞬間だけが戒能の計画を止める隙だった…」
レイア:「これには数え切れないほどのシミュレーションを重ね、失敗を繰り返し、ようやくたどり着いた一発勝負のプロジェクトだったわ。対抗コードの転送ロジック『魂の刻印』。 対抗コードを意識データへ埋め込むの。未来組織の技術者たちは、戒能のシステムを崩壊させるための論理アルゴリズムを、プログラムファイルとしてではなく、私の意識データの波形そのものとして加工した。私の記憶や感情のデータの隙間に、特殊な量子パターン(コード)を織り込んで過去へ転送される際、パッケージングしたの。私自身が生きた対抗コードそのものとなって。」
レイアは一度深い深呼吸をした。
レイア:「過去への転送は何度もシミュレーションを重ねた甲斐あって、未来の意識が事故直前の自分の肉体に同期、無事上書きされた。その瞬間、脳波は未来のコードを含んだ特殊な周波数を放ち始めた。この時、ブローチは戒能の初期実験の影響で、すでに私の脳と量子もつれ(エンタングルメント)の状態にあったわ。後は事故の瞬間のインジェクション(注入)私の脳は死に直面し、爆発的な活動を起こす。これがキャリア波(搬送波)となり、脳からブローチへと意識に刻まれていたコードが量子的な転写として流し込まれた…」
杉山:「想いが物に宿るという古典的な概念を、脳からの量子データ転写という科学で裏付ける…オカルトと科学の融合か…未来の連中が、そこまでしてあんたを…」
杉山が新しいタバコに火を付けながら尋ねる。
レイア:「ええ。組織のリーダーも、技術者の方も、私に賭けてくれた。でも私を救世主としてではなく、一人の人間として送り出してくれたわ。彼らは本当に温かくて、不器用なほど人間らしい人たちだった……。今の私があるのは、彼らのおかげよ。」
律:「あの微笑みは、最初から決別を前提としたものだったのか……」
律の声が震えた。
レイア:「でも、リク……私は失敗した。私の力不足だったの。……対抗コードは確かにブローチへ転写できた。でも戒能のシステム本体を止めるには至らなかった。それどころか、私の死という衝撃は、戒能が期待した通りの『究極のパルス』として機能してしまった。……私は、あなたを守りたくて戻ってきたのに、結果的にあなたを研究の鬼へと変え、戒能の計画を加速させてしまった。……あの瞬間、消えていく意識の中で、私は自分の無力さに絶望していたわ。」
レイアは、自分の胸元で赤く光るブローチに手を置いた。
レイア:「だから、レイアとしての私は、計算外のうれしい誤算なの。律、あなたの愛が、死んだ私への執着が、並行世界から天宮レイアを引き寄せ、私の意識の器として用意してくれた。……私の犠牲では足りなかった。でも、あなたの想いが生んだレイアという奇跡が加わった今の状況なら、戒能の論理を物理的に破壊できる可能性があるわ。」
律:「月凪……」
心呼が、呆然と口を開く。
心呼:「……なんか、すごすぎてよくわかんないけど……。つまり月凪さんは、未来の科学で呼び戻されたハイテクな幽霊で、その幽霊が失敗を取り戻すために、レイアさんに合体した……ってこと? 私たちの常識でお化けとか残留思念とか言ってるものを、未来の人はデータとして扱っちゃったわけね? 幽霊が世界を救いに来たとか、オカルトすぎて頭痛いんだけど!」
レイア:「……ええ。心呼ちゃんの言う通りかもしれないわね。オカルトに聞こえるでしょうけど、これが私の見てきた真実よ。」
心呼:「でもサイコーに素敵!亡くなった彼女を必死で生き返らせようとした彼氏と幽霊になってしまった彼女が蘇って彼氏を助ける…めっちゃラブストーリーじゃん!」
杉山が鼻で笑い、タバコを床に捨てた。
杉山:「幽霊だろうが失敗だろうが、関係ねえ。……ここに材料は揃った。嬢ちゃんの記憶、存在そのものが持つ別世界線ノイズ、そして俺のアナログ回路。……戒能の完璧な論理に、最高に質の悪い毒を混ぜてやるぜ。」
杉山がモニターを睨みつける。
杉山:「嬢ちゃん、あんたの持っているその赤いブローチ。それが並行世界からのアンカーだってんなら、こいつは戒能のシステムにとって最大級の異物だ。 俺のアナログ回路でこいつのノイズを増幅して叩き込めば、奴の完璧な論理を内側から食い破れる。」
レイア:「はい!」
杉山は、レイアの赤いブローチを手に取り、それを解析機へと繋いだ。
杉山:「いいか、坊主。こいつを完成させるには、俺の全てのノウハウを注ぎ込む必要がある。数時間は、いや、丸一日はかかるだろうな。……ここから先は一歩も外へは出られんぞ。戒能の監視ドローンが、今この瞬間も目を皿にして探してやがるからな。」
律は決然と頷いた。
律:「分かりました。……お願いします。」
杉山:「言われるまでもねえよ。…… それよりそっちの嬢ちゃん。」
杉山が心呼を向いた。
杉山:「お前、一度家に帰れ。これからは本格的な修羅場だ。 今のうちに顔を見せておかないと、次はないかもしれねえぞ。」
心呼は一瞬、戸惑ったように律とレイアを見た。
心呼:「……うん。一度、ママに連絡したけど、やっぱり顔を見ないと安心できない。……私、少しだけ帰るね。」
律は心呼を見た。
彼女をこれ以上巻き込むべきではないという思いと、しかし、彼女の「日常」こそが今守るべきものだという認識が交錯する。
律:「……ああ。一度戻って、家族のそばにいてくれ。……心呼、君はよくやってくれた。本当にありがとう。」
心呼:「何言ってるの、お礼なんていいよ! 私、絶対戻ってくるからね。……バディでしょ?」
レイア:「心呼ちゃん。気をつけて。」
レイアが優しく微笑む。
心呼は明るく笑い、地下室の階段を駆け上がっていった。
律はレイアの手をもう一度取った。
律:「月凪…… いや、レイア。 …… ありがとう。 君がどれほどの思いで50年を過ごしてきたか、僕には想像もできない。 でも、今度は僕が君を守る。 この不器用な世界を、君と一緒に取り戻すために。」
レイア:「今度こそ……終わらせましょう。律。」
杉山が火花を散らす背後で、二人は静かに、しかし決然と、嵐の終わりを見据えていた。




