37:李下に冠を正さず
「なんだよ、しゃんとしろよ。手元震えてんぞ」
「……あんな話聞いたら、こうなるに決まってるでしょう?」
震える手でマンドラゴラに触れつつ、エイドリアンが不満げに囁く。その目にはあからさまに動揺が宿り、まるで生まれたての小鹿のように見えた。
見たことのない動揺の仕方に笑いを堪えつつ、オルガは静かな教室の中で声のトーンを更に落とす。今は魔法植物学の授業中で、しかもマンドラゴラを扱っている。迂闊に触れば流石のオルガも耳鳴りがするくらいの危険植物だ。故に生徒全員が息を呑み集中していて、教室内は異様なまでに静まり返っていた。
ちなみにオルガはマンドラゴラに手をつけていない。片手は扇子を持つのに忙しいし、力加減が難しくてマンドラゴラをへし折ってしまいかねないからだ。いくらオルガの変身が上等でも、それは誤魔化しきれない。
「竜珠のことか? てっきり気付いてるもんだと思ったけどな」
「闇属性は、光属性でしか検知できないんだ。光属性の人自体稀だから、検知できないのも無理のない話……だけど、まさか……」
「セレナは確か光属性だろ? なんか聞いてなかったのか?」
「いや、何も……そもそも本当なの? 竜珠が闇属性だなんて」
「嘘つくわけねえだろ。根拠だってあるぜ? 聞くか?」
オルガの話に耳を傾けつつ、エイドリアンが慣れた手つきでマンドラゴラを黙らせる。なるほど、魔法で黙らせる手段があるのか。他の机からキンと響くマンドラゴラの声に顔を顰めつつも、オルガは感心した様子で黙り込んだマンドラゴラを見下ろした。
マンドラゴラの叫び声の中でもオルガの声は聞き逃さなかったのだろう、エイドリアンが真剣な目で見上げてきた。根拠、というほど立派ではないが確実なもの。それを欲しがるとは、よほど竜珠が大事らしい。属性の違いなんて些細なものだろうに、やっぱり人間の考えは分からない。念の為に配慮して小声で話してやるか、とオルガは扇子で覆い隠した口元をエイドリアンに近づけて、
「────ッ!?」
「うおっ!?」
突如エイドリアンが殺気を迸らせ、虚空から杖を抜く。初対面の時背中に突きつけてきた、背丈ほどの長い杖だ。カーネリアンに似た瞳が背後を睨みつけ、オルガはその視線を追う。エイドリアンが杖を振り抜こうとしているその先には、殺意でもって渦巻く風の魔法があった。
エイドリアンが杖を振り抜き、その風を迎え撃とうと試みる。だがその全容が明らかになるよりも先に、高速で飛んできた火の玉が風の魔法を打ち消した。ドォン、と鈍い音が鳴り、中空に赤い火の粉が散らばる。エイドリアンは咄嗟にオルガを庇いつつ、杖をパッと消して仕舞い込んだ。巻き込まれた生徒たちは降りかかる火の粉を振り払い、マンドラゴラを庇う。
その火が落ち着き、悲鳴が収まった静寂の中を、二つの足音が駆けてきた。エイドリアンはオルガを庇う姿勢のまま顔を上げて、
「兄さん!」
「間に合って良かった……エイド、セレナ嬢、怪我は?」
「ねえ……ないですわ。おかげさまで」
「良かったわ! 他の皆様も、怪我はない?」
火の玉となって突っ込んだラムダ、それを指示したであろうフロリアン、それと付いてきたらしいイザベルが駆け寄ってくる。イザベルの声掛けに女子生徒の大半はうっとりと微笑み、頷いた。
どうやら助けに来てくれたらしい。あのままエイドリアンが杖を振り切っていても助かっていただろうが、そうしなかったのは何か理由があるのだろう。あるいは、フロリアンにそうさせたくない理由でもあったか。どちらにせよ助かったのには変わりないが、今の攻撃は一体全体何だったのだろう。
あれは確実に、エイドリアンを殺害するための魔法だった。マンドラゴラを扱っている相手の背後に向け、風魔法を放つ。属性には相性というものがあるが、風魔法が最も優位に出られるのは土魔法だ。そう、エイドリアンが最も得意とする土属性の魔法。土魔法の使い手に風魔法を放った、しかも危険物を扱っている背中に向けて。どこからどう見ても丸見えの殺意が滲み出ていた。風魔法に優位に出られる火魔法、つまりフロリアンの助太刀が入ったのは予想外だっただろう。
下手人は誰なんだ、とオルガは教室を睥睨する。混乱で立ちすくんでしまっている人混みの中、そそくさと抜けていく影があった。あの灰色髪、間違いない。シリウスだ。アイツが犯人か、とオルガは一目散に駆け出した。
「げ……ルミエール侯爵令嬢!? どこへ!?」
「ちょっとお花摘みに!!」
エイドリアンの呼びかけに雑な返事をして、オルガはシリウスを追って教室を出る。オルガが追いかけてきていることに勘付いたのだろう、シリウスは全速力で廊下を逃げていった。
オルガは取り繕うことも忘れ、邪魔くさいロングスカートを靡かせながらシリウスを追いかける。人を辞めた、否、人ではない速度で追いかけられて、シリウスは悲鳴を上げた。出遅れて距離が空いたものの、この調子なら確実に追いつける。絶対に捕まえないと、とオルガは強く地を蹴って、
「セレナ・ルミエール侯爵令嬢様!」
耳をつんざくほどの大声に、思わず足を止めた。
殺し切れない速度を踵で擦り潰し、オルガは声のした方に振り向く。カンカン、と甲高い足音を響かせ、近づいてきたのはウォルターとメローぺだった。端正に整ったウォルターの顔は、しかし何故だか歪んでいる。体調が悪そうで、それこそスイレンの睨みを受けた人間のようだ。姉から恨みでも買ったのだろうか。
対して元気そうなメローぺが何かを言いかけるが、へろへろのウォルターに制止される。その状態で喋るのか、と驚きが顔に出そうになったオルガへ、ウォルターが震える声で言った。
「君、何か……僕に、仕掛けた、だろう……!?」
「……何の話です?」
「しらばっくれるな! げほっ、ごほっ……君以外に、誰がいるんだ……!」
何の話なんだ。
理解の追いつかないオルガを睨みつけ、ウォルターがふらふらと近寄ってくる。メローぺが心配そうに手を伸ばすが、ウォルターは引き攣った笑みでそれを拒絶した。そんな顔されたら余計に心配するだろ、と呆れたオルガに、ウォルターは段々と近づいてくる。生まれたての小鹿と瓜二つな様子で近づいてきたウォルターは、恨みつらみのこもった顔でオルガを睨みつけると、
「君が、何か仕掛けた、せいで……僕は────ぁ」
「ウォルター様!?」
ばたんきゅー。
そんな効果音が出そうなほどみっともなく、ウォルターは目の前で倒れた。




