41:因果は巡る糸車
スイレンは、ある東洋の生まれである。清流の側に生まれた、名もなき白蛇だった。
清流、と言ってもその川は激しく、よく氾濫した。付近に住む人間はこれをどうにか収めようと、祠を建てそこにスイレンを祀った。要するに御神体にされたのである。そこで名もなき白蛇はスイレンと名付けられ、崇め奉られた。近くに睡蓮が咲いていたのだろう、多分。
最初の頃は良かった。川を鎮めるために人間たちが面白い踊りをして、沢山の穀物を備えてくれた。スイレンがそれに応えて魔法で川を抑えれば、人間たちは泣いて喜んだ。その内スイレンは川と一体化して、どんどん大きくなっていった。百年が経つ頃にはスイレンは川の全てと一体化し、何もかもを思い通りに操ることができた。
だが、雲行きは段々と怪しくなった。人間たちは踊らなくなり、川に女子供を投げ入れるようになった。人間なんかより穀物の方が好きだったスイレンは何度か掛け合ったが、まるで応えてくれなかった。実りが足りないのかと雨を降らせ土を回復させても、人間たちは生贄をやめない。スイレンはとうとう耐えきれなくなって、生贄を丸呑みするようになってしまった。
一度人の味を覚えた獣は執着すると言うが、それは正しいと思う。スイレンはその味に病みつきになって、定期的に投げ込まれるのを大口を開けて待つようになった。雨を降らせ、川を鎮めれば、人間たちは沢山ご飯をくれる。ご飯は大事だ。ご飯は命だ。だからスイレンは、生贄と引き換えに何百年と人間を支えてきて、
『川の神を騙る邪神よ! 今ここで成敗してくれる!』
朝廷の使いだか何だか知らない陰陽師とやらによって、狭い狭い岩戸の中に閉じ込められてしまった。赤い目には封印の白い五芒星が刻まれて、伸び切った胴体もぶつ切りにされてしまったのである。
裏切られた。スイレンはそう思った。あれだけ尽くしてきたのに、これだけ共存してきたのに、最後はこんな終わり方か。先に人を投げて寄越したのはそっちだろうに、立ち行かなくなったら邪神扱いか。何たる惨さ、何たる傲慢。だがその怒りも長くは続かず、百年が過ぎる頃にはもう、肉体から離れていた。
封印は体だけを縛っていたのだろう、半ば精霊と化したスイレンを止める手立てにはならなかった。スイレンはそのまま封印から飛び出し、村も国も島も飛び出して、放浪の旅に出た。
いろんな場所を巡った。いろんな国に顔を出した。でも分かったのは、どこの人間も変わらないということ。都合よく他人を振り回し消費して、都合が悪くなったら捨ててしまう。人間はそういう性質の生き物だと、スイレンは気付いてしまった。それでもスイレンは旅を続けた。他にすることがなかったからである。
そうして旅を続けていた、ある日のこと。
『ありゃ、向こうの雲行きが怪しいな。一旦ここで止まるか……?』
遠い遠い西洋の地、荒涼な大地をスイレンは飛んでいた。進行方向の空には雨雲が見えて、今にも降り出しそうである。ここで足を止めて、雨が過ぎ去るのを待つのが得策か────そう考えたスイレンの鱗を、一陣の追い風が撫でた。
『……いや、このまま行ってしまうか。雨雲を待つのも面倒だしな』
今思えば、それが運命の分岐点だったのかもしれない。
スイレンはそのまま飛び続け、しばらく行ったところで案の定雨に降られた。雨の中も飛べはするが、あまり気分が乗らない。どこかで雨宿りして、ついでに腹を満たそう。スイレンはそんなことを考えて、近くにあった洞窟に顔を出し、
『ごはん、くだしゃ……おなかすいた……』
あまりにも小さく、弱々しく、しかし生きようともがく可愛らしい黒竜に出会った。
初めてだった、こんな風に縋られるのは。初めてだった、躊躇なく爪を突き立てられるのは。初めて、だった。怖がらずに祈ってもらえたのは。
