表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クロノスバタフライエフェクト  作者: 研G


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/12

Girl in the Glitch

2070年、東京湾岸エリア・集合住宅


窓の外には、鉛色の空を埋め尽くすように、極彩色の巨大ホログラム広告が浮かんでいる。  


ダイニングは清潔だが、どこか無機質だった。


河合心呼カワイココは登校前の準備を終え、制服の袖をまくりながら食卓についた。


向かいでは、母がトーストをかじりながら、空中に投影されたニュース映像を目で追っている。


心呼:「ねえママ。」  


心呼は、昨日の興奮を思い出しながら声をかけた。


心呼:「昨日言ってたオリオンの新型myPhone、今日の夜に届くんでしょ? 受け取りお願いしていい?」


母の手が止まる。


きょとんとした顔で顔を上げた。


母:「……え? 何それ?」


心呼:「え? やだなあ、昨日あんなに話したじゃん。電気代が半額になるやつ。パパも『絶対買う、これからは省エネだ』って。」


母:「頼んでないわよ。どうしたの? そんな話、してないじゃない。」


母の声は平坦だった。


母:「パパも昨日は残業で、顔も合わせてないでしょ。……心呼、寝ぼけてるの?」


弟:「ねーちゃん、ついにmyPhone欲しすぎて脳内メーカーおかしくなっちゃったぁ?」


弟がニヤニヤと茶化すが、心呼の耳には届かなかった。  


トーストを持つ手が空中で止まる。  


母の顔に、嘘をついている色はない。


ただ純粋に呆れているだけだ。


心呼:(……嘘?)


心呼は自分の頭の中で、昨日の夜の会話を再生する。  


鮮明だ。


父の豪快な笑い声も、母がパンフレットをめくる指先の動きも、リビングの湿度さえも思い出せる。  


心呼:(あれが全部、私の夢? 私、どうかしちゃった?)


誤魔化すようにコーヒーをすすった。


味がしなかった。


心呼:「えーー何なの? こわいなあ。」  


精一杯の愛想笑いを作ったが、頬が引きつるのがわかった。


母「寝ぼけてないで早く食べなさい。遅刻するわよ。」


心呼:「う、うぁぁぁあ! い、行ってきます!」


逃げるように、心呼は家を飛び出した。


高層ビルの谷間にある古い路地には、今日も湿っぽい風が吹き抜けている。  


錆びついた神社の鳥居の横で、清掃用ドローンがウィーンと低い唸りを上げていた。


壁に貼られた無数のステッカー――『量子救済』『貴方の愛する人は、隣の世界で待っている』といった落書きを、ドローンのアームが無機質に剥がしていく。


その横を通り過ぎながら、友人のリルが弾んだ声を上げた。


リル:「ねえ、この並行世界占いめっちゃ当たるらしいよ。別の世界の私とシンクロすると、テストの点良くなるってぇ。」


咲:「マジ? ウケる。じゃあ、向こうの私に勉強させよーっと。今の私はサボり担当~」


咲が続けて、キャハハと軽い笑い声を上げる。


リルたちのスクールバッグには、猫が二匹に分裂している奇妙なマスコットが揺れていた。  


心呼だけが、笑えなかった。  


彼女たちにとって世界線の話は、流行りのファッションかゲームの一種だ。


けれど、今の心呼にとっては――。


心呼:(……んー、絶対おかしい……)


心呼の視線が、ふと歯医者の看板に吸い寄せられた。


「……あ」


『ミナトデンタルクリニック』


昨日まではポップな丸文字だったはずの看板が、厳格な明朝体に変わっている。  


しかも、何年も前からそうだったかのように、端が茶色く錆びていた。


ペンキの剥げ方までが、昨日の記憶と決定的に違う。


咲:「心呼ォ? どーしたーぁ?」


心呼:「あー、うん……」


心呼は喉の奥の渇きを覚えた。


心呼:「ホラなんかさ、街の様子とか記憶とか……変じゃない? 看板とか…」  


引きつった笑顔で尋ねたが、二人にはまるで意味が通じていなかった。


リル:「え? 何の話?」


咲:「心呼、なんか変だぞー?」


心呼:「そう……なんか変だよねえ~……ははは。」


世界から、自分だけが少しずつズレていく。  


薄い膜一枚隔てた向こう側に、置き去りにされているような感覚だった。


教室の窓際、午後の日差しが白い机に落ちている。  


先生の声は、どこか遠いラジオのノイズのように聞こえた。


先生:「……というわけで、2058年のエネルギー革命における……」


心呼は教科書の陰で、こっそりと自分の端末を取り出した。  


フォルダの奥にある、中学時代のアルバムデータを開く。  


卒業式の日。


親友とピースしている写真。  


隣で笑う親友の髪型を見る。


心呼:(!!……なんで?)


