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クロノスバタフライエフェクト  作者: 研G


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翌日・湾岸公園(夕方)

 

オレンジ色の夕日が、東京湾の水面に重油のように光っている。  


海を隔てた向こう岸には、クロノス・インダストリーの巨塔が黒いシルエットとなってそびえ立っていた。


結城律は、防波堤の陰で腕時計型の端末を気にしながら立っていた。  


フードを目深に被り、周囲のドローンの巡回ルートを警戒している。


律:(……SNSの投稿者『Coco』……)


律は自分でも滑稽だと思っていた。

 

世界を歪めた張本人であろう僕が、その被害者かもしれない書き込みに縋って、こうしてノコノコと出てくるなんて。  


まるで、放火魔が現場に戻ってきて、火事を見つけた人を探しているようなものだ。


だが、確認せずにはいられなかった。  


自分以外に、この世界のズレを認識している人間がいるのかどうか。


?:「……あのー」


背後から声をかけられ、律は鋭く振り返る。  


身構えた律の目に映ったのは、少し大きめの制服を着崩した、小柄な少女――河合心呼カワイココだった。  


彼女は律の警戒心などどこ吹く風で、好奇心いっぱいの大きな瞳で律を見上げている。


律:「……君が、『Coco』か?」


心呼:「そ。河合心呼、17歳。……あなたが『R_Yuki』?」


律は、彼女の頭の先から足元のローファーまでを一瞥し、深い溜息をついた。


律:(投稿内容から子どもだとは予測していたが……)