嬉しかった。嬉しかった。だから頑張って、この子を守り抜こうと誓った。大量の魔石を嬉しそうに頬張るあの顔は可愛いったらなくて、もっと見たいとさえ思ってしまった。だから連れていくことにした。妹として、オルガと名を付けて。
オルガは驚くほど健やかに成長した。黒竜でありながら光属性、というチグハグさは、白龍でありながら闇属性であるスイレンにはピッタリだった。いろんな場所を見て回った。いろんなご飯を食べて回った。とても、とても楽しかった。
そんなある日、幸せを噛み締めていたある日のこと。次に行こうとしている国が、何だか物騒なことになっていると知った。万が一オルガに傷がついたらいけないし、とスイレンは隣国の外にオルガを留守番させ、一人で国内に入って────撃墜されたのである。
『いてて……』
どうやらその国は皇位継承権で争っていたらしく、血で血を洗う悍ましい戦いが繰り広げられていた。そんな最中に白龍が飛来したものだから、誰かの差し金だと思った軍に襲撃されてしまったのである。人間の攻撃など痛くも痒くもないが、その時スイレンは特大の柘榴石、つまりガーネットを持っていた。オルガの誕生日、だと思っている日にあげるつもりの、作りかけの魔石である。それを破壊されないように庇った結果、地面に墜落したのだ。
脇腹に開けられた風穴を何とか埋めつつ、スイレンはさっさと飛び立とうと試みる。この状態で誰かが来たら、取って食うしかなさそうだ。早く、早く飛び立たねばとスイレンはもがいて、
『……どちら様、ですか』
夕焼けのような髪を持つ、エルフの少女に見つかってしまった。
燃える橙色の髪に赤い瞳、尖った耳と端正な顔。一度見たら忘れられないような、人間で言うところの傾国の美女。こりゃまた随分な相手に見つかってしまった、とスイレンは少し焦った。
『ああ、すまない。ただの無害な龍神だ。うっかりここを通りかかって、攻撃されてしまってな。すぐに退きたいんだが、この通り怪我をしてしまって……』
『リュージン……リュージン様、ですか。その怪我を治せば、立ち去ってくださるのですね』
『? ああ、そのつもりだが……』
『わたくしは、ルージュ・アルコル。この国の末の皇女でございます。リュージン様、あなたの怪我を治す代わりに、一つお願いをしても?』
『……ほう?』
そう言って完璧なカーテシーを見せたエルフの少女、ルージュにスイレンは感心してしまった。交渉をしてくる人間なんて、生きてきた中でそうそう居なかったからだ。
ルージュは、怪我を治す代わりにツノの一欠片が欲しいと提案してきた。どうやら白龍のツノは精霊を召喚する触媒として使えるようで、それでフェニックスを召喚する腹積りらしい。スイレンは思わず興が乗って、ツノを一本丸々寄越した。怪我を治してもらったしこのくらい、とスイレンはすぐにその場を後にした。だからその後、ルージュがどうなったかは知らなかった───まさか、女帝になっているだなんて。
あの後はオルガが柘榴石を落としてしまったりなんだりで、ルージュのことなんてさっぱり忘れていた。だから今回、驚いたのである。スイレンがあげたツノと柘榴石が、まさかこんな事態を引き起こしていただなんて。やはり人間は予想外のことをする。これだから観察は辞められない。
この件は、オルガの食欲をかけた一大事。ひいては、国を揺るがしかねない大惨事。その最後の仕上げのために、スイレンは努力を惜しまない。断罪劇の舞台を整える、その役目を最後まで果たす。
「やあ、側妃陛下。娘さんから話は伺っているよ」
「……リューシス、様……」
「突然ですまないが、協力して欲しいんだ。私の妹の大事な晩餐のために、な」
だって妹は、オルガは、ご飯を食べている時が一番可愛いのだから。