心呼の記憶では、彼女はショートカットだった。


そのために美容院へ行った話も覚えている。  


けれど、液晶の中の彼女は、豊かなロングヘアを風になびかせていた。


心呼:「……やっぱ、おかしいよぉぉ……」


心呼は唇を噛んだ。


血の味がしそうなくらい強く。  


自分の知っている世界が変わったのか。


それとも、世界そのものが誰かの手で上書きされているのか。  


このままじゃ、よくないことが起こる。  


漠然とした、けれど巨大な不安が、黒いインクのように心の中に広がっていった。


放課後のハンバーガーショップは、学生たちの喧騒で満ちていた。  


心呼は一人、BOX席の隅に身を縮めていた。


周囲の騒がしさが、今は自分を守る壁のように感じる。


誰かに言ってしまいたい。  


でも、友達に言えば病んでると引かれるだろうか。


親に言えば、心配されて病院に連れて行かれるかもしれない。  


ネットニュースも検索してみたが、同じような現象についての書き込みは一つもなかった。


心呼:「……とりあえず、私が投稿しよう。」


震える指先でSNSアプリを開く。


『ねえ、怖い。昨日お母さんと「新型myPhone、明日届くね」ってあんなに話したのに、今朝聞いたら「そんな注文してない」って真顔で言われた。家を出たら、通学路の看板もいつもと違うし。私の記憶がおかしいの? それとも世界がバグってる? 誰か同じような人いない? #TimeLag #世界線バグ』


送信ボタンを押す。  


心臓が早鐘を打っていた。


夜。


部屋の電気を消して、心呼はベッドの上で膝を抱えていた。  


暗闇の中で、端末の通知ランプだけがチカチカと明滅している。  


「いいね」はいくつか付くが、そのほとんどは冷やかしだった。


『設定乙』 『ラノベの読みすぎw』 『病院池』


心呼:「……あーあ。期待した私がバカだった。」


心呼は頬を膨らませ、勢いよく画面を閉じようとした。  


その時だった。  


ピロンッ。  


鋭い通知音が、静寂を切り裂いた。


【DM受信:1件】


心呼は弾かれたように画面を見る。  


差出人は 『R_Yuki』


アイコンは真っ黒な背景に白いノイズが走っているだけの、いかにも怪しい捨て垢だ。


【メッセージ内容】: 『突然の連絡、失礼する。君の投稿を見た。看板の変化、家族との記憶の齟齬。それは君の妄想でも病気でもない。世界は今、断続的な改変の最中にある。』


心呼は息を呑んだ。  


文章を読み進める瞳に、急速に力が戻っていく。

 

【メッセージ続き】: 『多くの人間は、この変化に気づいていない。いや、どれだけの人が気づいているかもわからない。だが、君にはそのノイズが見えている。……修正される前の世界の記憶を持ったまま、取り残されたんだろうと思う。』


「……やっぱり!」


心呼はガバっと上半身を起こした。  


ただの慰めじゃない。


「看板」や「記憶の齟齬」という具体的な現象を言い当てている。  


つまり、私の頭がおかしいわけじゃなかった。  


おかしいのは世界の方で、私の記憶こそが正解だったんだ。


心呼の胸の奥で、恐怖よりも先に、カチリとスイッチが入る音がした。  


この『R_Yuki』という人物は、このふざけた状況のネタバレを知っている。


心呼は素早くフリック入力で打ち返す。


心呼:『あなたは誰? どうしてそんなことが分かるの?』


送信すると、すぐに既読がついた。


【メッセージ】:『僕も君と同じ修正前の世界を知っている。』


「修正……」 


心呼の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。  


相手はセンチメンタルな同情を寄せているつもりかもしれない。  


でも、心呼が感じたのは共感よりもチャンスだった。


怪しい? 当然だ。  


危険? かもしれない。  


でも、このまま泣き寝入りして、わけのわからない偽物の日常を受け入れるなんて、絶対に嫌だ。  


あのお母さんとの会話も、楽しみにしてたmyPhoneも、全部なかったことになんてさせない。


心呼:(私が、私の世界を取り戻す。そのためなら――)


心呼の指先は、もう震えていなかった。  


むしろ、これから始まる未知のゲームへの武者震いにも似た、熱い高揚感わくわくが指先を走る。  


彼女は、このバグった世界の攻略法を知るために、強く画面をタップした。


『会えますか? 明日、放課後に』



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