目の前の少女からは、微塵も悲壮感が感じられない。  


世界の崩壊に気づいた特異点としての資質も、量子力学の知識もありそうにない。  


ただ、流行りのマスコットを鞄につけた、どこにでもいる普通の女子高生。


自分は、こんな無防備な一般人に、一体何を期待していたんだ。  


同志? 解決の糸口?  ……バカバカしい。


これではただ、被害者を一人増やしただけじゃないか。


律の中で、勝手に抱いていた淡い期待が急速に冷めていく。


律:「……悪いが、人違いだ。帰ってくれ。」


心呼:「はあ?ここまで来たのにそれ? 信じらんない!」


心呼はぷくっと頬を膨らませ、ズカズカと律に歩み寄る。


心呼:「こっちはね、昨日から頭おかしい扱いされて、めっちゃ不安だったんだからね! 『R_Yuki』でしょ? とぼけないでよ!」


律:「……ここは遊び場じゃないと言っているんだ。」


心呼:「遊びじゃないし! 看板の文字が変わってるのも、友達の記憶が違うのも、全部私の妄想なの!? 答えてよ、Yukiユキさん!」


その剣幕に、律は少しだけ毒気を抜かれる。  


彼女の目には、嘘も演技もない。  


ただ、自分の日常が壊れたことへの純粋な戸惑いと怒りがあるだけだ。


律:「……妄想じゃない。」


律は静かに告げる。


律:「その看板が変わったのも、友達の記憶も、君の母親との会話も、確かに存在した。」


心呼:「っ……! やっぱり!」


心呼の表情がパァッと明るくなる。  


正解をもらえた安堵感。


心呼:「だよね! 私、ボケてなかった! ……で? なんでこんなことになってんの? 世界がバグってるってどういうこと?」


律:「……それを知ってどうする。」


心呼:「は? どうするって……元に戻してもらうに決まってんじゃん! 私のmyPhone、今日の夜届くはずだったんだからね! 超楽しみにしてたのに!」


律:「……myPhoneか。」


あまりに日常的すぎる動機に、律は苦笑するしかなかった。  


だが、その小さすぎる日常こそが、自分が奪ってしまったものの象徴だ。


律は、海風に吹かれながら、重い口を開いた。


律:「……原因は、僕だ。」


心呼:「え?」


律:「正確な因果はまだ計算中だが……僕が行った実験が、時間軸に干渉してしまった可能性が高い。」


律はフードを少し上げ、遠くに見えるクロノス・インダストリーの塔を見つめる。


律:「僕はあそこ……クロノス・インダストリーの研究員だ。」


心呼:「えええええッ!? インダストリーって、あのバカでかい塔の!? ニュースでやってる世界を救う組織じゃん!」


律:「ああ。」


心呼:「そんなすごいとこが、なんで世界がおかしくなるような実験なんかしてんのよ!? バカなの!? おかげで私の平穏な日常が台無しなんですけどー! 返せー!」


心呼はポカポカと律の腕を叩くふりをする。  


怒ってはいるが、どこかコミカルだ。  


律は避けることもせず、その抗議を受け止める。


律:「……すまない。」


短く、しかし重い謝罪。  


心呼は動きを止める。  


律の顔が、あまりに痛々しかったからだ。


心呼:「……なに。」


律:「……どうしても、会いたい人がいたんだ。」


心呼:「……え?」


律:「3年前に亡くなった恋人だ。……理論上、並行世界の情報を使えば、彼女を再構成できる可能性があった。禁忌だと分かっていたが、僕は実行した。」


律は、海風に吹かれながら、遠くに見えるクロノス・インダストリーの塔を見つめる。


律:「その結果が、このズレだ。君のmyPhoneが消え、記憶が食い違っているのは、僕が無理やり世界を書き換えようとした副作用エラーだ。」


律は自嘲気味に笑う。


律:「狂ってるだろう? 呆れて物が言えないか?」


心呼:「……。」


心呼は言葉を失う。  


マッドサイエンティストの狂気かと思った。  


でも、目の前にいるのは、ただ好きな人に会いたくて、必死になりすぎて失敗しちゃった、不器用で寂しがり屋な男の人だ。


心呼:(……なにそれ。めっちゃ一途じゃん。……)


乙女心の琴線に、予想外の角度から触れてしまった。  


心呼はため息をつき、腰に手を当てる。


心呼:「……はぁーあ。なんだ、そっか。」


律:「?」


心呼:「世界征服とかじゃなくて、彼女のため、かぁ。……まあ、それなら100歩譲って、私のmyPhoneが消えたのも許してあげなくもない。」


律:「……許すのか?」


心呼:「その代わり!」


心呼はビシッと律を指差す。


心呼:「責任取ってよね。ちゃんと解決して、私の世界も、彼女のことも、元通りにするんでしょ。」


律:「あ…」


心呼:「……何?諦めるの?」


律:「……いや。」


律は短く、しかし力強く否定した。


律:「諦めない。彼女は必ず取り戻す。……だが、そのために君たち無関係な人間の日常を犠牲にはしない。」


心呼は目を丸くした。  


なんて強欲で、なんて不器用な人だろう。  


心呼:「……へぇ。随分と欲張りだね。」


律:「……?」


心呼:「私の世界も直して、彼女も生き返らせる。……二兎を追う者は一兎をも得ず、って習わなかったの?」


律:「ああ。自分でもそう思う。……だが、それが僕の選ぶ正解のルートだ。」


律は海を見つめたまま、静かに、しかし断固として告げる。


律:「だから、君はもう忘れるんだ。これは僕一人が背負うべき罪だ。」


律は踵を返し、立ち去ろうとする。  


しかし。


心呼:「待ってよ。」


心呼が、律のジャケットの裾を掴んだ。


律:「……なんだ。まだ文句が――」


心呼:「その正解のルート探すの、一人じゃ無理じゃない?」


律:「これは専門的な量子物理学の問題だ。女子高生の君に何ができる。」


心呼:「計算はできないけど、情報収集ならできるし! それにね……」


心呼は少し照れくさそうに、視線を逸らしてから、律を真っ直ぐに見上げた。


心呼:「亡くなった彼女のために、そこまで必死になれるんでしょ? ……なんか、そういうの聞かされて『はいそうですか』って放っておけないじゃん。」


律:「……は?」


心呼:「だって、超純愛じゃん! ズルいよ、そんな話!」


心呼は顔を上げ、ニカっと白い歯を見せて笑う。


心呼:「私が協力してあげる。その代わり、絶対に見せてよね。ハッピーエンド。」


律:「……ハッピーエンド?」


心呼:「そう! 彼女も生き返って、私のmyPhoneも戻ってくる、最高の奇跡!」


律:「……君は、何を言ってるんだ?」


心呼:「好奇心だよ、好奇心! 私、バッドエンドの映画とか大嫌いなの。だから、その無謀な計画、私がサポートしてあげるって言ってんの!」


心呼は律の胸をビシッと指差す。


心呼:「今日から私たちはバディね! よろしく、相棒!」


律:「……バディって……」


律は頭を抱えた。  


計算外だ。  


断罪されると思っていた。


罵倒されると思っていた。  


なのに、返ってきたのは「純愛だから応援する」という、あまりに論理を欠いた、しかし力強い肯定だった。


だが、冷え切っていた律の心に、彼女の体温のような熱が少しだけ灯る。


律:「好きにしろ……何かあれば連絡する。ただし、単独行動は絶対に慎め。いいな?」


心呼:「了解! さっすが私の見込んだバディ!」


心呼は勝手に連絡先を交換すると、手を振って走り去っていく。


心呼:「じゃあねー! 期待してるからね、私のバディ!」


嵐のような少女が去った後、律は一人、夕暮れの海に残された。  


ポケットの中のブローチに触れる。  


指先に触れる冷たい金属が、少しだけ温かく感じられた。


律:「……月凪。君が生きていたら、あの子を見てなんて言ったかな。」


『ふふ、元気な子ね。律にお似合いの助手じゃない?』


そんな月凪の声が聞こえた気がして、律は3年ぶりに、わずかに口元を緩ませた。


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