6:名木の伽羅におと無きが如し
「へえ、まさか学園内にこんなところがあるとはなあ」
『セレナの知り合いだから入れてあげたのよ。特別なのよ』
「わーってるって」
学園の片隅、背の高い迷宮のような薔薇園。そこは古くから、精霊たちの楽園として知られていた。学園の管轄内でありながら、管理人ですら立ち入りを許されない花園。入ることが出来るのは精霊に気に入られた令嬢令息、それと庭師のみ。精霊に気に入られる人間は、精霊と話せる人間くらい。必然的に、立ち入ることが出来る人物は限られた。
セレナやエイドリアンは、その許可を得た数少ない人間。そしてそのセレナに化けたオルガも、セレナが事前に話を通してくれていたのか、すんなりと入園を許された。他の令息令嬢は立ち入れない。一国の王子でも、元未来の王妃の弟でも、騎士団長の息子でも例外なく。つまるところ、作戦会議にはうってつけの場所だった。
住み着いた風の精霊と語らいつつ、オルガは薔薇園の奥へと進んでいく。セレナとしての変身を解かないまま、しかし取り繕う様子のないオルガを見て、同行していたエイドリアンが興味深そうに呟いた。
「セラと同じように精霊と話せるのですね、ヴァルプルガ猊下」
「その長ったらしい呼び方やめろよ。ヴァルで良い。あと敬語もいらねえ」
「しかし、仮にもこの国の信仰対象ですから……」
「アタシはそんなんになった覚えはねえし、そもそもヴァルプルガってのも名乗った覚えがねぇ。あだ名みたいなもんだろ」
「……じゃあ、猊下って呼んでいい、かな?」
「好きにしろ」
恭しさを取っ払ったエイドリアンにそう返し、オルガは奥地に設置されていた茶会用の椅子に腰掛ける。エイドリアンの話では、セレナはよくここに友人を招いてお茶会を開いていたらしい。ただ、今の状況ではそれも叶わないだろう。侍女はおろか護衛でさえも付いていないこの状況では。
「一つ聞きたいんだけど……その、本名は別にあるの?」
「おう。でも名乗るなって姉貴に言われてる。特に呪術師とか……魔術師相手なら尚更」
「呪術……もしかして、真名封じとか?」
「多分それだ。姉貴は名前を知られて、何百年か封印されたって言ってた」
姉の真名であるスイレン、それを知っているのは妹であるオルガだけ。逆も然りだ。真名封じというのは名前に基づいて相手を封印する呪術で、強力な割に難易度の低い厄介な術だと聞いている。バルクン王国では見たところ呪術は発展していなさそうだし、心配は無用だろうが。
本題ではないそれは横に置いておくとして、問題はセレナの冤罪を晴らす方法についてだ。オルガは蔦の巻きついた白い椅子にもたれつつ、セレナの姿のまま顔を顰めた。
「それはともかくとして……どうすっかなあ。今のままじゃ、証拠を集めたところで意味がねえ」
「……セレナが、学園内で信用されていないから」
「そうだ。これじゃ冤罪は晴らせない。証拠を並べたとて一蹴されるのがオチだ。まずは信用を得ないと……」
しかしどうしたものか。信用を得ようにも、人間から信頼される方法などオルガは知らない。ドラゴンならば力の強さを証明すれば済む話だが、人間はそんなに単純ではないだろう。ではどうするべきか。分からない。せめて何か、きっかけでもあれば良いのだが────、
『───大変! 大変よセレナ! 来てちょうだい!』
「なんだよ。飯の取り合いにでもなったか?」
『訓練場でお友達が喧嘩しているのよ! 来てちょうだい! 早く来てちょうだい!』
蝶の形をした風の精霊、シルフが一大事のように耳元で騒ぎ立てる。オルガは一つため息を吐いた後、重い腰を上げた。
「きゃああああっ!?」
「精霊が暴れてるぞ! みんな早く逃げろ!」
「……あちゃ〜……」
授業や騎士たちの鍛錬に使われている訓練場。その中央に、一つのつむじ風が立ち上っていた。訓練場に集っていた騎士や令嬢たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ、風はさらに勢いを増した。逃げていく群衆たちの波に逆らうように歩き、オルガは訓練場の中を見据える。中央で巻き起こるつむじ風、その真ん中では二匹の蝶が激しくぶつかり合っていた。
あの二匹が、喧嘩しているというシルフだろう。精霊は欲に素直で慎ましさを知らないから、すぐに喧嘩を起こす。それでいて、その喧嘩が周囲にもたらす影響を分かっていないのだからタチが悪いのだ。
オルガの目には精霊たちが喧嘩しているように見えるが、見えない令嬢たちにとっては突発的なつむじ風にしか思えないだろう。それが精霊の仕業だと分かっているのは、普段の授業の賜物か。それとも、バルクン王国そのものが精霊の多い土地で、この手の争いには慣れているか。恐らくどっちもだろう、とオルガは考えつつ、つむじ風へと近づいた。
「み、見て、セレナ様よ……」
「あんな場所に近寄るなんて、一体何を考えて……!?」
「……あ〜……お二方、一体何を言い争ってらっしゃるの?」
セレナを模倣するような言葉で話しかけると、精霊たちが言い争いをやめる。かと思えばつむじ風に乗ったまま、双方の主張を一気に話し始めた。
『セレナ! 酷いのよ、酷いのよ! この子ったら、わたしの花の蜜を飲んでしまったの!』
『違うわよ! あの花はわたしが見つけたのよ! それをこの子が奪ったのよ!』
「ああ、はいはい……食べ物の恨みね、分かりましたわ……何の花ですの?」
『暁の花よ! そこの裏庭にやっと咲いたの! 貴重なのよ!』
暁の花、というのは文字通り夜明けに咲く、光の魔力をたっぷり含んだ魔法の花である。魔法薬を作るのによく使われる素材で、温室にわんさか咲いている花だ。裏庭は日が当たりにくい場所だから、そこに住むシルフたちにとっては貴重に思えたのだろう。食べ物で争うのは分かるが、周りに迷惑を掛けないでほしい。オルガはいつもの癖で眉を顰めそうになるのを何とか堪えつつ、扇子で口元を隠したまま告げた。
「暁の花ならば、南側の温室に沢山咲いていましてよ。喧嘩はやめて、そちらに行かれたらどうですか?」
『温室!? そこにいっぱい咲いてるのね! ありがとう! ありがとう!』
『行ってみるわね! ありがとう! ありがとう!』
オルガの提案をすんなり飲み込み、シルフたちは喧嘩を止める。それに伴ってつむじ風が止み、シルフたちはそよ風に乗って温室へと羽ばたいていった。訓練場に平穏が訪れ、遠巻きに見守っていた令息令嬢たちがホッと息を吐く。かと思えば、群衆を掻き分けてエイドリアンが駆け寄ってきた。
「ご無事ですか!?」
「ええ、大丈夫よ。……それより、ここの精霊たちはいつもこうなの?」
「え? いや……普段はこうなる前にセラが宥めてますから、滅多に喧嘩は起きないですよ」
「……それは、他の皆様はご存知で?」
「いえ。知っているのはボクと、兄と……あとイザベル嬢、リューズ嬢とミルフォードくらいです」
知らない名前が出てきたことは一旦脇に避け、オルガは思考する。セレナはいつも、精霊たちの喧嘩を宥めていた。しかし精霊たちは他の皆にはあまり見えず、喧嘩が起きなければ知るきっかけも得られない。燃え上がる前に消火しているから、ボヤがあったことすら気づかれないのだ。
周囲を見遣る。精霊たちの喧嘩を収めたオルガに、令嬢たちの目が少し尊敬の色を含んでいた。これは使えるかもしれない。
「……これよ」
「え?」
「人が使えないなら、精霊を使えば良いじゃない!」
場合によっては処刑されそうな言葉を呟いて、オルガは思わぬ糸口にグッと拳を握りしめた。